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弐
濡れる朝顔の、儚さと… 【七】
しおりを挟む「……」
苛々する。あぁ、苛々する。
その原因は、“これ”だ。
「……なぜ、私の後をついて来るのです?」
足を止め、振り向かずにぼそりと尋ねた。
もう、ついてこないでほしいと願い、手酷い言葉を投げつけて拒絶したはずの相手が、すぐ後ろにいる。
ずっと早足で歩いているのにも関わらず、数歩と間《ま》を空けずに、私にぴったりとついてきているのだ。
「光成? お前が酷く怒っているのは分かっているのだが……その、どうか機嫌を直してはもらえぬだろうか? 私が近江の君に文を送ったことが悪かったのなら、この通り謝るから。な?」
すぐ真後ろ。その位置から、気落ちした情けない声色が届いてくる。
全く、この人は。
撫子といい、篤子といい。どうして、私に縁《ゆかり》のある娘にばかり文を送るのだろう。
「はあぁ……」
前を向いたまま、その人の言葉を最後まで聞き、長く重い溜め息をついた。
わかっている。なぜ、私がこんなにも苛々しているのか。どうして、このように刺々しい心持ちになっているのか。
腹立たしい。寂しい。そして――。
妬ましい。
建殿が好意を寄せる女人《にょにん》全てが、妬ましくて堪らない。
さらに、才のある美女たちに懸想文を送っていることを、私には『言わないつもりだった』のだと言っていた。私など、その話をするほどの相手ですらないのだと、本心を聞かされてしまった。
私は、建殿のこの言葉に傷ついた。酷く、傷ついている。
だから、しばらくはこの人の顔など、見たくはないのだ。
ずっと見ないふりをしている自分の狭量さと、叶わぬ想いの苦しさをまた自覚してしまうから。
想えば想うほどに、この人へのそれは何の光明も見いだせないものなのだと、はっきりと思い知らされてしまうから。
不毛な恋心のやりきれなさに、押しつぶされそうになってしまうから――。
「み、光成? 今の、大きな溜め息は……も、もしや! やはり、とんでもなく私に怒っているということだろうかっ?」
「……は?」
慌てたような早口とともに、背後から肩が掴まれた。
それで、気づいた。
自分が、いつの間にか足を止めていたこと。それから、深く俯いていたこと。
指が食い込むほどに、強く掴まれた肩の痛み。それが、焦りを含んだ建殿の言葉の内容に原因があるのでは、ということに。
「……痛い、です。その手を離してください」
だから、一歩、身を引き、目線を合わせてから声をかけた。
――もしくは、手を離さなくても良いから、できれば力を緩めてください。私にその手を触れさせたままで構いませんから、力だけを緩めてください。
口には出せない『もうひとつの願い』を、視線に込めて。
私は、怒ってなどいませんよ。
ただ、傷ついただけです。
胸を抉ってくる痛みが、つらくて。
未来の見えない想いの行方を思うと。ただ哀しく、苦しいだけなのです。
「光、成?」
見つめる瞳に想いの全てを込めた、ほんの刹那ののち、私の肩を掴む力が弱まった。
あぁ、強欲な願いの一片《いっぺん》だけでも叶ったということだろうか。
私が望んだ通り、建殿の手がそこから離れることはなかった。
弱りきった表情で、ただ、見つめられる。
「その……頼む。お前が怒っている原因を私に教えてくれ。お前を怒らせたまま、どこかに行かせるわけにはいかないのだ。どうか、私にもわかるように教えてくれまいか」
そうして、もう片方の肩にも手が乗せられ――。
「……ぁ、っ……」
そのまま、その胸へと引き寄せられた。
――かさっ
ふたりの袍《ほう》が、擦れ合う。
建殿と私。六位の官位を指し示す、深縹《こきはなだ》色の衣冠の袍。
その絹の綾が、互いにぴたりと密着している。
これは、どうしたことだろう。建殿と私に、いったい何が起こっているのだろう。
私には、理解できない。
「光成」
「はっ、はいっ!」
びくんっと、背すじが伸びた。
建殿の声が、ごくごく間近から聞こえてきたから。
耳元だ。私の耳に、とっ、吐息が!
私よりも一寸《いっすん》ほど背丈が高い建殿の吐息が、私の耳にかかっている。
つまり、それほどの至近距離で私たちの顔が近づいているということ。
それはわかった。しかし、なぜっ?
「私は、お前も知っての通り、かなりの迂闊者だ。だから、どうか……私にわかるように、筋道立てて教えてくれ」
無理です。
鼓動が恐ろしいほどの速さで打ち鳴らされ、このままでは息もできない。
こんな状態で、わかりやすく筋道立てて話せ? できません。無理です。取りあえず離れたいのです。
つい先程までの私は、あなたに触れていてほしいと願っていましたが、それはなかったことにします。
「た、建殿? あの、まず離れてくださいませんか?」
「駄目だ」
「え? あの……ですが、この体勢でお話するのは、無理があります。ですので、まずはお手を離してくださ……あっ」
「駄目だ、と言ったろう? 逃がさない。私の腕の中で、話して聞かせてくれ」
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