【完結】失くした記憶と愛の紋章

日車メレ

文字の大きさ
9 / 27

記憶を辿る道3

しおりを挟む
「こんばんは、お邪魔します。子猫ちゃん……いや可愛い魔女さん、かな?」

 疲れもあって、部屋のベッドでぐっすりと寝ていたロゼッタは声をかけられるまで彼の存在にまったく気づかなかった。
 寝ぼけた目を擦り、上半身だけ体をゆっくりと起こす。寝る前にほどいた灰色の髪が顔を覆って視界を狭くする。
 ロゼッタが声のした方を見ると、ランタンをぶら下げてリウトを背負った青年が開かれた窓に腰をかけ、彼女を見つめていた。もちろん窓の鍵はきちんと掛けたはずだった。

 夜中に男が侵入したら普通なら大声を出して叫ぶところだ。けれども、ロゼッタには声を出すこともできなかった。彼と自分に圧倒的な実力差があることを本能で理解して、彼女は死を覚悟した。

「そう、いい子だね。そのまま静かにしていなさい。……僕は君に聞きたいことがあるだけなんだ」

 ロゼッタは別にいい子だから声を出さないのではない。恐怖で声が出ないだけだ。青年は大人しい彼女の様子を満足そうに眺めて微笑む。

「ねぇ、魔女さん。君の名前は?」
「ロゼッタ・デュ……トワ……」

 不法侵入の不審者に名乗る名前などない。そう思うのに、ロゼッタの唇は彼女の意思とは関係なく言葉を紡ぐ。
 ランタンの明かり一つ、薄暗い室内でも青年の瞳はぞっとするほど澄んでいて、ロゼッタはそれに囚われていた。朝方、彼に会ったときは汚ならしい男だと感じたはずだった。けれど、ベッドの上で動けずにいるロゼッタを見下ろすかたちで微笑む青年は、同じ姿のはずなのに、別人のように見える。
 髭に隠れて顔立ちはよくわからないが、切れ長の目、その中心で輝く青い瞳から目をそらすことは彼女にはできなかった。

「デュトワ? ああ、それなら納得。君の母上はどこかな?」
「南の……街道で……」

(なに、なにこれ、とまってっ! なんで!? 怖い! 怖いよ!!)

「抵抗しない方がいいと思うけど?」
「……いや、レオさ、ん……たす……」

 明らかに魔法が使われている。おそらく暗示のような魔法で、青年はロゼッタが予想したとおり、魔法使いなのだとわかる。青年に『視』られなければ、口が勝手に動くことはない。そうだとわかっていても、ロゼッタはどうしても視線を逸らすことができない。

「レオさん? ふーん。兄妹って言ってなかった? ねぇ、君は彼の手のひらになにがあるか知っているの?」
「!!」
「そう……知ってるんだ。じゃあ親切な僕が一つ忠告を。現在、実質的に政務を行っているのは病弱な王ではなく、王太子。それは知っているよね? ヴァルトリの領主は三年前から王太子と折り合いが悪くてね。……だから信用しないほうがいい」

 ロゼッタの家があるレストリノや、今いるソルラータはヴァルトリという領に属する。治めているのは『十六家』の一つスピナー家。
 三年前の内戦後にあった食糧難を乗り切るために、王命で国内の各領にも協力要請があったのだが、紛争地域に最も近いこの領の負担が一番多かったのだ。ロゼッタも当時のことをよく覚えている。食料不足は紛争とは直接関係のないヴァルトリに住む人々にも無関係ではなかった。
 表だって批判をすることはなかったが、スピナー家と王家の関係に亀裂が入ったのはこの件が原因だとされている。

「まぁ、油断ならない場所を通るんだから、当たり前の話だけど護衛は信頼の置ける少数精鋭だったわけ。……王太子に近い立場の騎士にすら裏切られたら、一体誰を信じればいいと思う?」

 明らかに視察途中で王太子が襲われた事件を、そして王太子に近い立場でないと知りえないことを、青年は知っていた。

「ヴァルトリの領内は論外だけど、ここを出ても油断しないでね? どこかの領で保護を求めるなんて考えてはいけないよ」

 その時、窓とは反対の方向でドンという大きな音がした。青年の意識がそちらに向けられた瞬間、金縛りのような状態のロゼッタの体は自由になる。ロゼッタが扉の方を向こうとするより早く奏者の青年の首元に鈍く光る刃が突きつけられた。

「うわっ! 危ないなぁ……」
「……殺します」

 ロゼッタが驚くほどレオは殺気立っていた。奏者の青年はそんな状況でもまだ笑っている。笑っているが、どこか寂しそうだとロゼッタは感じた。

「そういうわけにはいかない。ほら、僕には都に行って稼ぎまくる目標があるって話したでしょ?」
「変質者が戯れごとを!」

 レオがギラついた目で、本気で繰り出した剣を青年は外に身を投げ出すようにかわし、そのまま下に飛び降りる。

「僕は先を急ぐよ。また都で会えたらいいね、可愛い魔女さん」

 宿の前の道を走り去りながら、青年は最後にそう言った。レオはそれを追わず、剣を収めるとすぐにロゼッタに駆け寄り抱き締める。

「大丈夫ですか!? 怖かったでしょう?」
「っ!?」

 体がガタガタと震え、心臓の音はうるさいが、彼が来てくれたことにロゼッタは安堵していた。彼が向けてくれる表情が先程までの険しいものとは違い、ひどく優しいものであることにも。

「あなたに何かあったら、私は、私はっ!」

 怖い思いをした本人よりも、よほど辛そうな声をあげる。あまりに強く抱きしめるので、ロゼッタは急に冷静なる。逃れようと力を込めるとレオはさらに腕の力を強めた。

「レオさん! と、とりあえず離してくれますか?」
「嫌だ」

 きっぱりと断言されたその言葉で、ロゼッタの心に沸き上がるのは罪悪感。それを否定したくてロゼッタは全力で彼を拒絶する。

「は、離せって言ってるでしょーが!! この既婚者浮気野郎!! すぐに離さなかったら、もう口聞かないんだから!!」

 ロゼッタが強い口調で言うと、レオは泣きそうになりながら、ゆっくりと腕の力を弱める。

「……わかりました」
「そんな、捨て犬みたいにしょぼんとされても困るんですよ! 何度も言ってますよね? 既婚者なんだから自覚を持ってくれませんか?」
「私も何度も言っています。誰かと魂がつながっているとは思えないと」
「それは記憶喪失だからでしょう! じゃあ、その手のひらにあるものは何なんですか!? 私に触りたいなら、きちんと思い出してからにしてもらえます?」

 ロゼッタがジロリと睨むと、レオは自分の右手を見つめて言葉に詰まる。

「ロゼッタ、あの……」
「それよりも、あの奏者のことです! あの人、いろいろと事情を知っているみたいでした。レオさんが王太子殿下だということも……。何者なんでしょう? ……なんか、もしかしたら、ちょっと親切な人かもしれません」
「どこがです!? 女性の部屋に窓から侵入する親切な人なんているわけがないでしょう? あれは変質者です!」

 ロゼッタが窓からの侵入者を「親切な人」となどと言い出したことに彼は腹を立てる。

「いや、でも……」
「やはり、ロゼッタは常識に欠けているというか、危機管理能力が壊滅的だと思います。ドアも壊れたことですし、今からでも二人部屋に変えてもらいます!」
「嫌です!! それに、ドアは壊れたんじゃなくて、レオさんが壊した……」

 壊さなければどうなっていたかわからないのに、さすがにそれ以上は言えない。ロゼッタが黙ると、レオはさっさと宿屋の主人の元に行ってしまった。

 レオは不思議な人だ。何気ない仕草で身分の高い人間なのだと明らかにわかるのだが、意外にも常識がある。
 庶民の買い物の仕方や金銭感覚を知っているというわけではなさそうだが、周囲を観察して常識から外れないように行動できるのだ。身の回りのことを自分でできるのは二十歳になる前から軍務に就いていたせいだろうか。

「お待たせしました。宿のご好意で少しいい部屋に変えてもらいました。壊した扉もあちらの負担で修理してくださるそうですよ」
「ご好意?」
「私は偽りのない事実を告げただけですよ? 正体不明の変質者がきちんと戸締まりのされた窓から侵入してきて、危険な目にあったと」

 つまりは宿の簡単に侵入される窓に不備があって、連れが危険な目にあったと匂わせたのだ。正体不明の男が侵入したのは本当だが、レオが忘れてしまっているだけで、明らかに彼の関係者のようだった。それをあえて宿の主人には告げずに、ちゃっかり部屋を変更してもらったのだ。

 新しい部屋はベッドが二つ並べられ、簡素なテーブルと椅子、小さな鏡台が置かれた部屋だった。最初に部屋に比べるとかなり居心地がよさそうだ。
 レオは元いた部屋からてきぱきと荷物を運び、一階でもらってきた水をロゼッタに差し出す。

「レオさん、本当に記憶喪失ですよね? なんでそんなに普通にしていられるんですか?」

 極度の緊張で喉が渇いていたロゼッタは椅子に座って喉を潤しながらレオに尋ねる。

「あなたの負担にはなりたくない、ただその一心です」
「で、でた……また言ってるし! でも、今のところ、私の方が全く役に立っていませんね」

 ロゼッタとしては記憶喪失で世間知らずな彼を都まで導くつもりでいた。しかし実際にはロゼッタの方が世間知らずで足手まといだ。いっそロゼッタはどこか適当な町に留まっていたほうがいいのかもしれない。

「それは駄目でしょう。私を狙っている敵はご両親が引き付けてくれているかもしれませんが、女性が一人で宿に泊まったらどうなるか、宿の主人にも言われたでしょう? それに、あなたを母君の生家に届けるという任務がなければ、私が都へ行く理由はありません」
「そんな! レオさんは国を背負う責任ある立場なんですよ? それをそんな……」
「無責任だと思いますか? すみませんが、記憶がないというのは、そういうことなんです」

 覚えていないことにたいして責任を感じることも、そのために動くことも無理なのだ。レオが目覚めてからまだ二日しか経っていない。彼が取り乱したりせず、あまりに環境に順応してしまっているので、ロゼッタにはそのことが理解できなかった。

「でも、取り戻したいとは思わないんですか? レオさん自身のことでしょう?」
「記憶を取り戻したら、私はどうなるのでしょうね?」

 記憶を取り戻したいとは思わない。レオはそう言っているのだ。彼がそう思うことを「許されないこと」だと決めつける権利がロゼッタにあるのだろうか。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜

咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。 もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。 一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…? ※これはかなり人を選ぶ作品です。 感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。 それでも大丈夫って方は、ぜひ。

悪役令嬢は調理場に左遷されましたが、激ウマご飯で氷の魔公爵様を餌付けしてしまったようです~「もう離さない」って、胃袋の話ですか?~

咲月ねむと
恋愛
「君のような地味な女は、王太子妃にふさわしくない。辺境の『魔公爵』のもとへ嫁げ!」 卒業パーティーで婚約破棄を突きつけられた悪役令嬢レティシア。 しかし、前世で日本人調理師だった彼女にとって、堅苦しい王妃教育から解放されることはご褒美でしかなかった。 ​「これで好きな料理が作れる!」 ウキウキで辺境へ向かった彼女を待っていたのは、荒れ果てた別邸と「氷の魔公爵」と恐れられるジルベール公爵。 冷酷無慈悲と噂される彼だったが――その正体は、ただの「極度の偏食家で、常に空腹で不機嫌なだけ」だった!? ​レティシアが作る『肉汁溢れるハンバーグ』『とろとろオムライス』『伝説のプリン』に公爵の胃袋は即陥落。 「君の料理なしでは生きられない」 「一生そばにいてくれ」 と求愛されるが、色気より食い気のレティシアは「最高の就職先ゲット!」と勘違いして……? ​一方、レティシアを追放した王太子たちは、王宮の食事が不味くなりすぎて絶望の淵に。今さら「戻ってきてくれ」と言われても、もう遅いです! ​美味しいご飯で幸せを掴む、空腹厳禁の異世界クッキング・ファンタジー!

異世界で悪役令嬢として生きる事になったけど、前世の記憶を持ったまま、自分らしく過ごして良いらしい

千晶もーこ
恋愛
あの世に行ったら、番人とうずくまる少女に出会った。少女は辛い人生を歩んできて、魂が疲弊していた。それを知った番人は私に言った。 「あの子が繰り返している人生を、あなたの人生に変えてください。」 「………はぁああああ?辛そうな人生と分かってて生きろと?それも、繰り返すかもしれないのに?」 でも、お願いされたら断れない性分の私…。 異世界で自分が悪役令嬢だと知らずに過ごす私と、それによって変わっていく周りの人達の物語。そして、その物語の後の話。 ※この話は、小説家になろう様へも掲載しています

実家を追い出され、薬草売りをして糊口をしのいでいた私は、薬草摘みが趣味の公爵様に見初められ、毎日二人でハーブティーを楽しんでいます

さくら
恋愛
実家を追い出され、わずかな薬草を売って糊口をしのいでいた私。 生きるだけで精一杯だったはずが――ある日、薬草摘みが趣味という変わり者の公爵様に出会ってしまいました。 「君の草は、人を救う力を持っている」 そう言って見初められた私は、公爵様の屋敷で毎日一緒に薬草を摘み、ハーブティーを淹れる日々を送ることに。 不思議と気持ちが通じ合い、いつしか心も温められていく……。 華やかな社交界も、危険な戦いもないけれど、 薬草の香りに包まれて、ゆるやかに育まれるふたりの時間。 町の人々や子どもたちとの出会いを重ね、気づけば「薬草師リオナ」の名は、遠い土地へと広がっていき――。

前世で孵した竜の卵~幼竜が竜王になって迎えに来ました~

高遠すばる
恋愛
エリナには前世の記憶がある。 先代竜王の「仮の伴侶」であり、人間貴族であった「エリスティナ」の記憶。 先代竜王に真の番が現れてからは虐げられる日々、その末に追放され、非業の死を遂げたエリスティナ。 普通の平民に生まれ変わったエリスティナ、改めエリナは強く心に決めている。 「もう二度と、竜種とかかわらないで生きていこう!」 たったひとつ、心残りは前世で捨てられていた卵から孵ったはちみつ色の髪をした竜種の雛のこと。クリスと名付け、かわいがっていたその少年のことだけが忘れられない。 そんなある日、エリナのもとへ、今代竜王の遣いがやってくる。 はちみつ色の髪をした竜王曰く。 「あなたが、僕の運命の番だからです。エリナ。愛しいひと」 番なんてもうこりごり、そんなエリナとエリナを一身に愛する竜王のラブロマンス・ファンタジー!

[完]本好き元地味令嬢〜婚約破棄に浮かれていたら王太子妃になりました〜

桐生桜月姫
恋愛
 シャーロット侯爵令嬢は地味で大人しいが、勉強・魔法がパーフェクトでいつも1番、それが婚約破棄されるまでの彼女の周りからの評価だった。  だが、婚約破棄されて現れた本来の彼女は輝かんばかりの銀髪にアメジストの瞳を持つ超絶美人な行動過激派だった⁉︎  本が大好きな彼女は婚約破棄後に国立図書館の司書になるがそこで待っていたのは幼馴染である王太子からの溺愛⁉︎ 〜これはシャーロットの婚約破棄から始まる波瀾万丈の人生を綴った物語である〜 夕方6時に毎日予約更新です。 1話あたり超短いです。 毎日ちょこちょこ読みたい人向けです。

そのご寵愛、理由が分かりません

秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。 幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに—— 「君との婚約はなかったことに」 卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り! え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー! 領地に帰ってスローライフしよう! そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて—— 「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」 ……は??? お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!? 刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり—— 気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。 でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……? 夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー! 理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。 ※毎朝6時、夕方18時更新! ※他のサイトにも掲載しています。

不憫な侯爵令嬢は、王子様に溺愛される。

猫宮乾
恋愛
 再婚した父の元、継母に幽閉じみた生活を強いられていたマリーローズ(私)は、父が没した事を契機に、結婚して出ていくように迫られる。皆よりも遅く夜会デビューし、結婚相手を探していると、第一王子のフェンネル殿下が政略結婚の話を持ちかけてくる。他に行く場所もない上、自分の未来を切り開くべく、同意したマリーローズは、その後後宮入りし、正妃になるまでは婚約者として過ごす事に。その内に、フェンネルの優しさに触れ、溺愛され、幸せを見つけていく。※pixivにも掲載しております(あちらで完結済み)。

処理中です...