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道が教える彼の過去4

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「消えてしまう? そんなわけないです!」 

 レオは明らかに健康そうだし幽霊にも見えない。ロゼッタが否定するとレオは首を横に振った。 

「私は、あなたの言う『イルミナート』という人物と『レオ』は別の人間だと思っています」 
「そんなはず、ありません! だって『紋章』を持つ人はバレスティ国に三組しかいないし、母様は王家のものだと断言していました!」 
「そういう意味ではありません。……ロゼッタは人の心は何でできていると思いますか?」 
「……何って、心はその人の中に最初からあるものでしょう?」 

 レオの問いはロゼッタには理解できないものだ。心は最初から存在している。何でできているかなんて聞かれても、医学の知識が乏しい彼女が正確に答えることはできないのだが、とにかく存在しているものだ。 

「違います。私の心は比喩ではなく、全てロゼッタでできています。あなたとのたった十日間の思い出だけでできています」 

 レオの言葉をロゼッタは理解できなかった。ただ、いつもの甘い言葉とは違うのだということだけは伝わる。 

「何を、何を言ってるんですか?」 
「全てを思い出した時、私の想いはどこに行くと思いますか?」 

 そのことは、以前にロゼッタも疑問に思ったことがあった。彼の気持ちが記憶喪失による勘違いだったとしてその「間違った感情」は記憶を取り戻した時に、どこへ行くのだろうかと。 

「その私は、本当に私なんでしょうか? あなたを好きでない私はもはや私ではありません」 
「それは……」 
「思い出したら、私は消える。過去の私と今の私は別の人間なんです。少なくとも感情だけは」 

 レオにはどうしても自身に魂がつながった相手がいるとは思えなかったのだ。ほかの感情だったら「ただ忘れてしまっているだけだ」と受け入れる余地があるのかもしれない。 
 けれどロゼッタに対する想いだけは、ほかの者が入り込む余地がない。ほかの誰かを愛する『レオ』はもはや彼ではない。 
 そう考えた時に、少なくとも意識だけは、元の自分とは別なのではないかと考えた。そうでなくてはならないと感じたのだ。 

「もし『伴侶』がいたとして、私はとっくにその人間を裏切っています。それでも無事でいられるのは、本当の私は眠っているからではないかと思うのです」 

 レオが消えてしまう。その突然の告白にロゼッタは呆然となる。 

「今日、私の戦いを見て、ロゼッタはどう思いましたか?」 
「……強いと思いました。とても」 
「それは、あなたの母君と比べてどうですか? 王太子は『契約の紋章』の力で内戦を終わらせたのでしょう? それほどの力がありましたか?」 

 レオは確かに強い。魔法を使っていないように見せかけるために力を制御しての戦いだったので、真の実力はわからない。 
 でも、例えばアレッシアが同じ人数の敵を相手にしたら、きっと指を一度鳴らせば終わるだろう。戦い方が違うのだから比較は難しいが、レオがアレッシアに比べて圧倒的に強いとはロゼッタには思えなかった。むしろ、派手さならアレッシアの方が上だ。 

「『契約の紋章』の力は本当にこんなものなのでしょうか? 『紋章』の力もイルミナートという人物も眠っている。私はそう思います」 
「嘘、嘘です……そんなの……そんなの、残酷です!」 

 レオが苦しそうな表情で、それでも淡々と語る。その冷静さすらロゼッタにはひどく悲しく感じて自然に涙が溢れる。 

「だから、もう少しだけ時間がほしい……」 

 都へ着いたら、本当のレオを知る人物がたくさんいるだろう。そして何より魂のつながったヴィオレッタがいる。彼女のことを思い出したら本当にレオは消えてしまうのか。その証明は誰にもできないというのに。 

「覚悟をする時間を、くれませんか?」 

 レオの言う覚悟とは自分が消えてしまうことに対する覚悟なのだ。 

「……私は、私は嫌です! 私のことを好きじゃなくなっていいから! 勘違いだった、何やってたんだろうって思っていいから! 消えるなんて言わないでっ!」 

 このままのレオでいてほしいと願うことは罪だ。彼はロゼッタのものではないのだから。彼はヴィオレッタとバレスティ国のために存在する尊い存在――――。それでも、彼女はレオがいなくなるのは嫌だった。 

「ロゼッタ……申しわけありませんでした。私の存在そのものがあなたを傷つけるものになってしまいました」 
「そうです!! ……もう遅いんです、今更そんなこと言われても……」 

 もう、ロゼッタの心の中にもレオがいるのだ。それをなかったことにはできない。彼に告げることは絶対にできないが、彼への想いはロゼッタの中で少しずつ育ってしまった。 

「少しだけ……」 
「…………?」 
「レオさんの心が消えてしまったら、きっと私の心も少しだけ消えますね」 

 ロゼッタは涙を拭い、無理に笑う。声は少し震え、拭ったそばから新しい涙が溢れるが、それでも必死に笑った。 

「今はあげません。絶対あげない! でも、もし本当にあなたがいなくなるのなら……。ほんの少しだけ、私の心を持っていってください。そうしたら、……そうしたら、寂しくないでしょう?」 

 本当は少しではない。きっと心を抉られて全てを持っていってしまうのだ。 
 レオが王太子イルミナートとは別の存在だと証明される瞬間。その瞬間に初めてロゼッタは誰に遠慮することもなく、罪の意識に苛まれることもなく、堂々と彼を想うことが許される。彼を想うことはロゼッタに何ももたらさない。ただ奪われるだけの未来だと知っても、それでも勝手に湧いてくる彼への想いを止めることはできない。 

「本当に、レオさんは困った方ですね……」 

 ロゼッタが一緒にいられるのはあと数日。それならせめて彼にはできるだけ笑顔を向けていようと彼女は決心する。消えたあとの彼は思い出すら残らないのかもしれない。そうであれば余計に今を大切にしなければ……、彼女はそう思ったのだ。 


*** 


 ロゼッタは夜明け前に再び目を覚ました。夕方から寝てしまったため、それも当然のことかもしれない。隣のベッドに目をやると、いつもは静かに寝息を立てるだけのレオが酷くうなされている。 

 ロゼッタはそっとベッドから這い出て彼のそばに近寄る。 
 窓から差し込む月明かりだけでは、何も見えない。ランタンの明かりを灯すのは面倒だと思い、彼女は身につけている腕輪に触れる。 
 昼間の治療で使わなかった最後の水晶に指で触れ、瞳と同じその石をしっかりと『視る』。少しずつ石が輝きだし、青白い光を放つようになった。腕輪を外し、それを二つのベッドの間にある台の上に置く。 そうしてから、せめて彼の汗をぬぐってやろうと、ハンカチを持った手を彼の額へと伸ばした。

「くっ……ッタ……」 
「!?」 

 レオはもがくように腕を伸ばし、額に伸ばされたロゼッタの腕をつかんだ。 

「レ、レオさん……?」 
「……ッ……、ェ、ッタ」 

 うなされながら呼んでいるのは、ヴィオレッタの名前だろうか、それともロゼッタの名前だろうか。自分の名前であってほしい……もしかしたら、本心ではそう願っているのではないかと思い、ロゼッタは自身のことをまた嫌悪する。 


「……ロゼッタ……」 


 レオが呼んでいるのはロゼッタの名だった。今、ロゼッタの目の前で苦しんでいるのは記憶を失くした、ただのレオという青年。何もかも忘れた状態というものが、どれほど辛く寂しいものなのかロゼッタには知ることができない。知らないのに何度も突き放し、冷たい言葉を浴びせた。 

「レオさん……。大丈夫ですよ……きっと、大丈夫ですから」 

 覚悟する時間がほしいと言った彼に、どうか時間を与えて欲しい。それを誰に祈ればいいのかわからなくて、ロゼッタはただ「大丈夫」だと言い続けた。彼のためではない。ロゼッタ自信にも覚悟が必要なのだ。そのための時間が欲しかった。 

「…………ロゼッタ? なぜ泣いて……?」 

 目を開けたレオは最初にロゼッタの名を呼ぶ。彼女はその言葉に安堵した。 
 レオはしばらくロゼッタの顔をぼうっと見つめていた。そして自分の手が彼女の細い腕を強くつかんでいることに気がついて慌てて離す。その表情はひどく驚いていた。 


「レオさん……?」 


「…………」 


 レオは額を押さえ、少し伸びた茶色の髪をかきあげた。あらわになった瞳はいつもと変わらぬ空色。ロゼッタが優しい色だと感じていたその瞳が、どこか冷たい。 

「……イルミナート王太子殿下?」 

 少しの沈黙の後、呼びたくない名前をロゼッタは口にした。 


「いいえ、違います。私の名前は……ジェラルド・レオナール・・・・・・ルベルティです」 


 ロゼッタのよく知っているはずの声、よく知っているはずの顔。けれど見たことない無機質な表情の青年は、そう名乗った。 
 それは王太子行方不明事件の重要参考人にして、ルベルティ家の跡取り――――つまりは、ロゼッタの義理の従兄いとこの名前だった。
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