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想いが繋ぐ愛の紋章6(最終話)
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王太子夫妻との話を終えた二人は、城の庭園を見学してから屋敷へ戻ることにした。
冬の時期は花々が咲き誇るというわけではないが、噴水を中心とした庭園は美しく、登城を許された人々で賑わっていた。
レオ自身は気にしていないようだが、近衛騎士の隊服を纏ったレオはとても目立っている。
「嘘、ジェラルド様が!?」
「そうなんですって……お相手は……魔女の……?」
「まぁ、信じられませんわ!」
城勤めの女性たちが、ちらりと二人の方を見ながら、お世辞にも小さいとは言えない声で会話をしている。明らかにレオの婚約について話しているのだとわかる。
「あの、もしかして……レオさんって女性にモテますか?」
「さぁ? まったく興味がないもので……。普通だと思いますよ、私は面白みに欠ける人間ですから」
そんな会話をしている最中にも、どこぞの令嬢がレオの姿を見て頬を染めた後、彼にエスコートされているロゼッタの存在に眉をつり上げた。
(絶対、嘘だ!)
嘘、というより無自覚なのだろう。近衛騎士でルベルティ家の跡取り、独身で真面目な長身の美青年……モテないはずがない。
そもそもこの国で近衛騎士となるには家柄、剣術の腕前、そして魔法の才能という三つが揃っていなければならないのだから、それだけで異性にモテるに決まっていた。
庭園の中程まで進むと、遠くでレオと同じような青い服の青年たちが集まり、なにやら困った様子で話し込んでいる。
その様子を見たレオは適当なベンチにロゼッタを座らせた。
「少し、同僚と話をしてきますので、あなたはここにいて下さい」
「はい……」
レオがロゼッタの元を離れ、同僚の元へ向かう。ロゼッタをここで待たせたということは仕事の話なのだろう。
彼女はベンチから美しい噴水や冬の小さな草花を眺め、レオを待つ。
「……本当にあまり似ていませんのね?」
「だって半分は『十六家』の血筋ではないのでしょう?」
明らかにロゼッタに聞こえる声で彼女の噂をしているのは、美しいドレスの上から揃いのローブを纏った数人の女性たちだ。服装から城に務める魔法使いなのだとわかる。
「おやめなさい。ジェラルド様は王太子妃殿下とご婚約されていたのよ? その代替品だなんて、かわいそうな方だと思わないの?」
「ふふっ……そうですわね。比べたら、お可哀そうですわね、本当に」
これはいわゆる嫌みというやつだ。それもとてもわかりやすい類の。
イルミナートの言ったとおり、ロゼッタという存在は都では異質で蔑みの対象になるのだ。これからロゼッタが生きていく世界は、嫉妬と蔑みにまみれた世界なのだと否応なしに自覚させられる。
(代替品……? 違う。私は、ヴィオレッタ様の代わりじゃない。レオさんは私だからって、そう言ったもの……)
ロゼッタにとってはレオがくれた言葉だけが真実だ。何も知らない人から言われた言葉など気にするべきではない。それなのに、なぜ簡単に人の言葉で心が乱されるのだろう。
(きっと皆、同じだったはず)
レオだって、おそらく分家の人間であることでいろいろと言われたはずだし、アレッシアやヴィオレッタも女性で近衛騎士になったことで、あれこれと言われたに決まっている。皆それを乗り越えて実力で今の立場を手に入れたのだ。
ロゼッタだけが辛い思いをするわけではない。むしろ、今まで両親に守られて、これからも両親とレオに支えてもらえる彼女は、とても恵まれている。
頭ではそうだとわかっているのに、もやもやする気持ちを吹き飛ばすことができない。
「ロゼッタ? すみません、お待たせしました。同僚に紹介したいので、一緒に来ていただけますか?」
「はい……」
ドレスのスカートをきつく握りしめていたロゼッタはレオが戻ってきたことにも気がつかなかった。これでは駄目だと感じた彼女は、無理矢理笑って、レオの手を取った。
***
ルベルティ家に戻ったロゼッタは、落ち込んだ気分をレオや両親に悟られないように気をつけながら夕飯を済ませ、疲れたと言って早々に部屋に引きこもった。
少し早い時間だったが、本を読んでも気が紛れず、早々に寝てしまおうとベッドに潜り込む。
ロゼッタは毛布に包まり左手にある『紋章』に、対の手で触れる。城でヴィオレッタの話を聞くまでは全く気にならなかったそれが、少しだけ痛むような気がしたのだ。
庭園で言われた「代替品」という言葉がレオの本心だとはこれっぽっちも思っていない。他人から言われた言葉で不安になることそのものが間違っていると頭ではわかっているのに、どうしてもあの会話を頭から消し去ることができない。
そんなことで不安になるのはレオに対して不誠実だと落ち込み、罪悪感で紋章が痛む。おそらくロゼッタが感じている痛みは気のせいなのだろう。レオへの想いは揺らいでいないし、疑ってもいないのだから。
「ロゼッタ? 話があります。……入りますよ」
「きょ、今日はもう寝ているので駄目です!」
数回のノックのあと、部屋の外からレオが呼びかける。入ってきてほしくないロゼッタは焦って元気よく返事をしてしまう。
「……入ります」
ロゼッタがまだ起きていることを知ったレオは問答無用で扉を開けて部屋へと立ち入る。
毛布に包まったままのロゼッタは慌てて体を起こし、ベッドに座ったままレオを出迎えることになってしまった。
「だ、だ、駄目ですよ! 母様から部屋に入れるなって言われているし、もう寝間着だから……」
「重要なことですから、問題ありません。……帰ってきてから変ですよ? 何かありましたか? 姉上から何を聞きました?」
レオは少し責めるような口調で、ロゼッタに黙秘を許さないつもりだ。
「ヴィオレッタ様からは『紋章』は本当に危険なものだから気をつけるようにと言われただけです。……あとは何も……」
「姉上でないのなら何が原因です?」
レオはベッドの脇に立ったまま、ロゼッタの左手を取り、自らの方へ引き寄せる。
「ただ疲れただけです」
「……素直に言えるまで離しません。それでもいいですか?」
彼は静かに怒っている。そして、言えるまで手を離さないというのはおそらく本当なのだ。
「……庭園で、レオさんと私のことを噂している人たちがいて、聞こえてしまって……それで……」
ロゼッタは観念してぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。代替品という言葉はさすがに言えなかったが、ヴィオレッタとかつて婚約していたこと、自分がヴィオレッタにどうしても劣等感を抱いてしまうこと、口さがない物の言葉で簡単に傷つく自身の弱さが嫌いであること。
「レオさんが私のことを大切にしてくれるって疑っているわけでもないし、昔のこと……ヴィオレッタ様のことを気にする必要なんてないこともわかっているんです」
それでも不安になる。彼の今と未来がロゼッタとともにあることなど疑いようもないのに、絶対に手に入らない彼の過去すら独占したいと考えるのはとても強欲だ。その気持ちを素直に告白しても、ロゼッタの心は少しも楽にならない。知られたことがただ恥ずかしかった。
「いっそ出会った時のように本当に私のことで頭がいっぱいになってしまえばって。そんなひどいことまで考えてしまうんです」
ロゼッタの告白を聞いたレオの表情はとても嬉しそうに――――久々に笑っていた。
「レオさん?」
「……すみません。ロゼッタが私を独占したいだなんて、考えただけでも嬉しくて。記憶が戻って、確かに私は自らが負っている義務や責任を思い出しました。でもあなたを想う気持ちは大きくなっていくだけで、少しも損なわれていません。どうしたら、それを証明できるんでしょうか? ……教えて下さい、ロゼッタ」
その言葉だけで十分なはず。けれどロゼッタはどうしても試したくなってしまった。記憶を失っていた彼と今の彼の気持ちが本当に同じなのか。どうしたら証明できるのか考えて、あることを思い出す。
「じゃあ! ひ、ひっ……ひざまずいて靴をお、お嘗め……?」
強気なのか何なのか、よくわからないロゼッタの命令に、レオは口を開いて唖然となる。
「で、できないんですか? 前のレオさんだったら、できたはずだもの!!」
ロゼッタはレオが絶対にしたくないことを命じて、ただ試したいだけだった。ロゼッタを大切だと思う気持ちが変わらなくても、『十六家』の跡取りで近衛騎士という身分や、それにともなう矜持を思い出した彼にはそんな屈辱的なことはできない。
わかっているのにあえて命じて、困らせたいだけなのだ。
彼の様子を伺うと、レオは無表情でロゼッタのことを見つめていた。もしかしたら、怒らせてしまったかもしれない。彼女はさっそく自分の言動の幼稚さを恥じ、泣きたくなった。
レオは無表情でロゼッタを包んでいた毛布を剥ぎ取り、彼女の足首に手を伸ばす。もう寝ようとしていたロゼッタは当然素足だ。
そして、ロゼッタの指示どおりにベッドのすぐ横に膝をつき、何の躊躇いもなく唇を落とす。
「そのように試すようなことをしなくても、私はロゼッタの忠実な僕ですよ?」
ロゼッタを見上げるレオの瞳は、忠実な僕のものではなく、飢えた獣のように妖しい色をはらんでいた。そして、ロゼッタは女王様の仮面をかぶった、ただの子猫だ。
「ご、ごめんなさい!」
ロゼッタが危険な獣から逃れようと足に力を込めるが、びくともしない。今まで二度、頭を踏みつけられた経験のあるレオは、しっかりと彼女の行動を予測していたのだ。三度目の屈辱はなかった。
「謝罪の必要などありません。私はあなたの命に従うただの僕です。あなたの命は『ひざまずいて足を嘗めろ』でしょう?」
軽く口づけをしただけでまだ嘗めてはいない。彼はそう言ってあくまでロゼッタの命令を完遂するつもりだ。
嘗めろと命じたのは靴であって足ではないということに、動揺した彼女は気がつかない。
今まで悩んでいたことがどうでもよくなるほど、ロゼッタの全てがレオに支配されている。
命令しているのはロゼッタで、従っているのはレオ。彼は『契約』を交わした時の約束を忠実に守ってくれている。そのはずだが、実際には真逆なのだ。
ロゼッタは彼のことをずるい人だと思った。優しい言葉と態度でロゼッタの心を縛り付け、全てを彼のものにしてしまうのだから。
「あなたが不安になるのなら、何度でも証明して差し上げます。……その代わり、いつかご褒美をいただきますので、覚悟しておいてください」
「いつかって……?」
「結婚したらです。……それまで私が我慢できるかどうかが問題ですけれど」
その言葉の意味がわからないほどロゼッタは鈍感ではない。
いよいよ本気でロゼッタの命令を実行しようとレオが彼女の足に唇を近づけた瞬間、部屋の扉が勢いよく開かれた。
「あら、餌付け中でしたの?」
ノックもせずにアレッシアとラウルが部屋へ入ってくる。とんでもない体勢を両親に見られ、ロゼッタは消えてしまいたくなった。
一方レオの方は、全く気にする様子もなく、妙に堂々としている。
「ち、違います! 食べられそうになっているところで……」
飼い犬の調教中とでも言いたげなアレッシアの言葉をロゼッタが慌てて否定する。
「……許さん」
カシャン、とラウルの腰に下げられている剣が音を鳴らす。
「ジェラルド殿。約束を違える気ですの? まだ正式な夫婦ではないのですから、寝室に忍び込むなんて許しません」
アレッシアの言葉で、レオはやっとロゼッタを離し立ち上がって深々と頭を下げる。
「申しわけございません、緊急事態でしたので。……今後はできる限り気をつけます」
素直に謝罪の言葉を口にするレオだが、本当に約束を守るかどうか本人以外の誰もが疑っていた。
騒がしくなった部屋の中で、ロゼッタは自分が一人ではないのだとひしひしと感じていた。心にあった不安はすっかりどこかに吹き飛んでしまったようだ。
レオを想う気持ちはまだ愛ではない。それでも不安定なこの気持ちを今だけは大切にしたいとロゼッタは思う。愛と恋の差がなんなのか、この先はレオと一緒に考えるのだ。
あの時、失われそうになったレオの命を繋ぎ止めたものはロゼッタの想い。『契約の紋章』がもたらしてくれた二人でともにいられる時間をロゼッタは何よりも大切にして生きていく。
(終)
冬の時期は花々が咲き誇るというわけではないが、噴水を中心とした庭園は美しく、登城を許された人々で賑わっていた。
レオ自身は気にしていないようだが、近衛騎士の隊服を纏ったレオはとても目立っている。
「嘘、ジェラルド様が!?」
「そうなんですって……お相手は……魔女の……?」
「まぁ、信じられませんわ!」
城勤めの女性たちが、ちらりと二人の方を見ながら、お世辞にも小さいとは言えない声で会話をしている。明らかにレオの婚約について話しているのだとわかる。
「あの、もしかして……レオさんって女性にモテますか?」
「さぁ? まったく興味がないもので……。普通だと思いますよ、私は面白みに欠ける人間ですから」
そんな会話をしている最中にも、どこぞの令嬢がレオの姿を見て頬を染めた後、彼にエスコートされているロゼッタの存在に眉をつり上げた。
(絶対、嘘だ!)
嘘、というより無自覚なのだろう。近衛騎士でルベルティ家の跡取り、独身で真面目な長身の美青年……モテないはずがない。
そもそもこの国で近衛騎士となるには家柄、剣術の腕前、そして魔法の才能という三つが揃っていなければならないのだから、それだけで異性にモテるに決まっていた。
庭園の中程まで進むと、遠くでレオと同じような青い服の青年たちが集まり、なにやら困った様子で話し込んでいる。
その様子を見たレオは適当なベンチにロゼッタを座らせた。
「少し、同僚と話をしてきますので、あなたはここにいて下さい」
「はい……」
レオがロゼッタの元を離れ、同僚の元へ向かう。ロゼッタをここで待たせたということは仕事の話なのだろう。
彼女はベンチから美しい噴水や冬の小さな草花を眺め、レオを待つ。
「……本当にあまり似ていませんのね?」
「だって半分は『十六家』の血筋ではないのでしょう?」
明らかにロゼッタに聞こえる声で彼女の噂をしているのは、美しいドレスの上から揃いのローブを纏った数人の女性たちだ。服装から城に務める魔法使いなのだとわかる。
「おやめなさい。ジェラルド様は王太子妃殿下とご婚約されていたのよ? その代替品だなんて、かわいそうな方だと思わないの?」
「ふふっ……そうですわね。比べたら、お可哀そうですわね、本当に」
これはいわゆる嫌みというやつだ。それもとてもわかりやすい類の。
イルミナートの言ったとおり、ロゼッタという存在は都では異質で蔑みの対象になるのだ。これからロゼッタが生きていく世界は、嫉妬と蔑みにまみれた世界なのだと否応なしに自覚させられる。
(代替品……? 違う。私は、ヴィオレッタ様の代わりじゃない。レオさんは私だからって、そう言ったもの……)
ロゼッタにとってはレオがくれた言葉だけが真実だ。何も知らない人から言われた言葉など気にするべきではない。それなのに、なぜ簡単に人の言葉で心が乱されるのだろう。
(きっと皆、同じだったはず)
レオだって、おそらく分家の人間であることでいろいろと言われたはずだし、アレッシアやヴィオレッタも女性で近衛騎士になったことで、あれこれと言われたに決まっている。皆それを乗り越えて実力で今の立場を手に入れたのだ。
ロゼッタだけが辛い思いをするわけではない。むしろ、今まで両親に守られて、これからも両親とレオに支えてもらえる彼女は、とても恵まれている。
頭ではそうだとわかっているのに、もやもやする気持ちを吹き飛ばすことができない。
「ロゼッタ? すみません、お待たせしました。同僚に紹介したいので、一緒に来ていただけますか?」
「はい……」
ドレスのスカートをきつく握りしめていたロゼッタはレオが戻ってきたことにも気がつかなかった。これでは駄目だと感じた彼女は、無理矢理笑って、レオの手を取った。
***
ルベルティ家に戻ったロゼッタは、落ち込んだ気分をレオや両親に悟られないように気をつけながら夕飯を済ませ、疲れたと言って早々に部屋に引きこもった。
少し早い時間だったが、本を読んでも気が紛れず、早々に寝てしまおうとベッドに潜り込む。
ロゼッタは毛布に包まり左手にある『紋章』に、対の手で触れる。城でヴィオレッタの話を聞くまでは全く気にならなかったそれが、少しだけ痛むような気がしたのだ。
庭園で言われた「代替品」という言葉がレオの本心だとはこれっぽっちも思っていない。他人から言われた言葉で不安になることそのものが間違っていると頭ではわかっているのに、どうしてもあの会話を頭から消し去ることができない。
そんなことで不安になるのはレオに対して不誠実だと落ち込み、罪悪感で紋章が痛む。おそらくロゼッタが感じている痛みは気のせいなのだろう。レオへの想いは揺らいでいないし、疑ってもいないのだから。
「ロゼッタ? 話があります。……入りますよ」
「きょ、今日はもう寝ているので駄目です!」
数回のノックのあと、部屋の外からレオが呼びかける。入ってきてほしくないロゼッタは焦って元気よく返事をしてしまう。
「……入ります」
ロゼッタがまだ起きていることを知ったレオは問答無用で扉を開けて部屋へと立ち入る。
毛布に包まったままのロゼッタは慌てて体を起こし、ベッドに座ったままレオを出迎えることになってしまった。
「だ、だ、駄目ですよ! 母様から部屋に入れるなって言われているし、もう寝間着だから……」
「重要なことですから、問題ありません。……帰ってきてから変ですよ? 何かありましたか? 姉上から何を聞きました?」
レオは少し責めるような口調で、ロゼッタに黙秘を許さないつもりだ。
「ヴィオレッタ様からは『紋章』は本当に危険なものだから気をつけるようにと言われただけです。……あとは何も……」
「姉上でないのなら何が原因です?」
レオはベッドの脇に立ったまま、ロゼッタの左手を取り、自らの方へ引き寄せる。
「ただ疲れただけです」
「……素直に言えるまで離しません。それでもいいですか?」
彼は静かに怒っている。そして、言えるまで手を離さないというのはおそらく本当なのだ。
「……庭園で、レオさんと私のことを噂している人たちがいて、聞こえてしまって……それで……」
ロゼッタは観念してぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。代替品という言葉はさすがに言えなかったが、ヴィオレッタとかつて婚約していたこと、自分がヴィオレッタにどうしても劣等感を抱いてしまうこと、口さがない物の言葉で簡単に傷つく自身の弱さが嫌いであること。
「レオさんが私のことを大切にしてくれるって疑っているわけでもないし、昔のこと……ヴィオレッタ様のことを気にする必要なんてないこともわかっているんです」
それでも不安になる。彼の今と未来がロゼッタとともにあることなど疑いようもないのに、絶対に手に入らない彼の過去すら独占したいと考えるのはとても強欲だ。その気持ちを素直に告白しても、ロゼッタの心は少しも楽にならない。知られたことがただ恥ずかしかった。
「いっそ出会った時のように本当に私のことで頭がいっぱいになってしまえばって。そんなひどいことまで考えてしまうんです」
ロゼッタの告白を聞いたレオの表情はとても嬉しそうに――――久々に笑っていた。
「レオさん?」
「……すみません。ロゼッタが私を独占したいだなんて、考えただけでも嬉しくて。記憶が戻って、確かに私は自らが負っている義務や責任を思い出しました。でもあなたを想う気持ちは大きくなっていくだけで、少しも損なわれていません。どうしたら、それを証明できるんでしょうか? ……教えて下さい、ロゼッタ」
その言葉だけで十分なはず。けれどロゼッタはどうしても試したくなってしまった。記憶を失っていた彼と今の彼の気持ちが本当に同じなのか。どうしたら証明できるのか考えて、あることを思い出す。
「じゃあ! ひ、ひっ……ひざまずいて靴をお、お嘗め……?」
強気なのか何なのか、よくわからないロゼッタの命令に、レオは口を開いて唖然となる。
「で、できないんですか? 前のレオさんだったら、できたはずだもの!!」
ロゼッタはレオが絶対にしたくないことを命じて、ただ試したいだけだった。ロゼッタを大切だと思う気持ちが変わらなくても、『十六家』の跡取りで近衛騎士という身分や、それにともなう矜持を思い出した彼にはそんな屈辱的なことはできない。
わかっているのにあえて命じて、困らせたいだけなのだ。
彼の様子を伺うと、レオは無表情でロゼッタのことを見つめていた。もしかしたら、怒らせてしまったかもしれない。彼女はさっそく自分の言動の幼稚さを恥じ、泣きたくなった。
レオは無表情でロゼッタを包んでいた毛布を剥ぎ取り、彼女の足首に手を伸ばす。もう寝ようとしていたロゼッタは当然素足だ。
そして、ロゼッタの指示どおりにベッドのすぐ横に膝をつき、何の躊躇いもなく唇を落とす。
「そのように試すようなことをしなくても、私はロゼッタの忠実な僕ですよ?」
ロゼッタを見上げるレオの瞳は、忠実な僕のものではなく、飢えた獣のように妖しい色をはらんでいた。そして、ロゼッタは女王様の仮面をかぶった、ただの子猫だ。
「ご、ごめんなさい!」
ロゼッタが危険な獣から逃れようと足に力を込めるが、びくともしない。今まで二度、頭を踏みつけられた経験のあるレオは、しっかりと彼女の行動を予測していたのだ。三度目の屈辱はなかった。
「謝罪の必要などありません。私はあなたの命に従うただの僕です。あなたの命は『ひざまずいて足を嘗めろ』でしょう?」
軽く口づけをしただけでまだ嘗めてはいない。彼はそう言ってあくまでロゼッタの命令を完遂するつもりだ。
嘗めろと命じたのは靴であって足ではないということに、動揺した彼女は気がつかない。
今まで悩んでいたことがどうでもよくなるほど、ロゼッタの全てがレオに支配されている。
命令しているのはロゼッタで、従っているのはレオ。彼は『契約』を交わした時の約束を忠実に守ってくれている。そのはずだが、実際には真逆なのだ。
ロゼッタは彼のことをずるい人だと思った。優しい言葉と態度でロゼッタの心を縛り付け、全てを彼のものにしてしまうのだから。
「あなたが不安になるのなら、何度でも証明して差し上げます。……その代わり、いつかご褒美をいただきますので、覚悟しておいてください」
「いつかって……?」
「結婚したらです。……それまで私が我慢できるかどうかが問題ですけれど」
その言葉の意味がわからないほどロゼッタは鈍感ではない。
いよいよ本気でロゼッタの命令を実行しようとレオが彼女の足に唇を近づけた瞬間、部屋の扉が勢いよく開かれた。
「あら、餌付け中でしたの?」
ノックもせずにアレッシアとラウルが部屋へ入ってくる。とんでもない体勢を両親に見られ、ロゼッタは消えてしまいたくなった。
一方レオの方は、全く気にする様子もなく、妙に堂々としている。
「ち、違います! 食べられそうになっているところで……」
飼い犬の調教中とでも言いたげなアレッシアの言葉をロゼッタが慌てて否定する。
「……許さん」
カシャン、とラウルの腰に下げられている剣が音を鳴らす。
「ジェラルド殿。約束を違える気ですの? まだ正式な夫婦ではないのですから、寝室に忍び込むなんて許しません」
アレッシアの言葉で、レオはやっとロゼッタを離し立ち上がって深々と頭を下げる。
「申しわけございません、緊急事態でしたので。……今後はできる限り気をつけます」
素直に謝罪の言葉を口にするレオだが、本当に約束を守るかどうか本人以外の誰もが疑っていた。
騒がしくなった部屋の中で、ロゼッタは自分が一人ではないのだとひしひしと感じていた。心にあった不安はすっかりどこかに吹き飛んでしまったようだ。
レオを想う気持ちはまだ愛ではない。それでも不安定なこの気持ちを今だけは大切にしたいとロゼッタは思う。愛と恋の差がなんなのか、この先はレオと一緒に考えるのだ。
あの時、失われそうになったレオの命を繋ぎ止めたものはロゼッタの想い。『契約の紋章』がもたらしてくれた二人でともにいられる時間をロゼッタは何よりも大切にして生きていく。
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