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32 魔法剣との付き合い方1
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『師匠はどうしてそんなに凄いんですか? 物知りですし、魔法の才能だってあってちょっと羨ましいです』
かつて、一度目人生で俺はそう訊ねたことがある。
師匠とエルシオンと一緒に少しロクナ村から離れた山中に来ていた時だ。
八歳の時に師事して一年目、俺もエルシオンも九歳だったっけ。師匠は今みたいに三日師匠とはならずよく俺たちの修行に付き合ってくれていた。
大地の気の力の強い龍脈の上にのんびりと座っていた師匠はゆるりと瞼を上げ、ふと思ったままを口に剣の素振りを止めた俺へと金瞳を向ける。
『物知りなのはこの世界で伊達に長生きしていないってだけの話よの』
時たま出てくる古風口調でそう言った後、彼はこうも続けた。
『魔法云々は、エイドの瞳が黒いのやエルシオンの瞳が灰紫色なのと一緒だの。才能とはまた違う』
『ええと?』
『単なる個々の特徴じゃよ』
『特徴って、えー、才能だと思うんですけど』
『えーも何も実際にそうでしかないのだから不満を言っても仕方がない。他者を羨んでいる暇があるのなら自らを磨かんかい』
師匠が何もない所を指先で弾いた。
『いでっ』
空間を超えて魔法でデコピンをかまされた俺は、少し涙目になりつつ渋々素振りを再開する。
『摩訶不思議にもこの世界には魔素が大地に含まれ空気中にも普通に漂っているからのう。そんな環境の中で生まれれば各自に魔力の濃淡があっても当然じゃ。青い瞳にも濃い青と淡い青があるようにの』
『それって……魔法を使えない人には魔力がないのではなく、持っているけど物凄ーく薄いって意味ですか?』
師匠はちょっと嬉しそうに驚いた。
『説明せずとも悟るとは、我が弟子はそこそこ優秀だの~』
『そこそこって……』
因みに魔素ってのは文字通りの「魔」法の「素」で、魔法使いは時に自分の魔力だけじゃなく周囲に存在するそれらを操って魔法を使ったりもする。
師匠の言葉を鵜呑みにするなら、魔素は人の体内で魔力に変わって、果ては魔法として消費もされているって考えていいんだろう。
『ともかくは、容姿と同様に魔法も持って生まれるもの、天の采配だのう。その特徴をどうするかは本人次第。その中で個々人が努力して高めた魔法技術こそ、人から才能と呼ばれるに値するものになるのだよ』
あの時、エルシオンは走り込みに行っていていなかったけど、きっとあいつだって魔法は才能だって思っていたはずだ。
世間一般に魔法は才能だと言われている。
でも、魔法は特徴、か。
特徴ってのはたとえば黒髪の人間が世界に俺一人じゃないみたいに、少なくない割合で他の人と被っても何ら不思議じゃないんだよな。でなきゃ師匠だって特徴なんて言葉は使わないだろう。
そしてそれは、魔法剣の主人としての適性も含まれるみたいだ。
現在、俺の目の前じゃかつての相棒剣が白くキラキラと光り輝いて、その浄化能力を如何なく発揮している。
土龍が瘴気を吐くそばから浄化していて、これ以上の進行侵食を許さない。
[……ニール、さん]
彼女がどうしてここに?
予想もしない救い手の出現に俺は半ば夢でも見ている気分だった。
だけど同時に寂しさが去来した。
痛感した。
師匠の言う通り、魔法は単なる個々人の特徴の一つなんだって。
魔法剣が主人を選別するのは本当だけど、そこにはきっと魔法的な適正とか傾向があって唯一人ってわけじゃない。
世界中に無数の候補がいて、同じような特徴であれば主人認定はもしかすると先着順なのかもしれない。いやきっとそうだ。
頭じゃわかっていたつもりだったけど、実際に能力発動を目の当たりにしたら……ああ、本当に俺じゃなくてもよくて、もう俺の剣じゃないんだなって、そう実感した。
「くっ……エイド・ワーナー! 貴様、現状を把握しているならさっさと安全圏まで退け!」
純粋な腕力比べじゃ土龍の方が上なのか、黒髪ポニーの女魔法剣士の剣は徐々に押されている。
「あああごめんなさいッ……うっ、くそ……っ」
こんな状況下で愚かにもボサッとしていたのは否めず、ハッと慌てたものの思うように動けなくてへばっていたら、誰かに首根っこを掴まれて後方へと投げられた。
「あ~れ~ってこらー! 俺みたいないたいけな子供を投げるとは一体どういう了見だあああ!」
どうにか相手を見やれば、男ニール氏がしれっとして立っていて、驚き顔のアイラ姫を片腕に抱えていた。
ああ、やっぱりさっきの声は空耳じゃなかったのか。
ニール氏は既に俺を見てもいないし、俺を投げたなんて完全に忘れ去ったような完璧なポーカーフェイスを貫いている。一方、女ニールさんは思い切り舌打ちとかメチャ露骨に嫌そうな顔をする分、彼女の方が感情表現は豊かだ。
俺は滞空中に指環から出した回復と解毒の薬を口に含んで危なげなく着地する。
「エイド君大事はないですか!」
下ろしてもらったのか、アイラ姫が崖の上をこっちに駆けてきた。
一方で、突如ドカッと大きな音がしたかと思えば、土龍がニール氏から派手に蹴り飛ばされている。
あーはは……お強いですね。
「エイド君、どこか遠い目をなさってどうなされたのですか? ま、まさかお怪我を!?」
アイラ姫ってば泣きそうに顔を歪めるけど、普通は人間泣くと不細工になるもんなのにそれでも可愛いさキープって何だろなもう……自動姫様補正?
「あーいや大丈夫ですアイラ様、回復薬も飲んだので。あなたの護衛たちのおかげで命拾いしました。だから安心して下さい。お助け頂き感謝します。そして遅れましたがご機嫌麗しゅう~」
「本当に? 強がりではなくて?」
「もちろん」
「それなら良かったです。ですが、エイド君を助けるのは私にとっては当然で最優先事項なのですから、お礼の言葉など要りませんからね! 下手な社交辞令も堅苦しい挨拶もですよ」
アイラ姫は俺を案じつつ、そこはかとなく責める目を向けてくる。
「あ、はあ、わかりました……」
親方の指示をすんなり呑み込めない愚鈍な徒弟みたいな返事をしたら、アイラ姫はそのせいなのか珍しくキッとより一層両目に力を入れて睨むようにした。
「いつも、エイド君は心臓に悪過ぎます!」
「ええー……」
いやいや俺の方こそ、貴殿ら何でここにいらっしゃるの俺の行動を逐一ご存じですのってドッキドッキなんですけど。もしや密偵程度じゃなく就寝時の鼾一つから便所の中までがわかる超高度な監視魔法でも使われているのでしょうか?
それに、いつもって?
俺のちょっと慄いたような困惑顔を変わらず可愛く睨むくせに、彼女は俺とばっちり目が合うとハッとして逸らした。んーまあここにいつ来たのかは知らないけど、暗さに目は慣れているみたいだな。
「……と、とにかく随分心配したのですよ! ノエルさんから緊急の報せを頂いた時は間に合わなかったらどうしましょうとも思いましたし」
「ノエル? どうしてあいつがアイラ様に?」
連絡を取り合う仲良しさんだっただろうか……いやない。
「大体どうやって?」
手紙じゃまず無理だよな。
魔法にしたってノエルは使えない。
今の鍛えてないシオンにも無理だ。
可能性としては魔法具か?
「本来はダーリング家がノエルさんにと贈られた連絡用の魔法具らしいのですが、わざわざ私への連絡にお使い下さったのです」
へー、あいつそんな高そうな物を持ってたのかー。まだ見ぬ貴族の爽やか君の本気度が窺える。頑張れ点数稼ぎ!
「そうだったんですか。ですけど、どうしてまたアイラ様に連絡を?」
「私には優秀な護衛たちがいますから」
「ああ、なるほど」
彼女の近辺には男女ニールを初めとした選りすぐりたちがいるだろうからな。
彼らを当てにしたってわけか。
ノエルは、庶民の子供一人のために一国の王女が専属護衛たちを動員してくれると踏んでいたのか? それとも行き当たりばったり? 藁にも縋る思い?
確かにアイラ姫は俺をマブダチと思ってくれているようだし、現に助けてくれた。
それは良いとして、ここに一つの疑問が浮かぶ。
ノエルがどうして俺の窮地を助けてくれようとすんの?
あいつもロクナ村の住人だから、シオン同様死に掛け龍の出現は知っているだろう。あの後シオンがノエルと合流して俺の事情を話したのかもしれないけど、貴重な通信用の魔法具を使っちゃうくらいあいつって俺に友情を感じてくれてんの? それとも、とうとう海で助けた恩を恩で返そうとしてくれたのか?
もしもそれらだとしたらと考えて、俺は我知らず両腕で自分を抱き締めていた。
おっそろし~っっ!
そんなの絶対ノエルじゃねえよっ。何か悪いもんに取り憑かれてるって絶対。
俺が一人ガクブルしているうちにも、向こうじゃ浄化魔法光が明滅し、蹴りや殴打の音も連続して聞こえてくる。戦士二人の強さには舌を巻く。
へっへっへっ、この分じゃ俺の出番は必要ないんじゃね?
ニール君たちよ、討伐を頑張ってくれたまえ。
これ以上の労力なしに今一番の憂慮対象を消せるなんて大ラッキーだ。
そうしめしめと思っていたら、
「――姫様、エイド・ワーナーは窮地を脱しました。そろそろ戻りましょう」
いつの間にか近くに来ていたニール氏が慇懃に言ってアイラ姫の膝を掬い上げた。
彼女はまたもや抱っこされる形になる。
…………はい?
俺は俺で目を点にした。
何で? だってまだ……。
「えっ、えっ、待って下さいニール、敵を倒していません!」
だよね!
アイラ姫もたまには良いこと言う!
「エイド・ワーナーを助けたい、と姫様がわざわざ大泣きをなさって下された命は遂行しました。小生めらのこれ以上の介入は不要かと」
「大泣き……?」
「ああっ、あけすけに何を言うのですかニール! お、お気になさらないで下さいねエイド君っ」
あたふたと慌てたアイラ姫は羞恥に顔を覆ってしまった。まあそりゃ自分の失態を暴露されたら誰だってそうなるよなあ。でもそこまで恥ずかしがる必要ないのに。
「姫様、ニール、長居は無用です。あとはそこの小物に任せて帰りましょう」
今度はニールさんが走って来て急かすようにする。いや小物って……そうだけど辛辣~。
土龍はどうなった、と見やれば、地面に沈んだまま動かない。一時的に目を回しているらしい。
え、でもここまでやって本当に倒してくれないの? ねえ? ねええ~?
俺は半分愕然となって三人を眺めやる。
「じ、冗談抜きに討伐してくれないんですか?」
ややつっかえながらの俺の声に、ニールさんは今にも舌打ちしそうに片目を歪めた。
「チッ、姫様の頼みでなければ、姫様をお護りする以外の些事など誰がするものか」
舌打ち、したね。しかもあの龍を些事って!
「ニール、ですがそれではエイド君が大変です」
アイラ姫はニール氏に抱っこされながらうるうると目を潤ませてニールさんをジッと見る。明らかに「うっ」と黒髪ポニーさんはたじろいだ。
なるほどなるほど彼女の弱点はアイラ姫か。
「ひ、姫様実はその、大変に言いにくいのですが、私の浄化魔法にも限界があるのです」
「限界、ですか?」
「はい。浄化魔法を長時間使用するのは難しいかと」
え……?
まさか彼女は十全に剣の能力を発揮できていない?
いやそんなわけないな。あの剣は素直だから主人には全力で応えてくれるはずだ。それこそ持ち手に見合った能力を発揮してくれる。
持ち手に見合った……。
ああそうか、彼女はそもそも魔力はあっても魔法使い向きじゃないのかも。一度目人生時の俺よりも魔法能力面的には実力が劣るせいで当時の俺と同等の浄化能力を使えていないんだ。
いや、だけど俺程じゃなくても浄化魔法さえあれば優位に戦闘を運べるしニール氏もいるしで、俺だけでやるよりは勝算は鰻登りに高まる。滝を遡って終には登龍門から出てまさに龍になっちゃうレベルで。
「あの~ニールさん、あなたの浄化魔法をあいつの頭か胸に集中してもらっていいですか? そうしてもらえれば、俺が一気に叩きますし~」
「頭沸いているのか貴様は? 私が貴様に加勢してやる義理がどこにある?」
女護衛さんは身長差のまま俺を見下ろして眉間のしわをより深くすると、片方の目の下をまたもや痙攣させた。これはどう良心的に見てもお冠だ。
「ハッ、姫様のたっての願いでなければ疲れるだけの浄化魔法など使わん。本来貴様の命など蛇蠍の如くどうでもいいものだからな」
「……」
「ニール! エイド君に酷いことを言わないで下さい。謝りなさい」
「モウシワケゴザイマセン、姫様」
「エイド君、申し訳ありませんでした。ニールはちょっと誤解されやすいのです。魔物討伐の花をエイド君に持たせようとしているだけだと思います」
いやいやいや今の謝罪明らかに俺じゃなく姫様に言ったよね。加えて、俺への配慮があるとは到底思えない台詞だおっ!? それに気付かない上に俺のどこをそこまで買ってくれてるんだよこの天然王女様は。
ニールさんがこれ見よがしにニヤリとした。
「さすが姫様、ご明察です。なのでエイド・ワーナー、精々頑張れ」
ははっ、乗っかってる~……もういいよ。
ニール氏は我関せずって顔してるし、あんたたちの助力は見込めないって重々わかった。
これで片付いたって安心した俺が他力本願過ぎた。
俺が倒すべきだって使命感はあるものの、そいつは俺の獲物だぜナイフをぺろりんなんて思っちゃいない俺は、討伐に使えるなら猫の手でも借りようって主義だけど、世の中そう上手くは行かないか。
ニール氏からやや遠くに蹴り飛ばされた土龍はようやく意識が戻ったのか、のろのろと起き上がろうとしている。
てっきり普通蹴りだと認識していたけど、彼の蹴りは魔法の蹴りだったようで敵は明らかに疲弊している。
一度目人生じゃ、あいつに挑んだ者たちは浄化魔法併用で物理攻撃も有効だと気付く前に退却していた。もしもわかっていたなら数多の冒険者や兵士たちが犠牲にならずに済んだかもしれない。怒涛の人海戦術でどうにか……なんて今更だ。無意味な思考をやめてさっさと腹を括ろう。先のピンチを脱しただけでも稀に見る僥倖じゃないか。
「わかりました。お二人の先の助力とアイラ様の恩情に感謝致します」
俺は胸に片手を当てて儀礼的に腰を折る。そうして上げた視線はもう土龍に向かっていた。狙うなら、今度は肉の厚い体の中心よりも脳天だ。敵が完全に起き上がる前に対処を、と足を踏み出す。
「ところでエイド・ワーナー、何故貴様はその魔法剣の力を使わない?」
はいー出鼻を挫かれましたよー。ニールさーん!
「折角の魔法剣も気の毒な事だ。死ぬ所だったと言うのに分不相応にも力の出し惜しみか?」
「そんなの使えたらとっくにそうしてますよ!」
痛い所を突かれてついついキレ気味に反駁すると、ニールさんは今にも舌打ちしそう……じゃなくて怪訝な顔付きになった。
「何故だ? その剣の主人なのだろう? 私や貴様の剣のような類の剣はどんな相手であれ一度主と認めた相手を死ぬまでそれと認識するはずだ。望めば実力相応の能力は自在に操れるはずだが?」
舌打ちでもない心底不思議がるような声がかえって胸を抉った。意図せずもそれだけ俺が駄目駄目な奴だって晒された気分だった。
ああそうだよ、主人だよ。
でもまだ半人前の主人だ。
「世の中俺みたいな例もあるんですよ」
会話を続けたくなくて子供っぽくもやや乱暴に会話を切ると、今にも起き上がろうとしている土龍へと駆け出した。
後ろでアイラ姫が心配そうに俺を呼ぶ。
鬱屈したって仕方ない。けど理性に反して感情が魔法剣を強く握らせる。
ここで魔法剣を使いこなせなきゃ明日はないって、それくらいの意気込みでやってみればいいのか?
先刻の死ぬかもしれないって感じた時も、実はそんな風に感じていた。その思考は彼女たちの登場で遮られたけど、今はもう自分でもわかっている。
ああ、そうだよ、やってやるよ。
さっきも一度弾かれただけで諦めた俺が根性無しなんだ。両足を動かしながら、決心した俺は思い切って魔力を注ぎ込む。正直拒絶への恐れはあったけど、行動には一切その影響を出さない。剣との魔法リンクを築くための俺の気が魔法回路を巡っていく。持ち手から切っ先へと流れていく。
いつにない意気込みのおかげか、いつもならバチリと弾かれる所でまだ弾かれない。
これは今度こそ行けるかもしれない。
願ってもない順調さについつい頬が緩む。
まだ完全には起き上がれないでいた土龍は、近付く俺の気配を認識して低いままの体勢で唸りながら鋭い爪を振り上げた。
この引っ掻き攻撃を上手くかわして、そのまま脳天に駆け上がって突きを叩き込んでやる、と俺は瞬時にそんな算段をする。
さあ、ニュー相棒、お前の力を見せてみろ。
魔力を注いだ剣と爪が激突する――寸前。
バチバチバチッ、と今までで最大級の拒絶に大きく手が弾かれた。
裂けた掌から舞った血が俺自身の方にも飛んできて、顔にパラッと斑な染みを作る。目に入らなかったのは幸いだった。
奇しくも、手から離れた剣を中心に俺と敵龍は逆方向に等しく飛ばされた。
おい、嘘だろ、どうしてこんな……。
手が痛いなんて感じる以前に、剣から発された衝撃波のようなものに強烈なビンタを食らわされた気分だった。
これまでどうしてこの剣を使いこなせなかったのかを省みもせず、主だから成功すると傲慢にも思った自分に大いに呆れる。
付け焼き刃で根拠のない自信を後悔した。
望まずも、意識が薄れた。
「おい、おーい、おーーーーい!」
「俺たちの声が聞こえるか?」
……何だよ騒がしいな。
声は何度も俺に働きかけてくる。
誰だよって煩わしく思いながらも、反面じゃ何だかとてもよく知っている声に目を開ければ、俺を覗き込んでいるのは、
「俺……と俺?」
だった。
かつて、一度目人生で俺はそう訊ねたことがある。
師匠とエルシオンと一緒に少しロクナ村から離れた山中に来ていた時だ。
八歳の時に師事して一年目、俺もエルシオンも九歳だったっけ。師匠は今みたいに三日師匠とはならずよく俺たちの修行に付き合ってくれていた。
大地の気の力の強い龍脈の上にのんびりと座っていた師匠はゆるりと瞼を上げ、ふと思ったままを口に剣の素振りを止めた俺へと金瞳を向ける。
『物知りなのはこの世界で伊達に長生きしていないってだけの話よの』
時たま出てくる古風口調でそう言った後、彼はこうも続けた。
『魔法云々は、エイドの瞳が黒いのやエルシオンの瞳が灰紫色なのと一緒だの。才能とはまた違う』
『ええと?』
『単なる個々の特徴じゃよ』
『特徴って、えー、才能だと思うんですけど』
『えーも何も実際にそうでしかないのだから不満を言っても仕方がない。他者を羨んでいる暇があるのなら自らを磨かんかい』
師匠が何もない所を指先で弾いた。
『いでっ』
空間を超えて魔法でデコピンをかまされた俺は、少し涙目になりつつ渋々素振りを再開する。
『摩訶不思議にもこの世界には魔素が大地に含まれ空気中にも普通に漂っているからのう。そんな環境の中で生まれれば各自に魔力の濃淡があっても当然じゃ。青い瞳にも濃い青と淡い青があるようにの』
『それって……魔法を使えない人には魔力がないのではなく、持っているけど物凄ーく薄いって意味ですか?』
師匠はちょっと嬉しそうに驚いた。
『説明せずとも悟るとは、我が弟子はそこそこ優秀だの~』
『そこそこって……』
因みに魔素ってのは文字通りの「魔」法の「素」で、魔法使いは時に自分の魔力だけじゃなく周囲に存在するそれらを操って魔法を使ったりもする。
師匠の言葉を鵜呑みにするなら、魔素は人の体内で魔力に変わって、果ては魔法として消費もされているって考えていいんだろう。
『ともかくは、容姿と同様に魔法も持って生まれるもの、天の采配だのう。その特徴をどうするかは本人次第。その中で個々人が努力して高めた魔法技術こそ、人から才能と呼ばれるに値するものになるのだよ』
あの時、エルシオンは走り込みに行っていていなかったけど、きっとあいつだって魔法は才能だって思っていたはずだ。
世間一般に魔法は才能だと言われている。
でも、魔法は特徴、か。
特徴ってのはたとえば黒髪の人間が世界に俺一人じゃないみたいに、少なくない割合で他の人と被っても何ら不思議じゃないんだよな。でなきゃ師匠だって特徴なんて言葉は使わないだろう。
そしてそれは、魔法剣の主人としての適性も含まれるみたいだ。
現在、俺の目の前じゃかつての相棒剣が白くキラキラと光り輝いて、その浄化能力を如何なく発揮している。
土龍が瘴気を吐くそばから浄化していて、これ以上の進行侵食を許さない。
[……ニール、さん]
彼女がどうしてここに?
予想もしない救い手の出現に俺は半ば夢でも見ている気分だった。
だけど同時に寂しさが去来した。
痛感した。
師匠の言う通り、魔法は単なる個々人の特徴の一つなんだって。
魔法剣が主人を選別するのは本当だけど、そこにはきっと魔法的な適正とか傾向があって唯一人ってわけじゃない。
世界中に無数の候補がいて、同じような特徴であれば主人認定はもしかすると先着順なのかもしれない。いやきっとそうだ。
頭じゃわかっていたつもりだったけど、実際に能力発動を目の当たりにしたら……ああ、本当に俺じゃなくてもよくて、もう俺の剣じゃないんだなって、そう実感した。
「くっ……エイド・ワーナー! 貴様、現状を把握しているならさっさと安全圏まで退け!」
純粋な腕力比べじゃ土龍の方が上なのか、黒髪ポニーの女魔法剣士の剣は徐々に押されている。
「あああごめんなさいッ……うっ、くそ……っ」
こんな状況下で愚かにもボサッとしていたのは否めず、ハッと慌てたものの思うように動けなくてへばっていたら、誰かに首根っこを掴まれて後方へと投げられた。
「あ~れ~ってこらー! 俺みたいないたいけな子供を投げるとは一体どういう了見だあああ!」
どうにか相手を見やれば、男ニール氏がしれっとして立っていて、驚き顔のアイラ姫を片腕に抱えていた。
ああ、やっぱりさっきの声は空耳じゃなかったのか。
ニール氏は既に俺を見てもいないし、俺を投げたなんて完全に忘れ去ったような完璧なポーカーフェイスを貫いている。一方、女ニールさんは思い切り舌打ちとかメチャ露骨に嫌そうな顔をする分、彼女の方が感情表現は豊かだ。
俺は滞空中に指環から出した回復と解毒の薬を口に含んで危なげなく着地する。
「エイド君大事はないですか!」
下ろしてもらったのか、アイラ姫が崖の上をこっちに駆けてきた。
一方で、突如ドカッと大きな音がしたかと思えば、土龍がニール氏から派手に蹴り飛ばされている。
あーはは……お強いですね。
「エイド君、どこか遠い目をなさってどうなされたのですか? ま、まさかお怪我を!?」
アイラ姫ってば泣きそうに顔を歪めるけど、普通は人間泣くと不細工になるもんなのにそれでも可愛いさキープって何だろなもう……自動姫様補正?
「あーいや大丈夫ですアイラ様、回復薬も飲んだので。あなたの護衛たちのおかげで命拾いしました。だから安心して下さい。お助け頂き感謝します。そして遅れましたがご機嫌麗しゅう~」
「本当に? 強がりではなくて?」
「もちろん」
「それなら良かったです。ですが、エイド君を助けるのは私にとっては当然で最優先事項なのですから、お礼の言葉など要りませんからね! 下手な社交辞令も堅苦しい挨拶もですよ」
アイラ姫は俺を案じつつ、そこはかとなく責める目を向けてくる。
「あ、はあ、わかりました……」
親方の指示をすんなり呑み込めない愚鈍な徒弟みたいな返事をしたら、アイラ姫はそのせいなのか珍しくキッとより一層両目に力を入れて睨むようにした。
「いつも、エイド君は心臓に悪過ぎます!」
「ええー……」
いやいや俺の方こそ、貴殿ら何でここにいらっしゃるの俺の行動を逐一ご存じですのってドッキドッキなんですけど。もしや密偵程度じゃなく就寝時の鼾一つから便所の中までがわかる超高度な監視魔法でも使われているのでしょうか?
それに、いつもって?
俺のちょっと慄いたような困惑顔を変わらず可愛く睨むくせに、彼女は俺とばっちり目が合うとハッとして逸らした。んーまあここにいつ来たのかは知らないけど、暗さに目は慣れているみたいだな。
「……と、とにかく随分心配したのですよ! ノエルさんから緊急の報せを頂いた時は間に合わなかったらどうしましょうとも思いましたし」
「ノエル? どうしてあいつがアイラ様に?」
連絡を取り合う仲良しさんだっただろうか……いやない。
「大体どうやって?」
手紙じゃまず無理だよな。
魔法にしたってノエルは使えない。
今の鍛えてないシオンにも無理だ。
可能性としては魔法具か?
「本来はダーリング家がノエルさんにと贈られた連絡用の魔法具らしいのですが、わざわざ私への連絡にお使い下さったのです」
へー、あいつそんな高そうな物を持ってたのかー。まだ見ぬ貴族の爽やか君の本気度が窺える。頑張れ点数稼ぎ!
「そうだったんですか。ですけど、どうしてまたアイラ様に連絡を?」
「私には優秀な護衛たちがいますから」
「ああ、なるほど」
彼女の近辺には男女ニールを初めとした選りすぐりたちがいるだろうからな。
彼らを当てにしたってわけか。
ノエルは、庶民の子供一人のために一国の王女が専属護衛たちを動員してくれると踏んでいたのか? それとも行き当たりばったり? 藁にも縋る思い?
確かにアイラ姫は俺をマブダチと思ってくれているようだし、現に助けてくれた。
それは良いとして、ここに一つの疑問が浮かぶ。
ノエルがどうして俺の窮地を助けてくれようとすんの?
あいつもロクナ村の住人だから、シオン同様死に掛け龍の出現は知っているだろう。あの後シオンがノエルと合流して俺の事情を話したのかもしれないけど、貴重な通信用の魔法具を使っちゃうくらいあいつって俺に友情を感じてくれてんの? それとも、とうとう海で助けた恩を恩で返そうとしてくれたのか?
もしもそれらだとしたらと考えて、俺は我知らず両腕で自分を抱き締めていた。
おっそろし~っっ!
そんなの絶対ノエルじゃねえよっ。何か悪いもんに取り憑かれてるって絶対。
俺が一人ガクブルしているうちにも、向こうじゃ浄化魔法光が明滅し、蹴りや殴打の音も連続して聞こえてくる。戦士二人の強さには舌を巻く。
へっへっへっ、この分じゃ俺の出番は必要ないんじゃね?
ニール君たちよ、討伐を頑張ってくれたまえ。
これ以上の労力なしに今一番の憂慮対象を消せるなんて大ラッキーだ。
そうしめしめと思っていたら、
「――姫様、エイド・ワーナーは窮地を脱しました。そろそろ戻りましょう」
いつの間にか近くに来ていたニール氏が慇懃に言ってアイラ姫の膝を掬い上げた。
彼女はまたもや抱っこされる形になる。
…………はい?
俺は俺で目を点にした。
何で? だってまだ……。
「えっ、えっ、待って下さいニール、敵を倒していません!」
だよね!
アイラ姫もたまには良いこと言う!
「エイド・ワーナーを助けたい、と姫様がわざわざ大泣きをなさって下された命は遂行しました。小生めらのこれ以上の介入は不要かと」
「大泣き……?」
「ああっ、あけすけに何を言うのですかニール! お、お気になさらないで下さいねエイド君っ」
あたふたと慌てたアイラ姫は羞恥に顔を覆ってしまった。まあそりゃ自分の失態を暴露されたら誰だってそうなるよなあ。でもそこまで恥ずかしがる必要ないのに。
「姫様、ニール、長居は無用です。あとはそこの小物に任せて帰りましょう」
今度はニールさんが走って来て急かすようにする。いや小物って……そうだけど辛辣~。
土龍はどうなった、と見やれば、地面に沈んだまま動かない。一時的に目を回しているらしい。
え、でもここまでやって本当に倒してくれないの? ねえ? ねええ~?
俺は半分愕然となって三人を眺めやる。
「じ、冗談抜きに討伐してくれないんですか?」
ややつっかえながらの俺の声に、ニールさんは今にも舌打ちしそうに片目を歪めた。
「チッ、姫様の頼みでなければ、姫様をお護りする以外の些事など誰がするものか」
舌打ち、したね。しかもあの龍を些事って!
「ニール、ですがそれではエイド君が大変です」
アイラ姫はニール氏に抱っこされながらうるうると目を潤ませてニールさんをジッと見る。明らかに「うっ」と黒髪ポニーさんはたじろいだ。
なるほどなるほど彼女の弱点はアイラ姫か。
「ひ、姫様実はその、大変に言いにくいのですが、私の浄化魔法にも限界があるのです」
「限界、ですか?」
「はい。浄化魔法を長時間使用するのは難しいかと」
え……?
まさか彼女は十全に剣の能力を発揮できていない?
いやそんなわけないな。あの剣は素直だから主人には全力で応えてくれるはずだ。それこそ持ち手に見合った能力を発揮してくれる。
持ち手に見合った……。
ああそうか、彼女はそもそも魔力はあっても魔法使い向きじゃないのかも。一度目人生時の俺よりも魔法能力面的には実力が劣るせいで当時の俺と同等の浄化能力を使えていないんだ。
いや、だけど俺程じゃなくても浄化魔法さえあれば優位に戦闘を運べるしニール氏もいるしで、俺だけでやるよりは勝算は鰻登りに高まる。滝を遡って終には登龍門から出てまさに龍になっちゃうレベルで。
「あの~ニールさん、あなたの浄化魔法をあいつの頭か胸に集中してもらっていいですか? そうしてもらえれば、俺が一気に叩きますし~」
「頭沸いているのか貴様は? 私が貴様に加勢してやる義理がどこにある?」
女護衛さんは身長差のまま俺を見下ろして眉間のしわをより深くすると、片方の目の下をまたもや痙攣させた。これはどう良心的に見てもお冠だ。
「ハッ、姫様のたっての願いでなければ疲れるだけの浄化魔法など使わん。本来貴様の命など蛇蠍の如くどうでもいいものだからな」
「……」
「ニール! エイド君に酷いことを言わないで下さい。謝りなさい」
「モウシワケゴザイマセン、姫様」
「エイド君、申し訳ありませんでした。ニールはちょっと誤解されやすいのです。魔物討伐の花をエイド君に持たせようとしているだけだと思います」
いやいやいや今の謝罪明らかに俺じゃなく姫様に言ったよね。加えて、俺への配慮があるとは到底思えない台詞だおっ!? それに気付かない上に俺のどこをそこまで買ってくれてるんだよこの天然王女様は。
ニールさんがこれ見よがしにニヤリとした。
「さすが姫様、ご明察です。なのでエイド・ワーナー、精々頑張れ」
ははっ、乗っかってる~……もういいよ。
ニール氏は我関せずって顔してるし、あんたたちの助力は見込めないって重々わかった。
これで片付いたって安心した俺が他力本願過ぎた。
俺が倒すべきだって使命感はあるものの、そいつは俺の獲物だぜナイフをぺろりんなんて思っちゃいない俺は、討伐に使えるなら猫の手でも借りようって主義だけど、世の中そう上手くは行かないか。
ニール氏からやや遠くに蹴り飛ばされた土龍はようやく意識が戻ったのか、のろのろと起き上がろうとしている。
てっきり普通蹴りだと認識していたけど、彼の蹴りは魔法の蹴りだったようで敵は明らかに疲弊している。
一度目人生じゃ、あいつに挑んだ者たちは浄化魔法併用で物理攻撃も有効だと気付く前に退却していた。もしもわかっていたなら数多の冒険者や兵士たちが犠牲にならずに済んだかもしれない。怒涛の人海戦術でどうにか……なんて今更だ。無意味な思考をやめてさっさと腹を括ろう。先のピンチを脱しただけでも稀に見る僥倖じゃないか。
「わかりました。お二人の先の助力とアイラ様の恩情に感謝致します」
俺は胸に片手を当てて儀礼的に腰を折る。そうして上げた視線はもう土龍に向かっていた。狙うなら、今度は肉の厚い体の中心よりも脳天だ。敵が完全に起き上がる前に対処を、と足を踏み出す。
「ところでエイド・ワーナー、何故貴様はその魔法剣の力を使わない?」
はいー出鼻を挫かれましたよー。ニールさーん!
「折角の魔法剣も気の毒な事だ。死ぬ所だったと言うのに分不相応にも力の出し惜しみか?」
「そんなの使えたらとっくにそうしてますよ!」
痛い所を突かれてついついキレ気味に反駁すると、ニールさんは今にも舌打ちしそう……じゃなくて怪訝な顔付きになった。
「何故だ? その剣の主人なのだろう? 私や貴様の剣のような類の剣はどんな相手であれ一度主と認めた相手を死ぬまでそれと認識するはずだ。望めば実力相応の能力は自在に操れるはずだが?」
舌打ちでもない心底不思議がるような声がかえって胸を抉った。意図せずもそれだけ俺が駄目駄目な奴だって晒された気分だった。
ああそうだよ、主人だよ。
でもまだ半人前の主人だ。
「世の中俺みたいな例もあるんですよ」
会話を続けたくなくて子供っぽくもやや乱暴に会話を切ると、今にも起き上がろうとしている土龍へと駆け出した。
後ろでアイラ姫が心配そうに俺を呼ぶ。
鬱屈したって仕方ない。けど理性に反して感情が魔法剣を強く握らせる。
ここで魔法剣を使いこなせなきゃ明日はないって、それくらいの意気込みでやってみればいいのか?
先刻の死ぬかもしれないって感じた時も、実はそんな風に感じていた。その思考は彼女たちの登場で遮られたけど、今はもう自分でもわかっている。
ああ、そうだよ、やってやるよ。
さっきも一度弾かれただけで諦めた俺が根性無しなんだ。両足を動かしながら、決心した俺は思い切って魔力を注ぎ込む。正直拒絶への恐れはあったけど、行動には一切その影響を出さない。剣との魔法リンクを築くための俺の気が魔法回路を巡っていく。持ち手から切っ先へと流れていく。
いつにない意気込みのおかげか、いつもならバチリと弾かれる所でまだ弾かれない。
これは今度こそ行けるかもしれない。
願ってもない順調さについつい頬が緩む。
まだ完全には起き上がれないでいた土龍は、近付く俺の気配を認識して低いままの体勢で唸りながら鋭い爪を振り上げた。
この引っ掻き攻撃を上手くかわして、そのまま脳天に駆け上がって突きを叩き込んでやる、と俺は瞬時にそんな算段をする。
さあ、ニュー相棒、お前の力を見せてみろ。
魔力を注いだ剣と爪が激突する――寸前。
バチバチバチッ、と今までで最大級の拒絶に大きく手が弾かれた。
裂けた掌から舞った血が俺自身の方にも飛んできて、顔にパラッと斑な染みを作る。目に入らなかったのは幸いだった。
奇しくも、手から離れた剣を中心に俺と敵龍は逆方向に等しく飛ばされた。
おい、嘘だろ、どうしてこんな……。
手が痛いなんて感じる以前に、剣から発された衝撃波のようなものに強烈なビンタを食らわされた気分だった。
これまでどうしてこの剣を使いこなせなかったのかを省みもせず、主だから成功すると傲慢にも思った自分に大いに呆れる。
付け焼き刃で根拠のない自信を後悔した。
望まずも、意識が薄れた。
「おい、おーい、おーーーーい!」
「俺たちの声が聞こえるか?」
……何だよ騒がしいな。
声は何度も俺に働きかけてくる。
誰だよって煩わしく思いながらも、反面じゃ何だかとてもよく知っている声に目を開ければ、俺を覗き込んでいるのは、
「俺……と俺?」
だった。
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