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覚悟の重さ 【1】
しおりを挟む――風が、流れてゆく。閑かに。寂々と。
上空を見上げれば夜色の雲が風に流れゆき、照り映える月影を今にも覆い隠そうとしている。
「シュギル様」
数多の星々が降る空から、木々の葉ずれの音だけが響く林道に視線を戻した時、私を呼ぶロキの声が届いてきた。
硬い声色のそれに、何の応えもせずに立ち止まり顔を向ければ、声よりももっと硬い表情がこちらを真っ直ぐに見ていた。
松明に照らされた怜悧な印象の灰色の瞳には、たぎるような強い光が浮かんでいる。
「本気、なのですね」
たったひと言。低く紡がれた言葉は、問いかけではなかった。
「あぁ」
だから、私もひと言。肯定だけを口にする。
「全てを、お捨てになられるおつもりなのですね」
続く、溜め息のように掠れた乾いた声。これには、何も返さなかった。やるべきことが山ほどあるのだ。
覡として神殿に入る。
そのためには、王位継承権を捨てねばならぬ。
「ロキ、これを神殿へ」
「かしこまりました。ザライア様宛てということで、上級神官のレイド殿へお渡しすればよろしいのですね」
――翌朝。粘土板にしたためた書状を渡すと、何も言わずとも当然のように宛先を口にし、確認したロキが執務室を出ていった。
この後、手渡した粘土板を更に粘土板で包み込んで焼き、部外者が勝手に開封できぬよう封印の印章を施すまでが、側近としてのロキの仕事だからだ。王位継承権第一位、つまり王太子の身分を表す私専用の印章は、ロキが厳重に保管している。
そして、代々の王太子に受け継がれている竜頭の装飾を施した三日月刀、さらにギルトゥカス英雄王伝来の宝剣も私の所有物であるが、その管理もロキの仕事だ。
だが、私が王位継承権を放棄すれば、三日月刀はカルスへと渡り、ギルトゥカス英雄王の宝剣は父上のもとへ戻ることになるだろう。
その日は近い。
が、私は父上の気性を知り尽くしている。
独善的で傲慢な気性の、かの御方のことだ。本来は御自分が所有すべきギルトゥカス英雄王の宝剣をわざわざ下げ渡して国軍の最高司令官に任じた私を、簡単にその任から外すとは考えにくい。
真正面から継承権放棄の意志を申し出ても、何を馬鹿なことをと一蹴されるか、言葉もなく無視されるかのどちらかであろう。
こうなってみれば、国の英雄と祭り上げられるような実績ばかり残してきてしまったことが悔やまれるな。一度くらい負け戦をしておけば良かったのではないだろうか。そうすれば、父上もあっさりと……。
「……ふっ」
詮無いことを考えてしまった。
私はちゃんとわかっているのに。自らが行くべき道筋と、そのために必要な、たったひとつの選択を。
それを行えば、父上が何と言おうとも、私の王位継承権放棄は成立するのだから。
我が国の王位継承権は、五体満足の者のみに与えられる。これは、ギルトゥカス英雄王の建国からずっと変わらない、王家の決まり事だ。
なれば、私が王位を捨て、神殿に覡として入る選択を実現するには、我が身の一部を損なえば良い。
そのための秘薬が、神殿にある。
古から伝わる秘薬――――『聖水』。
武を尊ぶ我が国の王族には、自傷行為が認められていない。
が、王位を捨てたい王族も時には現れる。そんな時のために、古来より伝えられている物だ。
ザライア宛てに送った書状には、聖水と呼ばれているその秘薬を所望したいと、したためた。虹色の水と伝えられているそれを飲み干せば、身体のどこか一部の機能が完全に失われるという。
虹色というだけあって、その薬の効果は千差万別。飲む者によって、効果が表れる部位が違うらしい。
或る者は利き手の自由を失い、或る者は声を失い、また或る者は歩行することが出来なくなったと伝え聞く。
私にどのような効果が出るのかは、飲んでみなければわからない。一種の賭けのようなものだ。
――ルリーシェ。君は、私のこの決意を知ったら、どう思うだろう。君の人生を変えてしまった私の、ただの贖罪だと思うだろうか。
それでも構わない。事実、ただの自己満足だ。
君の未来を守るため。古から伝わる秘薬を飲み、君とともに生きる未来を得よう。
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