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Sweet, more sweet -side Kanato-

Seaside lovers #3

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「花火っ、花火ぃー。たっのっしみぃーっ」

 日没直後。開け放った窓から届く波音に重なり響くのは、俺の好きな声。

「ご機嫌だな。そんなに楽しみか?」

「うん、もちろん!」

 寸前まで海面を燃やしていた夕陽さながらの、とことん明るい笑顔つきの朗らかな声だ。

 皆で食ったバーベキューの後片づけを済ませたキッチンで、隣に並んだソイツが向けてきた全開の笑顔。それは、もうすぐ始まる花火大会への期待でキラキラと輝いている。

「ふっ、俺もだ」

 眩しい明朗さに引っ張られ、俺の口元も自然と緩んでいく。

 表情が硬いとよく言われる俺だが、コイツといると気分は浮き立つし、にこやかまではいかないが勝手に口元がほころんでいくんだ。

「お前、浴衣持ってきたか?」

「うん。それも、もちろん! 俺、あの浴衣を着るの、すっげぇ楽しみにしてたよ?」

 武田の笑顔がさらに輝きを増した。俺が、揃いで作ろうと誘い、一緒に生地を選んで同じ柄の色違いで仕立てた浴衣のことを思い浮かべたんだろう。

 花火大会も楽しみだが、俺と揃いの浴衣を着るのもとても嬉しいんだと、ニカッと輝いた笑みが教えてくれている。

 可愛い。可愛い。

 俺と同じ気持ちを即答で返してくれる恋人に、甘くむず痒い感覚が胸いっぱいに広がっていく。可愛すぎて、感情の収拾がつかない。

「お前、何だ、それ。誘ってるのか?」

「へっ? ……んにゃっ?」

 波立てられた感情のまま、さっきからずっと気になっていた〝あるモノ〟へと、唇を寄せていくことにした。

 突然の俺の行動に目を丸くした相手の上唇に、カリッと歯を立ててやったんだ。

「気をつけろ。こんなところにパイの欠片をつけてたら、誰だって『舐めてください』って誘われてる気になるぞ」

 いつ、指摘しようかと思っていた。

 バーベキューのシメに、一色がオーブン鍋で作ったアップルパイ。その皮の欠片を上唇にちょんとつけたままの恋人に、注意してやらなければと。

 そう思いつつ、俺自身がずっと誘われ、そそられていたわけで。指摘ついでにパイの皮に歯を当て、こそげ取るようにカリッとすることで、その場所を教えてやることにした。

 仕上げにペロリと舐めておいたのは、単なる置き土産だ。

 今から少し厳しい説教をしてしまうから、それと引き換えのようなものか。

「しかも、そんな無防備な可愛らしい笑み、プラス、間抜けなパイ唇のコラボなんて見せつけてきて。お前、どういうつもりだ? それを見たその他大勢の男どもが、こぞってお前によろめいたりしたら、どうする。もっと自覚を持て。馬鹿」

 ずっと心にあったモヤモヤとイライラをたたみかけるような早口で言い放つと、丸く見開いていた相手の目がさらにまん丸くなった。

 何を驚いてる。全く、どこまでも無自覚か。自分が人を惹きつけてやまない魅力を有していると、どうして気づかないんだ。

 お前が、誰も彼もに開けっぴろげに接し、お日様のように無垢な笑みを惜しげもなく披露しているその陰で、俺がどれだけヤキモキしているか。想像すらしてないって顔だな。

 先輩方からは可愛がられ、後輩からは慕われ、同級生たちからは、居ないと寂しいと言われる人気者。地味で冴えない俺とは真逆の、眩しい存在。

 その恋人の周囲に寄ってくるヤツらに俺がどれほどの嫉妬心を抱いているか、何も気づいていない。

 けど、今はいい。そんなことは説明不要だ。

「……んっ……これから、気をつける。ごめ……っぁ」

 反論ありありな顔つきをしていたくせに俺が仕掛けたキスに応え、独占欲を受け入れる言葉をくれた。それでいい。

「そうしてくれ。気が気じゃない」

 そんな可愛い恋人の腰を抱いてキスを繰り返すほうを俺は選ぶ。唇を離さずに、二階へといざなう。

 常に皆の人気者のお前だけど、今から朝までは『俺だけの慎吾』になってもらう時間だ。

「はっ……土岐ぃ」

 この腕に閉じ込め、こんな風に俺の名だけを呼ばせて、ずっと離さない。





「浴衣、出せ。着せてやる」

「うん」

 二階のゲストルームまで戻ってから、ようやく唇を離す。名残惜しいが、花火大会のための支度が先だ。

「ふっふーんっ。浴衣に、帯にぃ。あと、下駄ー。ほい、全部持ってきたよー」

 溌剌とした動きでバッグから浴衣一式を取り出している横顔が、とても可愛い。全開の明るい笑顔なのに、さっきのキスの名残がそこに見えるからだ。

 あどけない笑みを形作っている唇が、ぷるんっと艶めいて俺を再び誘っている。

 が、さすがにこの段階でがっつくわけにはいかないから、武田に背を向けて自分のバッグに手を伸ばした。俺も身支度しなければ。

「……はっ! おおおお、思い出したっ!」

 ん?

「何だ? 何を思い出したって?」

 突然、背後であがった大声に振り向けば。

「なっ、なんでもねぇ! 大丈夫っ」

 もう着替えるつもりだったんだろう、Tシャツを脱ぎ捨ててハーフパンツのみのスタイルになった武田が、両手を顔の前で交差させながら首を振っている。

「本当か?」

 何もない、ようには見えないが。

「あっ、あの! 俺ってば、勢いよくズバッと脱いだものの、自分じゃ浴衣着られねぇこと、思い出したっつーか……うん、そう! そのこと思い出したんだよ。だから土岐。浴衣、着せてくんね?」

「……わかった。なら、ハーフパンツも脱げ」

 今、冷静に答えられた自分を褒めてやろう。

 キスの名残で、わずかに紅潮した頬。潤んだ瞳。ふにゃっと笑み崩れた、やや垂れ目の端整な容貌。晒された、日焼けした半裸。どれもこれもが俺のツボを刺激してくるのを、理性を総動員して堪えたのだから。

 俺があてがう浴衣に照れながら袖を通す無防備な立ち姿に、眩暈がする。愛おしくて。

 きっと、コイツは知らない。気づくことはないだろう。

 努めて淡々と浴衣を着付けてやっている俺が、内心では、これを脱がせてやる時のことを考えていることを。

 きっちりと着付けてやったこれを、俺の手で淫らに剥ぎ取る時のコイツの顔を楽しみに、今、口づけたい衝動を必死で抑え込んでいることを。


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