短編中編マーブル(大体恋愛)

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拝啓大魔王(前々世の俺)、今日ダンジョン(黒歴史)を葬ります。

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 俺の辞書においては、ダンジョンと書いて黒歴史と読む。

 前々世の所業故に……。




 前々世、俺は魔族や魔物の頂点たる大魔王だった。

 現在の俺は、その足の長さだけでも5mはあった当時とは違ってまだ十二歳の人間の短い足で見知らぬ町を進んでいる。

 この町の石畳はあちこちひび割れて綻びが多い。王家から支払われているはずのインフラ整備の予算がきちんと使われていない証拠だね、なんてつらつらこの地の行政の実情を勝手に分析しながら足を動かす。

「行政官に問題があるのか、それとも別の事情があるのか……」

 ぶつぶつと独り言を呟く俺の斜め後ろには白髪の老齢男性が付き従っている。

「きちんと前を見ないと危のうございますよ、ダミアン殿下」
「やめてくれよー。家を出たんだから俺はもう殿下じゃないし、元々殿下も王子も陛下とかも呼ばれるの好きじゃないんだよね」
「あっははは陛下と呼ばれたことはありますまいに。それに何を仰います。わたくしが殿下とお呼びしなければ殿下は冗談抜きに王族であらせられることをさっさとお忘れになるでしょう。どこにおられようと殿下はこの国の王子、それは生涯変わりませぬ。故にわたくしは必要な役割を果たしているだけですぞ」
「もういい。……じいは物好きだよね相変わらず。老い先だってそんなに長くないだろうに、今からでももっと自分のために時間を使えばあ~?」
「何をおっしゃいますか。殿下と共に過ごすことこそ自分のための有意義な余生の過ごし方です」
「……だからそこがさあ」

 キョトンとされたからこれ以上は口を噤んだ。
 俺はこの国の王子に生まれた。
 王と王妃との長子だからってゆくゆくは王太子になるだろう身分でね。

 だけど、俺には大きな大きな使命があってその王家を出た。

 王子を辞めた。

 もちろん反対されたけど、無理やり出奔してきた。

 王太子になって国王になって双肩に国を導く責任を負うよりも、俺にはこの手でとある責任を取る方が重要だったんだから仕方ない。

 国の方はまあ、弟妹たち――他の王子王女に継がせるか、いっその事王権を廃止して民主制にでもしたらいい。そうなったらそうなったでその枠組みや法の下で無難にやってくよ俺はさ。

 そんな王族の端くれにも相応しくない俺が生まれてまずやったのは、この身に満ちる魔力の隠蔽だった。

 あぅあうぅあぅうーって喃語で果たして大丈夫かって心配したけど杞憂だった。大魔王時代同様に俺は呪文の正確な詠唱なしでも魔法が使えるんだってわかったよ。体は魔王のそれじゃなく人間のそれなのにさ。今でもどうしてなのかは謎だね。
 転生なんてするんだし、仮説としては肉体そのものじゃなく魂のポテンシャルが魔法的基本スペックを決めるのかもしれないと思っている。

 まあ、そうなんだ、魔法が使えるんだよねここ。この世界は。

 大魔王から人間へと転生した前世の日本じゃ、その手の創作物コンテンツはたくっっっさんあったけど実際に魔法は存在しなかった。大魔王時代の世界がゲームとか小説の中でしたなんて落ちもなかった。似たような世界の設定はそこそこあったものの大魔王時代の世界そのものとは違っていた。
 因みに、日本というか地球生活は魔法がないなりにも楽しい人生だったね。
 で、天寿を全うしたと言えるくらいは長生きした地球人生が終わって更に転生した現在のこの世界が魔法世界だとわかった俺は、この世界がどこか懐かしい気配に満ちているのにも気付いた。ゆりかごの中から近場のダンジョンを幾つか透視してみてようやく悟る。

 ここはかつて大魔王な俺の生きていた世界だってね。

 幸か不幸か何の因果か戻って来たんだ。

 元いた時代の何と、一万年後にさ。




 世界各地のダンジョンを千里眼どころか万理眼な魔法で調べた結果、ほとんどのダンジョンがまだ存在し尚且つ現役だったのには心底驚いたっけ。

 だって一万年だよ? 前世じゃ原始人の造った何かが現役稼働しているなんて到底考えられない。

 言っておくと、世界に数多ある魔物の巣窟たるダンジョンは俺の建造物だ。

 俺が死んだ後も一万年とそれらは残り続け現在に至るまで自然風化の兆しもないという。
 まあねー、それだけ俺の力が強大だった証かなー。はっはっはっはっ。
 元々は配下達の娯楽用に生み出した物なんだけど、今や人間の攻略対象物兼鍛練の場になっているようで……。
 ははは有効活用されて光栄じゃないかって?
 全く。全然。微塵も思わない。

 俺の場合、遥か太古の昔に生きた前々世の自分の遺物が転生した今も残り続けているだなんて、日々拷問でしかないんだよ。

 全てが灰塵に帰してくれていればどれ程よかったか……っ。
 何せ前々世の俺は強大な力を有していたが頗る乗せられ易い性格だった。要はチョロい上司みたいだね。
 配下達は魔王陛下とか心底俺を崇め敬い慕ってくれていたが、その分だけ世界のボスたる俺の偉大さを後世に伝えたがった。しかし弱っちい自分達ではすぐに朽ちる物しか作れない。
 だからこそ彼らは思い切り俺をおだてた。おだてまくった。
 俺はガハハハそうかそうかそうだろう俺様は凄いだろうってまんまと乗せられた。
 そうして世界各地のダンジョンを俺に造らせたってわけ。古参の配下たちには当面のダンジョン管理をするダンジョンもりって役職を与えたし、必要に応じてその数を増やした。

 たださあ、まさか守たちも一万年そのまま存命だとは思いもしなかったけどね。

 正直なところ最高に長くても精々五千年くらいかなと過去の俺は思ってたんだよね。魔王直属の配下って案外結構凄かったんだって我が臣下ながら感心したのは記憶に新しい。新しいっつっても十年以上前の記憶だ。大魔王時代とか、人生百年時代の俺からするとまあ新しいかなーってだけだけど。世間一般的には昔のって感覚だろうね。

 ま、それはどうでもいいとして、ダンジョン内部は配下たちそれぞれの俺へのリスペクトや理想がもろに反映されている。

 俺自身でも思いもよらなかった方向や理解できない方向にリスペクトされていたりもして、さすがにそこは唖然としたよ。
 あと、十人十色と言うように配下たちの嗜好もバラエティーに富んでいた。それ故に多種多様でダンジョンに同じ物は二つとない。
 例えば、俺の使ったコップだけを飾ったとことか、髪の毛一本を神殿風の台座にぶっ刺して展示してるとことか(聖剣かいそれ!)、俺の肖像画や妄想画の宝庫とか、中にはパンツ(下着の方)展示って究極なのもある。
 最早偉人の足跡を辿るとか、地域学習なんかで行く郷土史料館の展示で当時の生活を覗いてみましょう的な可愛いもんじゃなかった。

 執着が強過ぎて怖い。

 そんなただ事じゃない部屋が存在するダンジョンが造ったうちの五割超え。

 やべえよね。いくらどんぶり勘定で大雑把で物事を深く考えなかったアホ魔王だったからって、正直過去の自分がそこまで脳みそ小さかったとは思わなかった。改めてドン引いたっけね。

 ダンジョンに隠された空間は言うなれば俺のコア過ぎるファンに、俺の黒歴史を暴かれよりにもよってそれが飾られている度を超したオタク部屋なんだ。

 地球生活を送ったのもあって、常識的にどう考えてもメチャクチャ恥ずかしいだろって物まで晒されていて愕然とした。魔王のくせしたセンチメンタルなポエムとかね。
 そんなもの、どうして残しておけるだろうか。いや、ない。

 だから俺は偉大な魔王様ってか阿保様だった記憶を持つがために羞恥に堪えないその部屋たちを残らずこの地上から滅すると決めた。

 ダンジョンごと。

 故に、出奔したんだ。





 石畳に煉瓦の建物の並ぶ町の一角を健脚なじいと共に進んでいると、前方で軽快な声が上がった。

「なあ、町南のダンジョンに行った事あるか?」
「ああ、あるある! あそこはオレ達にとっちゃ聖地だよな。まっ、魔物の巣窟が聖地だなんて可笑しな言い種だけどな。あの入口の両脇に屹立するマッチョな古代魔神像なんかまさに理想の完全体だよな。筋肉をこれでもかって強調させたそれぞれのポージングはマジに神ってるお手本だし最高にリスペクトだぜ。顔は犬だけどな!」
「まあ犬なのは魔神像だからな。そもそも魔の神だから人じゃねえもん」
「はははっ、違えねえ。ところで、改めて魔神って何だ? 魔物とか魔王と違うのか?」
「さあ? 同じじゃねえの? 神の如き強い魔物だから魔神とかだろ。そんな事より、あそこってダンジョンの中も中で不思議な筋肉讃歌が流れてくるだろ。男の声で何気にオペラかってくらい美声だよな。いつから流れてんだかなあ。魔法だとは思うがすげー凝ってるよな。あと壁も天井も床も目から鱗な筋トレ方法のレリーフだらけで恐れ多くて端っこを進んだもんだよ」
「ああわかるわかるそれ! 魔物討伐よりもそっちを見るのに夢中になってたよ。今その一つを実践してるし、見つけた宝箱には高級プロテインが入ってたんだよな。商品名なのかプロテイン大魔王って袋に書いてあった。何か凄いプロテインっぽいよな! マジラッキーだった」
「うおー、何だよ羨ましいぜそれ! 魔物もマッチョなのばっかだし、スライムまで筋肉質って徹底ぶりだろ。あれ絶対体脂肪率ゼロだよな。オールマッスルスライム、マッスラ~イム、なんてな! 攻略しながらテンション上がりまくりだったよ。それに――――……」

 町の南にあるダンジョンについての冒険者同士の会話が耳に届き、無害に道端を歩いていただけの俺はごふっと精神ダメージからくる血を吐いた。周囲の通行人がギョッとして心配そうにする。
 よろけて煉瓦の壁に手を付いた俺は大丈夫です持病の癪がって誤魔化した。
 こうやって急にアッパーを食らうからこの転生後の日常はデンジャラスだ。
 そもそもこの世界の各地に人間が暮らしているのを知った時は意外だった。
 前々世じゃ辺鄙な土地に暮らしていた人間はまだまだ絶対数が少なく尚且つ最弱な種族として大魔王たる俺にひれ伏していたのに、雑草は強いなあ。
 まあ、今は俺もその雑草なんだけど。

「ダミアン殿下、大丈夫でございますか?」
「ああうん、全然平気じゃない。心が抉られる」
「ふむむ、吐血なされているのに心の方が、ですか?」

 いつものように素直に言ってやればじいは思案顔をした。

「もしや今の若者たちの話していたダンジョンは、黒歴史ダンジョンなのですか?」
「ご名答」

 俺は通り過ぎたばかりの冒険者二人を肩越しに残念な目で見やり、袖で口を拭うと前を向いて嘆息した。
 出奔するにあたり、じいには俺とダンジョンの関係を話してあった。
 彼が信じる信じないは別としてね。じいは俺の言葉を真実と受け取っているようだった。ホントこのじいはさ、何を信じ何を疑うかの的確な判断に長けている。魔族より余程早熟な人間の年の功なのかもしれない。
 冒険者の話していた町南のダンジョンとは、まんまこの町の南に位置するダンジョンを指す。

 町南には一つダンジョンがあって筋肉好きの冒険者なら一度は鍛練に訪れてみたい場所の一つなんだそうだ。

 ダンジョンの傍には冒険に欠かせない各種アイテムと筋トレに欠かせない栄養素を取り扱う出店がズラリと並び、この町も何だかんだでここは宿場町やでっと言っていい宿の多さだ。

「はあ……肉体を誉められ調子に乗って筋肉に過度に傾倒してあれを創った頃を思い出すだけで、全世界のササミを燃やしたくなるよ。必ず行って黒歴史ごと破壊してやる」
「ダミアン様、筋肉はわたくしも憧れますよ。鍛えて美しい筋肉美、鳩胸な正面も素晴らしいですが、隆々した逞しい背中なども男としては憧れる肉体美ですぞ。わたくしも若かりし頃は女性達からキャーキャー騒がれるくらいは鍛えておりました。大いに宜しいではありませんか、マッスルダンジョン。何も破壊までしなくとも」
「俺も筋肉を崇拝するってだけなら葬ったりしないよ。だけど、流れる筋肉讃歌は過去の俺の声だし、隠し部屋に所狭しと建立された千体の俺の石像のポーズが全部イタいんだよね。あれを冒険者の誰かに見られる前に、塵にする」
「なるほど、ダミアン様の品性を疑われ威厳を損なうそのような不埒で淫乱な像が……」
「そこまで言ってない言ってない。エロくはない。それに、ふふ、今の俺のじゃないけどね? 前々世のだからね?」
「ええ、ええ、わかっておりますよ。されど、このじいにとってはダミアン様の前々世も等しく敬うべくダミアン様には微塵も変わりないのですよ」
「いやいやいやいやいや待ってじい、それは極論でしょ。ダミアンはダミアン、大魔王は大魔王だよ。自分だけど一緒くたにされても複雑だからやめて? ね?」
「左様ですか? それならばそのように致しますが」

 ホッとして壁に付いた手を離すとのろのろと歩き出す。
 肩掛け鞄から取り出した瓶入りのドブ色の液体をグビグビ飲んで羞恥からくる自己嫌悪と過去の自分への怒りで猛烈に乱れそうになった魔力を静めた。因みにこの飲み物は意識しなくても魔力を抑えるように俺自らで調合した代物だ。ふー。これで一先ずは落ち着いてられるね。

 そんな俺は件の筋肉ダンジョンに足を運ぶその途中だったりする。

 さてさて、気を取り直して存在を最早許容できない黒歴史破壊にレッツゴー。




 元は発展著しい都市たる王都生まれの俺は、今まで王都から出た事がなかった。その気になればおしゃぶり口にバブバブしていた赤子の時でも余裕でテレポートしてズガーンと破壊してこれたけど、それだと常時付きっ切りで世話してくれていた乳母やメイドが俺の不在に気付いて騒ぎになりかねなかったからしなかった。魔法で眠らせるのもできたけど能力露見のリスクは避けた。だって万が一俺の力がバレて神童だなんだと注目されても面倒だったしね。
 それに、続けて人間に転生したとは言え、俺は元は大魔王なんだ。
 俺の同胞とも言うべき配下たちと戦うなんて冗談じゃなかった。心情的には自傷行為に近い。
 加えてあいつらは強い。

 とてつもなく厄介なレベルだ――俺への崇拝が。

 執着って言い換えてもいい。
 戦ったら十中八九俺の正体に気付く。身バレする。一万年も経っていたら普通記憶が薄れて覚えてないんじゃないのって思いがちだけど、一万年も生きているのがそもそも普通じゃない。
 それに、一万歳以上の奴らだよ? 戦うのは老人を痛め付けるみたいでやだよね。
 とにかく俺は厄介は避けたい。精神安寧と生きたい。
 大魔王時代の晩年はさ、さすがの阿呆様だった俺もダンジョン建造推進派な配下たちのキテレツかつ病んだ嗜好のせいでもろくそ精神擦り減らしたからな。

 そんなわけで、ダンジョン消滅作業は極秘裏に。

 かつての配下たちに悟られちゃいけない。

 破壊魔法を仕掛けたらさっさと離れて安全位置で遠隔発動させるだけ。まるで現代地球の花火大会みたいなやり方だ。
 ダンジョン守には悪いけど、ダンジョンなしでも強く生きていってほしい。せめて中にある金銀財宝は残しとくからさ。
 餞に盛大な花火でも最後に上げてやろうかね。

 だがしかし、ダンジョンにも、いや町の端にさえも辿り着いていなかった途中で予期せぬトラブルが起きた。

 消滅法を思案するのに集中していて気もそぞろな足取りで歩いていた俺はすっかり油断していて、町の引ったくりにまんまと鞄を引ったくられたんだ。

 中身は全部自作の小瓶飲料。

 高価な物じゃないから盗られても別に……いいわけがない。

 ヤバいなあ、あれを俺以外の人間が飲んだら――最悪再起不能だ。

 あれは俺の強大な魔力を減衰し意図しない暴発を強制的にさせなくするものだ。まあつまりは毒物同然ってわけね。
 若い男の引ったくりは二人組だったようで俺の鞄はあっと言う間に塀の上にいた別の奴に投げ渡された。じいは慌てて追いかけようとしたけど、俺は制止した。ぎっくり腰をやられたら世話できない。
 引ったくり一味はさっさと鞄ごと塀の向こうに消えたよ。

「あ、お兄さんたち鞄はあげるけど小瓶の中身は飲まないでよねーっ!」

 うん、よし、とりあえず警告はした。
 俺の鞄は見た目以上に良い物だ。だから質屋に売って当面の稼ぎを得るくらいは見逃しても構わない。本当は構わなくはないけど面倒事は避けたい。
 だけどね、小瓶は大きな面倒事に発展しかねない。あのドブ色の魔法の液体は並の魔法使いには作れない代物だ。あんな危険な物を作って国家転覆でも企んでいるのか、一体どこのどいつが作ったって捜査されかねない。そこで俺だと突き止められた暁には、極端な二つの道が予想される。
 反逆罪で投獄され悪くて処刑か、優秀な魔法使いだとしてすぐにも王太子にさせられるかの。どっちも御免だよね。あ、後者だとその頭脳で是非にと魔法の研究とかもさせられそうだね。しないけど。

「なっ何だこれはうぐあああーっ」
「かっ体から力があぁ~~」

 ん? 何だ? 塀の向こうから悲鳴とも大きな呻きとも付かない声が聞こえてきた。
 あー、もしかして、わざわざ大声で叫んだ俺の台詞から引ったくりたちは小瓶の中身が良い物だろうって思ったに違いない。鞄がそうだから中身も、と勘違いした。
 きっと塀の向こうで口にしたんだな。苦しげな奇声が聞こえてくる。

「あーあ、だから飲むなって言ったのに。人の忠告を無視するからー……」

 呆れと、どこか冷めた目で塀向こうを透視すると、案の定地面に倒れ伏す二人が見えた。あれは端的に言うと著しく身体を弱くする魔法薬なんだよね。
 俺の力は定期的なそれの服用で減じられているから意識して力を封じなくても普通人で通せている。さっきはちょっと古傷を抉られて感情的になったせいで魔力が増したからうっかり暴発しないよう予防的な意味合いで飲んだんだ。
 俺の能力を基準にしているから、人間がと言うか俺以外の誰かが飲んだら、まあ大変。辛うじて死にはしないけど残り体力魔力が「0.00000001」とかになるんじゃないかなー。俺の古参の配下たちならまあ飲んでも普通人レベルで持ちこたえそうだけど。
 自業自得だよねとは思いつつも、じいを置いて壁を飛び越えて駆け付けてみれば、引ったくりたちは既に失神していた。昏睡って言った方が適切かもしれない。

「はあ、まだ死んでなくて良かったよ」

 鞄も小瓶も回収して、犯人たちは放置しようかと思ったけど、今のままだと野良犬に蹴られただけでも絶命の危険を孕んでいる。死なれちゃ寝覚めが悪いしなあってわけで同じく鞄に一緒に入れていた回復ポーションを口に突っ込んでやってから場を離れた。これで野良犬に蹴られても人間としての最低限度の生存はしてくれるだろう。




 町南のマッスルダンジョンに到着すると、入って早々に俺はテレポートで隠し部屋前までショートカットした。
 ダンジョン攻略を果たした者だけが拝める扉が目の前にある。じいもどこかで待たせておく方が逆に心配だったから連れてきた。特別待遇だねホント。まあでもお年寄りには優しくしないとね。
 俺の造ったダンジョンの中にはテレポートができないものもあるけど、言うなれば世界のダンジョンの生みの親或いはシステム管理者の俺にそれは作用しない。体は人間でも魂の底から滲み出す魔力は俺でしかないものね。簡単に魔力認証って言うとして、それであらゆる制限が解除できる。
 俺は一息ついて、秘密の扉を開け放つ。

「ひゃっ!? だだ誰だ!? 冒険者は誰もまだこの階層に到達してなかったはず! まだお茶飲んでて良かったはず!」

 黒歴史部屋はダンジョン守が管理する。
 上半身裸の古代エジプト人みたいな格好のそいつはぐびぐびと呑気にお茶ではなくプロテインドリンクを飲んでいたけど、綻んだ威厳を取り繕おうと思ってか堂々たる厚い胸板を張った。ああ顔は犬。

「くぉらあああっルール破ってセコい真似してきたのはどこのどいつだああああああああ――魔王様あああっ!?」

 バッチリ俺の目とそいつの目が合って向こうは完全に固まった。思考も停止したように見える。

「あー、やっぱりか、一目でバレた。久しぶりだねイヌニス」

 しかもこれが初めての身バレじゃない。通算五度目だ。
 何でどうして配下たちは見た目も種族も違うし魔力も隠した俺に気付くの、ねえ!? こわいよ!!
 動揺したマッチョ犬神なダンジョン守は感涙に目を潤ませる。

「やっとお戻りになられたのですね魔王様! 早速皆に知らせて再び我らが世界君主として――」
「うんやちょっと待ってイヌニス、違うからもう。俺は精神をすり減らす暮らしはもうしないからね? むしろここをなかった事にしてイヌニスには別の生き方をしてほしいと思ってる」
「えっ……!? ままま魔王様? 正気ですか?」
「正気も正気、本気も本気」
「あっ、姿は元より性格まで変わってる……!?」
「はは、今更だね……」

 俺はポリポリと指で首を掻くとその指先でダンジョン守の後ろへと破壊魔法を放った。デコピンするみたいにして。
 イヌニスの頭のモフモフ毛皮をそよがせた魔法は確実に変な体勢をした俺の石像たちを残らず消滅させた。

「へ?」

 イヌニスが恐る恐る後ろを振り返る。
 そのまま凍り付いてしばらく経って、普段から気の長いじいが気掛かりそうにした頃、イヌニスは両手で頭を覆った。

「いやあああああああああああああああああああああ!」

 涙目で飛び上がって卒倒した。俺の心に容赦って文字はなかった。無論黒歴史にだよ。像その他、筋肉讃歌を流す魔法の全てを灰塵にした。

「どうせならこの調子でダンジョンも壊しちゃおうかな」

 黒歴史だけだったりダンジョンごとだったりとまちまちだけど、今回はダンジョンごといくか。

「魔王様あああっそれだけはご勘弁をおおおおうっ!」

 筋肉崇拝者の本能なのか直感なのか、ハッとイヌニスが自分で気が付いて這ってくると足に縋り付いてきた。涙も鼻水もどばとばだ。俺ははあーと溜息をついた。

「イヌニス、ここにいて何年?」
「え、はい? えーと、かれこれ一万と三百年くらいかと」
「そっか。人生は一度きりなんだし、いつまでもこんなとこに引き籠ってないで、もう外に出ようか。それでジムでも開きなよ。開業資金はこっちで持つから」
「へる!?」

 へって驚きたかったんだよね今のは。地獄ヘルって言いたかったわけじゃないよね?

「でっですが、勿体のうございます!」
「いや、無駄は早々に除いた方がトータルで見て勿体なくないよ」
「わわわ私には無理です魔王様!」
「何で、素晴らしい筋肉を持ってるし、俺なんかより余程その手の知識に詳しいでしょ。ジムでもコーチでもやってみたらいいんだよ。いい指導者になれるよイヌニスなら」
「魔王様……っ、有難いお言葉で。ですがここを破壊するのだけはどうかどうか……っ、心の拠り所なのです!」

 今度はさめざめと泣き始めるイヌニスに、俺は辟易としてしまった。これまでの展開とまた同じだよ。
 俺は身バレしなかったダンジョンは跡形もなく潰したけど、身バレした方は実は黒歴史を取り除いて残していた。
 ここもそのパターンか、と眉間を押さえた。

「ダミアン殿下、残してやって差し上げて下さいませ」
「じいはそうやってすぐに情けをかけるんだから」
「ほほほ、これもすべてはダミアン殿下の御ためにございますれば」

 はあ、と俺は長い溜息を吐き出した。じいにはかなわない。

「じいに止められたら強行はできないね。俺はお年寄りには優しいんだ」
「わたしの方が全然お年寄りな年齢ですけども魔王様っ!」
「えー、その筋肉でそれ言う?」
「……ええと、その、どうかご慈悲をーっ」

 俺はまたはああーと長い溜息をついた。

「殿下、人間社会でもここはマニアには聖地となっておりますし、残しておいて損はないかと。もう黒歴史とやらは消せたのでしょう?」
「俺としてはダンジョンそのものが黒歴史なケースが多いんだよね」
「そこを何とかご容赦下さいませ。のちのち殿下の役にも立ちましょう」
「俺の?」

 じいはこそりと耳打ちしてくる。

「左様です。今後もしも王家が殿下の王太子擁立を言い出した時には、そのイヌニス殿に先導させてこの地は他の者を指示するとの確約をさせれば宜しいかと。ダンジョンをジム化し、冒険者や地元住民たちを抱き込むのです」

 じいはしたたかにもにやりとする、黒くはなく品の良い笑みで。だから食えないんだよねこのじいはさ。
 まあ一理あるか。

「イヌニス、できる?」
「はははい勿論です!! このダンジョンが残るのならそれくらいは蚊に刺されるのと同じく何でもない事です!!」

 いや蚊に刺されると結構痒いよ? まあいいけど。イヌニスはこの上ない幸運に出会ったように額を床に擦り付けて了解してくれた。

 こういう流れもこれで五度目。

 俺の黒歴史滅却と安穏ぐーたら生活への根回しはこうして着々と進む。主にじいの機転のおかげで。

 できるのに俺がじいを強制送還しないのは、家族みたいな情があるのと、実はこの信頼があるからだ。

 当然じい本人もそれはわかっている。
 だから気楽なんだよね。

「じゃあ、そろそろ宿に帰ろうか」

 促せばじいはゆるりと首を頷かせる。

「ええっそんな、折角お会いできたのにもうですか!? せめてあと三年くらいはここにご滞在下さい魔王様っ!」
「いや三年て、長いよ」

 魔物感覚で言われてもねえ……。

「他にも俺の滅するべき黒歴史は沢山あるからさ、それらを片付けに行かないとならないんだよ。だからごめんね」

 俺のこの人生で全てを回って消せるかは正直わからない。先に寿命が来るかもしれない。
 でも、諦めるって選択肢はない。
 どこまでも突き進んでいくよ。

 イヌニスには俺の存在と帰還は他言無用だと念押しした。

 約束破ったらこの世界からプロテイン消すって言ったら絶対厳守するって誓ってくれたっけ。身バレした他の奴にも内容は違うけどそんなような脅しをかけたっけねー。

「じゃあねイヌニス、この地は宜しく。無難に牛耳っちゃって~」
「御意に!」

 そうして筋肉魔王像や筋肉讃歌なんかは消えたけど、マッスルダンジョンは相変わらず機能して、ジムも併設されたりなんかして、イヌニスは俺の魔力減衰液で人間になりすましてあっという間にこの地の権力者になったりなんてした。
 俺が心配した通り行政が微妙だったから地元の人々も不満が溜まっていたようで、新たに台頭したムキムキマッチョで見るからに頼りになるイヌニスが正式に全権を掌握するのも楽だったみたい。協力者多数ってね。

 今日も俺はのらくらとだけど確実に次のダンジョンを目指す。もちろん参謀たるじいと。

 端から見ればじいさんと孫の二人旅。

 盗賊とか山賊とか海賊とか、何かと不穏な輩に狙われ易いっちゃ易い。だけど、侮るなかれ。
 彼らのためにも襲ってこない事を願い、目の前に現れた時には気を改めるようにって忠告している。
 まあ、結果はね……その地の盗賊団が一晩で壊滅したとか海賊船が沈没したとか、そんなデータを見てもらえれば言わなくてもいいよね。

 これは世の中の掃除もしながら前々世のせいで黒歴史を消滅させるために旅をして、例の毒薬の出所がバレたりなんかして実家から連れ戻されそうにもなる一王子、俺の通算三回目の人生話。そんな物語。
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