君の瞳が映す華

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23.救済

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 朦朧と。浮上しかかる意識の中で不快な手が自分の髪を、忌み嫌う耳を撫でている感触だけは感じることができた。
 顔が痺れて痛む。ぶたれた頬が燃えるように熱かった。何とか瞼を持ち上げたかったが、それもできないまま口から小さく呻くソウに、ミカゲの手が這い回る。
 髪から頬、そして首筋、装束が乱れて覗く鎖骨。細く頼りないその骨を、おぞましい視線と共にミカゲの手が撫でていった。
 意識が浮上しきらないソウは、何をしているんだろうとぼんやりと考えた。くすぐるように、そしてそれを確かめるように押し付けられている他人の肌の感触が不意に離れ、次に何かを裂く音がやけに遠くで聞こえた気がした。
 ソウが身に纏う装束を、何の遠慮もなくミカゲは引き裂く。元々室内でしか着ることがない薄手のそれは、簡単に破れ白く滑らかなソウの肌が露わになった。空気がひやりと繊細なそれをくすぐり、ソウの普段は柔らかな、しかし今はきつく寄せられた眉が揺れた。
「蒼星……」
 低い声の中に劣情を感じさせる気配。馬乗りになったままじっと下ろしてくる視線を肌で感じて、ソウは薄く瞼を持ち上げた。それだけでひどく全身が痛んだ。固い床に押し付けられた身体にミカゲの体重が重なり、呼吸も辛い。
 手足を投げ出していたソウがごく小さく身動ぎすると、ミカゲは歪な笑みを浮かべたまま口を開いた。手許だけは妙に優しく。
「お前を抱きたくて仕方なかったんだ……」
 言われたことに何かを言い返そうにも、ソウの意識はまだ混濁していた。少し頭を動かそうとしても、鈍い揺れが続いているように感じる。吐き気がこみ上げそうになって、言葉を発することは愚か口を開くこともままならなかった。
「お前が……あいつに痛めつけられているとこをいつも盗み見してた。泣き叫ぶお前は最高に綺麗だったんだぜ。俺も同じことをしたくて、何回も想像した……いつかお前を俺の前で泣かせて叫ばせてやりたかった……」
 陶酔したようにミカゲは笑いながらそう言った。その間にもソウの肌を堪能する掌がまさぐる。ざわりと肌が粟立ったのを、ミカゲは更に楽しそうに笑って見つめた。
 気持ち悪い。怖い。それがソウの意識を何とか形成していく糧になる。呼吸の合間に声が混じる。引き攣れたように強張った喉から零れた言葉は、ミカゲには聞き取れなかったようだが、ソウが混濁から目覚め始めているのを感じたようだ。くつくつと喉の奥で笑うと、身を屈めて白く細い身体に覆いかぶさった。
 耳元に他人の吐息を感じてびくりと覚醒した。頬にかかるミカゲの髪と吐息に混じって、ひたりとあてがわれた濡れたものに、ソウは小さく悲鳴を漏らした。
 生温かいものが耳を蹂躙する。柔らかな毛に包まれた大きなそこをきりと噛まれ、無造作に入り込んでくるそれがミカゲの舌であると認識するのに数秒を要した。鼓膜のすぐ傍で湿った音がするのはなんとも不快だった。
 それどころかミカゲは、ソウの両手を自身の片手で縛り上げるようにして固定し、空いている手で白い震える身体を撫で回す。質感は上質で、吸い付くようなソウの肌に酔いしれているように、ミカゲの唇から情欲のため息が落ちた。
「い、や……や……」
 ソウは必死に身体を捻り、何とかミカゲの下から抜け出そうとした。しかし大柄なミカゲの膝の間で身体を固定されているのだから、簡単に抜けられるはずがなかった。締め付けられる手首が新たにソウに痛みを与える。しかしそれ以上に不快な音が鼓膜を刺激し神経を蠢く。
「ミ……やめ……て」
 おぞましくて言葉が出ないけど、おとなしくされるがままでいる理由などどこにもない。もがきながら抵抗するソウに、ミカゲは舌で耳を嬲りながら小さく笑った。
 肌をまさぐる手が一箇所に忍び寄る。嫌悪から粟立つ肌の上にある一点のそこは、薄く色づいた突起だった。小さく怯えているそこにミカゲは遠慮なく指を這わせて、そしてなんの躊躇もなくきつく摘んだ。
「ひッ……!? いッ……いた……い……」
 そんな所に痛みを感じることなんてなかったソウは、一体何をされているのかも分からず、ただ襲ってきたそれに息をつまらせた。ぎりぎりと締め付けられて千切れるほどにひっぱられる。爪を立てられ血が滲んだ。
 それでもソウが呻きながら抵抗すると、ミカゲはさも楽しそうに笑い顔を上げた。苦痛に歪む綺麗なソウの顔が見たくて堪らなかったと言いながら、また触れられていないもう一つの突起へと顔を近づけた。
「なッ、なにを……ああぁッ」
 自分の胸元に顔を押し付けるミカゲを、ソウは目を見張って言葉を投げようとした。だが与えられた強烈な痛みに悲鳴を上げるしかできなかった。ミカゲがそこに噛み付いたからだ。眩暈を起こしそうになったのを耐えるが、手を塞がれていては払いのけることもできない。痛くて恥ずかしくて怖くて、自分がどうにかなってしまいそうだった。冷や汗と、恐怖で溢れた涙で濡れる顔を、陰惨な目でミカゲは見上げてくる。
「やめ、て……いや……こわい……いや……」 
 泣きじゃくりながら必死で落とした言葉は、当たり前だがミカゲに対する拒否のそれだ。それが気に入らなかったのか、ミカゲが勢い良く顔を上げて、ソウの頬を殴りつけた。骨があたる音と、口の中に血が滲んだ。
 ミカゲはそのまま自分の身体をソウの上から少しずらすと、床に散らばるソウの装束を完全に引き裂いた。身につけていた下着までを破り、ソウを生まれたままの姿にする。かつて痛めつけられてできた傷がわき腹と大腿部にあり、それを目にしてごくりと喉を鳴らした。欲情した黄金の瞳が、過去自分が見てきたものを思い出し、煽られるように揺れる。不規則に上下する薄い胸板も、女性のようなまろやかさのない腰まわりも長い手足も、こうして見てみれば明らかに男なのに、それでも魅了されてしまうのを拒めなかった。
 そんなミカゲの身体の下でソウは、動けない中でも目の前の亜人を拒絶した言葉を繰り返し、何とか逃げようとする。それがミカゲの神経をさらに逆撫でした。憎しみを宿したミカゲは吐き捨てるように言った。
「どこまで俺を馬鹿にすれば気が済むんだ……お前もあいつも、どいつもこいつも馬鹿にしやがって……」
 じっとりと据わった目で睨みつけてくるミカゲは、常軌を逸脱していた。それは屋敷の人間よりも凶暴で、ソウは先ほど感じた空気の違いを悟ったような気がした。
 まともではない。
 そう思うと、殺されるかもしれないという思いが猛然と沸きあがってきた。
 こんな所で殺されるわけにはいかない。自分の犯した罪をまだはっきりと理解しきっていないのに。カグラが、生きることを選んだのなら考えろと言っていたことを、まだ何もしていない。
 脳裏に浮かんだ過去の光景と、そしてカグラの言葉。その中にちらちらと見えた浅ましくも溢れてくるアマネへの想い。それに気付いて、なりふりかわずソウは手足をばたつかせて暴れた。自分がどうするかくらいは自分で決めたい。だってそのために罪を犯したのだから。
 押さえ込むミカゲに爪を立て噛み付き、ソウは抵抗した。か弱くても亜人であることに代わりはない。敵わなくても逃げ出す機会くらいはあるかもしれないと必死だった。
「お前なんかに……好きにされて……たまるか!!」
 渾身の力をこめて拳を振り上げると、ミカゲのこめかみ辺りを打った。だが、それが致命傷になることはなかった。怒りと狂気に荒れる瞳は、ソウをまるで斬る様に射抜いてくる。ソウがそれに思わず竦み動けなくなったところに、ミカゲは一度ソウの胸ぐらをつかんで身体を浮かせると、思い切り床にたたき付けた。
「あんまり暴れるとうるさいからちょっと黙っとけ! じゃねーと勃つもんも勃たねーわッ!」 
 何度か頭を床にたたきつけられて、ソウの抵抗が完全に止む。ミカゲの装束を掴んでいた手がぱたりと落ちると、何か気付いたように馬乗りになっている亜人が笑った。
「ほんとは叫んでほしいけど、ここじゃ周りに聞こえてもまずいし……意識のないお前を抱くのもそれはそれで楽しいかも知れねーよな?」
 酷薄な目許が明かりのない部屋の中で光ったように、ソウには見えた。だめだ、早く逃げないとと思うが、しかし指の一本も動かせない。
 零れる涙が床に落ちて行く。不規則な呼吸を繰り返すソウの細い喉に、真綿のような優しい感触で何かが巻きついた。だがそれはすぐに気道を塞ぐには充分すぎるくらいの力に変わる。
 ミカゲが自分の体重を乗せて首を絞めてくる。その顔は浅ましく溺れきった劣情を隠しもしない。狂気に彩られた見苦しく恐ろしい形相をしていた。
「間違って殺しちまったら、そん時は謝るわ」
 そんなことを簡単に言って、更に力が加えられた。呼吸ができなくなり頭の血流を遮断されると、拍動が脳に集まり一層強くなった気がした。ミカゲの手をどけようとしたソウの白い手が、空を掻き無意味な動きを見せる。だがそれも長くは続かなかった。酸素を取り込めなくなると人間も亜人も関係ない。
 目の前が真っ赤に見えるほど苦しくて視界が鮮明さを欠く。これで死ぬのかと、ソウは残った思考の残像を追いかける。溢れてくるのは不思議とただ一人だけだった。
 ふっつりと意識が切れる寸前、誰かの声が聞こえた気がした。
 それから突然身体にのしかかっていたモノがなくなり、喉が空気を取り込んだ。雪崩のように入り込んできたそれにソウは激しく咳き込み、状況を理解できなかった。身体を丸めて咳き込んでいると、泣きながら自分を抱き締めて起こしてくれる手があった。温かくソウより小さな手は、命を助けてくれたあのときを同じ手だった。
 部屋の中で激しくもみ合う音がするが、ソウは瞼を持ち上げてそれを確認することができなかった。怒鳴り声と荒々しく踏みしめる音と、センの泣き声に撫でてくれる手を認識するだけで精一杯だった。
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