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半袖、って、言わなきゃいけなった。
コーチ一日目、ヒスイは経験不足を痛感する。
家を出るときの気温に合わせ、チヅルは長袖を着てきた。
「チヅルくん」
いつものようにおもちを撫でて、弟子として白玉男子を紹介した。
ヒスイはそれからおそるおそる尋ねる。
「半袖とハーフパンツ、持ってない?」
「持ってる」
「明日からそれでこよう」
ゆっくり走り出しながらヒスイは言った。
「12月でも半袖でいいくらいだよ」
橋から橋までの距離は800m程度。
一気に走って大丈夫だろう。
ヒスイはリズムよく走っていった。
さあ、橋を渡るよ、と言いかけて、ヒスイはぎょっと後ろを見る。
チヅルはまだ100mくらい後ろで、しかも足を引きずっていた。
怪我したのではなさそう。
単に重くて腿が上がらなくなったみたいだ。
「かわいいなあ」
呆気に取られて呟く。
一生懸命走る子供に見えた。
「息してー。チヅルくーん」
橋を渡り始めながら声をかける。
チヅルは口で呼吸しすぎて喉がカラカラになっていた。
走っているとは言えない速度で進む。
「走るって意識が大事ー。腿あげてー」
ヒスイは動物のように軽々と、跳ねるみたいに走っていた。
「…かっこいい。ひーさん」
最後の橋の個所はまるまる歩いてしまう。
なのに息はあがったままで、どうにも苦しかった。
「これからこれから。
一日目なんだから、走り切れなくて当然だよ。
じゃあまた後で」
ヒスイはチヅルのゴールを見届けると素早く帰路についた。
父にいってらっしゃいをしていない。
2日連続は悲しい。
「お父さん行っちゃったー?」
家に帰ってすぐ中に声をかける。
ヒスイの父はバス通勤だ。
橋の方は通らない。
「今出ちゃったよ」
残念そうな母が出迎えてくれた。
ヒスイも残念そうに呻くと、まっすぐシャワーに向かう。
「チヅルくんどうだった?」
洗面所の外から母が聞いた。
「何とか1周回った。これから勉強行ってくる」
ドライヤーを目いっぱい近づけて髪を乾かす。
制服の下に体操服を穿いて、勉強道具を鞄に詰めた。
「いってきまーす」
7時より5分前、ヒスイは自転車を出発させる。
橋の向こうへ渡り、チヅルの家の大きな窓から書道教室に入った。
チヅル先生は疲れた顔をしていた。
めっちゃ下向いてる。
「初日はきついから。
今日は学校終わったら早めに休んだら」
そう言って慰めるのが精いっぱいの生徒ヒスイ。
あらかじめ言われていた国語の宿題をチヅルに見せた。
昨日出されたのは漢字練習である。
一応チヅルに見せるから丁寧に書いたつもりだった。
しかしチヅルは押さえなければいけないポイントを指摘する。
「角が丸いね。鉛筆で書くとたしかにただの線なんだけど」
字を前にして、チヅルの瞳は急に真摯になった。
「筆で書くと分かりやすいの。
角は絶対に丸くならない」
筆ペンで、紙に漢字を書いて見せる。
きれいな漢字が出来上がった。
「この、斜めに見える方の線は、筆の方向を変えた時の跡なの。
だから鉛筆で書く時も方向を変えるって意識して書いてみてね。
あと、ゆっくり」
ぬぬぬ、とか言いながらヒスイは漢字を書く。
人の筆ペンなのに遠慮なく力を入れた。
ぎ、ぎ、と変な音がしたのでチヅルに「そんなに力要らない」と言われる。
方向、方向、と唱えた。
「チヅルくん、習字書くのすんごい早かったよね。
いつも一番最初に筆洗いに行く」
授業の様子を思い出してヒスイは聞いてみる。
「みんなに言われない? 習字教えてって」
「言われる」
チヅルはヒスイの筆跡を眺めながら答えた。
「でも、習字は絵とかと一緒だから。
本人の感性っていうか、そういうの邪魔しちゃいけないと思ってて。
あんまりアドバイスはしないかも」
「チヅルくんはアーティストかぁ。いいね」
毎年書初め大会でバシッと賞を取ってくる、アーティスト。
自分も言えたらかっこいいな。
ヒスイは思った。
この大会では必ず入賞してくる。
バシッと言ってみたい。
こんなにまじめに漢字を見たことないっていうくらい丁寧に書く。
小学生の時に、ちゃんとやらなかったんだっけ、とヒスイは思った。
とめとかはらいとか、漢字の基本をおさらいするだけで時間がかかる。
30分じゃ足りなかった。
最後にチヅルがスマホを指した。
「文章をまとめる練習で、今日のできごとを20字で日記にするの。
毎日決めた時間に。
それがこれから3か月の基本の宿題」
まだ声変わりしていないかわいい声なのに、内容が過酷。
真っ白になったヒスイに、チヅルは何か送った。
『今日初めて3㎞も走れた。すごく嬉しかった』
「これで20字だよ」
文字の内容とチヅルの顔に、ヒスイは尊いものを見ているような気分になる。
「分かりました。
チヅル先生、ありがとうございます」
チヅルに礼をして、顔を見せた将…、立上さんに挨拶した。
ヒスイはそのまま学校へ向かう。
その日の漢字小テストで、チヅルは10点中7点とれた。
いつもは字が雑という理由で4点取れるかどうか。
初めて気づいた。
テスト時間は余しても何の意味もない。
いつもひとりタイムトライアルして2分で書いた。
終わったらぼーっと考え事をしていたヒスイ。
チヅルに言われたことを思い出しながら、10分いっぱい使う。
それは新鮮な気分だった。
『小テストで初めて時間いっぱい使って解いた』
本日の日記はこれに決まり。
コーチ一日目、ヒスイは経験不足を痛感する。
家を出るときの気温に合わせ、チヅルは長袖を着てきた。
「チヅルくん」
いつものようにおもちを撫でて、弟子として白玉男子を紹介した。
ヒスイはそれからおそるおそる尋ねる。
「半袖とハーフパンツ、持ってない?」
「持ってる」
「明日からそれでこよう」
ゆっくり走り出しながらヒスイは言った。
「12月でも半袖でいいくらいだよ」
橋から橋までの距離は800m程度。
一気に走って大丈夫だろう。
ヒスイはリズムよく走っていった。
さあ、橋を渡るよ、と言いかけて、ヒスイはぎょっと後ろを見る。
チヅルはまだ100mくらい後ろで、しかも足を引きずっていた。
怪我したのではなさそう。
単に重くて腿が上がらなくなったみたいだ。
「かわいいなあ」
呆気に取られて呟く。
一生懸命走る子供に見えた。
「息してー。チヅルくーん」
橋を渡り始めながら声をかける。
チヅルは口で呼吸しすぎて喉がカラカラになっていた。
走っているとは言えない速度で進む。
「走るって意識が大事ー。腿あげてー」
ヒスイは動物のように軽々と、跳ねるみたいに走っていた。
「…かっこいい。ひーさん」
最後の橋の個所はまるまる歩いてしまう。
なのに息はあがったままで、どうにも苦しかった。
「これからこれから。
一日目なんだから、走り切れなくて当然だよ。
じゃあまた後で」
ヒスイはチヅルのゴールを見届けると素早く帰路についた。
父にいってらっしゃいをしていない。
2日連続は悲しい。
「お父さん行っちゃったー?」
家に帰ってすぐ中に声をかける。
ヒスイの父はバス通勤だ。
橋の方は通らない。
「今出ちゃったよ」
残念そうな母が出迎えてくれた。
ヒスイも残念そうに呻くと、まっすぐシャワーに向かう。
「チヅルくんどうだった?」
洗面所の外から母が聞いた。
「何とか1周回った。これから勉強行ってくる」
ドライヤーを目いっぱい近づけて髪を乾かす。
制服の下に体操服を穿いて、勉強道具を鞄に詰めた。
「いってきまーす」
7時より5分前、ヒスイは自転車を出発させる。
橋の向こうへ渡り、チヅルの家の大きな窓から書道教室に入った。
チヅル先生は疲れた顔をしていた。
めっちゃ下向いてる。
「初日はきついから。
今日は学校終わったら早めに休んだら」
そう言って慰めるのが精いっぱいの生徒ヒスイ。
あらかじめ言われていた国語の宿題をチヅルに見せた。
昨日出されたのは漢字練習である。
一応チヅルに見せるから丁寧に書いたつもりだった。
しかしチヅルは押さえなければいけないポイントを指摘する。
「角が丸いね。鉛筆で書くとたしかにただの線なんだけど」
字を前にして、チヅルの瞳は急に真摯になった。
「筆で書くと分かりやすいの。
角は絶対に丸くならない」
筆ペンで、紙に漢字を書いて見せる。
きれいな漢字が出来上がった。
「この、斜めに見える方の線は、筆の方向を変えた時の跡なの。
だから鉛筆で書く時も方向を変えるって意識して書いてみてね。
あと、ゆっくり」
ぬぬぬ、とか言いながらヒスイは漢字を書く。
人の筆ペンなのに遠慮なく力を入れた。
ぎ、ぎ、と変な音がしたのでチヅルに「そんなに力要らない」と言われる。
方向、方向、と唱えた。
「チヅルくん、習字書くのすんごい早かったよね。
いつも一番最初に筆洗いに行く」
授業の様子を思い出してヒスイは聞いてみる。
「みんなに言われない? 習字教えてって」
「言われる」
チヅルはヒスイの筆跡を眺めながら答えた。
「でも、習字は絵とかと一緒だから。
本人の感性っていうか、そういうの邪魔しちゃいけないと思ってて。
あんまりアドバイスはしないかも」
「チヅルくんはアーティストかぁ。いいね」
毎年書初め大会でバシッと賞を取ってくる、アーティスト。
自分も言えたらかっこいいな。
ヒスイは思った。
この大会では必ず入賞してくる。
バシッと言ってみたい。
こんなにまじめに漢字を見たことないっていうくらい丁寧に書く。
小学生の時に、ちゃんとやらなかったんだっけ、とヒスイは思った。
とめとかはらいとか、漢字の基本をおさらいするだけで時間がかかる。
30分じゃ足りなかった。
最後にチヅルがスマホを指した。
「文章をまとめる練習で、今日のできごとを20字で日記にするの。
毎日決めた時間に。
それがこれから3か月の基本の宿題」
まだ声変わりしていないかわいい声なのに、内容が過酷。
真っ白になったヒスイに、チヅルは何か送った。
『今日初めて3㎞も走れた。すごく嬉しかった』
「これで20字だよ」
文字の内容とチヅルの顔に、ヒスイは尊いものを見ているような気分になる。
「分かりました。
チヅル先生、ありがとうございます」
チヅルに礼をして、顔を見せた将…、立上さんに挨拶した。
ヒスイはそのまま学校へ向かう。
その日の漢字小テストで、チヅルは10点中7点とれた。
いつもは字が雑という理由で4点取れるかどうか。
初めて気づいた。
テスト時間は余しても何の意味もない。
いつもひとりタイムトライアルして2分で書いた。
終わったらぼーっと考え事をしていたヒスイ。
チヅルに言われたことを思い出しながら、10分いっぱい使う。
それは新鮮な気分だった。
『小テストで初めて時間いっぱい使って解いた』
本日の日記はこれに決まり。
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