9 / 27
記憶を辿る道3
しおりを挟む
「こんばんは、お邪魔します。子猫ちゃん……いや可愛い魔女さん、かな?」
疲れもあって、部屋のベッドでぐっすりと寝ていたロゼッタは声をかけられるまで彼の存在にまったく気づかなかった。
寝ぼけた目を擦り、上半身だけ体をゆっくりと起こす。寝る前にほどいた灰色の髪が顔を覆って視界を狭くする。
ロゼッタが声のした方を見ると、ランタンをぶら下げてリウトを背負った青年が開かれた窓に腰をかけ、彼女を見つめていた。もちろん窓の鍵はきちんと掛けたはずだった。
夜中に男が侵入したら普通なら大声を出して叫ぶところだ。けれども、ロゼッタには声を出すこともできなかった。彼と自分に圧倒的な実力差があることを本能で理解して、彼女は死を覚悟した。
「そう、いい子だね。そのまま静かにしていなさい。……僕は君に聞きたいことがあるだけなんだ」
ロゼッタは別にいい子だから声を出さないのではない。恐怖で声が出ないだけだ。青年は大人しい彼女の様子を満足そうに眺めて微笑む。
「ねぇ、魔女さん。君の名前は?」
「ロゼッタ・デュ……トワ……」
不法侵入の不審者に名乗る名前などない。そう思うのに、ロゼッタの唇は彼女の意思とは関係なく言葉を紡ぐ。
ランタンの明かり一つ、薄暗い室内でも青年の瞳はぞっとするほど澄んでいて、ロゼッタはそれに囚われていた。朝方、彼に会ったときは汚ならしい男だと感じたはずだった。けれど、ベッドの上で動けずにいるロゼッタを見下ろすかたちで微笑む青年は、同じ姿のはずなのに、別人のように見える。
髭に隠れて顔立ちはよくわからないが、切れ長の目、その中心で輝く青い瞳から目をそらすことは彼女にはできなかった。
「デュトワ? ああ、それなら納得。君の母上はどこかな?」
「南の……街道で……」
(なに、なにこれ、とまってっ! なんで!? 怖い! 怖いよ!!)
「抵抗しない方がいいと思うけど?」
「……いや、レオさ、ん……たす……」
明らかに魔法が使われている。おそらく暗示のような魔法で、青年はロゼッタが予想したとおり、魔法使いなのだとわかる。青年に『視』られなければ、口が勝手に動くことはない。そうだとわかっていても、ロゼッタはどうしても視線を逸らすことができない。
「レオさん? ふーん。兄妹って言ってなかった? ねぇ、君は彼の手のひらになにがあるか知っているの?」
「!!」
「そう……知ってるんだ。じゃあ親切な僕が一つ忠告を。現在、実質的に政務を行っているのは病弱な王ではなく、王太子。それは知っているよね? ヴァルトリの領主は三年前から王太子と折り合いが悪くてね。……だから信用しないほうがいい」
ロゼッタの家があるレストリノや、今いるソルラータはヴァルトリという領に属する。治めているのは『十六家』の一つスピナー家。
三年前の内戦後にあった食糧難を乗り切るために、王命で国内の各領にも協力要請があったのだが、紛争地域に最も近いこの領の負担が一番多かったのだ。ロゼッタも当時のことをよく覚えている。食料不足は紛争とは直接関係のないヴァルトリに住む人々にも無関係ではなかった。
表だって批判をすることはなかったが、スピナー家と王家の関係に亀裂が入ったのはこの件が原因だとされている。
「まぁ、油断ならない場所を通るんだから、当たり前の話だけど護衛は信頼の置ける少数精鋭だったわけ。……王太子に近い立場の騎士にすら裏切られたら、一体誰を信じればいいと思う?」
明らかに視察途中で王太子が襲われた事件を、そして王太子に近い立場でないと知りえないことを、青年は知っていた。
「ヴァルトリの領内は論外だけど、ここを出ても油断しないでね? どこかの領で保護を求めるなんて考えてはいけないよ」
その時、窓とは反対の方向でドンという大きな音がした。青年の意識がそちらに向けられた瞬間、金縛りのような状態のロゼッタの体は自由になる。ロゼッタが扉の方を向こうとするより早く奏者の青年の首元に鈍く光る刃が突きつけられた。
「うわっ! 危ないなぁ……」
「……殺します」
ロゼッタが驚くほどレオは殺気立っていた。奏者の青年はそんな状況でもまだ笑っている。笑っているが、どこか寂しそうだとロゼッタは感じた。
「そういうわけにはいかない。ほら、僕には都に行って稼ぎまくる目標があるって話したでしょ?」
「変質者が戯れごとを!」
レオがギラついた目で、本気で繰り出した剣を青年は外に身を投げ出すようにかわし、そのまま下に飛び降りる。
「僕は先を急ぐよ。また都で会えたらいいね、可愛い魔女さん」
宿の前の道を走り去りながら、青年は最後にそう言った。レオはそれを追わず、剣を収めるとすぐにロゼッタに駆け寄り抱き締める。
「大丈夫ですか!? 怖かったでしょう?」
「っ!?」
体がガタガタと震え、心臓の音はうるさいが、彼が来てくれたことにロゼッタは安堵していた。彼が向けてくれる表情が先程までの険しいものとは違い、ひどく優しいものであることにも。
「あなたに何かあったら、私は、私はっ!」
怖い思いをした本人よりも、よほど辛そうな声をあげる。あまりに強く抱きしめるので、ロゼッタは急に冷静なる。逃れようと力を込めるとレオはさらに腕の力を強めた。
「レオさん! と、とりあえず離してくれますか?」
「嫌だ」
きっぱりと断言されたその言葉で、ロゼッタの心に沸き上がるのは罪悪感。それを否定したくてロゼッタは全力で彼を拒絶する。
「は、離せって言ってるでしょーが!! この既婚者浮気野郎!! すぐに離さなかったら、もう口聞かないんだから!!」
ロゼッタが強い口調で言うと、レオは泣きそうになりながら、ゆっくりと腕の力を弱める。
「……わかりました」
「そんな、捨て犬みたいにしょぼんとされても困るんですよ! 何度も言ってますよね? 既婚者なんだから自覚を持ってくれませんか?」
「私も何度も言っています。誰かと魂が繋がっているとは思えないと」
「それは記憶喪失だからでしょう! じゃあ、その手のひらにあるものは何なんですか!? 私に触りたいなら、きちんと思い出してからにしてもらえます?」
ロゼッタがジロリと睨むと、レオは自分の右手を見つめて言葉に詰まる。
「ロゼッタ、あの……」
「それよりも、あの奏者のことです! あの人、いろいろと事情を知っているみたいでした。レオさんが王太子殿下だということも……。何者なんでしょう? ……なんか、もしかしたら、ちょっと親切な人かもしれません」
「どこがです!? 女性の部屋に窓から侵入する親切な人なんているわけがないでしょう? あれは変質者です!」
ロゼッタが窓からの侵入者を「親切な人」となどと言い出したことに彼は腹を立てる。
「いや、でも……」
「やはり、ロゼッタは常識に欠けているというか、危機管理能力が壊滅的だと思います。ドアも壊れたことですし、今からでも二人部屋に変えてもらいます!」
「嫌です!! それに、ドアは壊れたんじゃなくて、レオさんが壊した……」
壊さなければどうなっていたかわからないのに、さすがにそれ以上は言えない。ロゼッタが黙ると、レオはさっさと宿屋の主人の元に行ってしまった。
レオは不思議な人だ。何気ない仕草で身分の高い人間なのだと明らかにわかるのだが、意外にも常識がある。
庶民の買い物の仕方や金銭感覚を知っているというわけではなさそうだが、周囲を観察して常識から外れないように行動できるのだ。身の回りのことを自分でできるのは二十歳になる前から軍務に就いていたせいだろうか。
「お待たせしました。宿のご好意で少しいい部屋に変えてもらいました。壊した扉もあちらの負担で修理してくださるそうですよ」
「ご好意?」
「私は偽りのない事実を告げただけですよ? 正体不明の変質者がきちんと戸締まりのされた窓から侵入してきて、危険な目にあったと」
つまりは宿の簡単に侵入される窓に不備があって、連れが危険な目にあったと匂わせたのだ。正体不明の男が侵入したのは本当だが、レオが忘れてしまっているだけで、明らかに彼の関係者のようだった。それをあえて宿の主人には告げずに、ちゃっかり部屋を変更してもらったのだ。
新しい部屋はベッドが二つ並べられ、簡素なテーブルと椅子、小さな鏡台が置かれた部屋だった。最初に部屋に比べるとかなり居心地がよさそうだ。
レオは元いた部屋からてきぱきと荷物を運び、一階でもらってきた水をロゼッタに差し出す。
「レオさん、本当に記憶喪失ですよね? なんでそんなに普通にしていられるんですか?」
極度の緊張で喉が渇いていたロゼッタは椅子に座って喉を潤しながらレオに尋ねる。
「あなたの負担にはなりたくない、ただその一心です」
「で、でた……また言ってるし! でも、今のところ、私の方が全く役に立っていませんね」
ロゼッタとしては記憶喪失で世間知らずな彼を都まで導くつもりでいた。しかし実際にはロゼッタの方が世間知らずで足手まといだ。いっそロゼッタはどこか適当な町に留まっていたほうがいいのかもしれない。
「それは駄目でしょう。私を狙っている敵はご両親が引き付けてくれているかもしれませんが、女性が一人で宿に泊まったらどうなるか、宿の主人にも言われたでしょう? それに、あなたを母君の生家に届けるという任務がなければ、私が都へ行く理由はありません」
「そんな! レオさんは国を背負う責任ある立場なんですよ? それをそんな……」
「無責任だと思いますか? すみませんが、記憶がないというのは、そういうことなんです」
覚えていないことにたいして責任を感じることも、そのために動くことも無理なのだ。レオが目覚めてからまだ二日しか経っていない。彼が取り乱したりせず、あまりに環境に順応してしまっているので、ロゼッタにはそのことが理解できなかった。
「でも、取り戻したいとは思わないんですか? レオさん自身のことでしょう?」
「記憶を取り戻したら、私はどうなるのでしょうね?」
記憶を取り戻したいとは思わない。レオはそう言っているのだ。彼がそう思うことを「許されないこと」だと決めつける権利がロゼッタにあるのだろうか。
疲れもあって、部屋のベッドでぐっすりと寝ていたロゼッタは声をかけられるまで彼の存在にまったく気づかなかった。
寝ぼけた目を擦り、上半身だけ体をゆっくりと起こす。寝る前にほどいた灰色の髪が顔を覆って視界を狭くする。
ロゼッタが声のした方を見ると、ランタンをぶら下げてリウトを背負った青年が開かれた窓に腰をかけ、彼女を見つめていた。もちろん窓の鍵はきちんと掛けたはずだった。
夜中に男が侵入したら普通なら大声を出して叫ぶところだ。けれども、ロゼッタには声を出すこともできなかった。彼と自分に圧倒的な実力差があることを本能で理解して、彼女は死を覚悟した。
「そう、いい子だね。そのまま静かにしていなさい。……僕は君に聞きたいことがあるだけなんだ」
ロゼッタは別にいい子だから声を出さないのではない。恐怖で声が出ないだけだ。青年は大人しい彼女の様子を満足そうに眺めて微笑む。
「ねぇ、魔女さん。君の名前は?」
「ロゼッタ・デュ……トワ……」
不法侵入の不審者に名乗る名前などない。そう思うのに、ロゼッタの唇は彼女の意思とは関係なく言葉を紡ぐ。
ランタンの明かり一つ、薄暗い室内でも青年の瞳はぞっとするほど澄んでいて、ロゼッタはそれに囚われていた。朝方、彼に会ったときは汚ならしい男だと感じたはずだった。けれど、ベッドの上で動けずにいるロゼッタを見下ろすかたちで微笑む青年は、同じ姿のはずなのに、別人のように見える。
髭に隠れて顔立ちはよくわからないが、切れ長の目、その中心で輝く青い瞳から目をそらすことは彼女にはできなかった。
「デュトワ? ああ、それなら納得。君の母上はどこかな?」
「南の……街道で……」
(なに、なにこれ、とまってっ! なんで!? 怖い! 怖いよ!!)
「抵抗しない方がいいと思うけど?」
「……いや、レオさ、ん……たす……」
明らかに魔法が使われている。おそらく暗示のような魔法で、青年はロゼッタが予想したとおり、魔法使いなのだとわかる。青年に『視』られなければ、口が勝手に動くことはない。そうだとわかっていても、ロゼッタはどうしても視線を逸らすことができない。
「レオさん? ふーん。兄妹って言ってなかった? ねぇ、君は彼の手のひらになにがあるか知っているの?」
「!!」
「そう……知ってるんだ。じゃあ親切な僕が一つ忠告を。現在、実質的に政務を行っているのは病弱な王ではなく、王太子。それは知っているよね? ヴァルトリの領主は三年前から王太子と折り合いが悪くてね。……だから信用しないほうがいい」
ロゼッタの家があるレストリノや、今いるソルラータはヴァルトリという領に属する。治めているのは『十六家』の一つスピナー家。
三年前の内戦後にあった食糧難を乗り切るために、王命で国内の各領にも協力要請があったのだが、紛争地域に最も近いこの領の負担が一番多かったのだ。ロゼッタも当時のことをよく覚えている。食料不足は紛争とは直接関係のないヴァルトリに住む人々にも無関係ではなかった。
表だって批判をすることはなかったが、スピナー家と王家の関係に亀裂が入ったのはこの件が原因だとされている。
「まぁ、油断ならない場所を通るんだから、当たり前の話だけど護衛は信頼の置ける少数精鋭だったわけ。……王太子に近い立場の騎士にすら裏切られたら、一体誰を信じればいいと思う?」
明らかに視察途中で王太子が襲われた事件を、そして王太子に近い立場でないと知りえないことを、青年は知っていた。
「ヴァルトリの領内は論外だけど、ここを出ても油断しないでね? どこかの領で保護を求めるなんて考えてはいけないよ」
その時、窓とは反対の方向でドンという大きな音がした。青年の意識がそちらに向けられた瞬間、金縛りのような状態のロゼッタの体は自由になる。ロゼッタが扉の方を向こうとするより早く奏者の青年の首元に鈍く光る刃が突きつけられた。
「うわっ! 危ないなぁ……」
「……殺します」
ロゼッタが驚くほどレオは殺気立っていた。奏者の青年はそんな状況でもまだ笑っている。笑っているが、どこか寂しそうだとロゼッタは感じた。
「そういうわけにはいかない。ほら、僕には都に行って稼ぎまくる目標があるって話したでしょ?」
「変質者が戯れごとを!」
レオがギラついた目で、本気で繰り出した剣を青年は外に身を投げ出すようにかわし、そのまま下に飛び降りる。
「僕は先を急ぐよ。また都で会えたらいいね、可愛い魔女さん」
宿の前の道を走り去りながら、青年は最後にそう言った。レオはそれを追わず、剣を収めるとすぐにロゼッタに駆け寄り抱き締める。
「大丈夫ですか!? 怖かったでしょう?」
「っ!?」
体がガタガタと震え、心臓の音はうるさいが、彼が来てくれたことにロゼッタは安堵していた。彼が向けてくれる表情が先程までの険しいものとは違い、ひどく優しいものであることにも。
「あなたに何かあったら、私は、私はっ!」
怖い思いをした本人よりも、よほど辛そうな声をあげる。あまりに強く抱きしめるので、ロゼッタは急に冷静なる。逃れようと力を込めるとレオはさらに腕の力を強めた。
「レオさん! と、とりあえず離してくれますか?」
「嫌だ」
きっぱりと断言されたその言葉で、ロゼッタの心に沸き上がるのは罪悪感。それを否定したくてロゼッタは全力で彼を拒絶する。
「は、離せって言ってるでしょーが!! この既婚者浮気野郎!! すぐに離さなかったら、もう口聞かないんだから!!」
ロゼッタが強い口調で言うと、レオは泣きそうになりながら、ゆっくりと腕の力を弱める。
「……わかりました」
「そんな、捨て犬みたいにしょぼんとされても困るんですよ! 何度も言ってますよね? 既婚者なんだから自覚を持ってくれませんか?」
「私も何度も言っています。誰かと魂が繋がっているとは思えないと」
「それは記憶喪失だからでしょう! じゃあ、その手のひらにあるものは何なんですか!? 私に触りたいなら、きちんと思い出してからにしてもらえます?」
ロゼッタがジロリと睨むと、レオは自分の右手を見つめて言葉に詰まる。
「ロゼッタ、あの……」
「それよりも、あの奏者のことです! あの人、いろいろと事情を知っているみたいでした。レオさんが王太子殿下だということも……。何者なんでしょう? ……なんか、もしかしたら、ちょっと親切な人かもしれません」
「どこがです!? 女性の部屋に窓から侵入する親切な人なんているわけがないでしょう? あれは変質者です!」
ロゼッタが窓からの侵入者を「親切な人」となどと言い出したことに彼は腹を立てる。
「いや、でも……」
「やはり、ロゼッタは常識に欠けているというか、危機管理能力が壊滅的だと思います。ドアも壊れたことですし、今からでも二人部屋に変えてもらいます!」
「嫌です!! それに、ドアは壊れたんじゃなくて、レオさんが壊した……」
壊さなければどうなっていたかわからないのに、さすがにそれ以上は言えない。ロゼッタが黙ると、レオはさっさと宿屋の主人の元に行ってしまった。
レオは不思議な人だ。何気ない仕草で身分の高い人間なのだと明らかにわかるのだが、意外にも常識がある。
庶民の買い物の仕方や金銭感覚を知っているというわけではなさそうだが、周囲を観察して常識から外れないように行動できるのだ。身の回りのことを自分でできるのは二十歳になる前から軍務に就いていたせいだろうか。
「お待たせしました。宿のご好意で少しいい部屋に変えてもらいました。壊した扉もあちらの負担で修理してくださるそうですよ」
「ご好意?」
「私は偽りのない事実を告げただけですよ? 正体不明の変質者がきちんと戸締まりのされた窓から侵入してきて、危険な目にあったと」
つまりは宿の簡単に侵入される窓に不備があって、連れが危険な目にあったと匂わせたのだ。正体不明の男が侵入したのは本当だが、レオが忘れてしまっているだけで、明らかに彼の関係者のようだった。それをあえて宿の主人には告げずに、ちゃっかり部屋を変更してもらったのだ。
新しい部屋はベッドが二つ並べられ、簡素なテーブルと椅子、小さな鏡台が置かれた部屋だった。最初に部屋に比べるとかなり居心地がよさそうだ。
レオは元いた部屋からてきぱきと荷物を運び、一階でもらってきた水をロゼッタに差し出す。
「レオさん、本当に記憶喪失ですよね? なんでそんなに普通にしていられるんですか?」
極度の緊張で喉が渇いていたロゼッタは椅子に座って喉を潤しながらレオに尋ねる。
「あなたの負担にはなりたくない、ただその一心です」
「で、でた……また言ってるし! でも、今のところ、私の方が全く役に立っていませんね」
ロゼッタとしては記憶喪失で世間知らずな彼を都まで導くつもりでいた。しかし実際にはロゼッタの方が世間知らずで足手まといだ。いっそロゼッタはどこか適当な町に留まっていたほうがいいのかもしれない。
「それは駄目でしょう。私を狙っている敵はご両親が引き付けてくれているかもしれませんが、女性が一人で宿に泊まったらどうなるか、宿の主人にも言われたでしょう? それに、あなたを母君の生家に届けるという任務がなければ、私が都へ行く理由はありません」
「そんな! レオさんは国を背負う責任ある立場なんですよ? それをそんな……」
「無責任だと思いますか? すみませんが、記憶がないというのは、そういうことなんです」
覚えていないことにたいして責任を感じることも、そのために動くことも無理なのだ。レオが目覚めてからまだ二日しか経っていない。彼が取り乱したりせず、あまりに環境に順応してしまっているので、ロゼッタにはそのことが理解できなかった。
「でも、取り戻したいとは思わないんですか? レオさん自身のことでしょう?」
「記憶を取り戻したら、私はどうなるのでしょうね?」
記憶を取り戻したいとは思わない。レオはそう言っているのだ。彼がそう思うことを「許されないこと」だと決めつける権利がロゼッタにあるのだろうか。
0
あなたにおすすめの小説
勝手にサインしろと仰いましたので、廃嫡書類に国璽を押して差し上げました
鷹 綾
恋愛
「確認? 面倒だ。適当にサインして国璽を押しておけ」
そう言ったのは、王太子アレス。
そう言われたのは、公爵令嬢レイナ・アルヴェルト。
外交も財政も軍備も――
すべてを裏で処理してきたのは彼女だった。
けれど功績はすべて王太子のもの。
感謝も敬意も、ただの一度もない。
そして迎えた舞踏会の夜。
「便利だったが、飾りには向かん」
公開婚約破棄。
それならば、とレイナは微笑む。
「では業務も終了でよろしいですね?」
王太子が望んだ通り、
彼女は“確認”をやめた。
保証を外し、責任を返し、
そして最後に――
「ご確認を」と差し出した書類に、
彼は何も読まずに署名した。
国は契約で成り立っている。
確認しない者に、王の資格はない。
働きたくない公爵令嬢と、
責任を理解しなかった王太子。
静かな契約ざまぁ劇、開幕。
---
私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました
放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。
だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。
「彼女は可哀想なんだ」
「この子を跡取りにする」
そして人前で、平然と言い放つ。
――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」
その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。
「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」
10年間の結婚生活を忘れました ~ドーラとレクス~
緑谷めい
恋愛
ドーラは金で買われたも同然の妻だった――
レクスとの結婚が決まった際「ドーラ、すまない。本当にすまない。不甲斐ない父を許せとは言わん。だが、我が家を助けると思ってゼーマン伯爵家に嫁いでくれ。頼む。この通りだ」と自分に頭を下げた実父の姿を見て、ドーラは自分の人生を諦めた。齢17歳にしてだ。
※ 全10話完結予定
【完結】私を忘れてしまった貴方に、憎まれています
高瀬船
恋愛
夜会会場で突然意識を失うように倒れてしまった自分の旦那であるアーヴィング様を急いで邸へ連れて戻った。
そうして、医者の診察が終わり、体に異常は無い、と言われて安心したのも束の間。
最愛の旦那様は、目が覚めると綺麗さっぱりと私の事を忘れてしまっており、私と結婚した事も、お互い愛を育んだ事を忘れ。
何故か、私を憎しみの籠った瞳で見つめるのです。
優しかったアーヴィング様が、突然見知らぬ男性になってしまったかのようで、冷たくあしらわれ、憎まれ、私の心は日が経つにつれて疲弊して行く一方となってしまったのです。
夫が愛人を離れに囲っているようなので、私も念願の猫様をお迎えいたします
葉柚
恋愛
ユフィリア・マーマレード伯爵令嬢は、婚約者であるルードヴィッヒ・コンフィチュール辺境伯と無事に結婚式を挙げ、コンフィチュール伯爵夫人となったはずであった。
しかし、ユフィリアの夫となったルードヴィッヒはユフィリアと結婚する前から離れの屋敷に愛人を住まわせていたことが使用人たちの口から知らされた。
ルードヴィッヒはユフィリアには目もくれず、離れの屋敷で毎日過ごすばかり。結婚したというのにユフィリアはルードヴィッヒと簡単な挨拶は交わしてもちゃんとした言葉を交わすことはなかった。
ユフィリアは決意するのであった。
ルードヴィッヒが愛人を離れに囲うなら、自分は前々からお迎えしたかった猫様を自室に迎えて愛でると。
だが、ユフィリアの決意をルードヴィッヒに伝えると思いもよらぬ事態に……。
【完】愛人に王妃の座を奪い取られました。
112
恋愛
クインツ国の王妃アンは、王レイナルドの命を受け廃妃となった。
愛人であったリディア嬢が新しい王妃となり、アンはその日のうちに王宮を出ていく。
実家の伯爵家の屋敷へ帰るが、継母のダーナによって身を寄せることも敵わない。
アンは動じることなく、継母に一つの提案をする。
「私に娼館を紹介してください」
娼婦になると思った継母は喜んでアンを娼館へと送り出して──
この度娘が結婚する事になりました。女手一つ、なんとか親としての務めを果たし終えたと思っていたら騎士上がりの年下侯爵様に見初められました。
毒島かすみ
恋愛
真実の愛を見つけたと、夫に離婚を突きつけられた主人公エミリアは娘と共に貧しい生活を強いられながらも、自分達の幸せの為に道を切り開き、幸せを掴んでいく物語です。
【完結】どうやら時戻りをしました。
まるねこ
恋愛
ウルダード伯爵家は借金地獄に陥り、借金返済のため泣く泣く嫁いだ先は王家の闇を担う家。
辛い日々に耐えきれずモアは自らの命を断つ。
時戻りをした彼女は同じ轍を踏まないと心に誓う。
※前半激重です。ご注意下さい
Copyright©︎2023-まるねこ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる