上 下
1 / 8

第1話 鉄の女は防御であり攻撃にもなる

しおりを挟む
 バットは私の最大の友。
 グリップを握り締める緊張すらも心地好い。
 嫌な事があっても素振りしてたら忘れるくらいに無敵の武器なんだ。他には難癖付けられてむしゃくしゃして暴れたい時とかにも有効だ。人生じゃどんな形であれずっと付き合っていく物だと思ってた。けど、何か手違いで二十歳にして不運にも転生する羽目になった。

 西洋風乙女ゲームのキャラクターに憑依する形で。

 大筋は、田舎出のヒロインが聖女になって、王子様やイケメンキャラ達とドキドキキュワキュンって感じに仲良くなって、彼女のモテっぷりに嫉妬した悪役令嬢に命に関わるような嫌がらせをされつつも、人間世界の支配を目論むボス魔物を討伐して世界を魔物跋扈から護り、そして晴れて意中の男性キャラと結ばれるって話だ。

 中心になる男キャラは王子様だけど、その他にも沢山魅力的な男達がいて、プレイヤーは自分の気に入ったキャラと最後に結ばれるようにゲームを進めて行ける。だからエンディングは多数あって、それら美麗な映像のエンディングをコンプリートしたいって何度もプレイする人もいて、ゲームの売りと人気を支える理由の一角になっている。

 その作品が過去にドはまりしていた作品なのは良かったのか悪かったのか。誰ルートが何回とかは細かく覚えてないけど、少なくとも寝食を惜しんで百回はクリアしたからストーリーも登場人物も把握している。
 だけどその分だけ起こる悲惨な出来事にも詳しいから素直にこの第二の人生を喜べない。

 だってさあ憑依先は、貴族令嬢だけどめちゃ~~~~んこ虐げられてるキャラなんだよ。

 それに何よりその世界には私の魂からの相棒たるバットがない。

 ねえんだよっっ!!

 そんな世界に転生するくらいならこのまま天国に行かせてほしいって言ったら天の声の焦ったような間があった。
 では一つチート能力を授けようって言われて、転生先のゲームの中身を知っていた私はそれなら……と不承不承と承諾して一つじゃなく二つ能力をもらって転生した。
 最初、万能魔法使いが良いって言ったらそれは無理って言われたからじゃあ一つじゃなくせめて二つ寄越せって要求したんだけど、何がチート能力授けよう云々だよ全く。ケチ臭い天の声だ。

 で、一つは人間だけどいつでもどこでも鋼鉄体になれるって能力。

 もう一つは魔法収納能力だ。異次元空間に私の意思で自由に物体を出し入れできるって便利能力な。魔法収納も鋼鉄体も私の自由意思でオンオフが可能だそうだ。
 
 天の声は一点だけ、こんな注意をしていた。

「転生する世界で死なないように上手く立ち回って大往生を迎えるのは構わないが、メイン登場人物達の顛末に影響を及ぼすのだけはやめた方がいい」

 と。こっちだってわざわざ関わるつもりはないけど、何か影響を及ぼしちゃったらどうなるのかを訊いてみた。

「その世界が壊れ、皆が苦しみの中リセットの闇に消えていく」

 あーなるほど。要はプログラムされたゲーム世界だから変えちゃあならない展開ってものがあるのか。絶対的達成条件って言ってもいい。
 例えばヒーローと悪役令嬢がくっ付くのはなし、とかな。

 変わっちゃったらバグの連続発生で物語が立ち行かなくなってフリーズする。進まない世界なんて崩壊も同然だ。

 そうなれば私もその世界ごと終わる。しかも苦しみの中ってとこが既にかなり嫌だ。

 無難に生きるためには世界そのものにまで配慮せにゃならんとか、マジ面倒臭いー。
 まっ、そこで生きていくしかないんだけどな。




 私のキャラクターは、実母の他界後に父伯爵が再婚し、十年間も継母と腹違いの一つ下の妹に下働き同然に虐げられているって言う憐れな十六歳の少女、ケイトリン・シェフィールド伯爵令嬢だ。

 父親のシェフィールド伯爵はほとんど家庭を顧みず娘達の教育を継母に任せて各地を飛び回る忙しいビジネスマンで、滅多に帰っても来ない。その上娘達を政略結婚のための道具としか思っていない冷血漢でもあった。

 だからこそ、継母は屋敷の女主人として我が物顔で権力を振るえた。はん、妻が妻なら夫も夫だな。
 実母が他界したのはケイトリンがまだ五歳の時だから、で、異母妹は一つ年下だから、はんっ、一夫一婦制の国で育った人間からすると全く以てクソな父親だよ。妻が生きていた時から関係持ってたわけだ。涙チョチョ切れるぅ~。
 ケイトリンは幼い頃から客人達の目からは隠され、冬は寒く夏は暑い過酷な屋根裏部屋で寝起きさせられていて、更には異母妹があたかも唯一の娘とでも言うように屋敷の皆も異母妹本人もそう振る舞っていた。たまにしか帰って来ないクズ父も娘の環境はわかっていただろうにそれを窘めもしなかった。

 その異母妹は、ゲームのストーリーに照らすなら①ケイトリンを事故に見せかけて殺した女。②ケイトリンに自分の罪を着せて断頭台に送った女。③ケイトリンをならず者達に殴り殺させた女。

 ①~③はゲーム内の選択によっていずれかに決まるんだけど、まあつまりは極悪悪役令嬢だ。

 そうして本当に名実ともにシェフィールド伯爵家の一人娘となったそいつは、アレクサンダー王子の婚約者になりたいがために、彼と仲の良かったヒロインを陰湿に虐めて殺そうとまでする。

 私の役目は、後々如何に件の異母妹が悪どい女だったかを世間様に知らしめるための尊い犠牲になる事。

 そんな本編での異母妹の末路は悪役令嬢のテンプレートに漏れず断罪されて生涯幽閉もしくは処刑。末路はプレイヤーが選べる仕組みだ。
 はん、ざまあ~。だけど私にとってそんな事は最早どっちでもいい。

 だってその頃にはケイトリン死んでるし。

 そう、死んでるし。

 死 ん で る し っ !!

 冗談じゃねえわ……ってわけで先に言及したチート能力をもらったんだよ。生き残るために!

 して、私の超脇役物語はゲームプレイヤーがゲーム開始した時点での各キャラのプロフィールに則していて、ケイトリンは十六歳の時分、つまりは十八歳で異母妹に殺されるおよそ二年前から始まった。

 一応言っておくと、私と生まれが一年と一日違う異母妹はまだ十五歳。誕生日だけを見ると私の方が一日だけ早いって設定で、こうなると不遇のケイトリンのバースデーなんて予想がつくよな。
 誰にもお祝いなんてしてもらえず、むしろ一日後の異母妹のそれを屋敷を挙げて盛大に祝うのが恒例になっていた。ケイトリンはそのパーティーの残ったご馳走を健気にも有難がって食べるなんて始末。
 はっ、小さい頃からそんなのが当然だって環境で育つと、教育と一緒でそれが異常だって気付かないんだよな。まさにケイトリンはその口で、自分が折檻されるのは自分がとにかく至らないからだってずっと疑いもせずそう思っていた。単に憂さ晴らしとか八つ当たりされているだなんて想像もできない超絶良い子。むしろこれ聖女じゃねーのって思うくらいに自己犠牲的で慈悲深い思考回路の持ち主ってキャラ設定だ。

 満足に食事を摂れていなかったせいで痩せ気味ではあっても、母親譲りのその美貌は異母妹がやっかむ程に輝いていて、だからこそ外部の目からは隠され嫌がらせの的になっていたんだよ。

 顔に生涯残るような傷を付けられたりしなかったのは、そんな真似をすれば激怒した父親が継母だろうと監督不行き届きっつって容赦しないからだろうな。何せ娘達は例外なく政略結婚の道具で、ケイトリンなんて磨けば容姿は抜群なんだから当然だ。高貴なエロジジイ様にでも嫁がせれば地位向上は約束されたも同然だろ。

 何の因果か髪色は綺麗な紫。転生前にしてた色と同じなんだよな。確かピンクかパープルで迷った挙げ句パープルにしたんだよ。長いその髪は光に透けると薄くなって菫色にも見えて幻想的。瞳は角度によっては金色にも輝く琥珀色。グラスに注がれたウイスキーみたいに滑らかに光を内包する。

 使用人の服を着ていても際立つその美しさにどこかの王子様が惚れちゃったりなんてしたら、普段から着飾って豪華なドレスを着て美しさを保とう保とうって躍起な異母妹と継母としては面目丸潰れ。だから余計にやっかんでたんだろうな。

 それでもケイトリンは十八歳までは確実に命は無事だった。

 継母達の肩を持つわけじゃないが一応言っとくと、二人だって決してブスってわけじゃない。茶色い髪に茶色い目のどこにでもいる特徴だけど、あら綺麗な娘さんとお母様ですねって普通に称賛される容姿なんだよ。
 かーっ、人の負の欲ってのは嫉妬も含めて醜いってのな。

 ――で、まあそんなケイトリン・シェフィールド伯爵令嬢人生初日。

「ああ~ら、どうするのよこれ」

 私の目の前には一人のメイドが意地悪笑いをして立ってこっちを見下ろしている。

「あんたのせいで全部こぼしちゃったじゃなーい。しっかり綺麗に拭いときなさいよ? いい?」

 はいはい、私は目が覚めてっつーか、憑依転生直後の意識覚醒早々、屋敷の人間に嫌がらせをされてる場面に放り出されたみたいだなー、ははっ。

 ケイトリンの出てくるシーンは脇役なだけにめちゃ少なくて、とりわけ継母と異母妹、彼女達に追従する使用人達に虐げられているところが多い。端的に言えば可哀想なシーンにしか登場しない。ゲーム一番の気の毒キャラだ。

 そんな感じで急に回想に出てくるような役回りだから、どうなってたった今のこの状況に陥ったのかって細かい流れはわからない。

 唯一わかるのは、私は頭から掃除か何かで使用後の灰色の汚水を被っているって事。しかも廊下にへたり込んでいる。

 まんま雑巾の臭いがするからまさに掃除の水だなこりゃ。くっさ~。ああ頭に雑巾が乗っかってたから余計に臭かったのか。
 少し口の中に入っちまったからぺっぺぺぺっと空のバケツを持ったメイドの足に唾を掛けてやった。あたかも意図していなかったって体で以て。

「きゃあっ汚いっ! ちょっと何するのよ!」
「ごぼごほっぺぺっうおっへん! ごっごめんなさっ、がはがはぺっ」
「きゃーっ!」

 メイドは更なる悲鳴を上げて嫌がった。雑巾臭い上におっさん臭いがさつな咳までし出した私ケイトリン嬢に得体の知れない物でも見る目を向けてくる。いつもは虐待されるがままに儚く涙する彼女からすると別人レベルの反応だもんな。その辺の戸惑い理解はするよ。このままスルーできるかって言ったら別だけど。

「急に気でも狂ったの!? さっさと床拭いて頂戴っ!」

 ポタポタポタと前髪から汚水が滴る。拭くための雑巾は立ち上がった拍子に頭から足元にべしゃりと落ちて中途半端に私のボロい布靴の上に乗っかった。布靴だからもう中までグショグショだよ。
 私はその雑巾を敢えて踏み付けにしてやった。俯き加減だった顔をくわっと鬼のようにして持ち上げる……でもなくふらついた。
 内心じゃ「あーっきったねーな! おいくそアマこれ服どおーっしてくれんだ? あ? クリーニングしてくれんのかこら?」なんてメンチを切って胸ぐらを掴んで揺さぶってるんだけどなっ。全く、てめーよ一体全体だぁーれの差し金だ?

 なーんて、ゲームを知ってる身からすると誰なんてわかり切っている。

 私は雑巾で滑った風を装ってメイドの胸ぐらを掴むようにするとかなり顔を近付けて瞬きもせずの悲壮感を浮かべる。

「ど、どうして、こんな酷い事をするのおおおっ?」
「ひっ」
「だ、誰に言われてやったのおおおっ?」

 時に打ちひしがれる人間の読めない突飛な行動は怖気を誘う。ケイトリンのこれがまさにそう。頭から海藻を垂らした舟幽霊にでも遭遇したみたいにメイドはとうとう蒼白な顔で蚊の鳴くような声を出す。

「ジョ、ジョ……」

 はあ? ジョ○ョ!? この世界にいねーだろ! スタンド使ったとか言うなよ?

「だ、誰の頼みなのですかあああっ?」
「ひいっ、ジョアンナお嬢様です!」

 ははっ、だよな。きっとこの光景も廊下の柱の陰辺りから盗み見て嘲笑ってんじゃないかあいつ、異母妹ジョアンナ・シェフィールド。ゲームじゃ大体そうしてたし。
 私は手を震わせながらメイドを放すと悲しげに微笑んでみせる。
 ところでこいつさ馬鹿じゃね? リークした裏切りをジョアンナが赦すと思うのか?
 メイドの方もジョアンナが近くで密かに見ているのを思い出したんだろう。恐怖のあまりうっかり暴露したと気付いて青くなった。縋るような目で私を見てくる。無駄だな。こいつも先の手慣れた態度を見ると命令とは言え過去に何度もケイトリンに嫌がらせを実行してきた犯人なんだろうから情けを掛けてやる義理もな……ん、待てよ、この流れは覚えがある。

 ケイトリンが泣く泣く拭き掃除をしている所にジョアンナが待ってましたとばかりにやって来て、ケイトリンを心身ともに侮辱三昧するって部分じゃなかったか?
 私はメイドから見えない位置でぺろりと唇を嘗めた。

「……向こうからこっちに来るなら都合が良い」

 おいモブメイド、今のはチャラにしてやるよ。その代わりもう少し付き合えよ、この茶番にな。
 私は内心キシシと小狡いキツネのように笑うと、もたもたと廊下を拭き始めた。へへっ、さっさとこっち来いよ、ジョアンナ。




 ビチャビチャ、ビチャビチャ、と廊下の汚水を手際悪く雑巾で拭く私。全然拭き取れていないどころか汚水の範囲を拡げている始末。勿論わーざーとっ。
 当然元凶のメイドは私を苛立たしそうにしているけど、文句は言わずにむしろどこか怯えたような目でも見てくる。失礼なメス犬だな、少しばかりホラーだったからって。

 と、ここで複数の足音が段々と近付いて来るのが聞こえた。

 下を向いたまま手を動かす私は微かに口角を上げる。
 直後、誰かのヒールの尖った先がピチャリと汚水を踏んで、それと同時にヒステリックな女の声が上がった。

「ちょっと廊下水浸しじゃないの! 汚い水をそのままなんてどういう了見よ! ちゃんと拭きなさいよ、――ケイト!」

 そこにいたのは異母妹ジョアンナと腰巾着メイドな仲間達!

 ジョアンナに至ってはテンプレ悪役令嬢キャラに漏れなくふんぞり返って私を睨み下ろしている。猫背とは縁遠そうで何よりだ……ってケイトじゃなくケイトリンお姉様って呼べよって脛でも蹴ってやろうかと思ったけど我慢した。

「ああもうっ、折角の靴が汚れちゃったじゃないのよっ!」

 ジョアンナは絶対わざと汚水を踏んだくせにキッと私を睨み付けてくる。

「このままじゃ気が治まらないわ。この靴の責任取ってもらうわよ」

 どうやって、とは愚問だ。論理がおかしいだろって思うけど指摘しても無駄。アタマオカシイカラコイツ。

「ケイトをそこに立たせて逃げないように押さえて頂戴」

 はい、とメイド達計四人は喜々として私を取り囲んだ。
 救いようもないなこいつら……。ま、けど予想通りか。

 私はバッタバッタと転生前喧嘩が強かった経験を活かしてメイド達を床に沈める――わけもなく、あっさり拘束された。

 だって今のケイトリンにそんな体力はない。ちゃんと食事をして体力と筋力を付けないとさすがに転生前の私みたいな動きはできないんだよ。無理にそうすれば体の大事な筋を痛めかねない。将来のためにもそんな馬鹿な真似はしない。健康体は健全な生活維持のための大事な要素だ。

「なっ何するのジョアンナ? 放して?」

 そんなわけで最終的にはがっちり三人掛かりでその場に押さえ込まれ身動きの取れなくなった私は怯えた目でジョアンナを見つめる。ふふんどうよこれ、迫真の演技だろ。思った通りにジョアンナは有利な立場になったと思ってだろう優越に浸った表情を浮かべた。ゲームじゃ毎度毎度よく見ていた悪役な顔に。
 コツリと高価そうな靴のヒールを鳴らして顔を近付けてくる。

「土下座して謝って更には私の靴の先を嘗めなさい。そうしたら赦してあげないこともないわよ?」
「あ、謝るって何を?」
「私の靴を汚したでしょ。そのためにわざとバケツを零させたのよね?」
「そっそれは誤解よ! バケツの水は事故で零れてしまったの! たぶん!」

 わー言い掛かりも甚だしい。大体靴が汚れるのがやなら端を通ればいいだろうにな。
 ここで最初に私に汚水を掛けたメイド一号が待ってましたとばかりに訴える。

「ジョアンナお嬢様、きっとわざとです! 私が運ぶのをわざと邪魔して汚水を零させたんです! 妬んでいたんですよ。旦那様からジョアンナお嬢様だけに贈られたその靴を。だから駄目にしてやろうって言っていました」
「なっ!? そんな事言ってないわ! ジョアンナそのメイドを信じないで!」
「あーらやっぱりそうなのね」
「本当に違うのジョアンナ!」
「使用人の分際で馴れ馴れしく呼ばないで頂戴! あなたの立場をよーく思い出させてあげるわ!」

 ジョアンナは歪にほくそ笑み右手を振り上げた。

 まだジョアンナって必死に訴えながら、内心じゃ私もにやりとした。
 だってこの展開が欲しかったんだよねー。

 彼女は酷く機嫌の悪い時にいつもよくやるように、躊躇いなんて一つもなく思い切り私の顔に掌を叩き付けた。

 バシイィィッと肌表面を叩く音が上がって、メイド達までも唇を笑みの形に歪める。

 ただし、今だけはいつもの音の他にくぐもってはいたけど何か硬いものが砕けるような音が同時にしていた。

「ぎぃいいいいいいいっ!」

 令嬢とは思えない野生動物的な声を上げたのはジョアンナだ。彼女は私をビンタしたその手をもう片方の自分の手で庇うようにして悶絶している。金魚のフン達は何が起きたのかまだわかっていないからか、慌ててジョアンナの周りに集まった。そのうちジョアンナはひいひい泣き言を言うように「痛いいいーっ手が、手があああぁぁぁ……っ」とメイド達へと訴えてその手を見せた。

 指の骨の一本くらいは砕けたかもな。既に真っ赤になっていた。暫くは利き手が使えないだろう。お気の毒様。

「お嬢様!? これはどうなされたのですか!?」
「ケイト、ケイトよ! ケイトの顔が鉄のように硬かったのよ!」

 信じられないって顔付きでジョアンナは私を見てくる。他方、メイド達は不可解そうに。だって今までジョアンナはケイトリンに頬が腫れる程に何度もビンタをしているからな。メイド達からすれば常のように何の変哲もないビンタ光景でしかない。
 私は打たれた頬をとても痛かった~って顔をして手で押さえつつ、震えて涙目になる。文句は言わない。何せ大成功なんだから。因みに全然痛くもない。
 メイド達も単にジョアンナが私の頬骨にでも指が強く当たって不運にもこうなったと判断したらしく、こっちの頬がどうかしてるって風には考えてないようだった。ま、フツーそうだろ。

「ジョアンナお嬢様、早く手当てしましょう」

 結局メイド達皆から口々にそう言われて、痛みに悶えるジョアンナは従うしかない。彼女は自分でも不可解そうにはしていたけど泣きながらしっかりこっちを憎々しげに睨むのは忘れずに退散した。
 一人残された私はようやく一段落とはっと息をつく。

 一体全体何が起きていたのかって?

 お察しの通り、私の鋼鉄体になれるってチート能力を発動しただけ。ビンタされる時にな。

 これでいつでもビンタへのカウンターアタックができる。
 加えて、このケイトリンが辿るデスルートには、馬車の事故やらギロチン処刑やら殴られて死ぬやら、人間の体が軟らかいがために訪れる死があるから、鋼鉄体になればたとえ馬車で崖下に転落しても死なない。ギャグ漫画よろしく人型の穴が地面に深く開くかもしれないけど何とかその穴から這い出る事さえできれば生きていられる。ギロチンだって降ってきた刃が逆に砕けて終わる。周りにいた処刑人やら他人事と野次を飛ばしていた見物人達に飛び散った破片がぶっ刺さるかもね。撲殺だってされる事もない。ジョアンナの手と同じような結末がならず者達の手にも訪れるってわけだからな。

 ケイトリンが十八歳と二ヶ月の時に起きるその死亡フラグさえ回避できれば、私は一人この家を出て長生きできるはずだ。

 そうは言っても独立するには色々と準備か要りそうだから、もうしばらくはこの屋敷で無難に立ち回っていくしかない。

 その日のうちに、ジョアンナは右手に包帯ぐるぐるだった。
 だけど彼女は自分の代わりに今度はメイド達に命じて私をビンタさせた。
 カンカンカンカーーーーン! 勝者っケイトリーーーーン!
 勿論、チートな私には効かない。ジョアンナ程には思い切ってはいなかったらしいメイド達は利き手を少し痛めて終わった。

 その話が継母にまで伝わるのは時間の問題だった。

 しかもまあ誇張されてさ。ケイトリンが最愛の娘ジョアンナや彼女の侍女達に怪我をさせたとか何とか。こっちに非はないってのにな。
 継母は顔やら額やらに青筋を立ててその日の夜に屋根裏部屋に乗り込んできた。呼び付けるんじゃなくわざわざ足を運んだ。
 ははーあ、手には鞭を持ってるし、私の血で他の部屋が汚れるのを嫌がったってわけだ。

「ケイトリン! お前っわたくしの可愛いジョアンナに怪我をさせたのだって? 何て性根の腐った娘なのっ。わたくしがきちんと躾けないといけないみたいね」

 そう言った継母は酷薄な笑みを浮かべた。

「お、お母様、少しもそんなつもりはなかったのです!」
「口ではどうとでも言えるわ!」

 そこは同感同感。そんなつもりは猛烈にあったからな~!

「いや、お母様やめてーっ」

 その夜、屋根裏部屋では継母がビシバシ何度も何度も鞭を振るった。痛っとかぎゃっとか醜い悲鳴が上がったけど、それらは全て継母のものだ。鋼鉄ボデイにまんまと鞭が弾かれて跳ね返ったその先が何度も継母本人に当たったおかげでそうなった。失笑しそうになったよ。
 私はチートの他に服の下に仕込んだケチャップを上手い具合にに滲ませて不自然じゃないように見せたから継母は疑いは持たなかったようだ。本当なら血糊が欲しかったけど、そんなもの劇場でもないここじゃすぐに手には入らない。興奮でケチャップ臭さに疑問を持たれなかったのは幸いだった。
 は~、いいツボ刺激だなこれ。

 ぜえはあ息を切らして腕が相当疲れただろうボロボロの継母へと私は敢えて這い寄って、ごめんなさいもうやめてと彼女のドレスの裾をケチャップ塗れの手で握り締めた。

 高いドレスが汚れたのと、忌み嫌っている継子から縋り付かれた腹立ちに激怒した継母は、こっちの予想通りに動いてくれた。

「その汚い手をさっさと放して頂戴っ! この疫病神っ……――アアアアアアア! 足がっわたくしの足がアアアアアアア!」

 継母は思いっ切り私を踏み付けたんだよ。鉄宜しく硬いものを。足首辺りからグギッと嫌な音がしたのは聞こえた。
 見れば確かに少しおかしな角度に曲がっていた。

「アアアアアアアアアアアアアア!」

 継母はその場にうずくまって、部屋の入口で控えていたメイド達が顔色を変えて駆け込んでくる。

「奥様! ああっ何て事でしょう足首の骨がっ!」
「ひいいいんっ痛いいいいっ、医者を早く呼んでえええっ!」

 継母の元に残って介抱する者と医者を呼びに走る者とに分かれたけど、私は震える声でこう訴えた。

「お、おおお母様、それはもしかして骨が脆くなる病気なのではありませんか!? 然程ではない力でも時にポッキリと行ってしまわれるとか言う。ご高齢の方に多いと聞きます。信じられませんっ、お母様はまだお若いですのに骨はそんなにも老いているだなんて……!」
「ぎいいいいいいいいっ!」

 たぶん何ですって老いているだなんて侮辱をって怒鳴ろうとしたんだろうけど、メイドから両脇を支えられて立った際にまた変に動かしたようで娘同様獣みたいな絶叫を上げた。継母はあとはひいひい言いながらメイド達に連れて行かれたよ。見えない位置でべっと舌を出してお見送りした。

 あの二人は暫くはちょっかいを出して来ないはずだ。

 私は本心からスカッとしてざまあって思うよ。奴らが怪我をしたのを可哀相とも思ってない。因果応報だ。
 私はヒロインのような善人でも聖人でもないし、ジョアンナのような悪女じゃないから殺したいとまでは思わない。相応に痛い目見ておめでとなーって拍手喝采、舌を出す程度だ。
 また何かしてきたらやり返していくつもりだよ。

 とりあえずは一時的にとは言え平和に過ごせるようになり、私は私でその間に独立資金を稼ぐ事にした。

 私の持つこのゲーム内の知識を使ってな。

 変装して王都の情報屋に行った。価値ある情報を売るためと、そこから独自のコネクションを築くために。
 更には、その情報を売ったお金で投資もした。
 この先価値の跳ね上がる商品や鉱山とかに。
 その他に、しっかり体を鍛えたら鋼鉄体を活用して冒険者をしようとも計画している。剣とか槍とかの正統派武器の扱いは得意じゃないけど鋼鉄体で体当たりするだけでそこそこ魔物にダメージを与えられるんだ。後は鉄バットに似た棒とかでとどめを刺してしまえば大丈夫だろう。
 そこまでできたら、このゲーム世界に隠された宝物を探しにも出ようと思っている。

 そして私は幸運にも冒険者ができるくらいにケイトリンの体を元気にする事ができた。

 稼ぎも順調順調~。このままデスルートを鋼鉄体でやりすごしてトンズラバイバイハッピー人生を送るぞ~!
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

【完結】婚約破棄されたので、引き継ぎをいたしましょうか?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,242pt お気に入り:1,291

嘘を囁いた唇にキスをした。それが最後の会話だった。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:326pt お気に入り:70

龍帝陛下の身代わり花嫁

恋愛 / 完結 24h.ポイント:92pt お気に入り:269

私の婚約者は6人目の攻略対象者でした

恋愛 / 完結 24h.ポイント:639pt お気に入り:404

攻略対象の義妹となったよう

恋愛 / 完結 24h.ポイント:42pt お気に入り:63

処理中です...