短編中編マーブル(大体恋愛)

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【R15】枯れ専少女は飛仙を恋う14 枯れ専少女は恋を乞われる

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 楊叡の不可解な変化に、白蘭は急に心配になって相手を見やった。

「ど、どうしたんですか楊老師? 悪い物でも食べた……とか?」

 白蘭の心配を余所に顔を上げた楊叡は、この上ないほど痛快そうに頬を緩めていた。

「くはッくくく、ははっ、わしから財を奪おうとする輩はおっても、本気でわしに金を貸そうとしてきた人間はそなたが初めてだの。ははは、くくっ……愚かな憂鬱など一瞬で吹き飛んだわ」

 白蘭は彼が大口を開けて大笑いするところを初めて見た。心底愉快そうに一頻ひとしきり笑ってから目尻に浮いた生理的な涙を指で擦って改めて白蘭を優しい眼差しで見つめてくる。
 興味本位の見物人の中の女性が何人も、汚れた姿にもかかわらず楊叡の微笑みにくらりとよろめいた。さすが規格外の美青年は汚れていてもその破壊力は半端ない。
 半ば感心すらしつつ白蘭も、その微笑みにもそうだがむしろ屈託のない大笑いの姿に何故かどきりとしてしまった。今は青年姿なのに枯れ姿の時同様胸が高鳴っているなんておかしいなと思っていると、彼は少しだけ得意そうにして言う。

「これでも仙人たるものそれなりの蓄えはある」
「え!? あ、そっかそうですよね。失礼なこと言ってごめんなさい」
「別に謝る事ではないよ。それに謝るのはわしの方だ。向こうでは本当にすまなかった」
「ええと……」
「そなたを傷付けているのはわかっていたが、わしは自分の中の幼稚な鬱屈をそなたにぶつけてしまった。それをずっと悔いていたのだ」

 瞼をやや伏せる楊叡は言葉通りの表情だ。

「老師は、だからここに?」

 しかと首肯する潔い肯定に、思わず白蘭はにこにことした。

「何故笑うのだ? 怒って構わぬのだぞ?」
「怒りませんよ。だってあれも今と同じで飾らない楊老師だったってことですよね。確かにあの時は悲しかったですけど、こうして謝るためにわざわざ会いに来てくれたから帳消しです。あなたに本音と建前で隔てられるよりは、断然嬉しいです」
「……っ」

 嘘のない真っ直ぐな笑みに、楊叡は天を仰がずして一身でその厳然たる大存在を感じつつ、彼女から決して目を逸らさなかった。

「まさか先を越されて天に嫉妬する日が来ようとはな……」
「はい?」
「いや。――そなた、あばら家に戻って来ぬか?」

 白蘭は今度の今度こそ幻聴なのではと思い、瞬きを繰り返した。




 金兎雲で仙境から実家に帰ってから、白蘭は本当にこれで良かったのかと自問ばかりを繰り返して過ごした。
 部屋の窓辺に椅子を持って行ってさんに頬杖を突いて、楊叡の元へと繋がっている空をよく眺めていた。
 その時はまだ雷天佑は帰路上にあってこの街にはまだ戻って来ていなかったから、遊びに誘ってきたりと騒々しくもなく、ゆっくり一人で考えられた。
 五歳で恋をして、八歳で押しかけ始めてから何年も経った。
 その間鬱陶しがられても、無下に強制送還されても決して諦める気持ちは湧かなかった。何度だって付き纏ってやるぞという心積もりが崩れる事はなく、体や心の成長に合わせてかえって強固に育っていったと思う。

 だからまさか自分からさよならを言う日が来るなんて予想だにしていなかった。

 雷家に嫁ぐ話を了承したのは、背水の陣で必死に臨めば何か成果が上がる事を自分に期待していた部分もあった。

 恋は自分だけの感情では実らないなんて普通の思考も忘れ、傲慢にも迷惑を顧みず居座った。

 だから全然駄目で、楊叡を煩わせ彼の調子を崩すだけの自分はきっと不要でしかないのだと、彼の鉄壁に尻尾を巻いて帰って来たのだ。

 しかし表面的には諦めたように見せていても、会いたい気持ちは全然消えず毎日が無為に過ぎていった。
 きっと忘れるまでには、人間なら人生がとっくに終わっている時間が必要だろうと確信していた。元々、生涯独り身でいるのも悪くないと思っていたが、しかし両親はそれだけは見逃してはくれないようで、だから雷家との縁談が取り決められたのだ。

 白蘭は自分と一緒になる相手は気の毒だと思う。

 だって一番目には想えない。

 いっそのこと浮気性の男が相手なら気も楽だなんて事まで考えて、しかしそれは雷天佑に当てはまらない事だとも思って心苦しい溜息が零れ出た日もある。白蘭から見て彼は大雑把でテキトーだが、そう言う面では真面目で、モテるくせに軽薄に遊んだりせずいちいちきちんと断っていた。
 彼は誰がまだ白蘭の心の住人なのかを簡単に看破する。きっとそれを良しとはしないから、辛い気持ちにさせるだけだろう。
 正直な所、雷家との約定は白蘭にとっては気が重いものなのだ。
 毎日毎晩青天曇天雨天に彩られる中天をぼんやり見上げ、楊叡を想わない日はなかった。

 何もかにも捨てて楊叡を独り占めできたらどんなにいいだろう。

 何度もそう思った。
 彼も自分をただ必要としてくれたら、迷いなんて掻き捨てて飛び込んでいくのに。
 最早叶わない願いに焦がれ、いつも窓を閉じていた。
 それなのに……――――



「わしと共に来てほしい、白蘭」

 あだ名ではなくきちんと名を呼んで、語気をしっかりとして彼は再度訴えた。
 本音を言えば「蘭蘭」とか「阿蘭」と呼んで欲しかったが、そこまで贅沢は言わない。食べ物から人に進化しただけでも上々なのだ。

 手を自分へと伸ばす楊叡の姿に、白蘭は無意識にも一歩を踏み出す。

「行くなよ蘭蘭」

 神妙な顔をする幼馴染みが手首を掴んだ。
 彼は駄々をこねる直前の幼子のように目元を歪めている。
 ハッとして我に返った。
 そうだ、既にこの恋の片は付いている。自分が付けた。
 なのに自分は何て往生際が悪いのだろう。

「ええとでも何か向こうで私が必要な用事があるのかもしれないし、一度話を聞いてから…」
「聞く必要なんてないだろ。この状況で本気でそう思ってるのか? 少しも気付かないのか?」
「それは……」

 戻れなんて言われたらいくら白蘭でもわかる。
 夢にまで見た答えがもらえたのに、冷静になれば自分の立場は最早一人の責任だけには収まらない。家同士の決め事を疎かには出来かねた。関係者皆に迷惑をかけるのだ。気持ちと同じく視線が下がる。
 それでもささやかな抵抗のように手を引くと、掴まれていた手首はあっさり解放された。
 目を合わせられず俯いて、大通りの喧騒だけが空虚な程に耳朶に響く。

「わしは退かぬよ」

 思ってもみない楊叡の強い意思に白蘭は驚き顔を撥ね上げた。

「白蘭の気持ちがわしに依然あるのなら、攫ってでも連れていく」
「なら俺は何度だって連れ戻すだけだ。その前にこいつを連れては行かせないけどな」

 喧嘩上等と、白蘭を背にすると雷天佑は仙人相手に構えた。
 周囲は「何だ何だ喧嘩か?」「女を巡ってらしい」「いいぞやっちまえ」と見世物よろしく囃し立てる始末。楊叡の見た目は若者だから誰も仙人だとは気付かないのだ。
 白蘭が戸惑っているうちにとうとう互いの胸倉を掴み合って睨み合うと、どちらともなく殴り合いが始まった。

「ちょちょちょっと何やってるのよ二人共!」
「仙人の力でも何でも使っていいぞ」
「生憎とそんなズルをせずとも十分だ」

 周囲は「二人共男前度が上がった上がった」なんて煽る者まで出てくる。

「やめてよ!」

 白蘭はあわあわとして、二人を見つめた。
 大事な二人が自分の処遇を巡り争うのは耐え難い。
 よくやんちゃをやらかす雷天佑はともかく、高尚であるはずの楊叡までが実力行使に応じるなど予想外だ。
 制止も虚しく、止めようにも入れず何でこうなったと頭を抱える。

(――ああそっか、私がいい子ぶってるから……)

 白蘭自身が無理やり感情を押し込めて動かないからだ。嫌な奴になり下がる覚悟がないから、大事な二人がこうして敵意を向け合っている。

 楊叡が望んでくれたら迷いなんて捨てるなんて、全然嘘だ。

 実際そうなって実行できていないではないか。

 そんな自分は……目に余った。

 ――バチンッ、と白蘭は自分で自分の頬を強く叩いた。

 その音に楊叡も雷天佑もやや驚いたように目を瞠って振り向いた。

「は、白蘭……?」
「ら、蘭蘭!?」

 もう頬が赤くなってきて、白蘭が如何に強烈に自分を戒めたかが知れた。そのおかげで殴り合いに夢中だった二人はギョッとして手を止めていたのだ。
 この機を逃してはならないと、白蘭は両者の間に入って無理やり押し退けつつ順序良く睨む。

「喧嘩はやめて」

 何やら決然とした姿勢で臨む白蘭は、急に雷天佑の正面を向くと腰を折って深く頭を下げた。

「ごめんなさい天佑! あんたとは結婚できない」

 ゆっくり顔を上げて、絶句する相手へと切実な目を向けた。

「げ、現実を見ろよ。仙人となんて自分だけが老いていくんだぞ」
「それは考えた事はあるわ。先に死ぬのもわかり切ってる。でもそんな仕方のないところまでいちいち気にしてたら切りがないじゃない」

 今の大事な瞬間をうっかり見逃してしまうだろう。

「お婆さんになったらそれこそ、私の初めて恋した姿の楊老師とお似合いになれるかなって思うわ」

 冗談なのか本気なのか、そんな台詞を口にした白蘭はこれ以上ない晴れやかな笑みを広げた。

「私はどうしたって楊老師が大好きなの。私はどうしようもなくこの人じゃないと駄目なの。そのためには酷い悪者にだってなるわ。だから…」
「もういい!」

 続く言葉は聞きたくなかったのか、雷天佑は掌を押し当てて白蘭の口を塞いだ。
 彼はむすっとして、酷く拗ねたような面持ちになっている。
 それはどことなく、泣くのを必死で我慢しているような、そんな顔にも見えた。

 白蘭は眉尻を下げて、まっすぐ注ぐその目でごめんなさいと告げた。
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