5 / 10
第四集 河東の戦い
しおりを挟む
洛陽で大敗を喫した王弥は、敗残兵と共に并州方面へと向かっていた。目的地は洛陽の北方にあたるので、ひとまず東へと抜けた後に北上し黄河を渡る事となる。
黄河を渡って河東郡に至れば、そこは漢王・劉淵の勢力下だ。
王弥軍が今目指しているのは黄河の川幅が狭まっている河陰である。そこならば対岸まで百歩(一三〇メートル)足らずであり、地元民が橋をかけている場所だ。最もその分だけ水流も早く、時期によっては橋が流されている事もあり、現在の橋の状態を確認も出来ていない。
さらに背後からは未だに洛陽の追撃軍が迫ってきており、このままでは黄河の岸辺で背水の陣を敷かねばならない可能性もあった。
果たして、河陰の橋はあった。小さな木組みの橋であったが、充分に人馬が渡れる物である。ひとまず胸を撫で下ろした王弥は、はやる気持ちを抑えながら、順序立てて兵を渡らせた。
さて、洛陽からの追撃軍を率いているのは、左衛将軍の王秉である。北宮純率いる涼州遠征軍もまたその指揮下に入っていた。
「奴らは東へ逃げてどうするつもりだ?」
「地図によると、この先に橋が架かっているそうですね。恐らくは河北に逃れて劉淵の軍に合流しようとしているのでしょう」
馬を走らせながらの北宮純の問いに、隣に並走している副将の王豊がそう答えた。
漢王を名乗った南匈奴の単于・劉淵。夷狄として漢人から蔑まれていた匈奴にありながら、彼の下につく漢人が多く出ているという。
確かに劉淵は漢の皇族の末裔を称して劉姓を名乗っている。だがそれは匈奴の王族が数百年前に漢の皇族の娘を幾度か娶っただけの、遠縁とさえ言いづらい細い関係から強弁しているだけで、結局は匈奴と言う異民族の出自の方が圧倒的に印象は強くなる。
先祖や血筋に過剰に拘る漢人たちを、それでもなお次々と心服させる劉淵は、それ相応の王の器があるという事だ。
そんな劉淵に対し、北宮純は純粋に興味を抱いていた。
そうこうしている内に、追撃軍は河陰の橋まで到達。橋の向こうに王弥軍の姿が見える。恐らくは渡り切った直後だったのであろう、橋に火をかけようとしている敵兵の姿を見て取り、追撃軍指揮官の王秉は弓兵に命じて一斉掃射を命じた。
大量の矢を射かけられ、橋を燃やす事を諦めた王弥軍は、そのまま北の森林へと駆け出していく。漢の領域まで一気に走り抜けるつもりであろう。
そんな王弥軍はここに至るまでに脱落者を多く出したと見え、敵軍の総数が大幅に少なくなっている事を確認した王秉は、追撃部隊を二手に分け、涼州軍に待機を命じた。王秉の言い分としては退路の確保を任せたいという事であった。
そうして橋を渡って進撃していく王秉の本隊を見送った後で、拍子抜けした北宮純は、隣に控える王豊に悪態をつく。
「まぁアイツの本音としちゃ、これ以上俺たちに手柄を取られたんじゃ面目が立たねぇって事だろうよ」
「左衛将軍は、左司馬の族弟だそうですしね。それで追撃部隊の指揮を任されたのかと」
「身内に手柄を立てさせようって腹か……。あやうく都が落ちる所だったってのに、もう戦功争いを始めてやがる……」
国家存亡の危機にあっても政局を優先する、そうした態度こそが国を傾かせた原因であるという事に全く気付いていない。いや、気づいていても止める事が出来ない。それが晋朝を、ひいては過去の漢人の統一王朝を腐敗させた大元であるのにと、北宮純は溜息をついた。
だが北宮純は同時に、そんな憂いを覚えている自分にも嫌気がさしている。これではまるで、自分が散々貶した儒教の祖である孔子を始め、古の諸子百家たちの嘆きのようではないかと。
もともと自分の命すらどうなろうと知った事ではないと吹聴していたような北宮純である。虐げられた羌族の生まれであるが、先祖など知った事ではない。ましてや漢人の国がどうなろうと関係ない。そう思っていたはずが、なぜこうも憂いているのだろうか。そんな自分に気づいた途端に腹が立ってくるのである。
何もしないでいると余計な事を考えてしまう。己の内から止め処なく湧き出てくる焦燥感。北宮純がその感情を止められるのは、ただ無心で戦場を駆けている時。命のやり取りをしている時だけであった。
黄河の対岸は低い丘や森林が広がっている。橋を渡り切った王秉の軍は既に見えない。北宮純はしばらく考えた後、呟くように言った。
「俺たちも行くぞ……」
「え、しかし命令を無視しては……」
「命令は退路の確保だ。河のこちら側にもう敵はいない。橋の確保ぐらい二十人も残せば充分だろ」
諫める王豊の言葉を制し、北宮純は涼州兵を動かした。
それは無意識の第六感であったのか、それともただ感情に任せた行動だったのか、彼本人にも分からぬ事であった。
そんな北宮純も全く考え至らなかった事であるが、先行した王秉隊はまさに危機に瀕していた。敗走してくる王弥軍の退路を予期していたかのように、漢王・劉淵は迎えの兵を送っていたのだ。
そんな漢軍を率いているのは劉淵の四男に当たる劉聡である。年齢は三十代の後半。王位継承権そのものは兄である長男・劉和に譲っているが、劉淵の子の中でも特に文武に優れているとして父に目をかけられ、右賢王(実質的に継承権第二位)の位を授かっていた。老齢の父に代わって、晋朝への押さえに領土の南方を統括していた立場である。
そんな劉聡が率いる漢軍は、王弥の軍と合流すると、追撃がある事を聞いて即座に迎え撃った。それも王秉率いる晋軍が気づくよりも前に周囲の森林を使って鶴翼に包囲し、王秉が気づいた時には、晋軍は既に三方向から飲み込まれんばかりの状況に陥っていたのである。
予想だにしていなかった敵の包囲に王秉は勿論、追撃の晋兵たちも大いに混乱をきたし、体勢の整わぬままに多くの死傷者を出してしまった。兵たちは統率が取れぬまま劉聡軍に蹂躙されていく。
余裕の笑みを浮かべる劉聡と、その隣で品のない歓声を上げて喜んでいる王弥。対して混乱した兵を立て直す事も出来ず絶望の淵に立っている王秉。
もはや勝負は決まったと誰もが思ったその時、劉聡のもとへ新たな敵の襲来が告げられた。包囲の更に外側からである。まさか敵の方も伏兵を用意していたのかと目を丸くした劉聡。
背後からの予期せぬ奇襲を受けた左翼の漢兵たちが突き崩されていた。陣を切り裂く騎兵の先頭で、笑みすら浮かべながら大刀を振るっている将が見える。
「あいつだ! 我らの軍は、あの騎兵によって本陣を裂かれて大敗したのです!」
またしても勝利を確信した瞬間に背後から現れる。王弥は歯噛みして悔しがり、劉聡もまた眉を顰めた。
先頭で率いている将が常人には理解できぬほどに命知らずなのだ。それによって兵たちが鼓舞され、高い士気と機動力を維持し、その勢いのまま敵陣を貫くのである。
圧倒的に有利な状態で勝利を確信している兵というものは、むしろ命を惜しむようになる。そうした状態にあった漢軍の背後から、そんな命知らずの攻撃をかけられては兵の動揺が広がり、士気も大きく下がってしまうのは必定である。
逆に包囲陣を切り裂いて味方が救援に来たとなれば、混乱していた晋兵たちの方は歓声を上げて士気が戻りつつあった。
追撃してきた晋兵を削り取れればと欲を出した劉聡であったが、これでは逆に兵を失ってしまう。このような遭遇戦で兵を失うのは以っての外と断じた劉聡は、即座に撤退を指示した。
よく統率が取れたまま退いていく漢軍の様子に、北宮純は馬を止め、敵将へと視線を送った。血に濡れた大刀を携え、その口元はニヤリと緩んでいる。
劉聡と王弥もまた、そんな北宮純の姿を苦々しく見つめ、そして静かに退いていった。
こうして北宮純は、わずか百騎で洛陽を救っただけでなく、河東の追撃戦においても名将・劉聡を撃退し、味方を救い出すという戦功を立てる事となったのである。
黄河を渡って河東郡に至れば、そこは漢王・劉淵の勢力下だ。
王弥軍が今目指しているのは黄河の川幅が狭まっている河陰である。そこならば対岸まで百歩(一三〇メートル)足らずであり、地元民が橋をかけている場所だ。最もその分だけ水流も早く、時期によっては橋が流されている事もあり、現在の橋の状態を確認も出来ていない。
さらに背後からは未だに洛陽の追撃軍が迫ってきており、このままでは黄河の岸辺で背水の陣を敷かねばならない可能性もあった。
果たして、河陰の橋はあった。小さな木組みの橋であったが、充分に人馬が渡れる物である。ひとまず胸を撫で下ろした王弥は、はやる気持ちを抑えながら、順序立てて兵を渡らせた。
さて、洛陽からの追撃軍を率いているのは、左衛将軍の王秉である。北宮純率いる涼州遠征軍もまたその指揮下に入っていた。
「奴らは東へ逃げてどうするつもりだ?」
「地図によると、この先に橋が架かっているそうですね。恐らくは河北に逃れて劉淵の軍に合流しようとしているのでしょう」
馬を走らせながらの北宮純の問いに、隣に並走している副将の王豊がそう答えた。
漢王を名乗った南匈奴の単于・劉淵。夷狄として漢人から蔑まれていた匈奴にありながら、彼の下につく漢人が多く出ているという。
確かに劉淵は漢の皇族の末裔を称して劉姓を名乗っている。だがそれは匈奴の王族が数百年前に漢の皇族の娘を幾度か娶っただけの、遠縁とさえ言いづらい細い関係から強弁しているだけで、結局は匈奴と言う異民族の出自の方が圧倒的に印象は強くなる。
先祖や血筋に過剰に拘る漢人たちを、それでもなお次々と心服させる劉淵は、それ相応の王の器があるという事だ。
そんな劉淵に対し、北宮純は純粋に興味を抱いていた。
そうこうしている内に、追撃軍は河陰の橋まで到達。橋の向こうに王弥軍の姿が見える。恐らくは渡り切った直後だったのであろう、橋に火をかけようとしている敵兵の姿を見て取り、追撃軍指揮官の王秉は弓兵に命じて一斉掃射を命じた。
大量の矢を射かけられ、橋を燃やす事を諦めた王弥軍は、そのまま北の森林へと駆け出していく。漢の領域まで一気に走り抜けるつもりであろう。
そんな王弥軍はここに至るまでに脱落者を多く出したと見え、敵軍の総数が大幅に少なくなっている事を確認した王秉は、追撃部隊を二手に分け、涼州軍に待機を命じた。王秉の言い分としては退路の確保を任せたいという事であった。
そうして橋を渡って進撃していく王秉の本隊を見送った後で、拍子抜けした北宮純は、隣に控える王豊に悪態をつく。
「まぁアイツの本音としちゃ、これ以上俺たちに手柄を取られたんじゃ面目が立たねぇって事だろうよ」
「左衛将軍は、左司馬の族弟だそうですしね。それで追撃部隊の指揮を任されたのかと」
「身内に手柄を立てさせようって腹か……。あやうく都が落ちる所だったってのに、もう戦功争いを始めてやがる……」
国家存亡の危機にあっても政局を優先する、そうした態度こそが国を傾かせた原因であるという事に全く気付いていない。いや、気づいていても止める事が出来ない。それが晋朝を、ひいては過去の漢人の統一王朝を腐敗させた大元であるのにと、北宮純は溜息をついた。
だが北宮純は同時に、そんな憂いを覚えている自分にも嫌気がさしている。これではまるで、自分が散々貶した儒教の祖である孔子を始め、古の諸子百家たちの嘆きのようではないかと。
もともと自分の命すらどうなろうと知った事ではないと吹聴していたような北宮純である。虐げられた羌族の生まれであるが、先祖など知った事ではない。ましてや漢人の国がどうなろうと関係ない。そう思っていたはずが、なぜこうも憂いているのだろうか。そんな自分に気づいた途端に腹が立ってくるのである。
何もしないでいると余計な事を考えてしまう。己の内から止め処なく湧き出てくる焦燥感。北宮純がその感情を止められるのは、ただ無心で戦場を駆けている時。命のやり取りをしている時だけであった。
黄河の対岸は低い丘や森林が広がっている。橋を渡り切った王秉の軍は既に見えない。北宮純はしばらく考えた後、呟くように言った。
「俺たちも行くぞ……」
「え、しかし命令を無視しては……」
「命令は退路の確保だ。河のこちら側にもう敵はいない。橋の確保ぐらい二十人も残せば充分だろ」
諫める王豊の言葉を制し、北宮純は涼州兵を動かした。
それは無意識の第六感であったのか、それともただ感情に任せた行動だったのか、彼本人にも分からぬ事であった。
そんな北宮純も全く考え至らなかった事であるが、先行した王秉隊はまさに危機に瀕していた。敗走してくる王弥軍の退路を予期していたかのように、漢王・劉淵は迎えの兵を送っていたのだ。
そんな漢軍を率いているのは劉淵の四男に当たる劉聡である。年齢は三十代の後半。王位継承権そのものは兄である長男・劉和に譲っているが、劉淵の子の中でも特に文武に優れているとして父に目をかけられ、右賢王(実質的に継承権第二位)の位を授かっていた。老齢の父に代わって、晋朝への押さえに領土の南方を統括していた立場である。
そんな劉聡が率いる漢軍は、王弥の軍と合流すると、追撃がある事を聞いて即座に迎え撃った。それも王秉率いる晋軍が気づくよりも前に周囲の森林を使って鶴翼に包囲し、王秉が気づいた時には、晋軍は既に三方向から飲み込まれんばかりの状況に陥っていたのである。
予想だにしていなかった敵の包囲に王秉は勿論、追撃の晋兵たちも大いに混乱をきたし、体勢の整わぬままに多くの死傷者を出してしまった。兵たちは統率が取れぬまま劉聡軍に蹂躙されていく。
余裕の笑みを浮かべる劉聡と、その隣で品のない歓声を上げて喜んでいる王弥。対して混乱した兵を立て直す事も出来ず絶望の淵に立っている王秉。
もはや勝負は決まったと誰もが思ったその時、劉聡のもとへ新たな敵の襲来が告げられた。包囲の更に外側からである。まさか敵の方も伏兵を用意していたのかと目を丸くした劉聡。
背後からの予期せぬ奇襲を受けた左翼の漢兵たちが突き崩されていた。陣を切り裂く騎兵の先頭で、笑みすら浮かべながら大刀を振るっている将が見える。
「あいつだ! 我らの軍は、あの騎兵によって本陣を裂かれて大敗したのです!」
またしても勝利を確信した瞬間に背後から現れる。王弥は歯噛みして悔しがり、劉聡もまた眉を顰めた。
先頭で率いている将が常人には理解できぬほどに命知らずなのだ。それによって兵たちが鼓舞され、高い士気と機動力を維持し、その勢いのまま敵陣を貫くのである。
圧倒的に有利な状態で勝利を確信している兵というものは、むしろ命を惜しむようになる。そうした状態にあった漢軍の背後から、そんな命知らずの攻撃をかけられては兵の動揺が広がり、士気も大きく下がってしまうのは必定である。
逆に包囲陣を切り裂いて味方が救援に来たとなれば、混乱していた晋兵たちの方は歓声を上げて士気が戻りつつあった。
追撃してきた晋兵を削り取れればと欲を出した劉聡であったが、これでは逆に兵を失ってしまう。このような遭遇戦で兵を失うのは以っての外と断じた劉聡は、即座に撤退を指示した。
よく統率が取れたまま退いていく漢軍の様子に、北宮純は馬を止め、敵将へと視線を送った。血に濡れた大刀を携え、その口元はニヤリと緩んでいる。
劉聡と王弥もまた、そんな北宮純の姿を苦々しく見つめ、そして静かに退いていった。
こうして北宮純は、わずか百騎で洛陽を救っただけでなく、河東の追撃戦においても名将・劉聡を撃退し、味方を救い出すという戦功を立てる事となったのである。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
0
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる