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番外編(弍)
時鳥(ほととぎす)、つれづれに啼く 【四】
しおりを挟む「風景画が必要な理由か? こうすると、ひと目で見て取れるじゃないか。荘園内を占める勅旨田《ちょくしでん》の面積、山や川の地形、そこに至る道、全てが一目瞭然。文字や数字を目で追うだけでは出来ないことだろう?」
「あ……なるほど」
何行も書き連ねた文章よりも、一枚の絵図、ということか。資料を読む側だけでなく、作成する側にとっても得。『親切な手抜き』とは、こういうことだったか。
納得し、次いで反省した。自分には無い視点を教えてくれた相手は、つい先ほどまで凡庸そのものだと侮っていた先輩だったから。
「建殿っ」
「うおっ! な、なんだ?」
「ありがとうございます。そして、心よりお詫び申し上げます」
ふたりを隔てる文机《ふづくえ》に両手を乗せ、前のめりで感謝とお詫びを告げた。心得違いをしていたことは猛省し、改心せねばならない。
「視界を塞いでいた靄を取り払っていただいた気分です。確かに、あなたのおっしゃる通り、私の書類では一生かけても受理してはいただけなかったでしょう。私に欠けていた部分を教えてくださり、ありがとうございます」
「お……おぅ。光成の役に立てたのなら良かった」
「それで、改めてお願いがあるのですが。建殿が描いてくださったこの絵図、これをそのまま再提出の資料に添付してもよろしいでしょうか」
ありがたい啓発を与えてくれた相手に伺いをたてた。私もそれなりに絵画の修養を積んできたが、建殿ほどの画力、技量はない。
「もちろん、構わない。是非、使ってくれ」
「お許し、ありがとうございます。では早速、この絵図に合わせて書類を書き直してまいります」
「あっ、ちょーっと待ったー! まだ説明が残ってるんだ。手直しは待ってくれ」
「え、まだ何かあるのですか?」
「そうなんだよ。まだ、というか、こっちのほうが肝心なんだ。最後まで聞いてくれ」
「わかりました。では、よろしくご教授くださいませ」
私では到底気づかないことを教え導いてくれた相手が、真剣な表情で引きとめてきたのだ。早く手直しを、と気が急いていたが、居ずまいを正して聞く体勢をとった。
絵図を描く、という新しい視点よりも更に重要だというその内容は、さぞかし斬新な執務方法に違いないと、柄にもなく気持ちを浮き立たせて。
「よく聞け、光成。なんなら、私の後に復唱してくれ」
「わ、わかりました」
「民部省《かきべのつかさ》への提出書類で最重要視され、尚且つ必ず受理されるための秘訣は!」
「民部省《かきべのつかさ》への提出書類で最重要視され、尚且つ必ず受理されるための秘訣は!」
復唱させるほどに重要なことをご教授くださるのだ。真剣な建殿に負けぬよう、私も声を張り上げた。
「大きな字で書くことっ、だぞっ!」
「大きな字で書くことっ……だ……ぞ……? 建殿、今、なんと? 大きな字? 私の聞き間違いですか?」
「いーや、聞き間違いではない。実はな、民部省《かきべのつかさ》を統率なされている上席、大輔《たいふ》様と少輔《しょう》様は、最近、お二人揃って目が悪くなられてな。小さな文字は読めぬのだ」
「え?」
*大輔《たいふ》・少輔《しょう》
律令制における八省の次官の官職名。各、定員一名。
大輔の位階は、正五位下。
少輔の位階は、従五位下。
「つまりだ。さっき見せてもらったが、お前の書類の文字は小さすぎるんだよ。詳細に記すために文字数が多くなったせいだろうが、それが裏目に出た。大輔《たいふ》様も少輔《しょう》様も読めなかったんだ。だから却下された。大きな文字で書き直してこい、という意味で」
「え……そんな理由で却下されていたのですか? 文字を大きくするだけで良かったのなら、ひと言、おっしゃっていただければ」
「あー、無理無理。お二人とも自尊心が邪魔して、正直に目の衰えのことを言えないんだよ。むしろ、早く気づけと、却下する度に苦々しく思われてたぞ、お前」
「嘘でしょう? なんて、面倒くさい」
「わっはっはっ! 光成、今日のお前は表情が豊かだな。つんっと取り澄ましてるよりも、今みたいにしてるほうが何倍も良いぞ。私は、今のお前がとても好きだ!」
「……っ。な、何を唐突に……意味不明なことをおっしゃられてるのです? しっ、執務中ですよ。からかうのは……おふざけは、おやめください!」
――これが、始まりだった。
「別にふざけてないぞ? 光成に対する、今の正直な気持ちを告げただけだ。現に、私はお前と話すのがとても楽しい」
初対面から『光成』と親しげに呼び、新蔵人の私に居眠りの現場を見られても悪びれない人。
「あー、ところで、だな。蔵人のなんたるかを教えてやった代わりに、今度は私を手助けしてほしいのだよ。実は主上《おかみ》の御膳の献立表を紛失してしまってな。一緒に探してくれるか?」
自分の失敗の後始末を『お前も手伝ってくれ』と恥ずかしげもなく頼んでくる蔵人の先輩――――源建。
「そのような大事なものを紛失してしまうようなお方の手助けを、私がするのですか? ですが、仕方ありません。お手伝いして差し上げます。限りなく面倒くさいですが」
「おぉ、助かるよ。ありがとう! 面倒くさくても手助けしてくれるなんて、光成は本当に良いやつだな!」
開けっぴろげで呑気で、間抜けな失敗を何度も繰り返す迂闊な人。けれど、誰よりも真っ直ぐで心の綺麗な人。
誰にも代えがたい唯一の人への、二年に及ぶ、片恋の日々の始まり――。
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