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番外編(弍)

時鳥(ほととぎす)、つれづれに啼く 【六】

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「どうした? 黙り込んで」


「あ、特に理由はありません」


 まだ、繋いだ手は離れない。絡め合った目線も。


 恋心を抜きにしても、私は誰よりも建殿を尊敬している。そのことを、まだ一度もご本人に告げたことはないが、今、口に出したらどうなるだろう。


 そんなことを思って、じっと見つめてしまっていた。


「ですが……私は、ひどく扱いにくい同僚だったことでしょう? そう、思いまして」


 柄にもない誘惑にかられたが、私が口にしたのは別の問い。これも、今まで聞く機会がなかったことだ。


「扱いにくい? いや? 特にそう思ったことはないが……あぁ、でも、息苦しくないのかと思ったことならあるなぁ。昔のお前、今より顔つきが険しかったから」


「険しい顔つき……そうですか。それはお見苦しいものを晒して、申し訳ありませんでした」


 誰にも好かれていない自覚があるから肯定されると思いきや、意外な返答をもらった。どっちにしろ、良い印象を与えてはいなかったけれど。


「いーや、違う。謝ることはない。当時のお前に私がよく言っていたこと、覚えてないか? 『そんなに細かいことばかり気にしてると危ないぞ。今はひげ公達《きんだち》でも、そのうち禿げ公達になってしまう』と注意してたんだが」


「よく覚えています。私が付けひげをやめるまで、頻繁におっしゃられていましたね」


「他人への厳しい態度と毒舌は、そのまま、お前自身の度を超えた真面目さ、妥協を知らない謹厳さに繋がっているからな。その美点を見守りつつ、無駄な気負いを軽減してやりたかったんだ」


 え?


「今、そうと思い返してみれば、その頃からお前は私の特別だったよ。きつい目つきで、ひげ茫々《ぼうぼう》。小生意気で毒舌家の面《おもて》に隠れた、ひどく不器用な藤原光成が」


「……え……?」


「お前の美しい内面を知らないくせに陰口を言っている奴らを、心の中で制裁してやっていたからな。全員、我らよりも位階が上だったが関係ない。こてんぱんだ。ふははっ!」


 視界に映る、ぽてっとした少し分厚めの唇が紡いだ言葉。おかしなことに、それが頭の中で殷々と響く。


 特別? それは、何を示す言葉だった? その頃とは、いつのこと?


 建殿は、何をおっしゃられているのだろう。思考が追いつかない。


「あの……ありがとう、ございます。代わりに怒ってくださって」


 よくわからないが、ここは感謝するところだということだけは理解できているから、御礼を述べた。


「礼は無用なんだがな。当時の私は独りで過ごしていると、なぜかお前の顔ばかりが浮かんでしまう現象に戸惑い、撫子の君へ懸想文《けそうぶみ》を送るという方向に答えを見いだしたのだから。麗人と評判の姫だからではなく、お前の妹君なら、さぞかし心根が美しいのだろう、という理由だったが」


「……」


 これには、なんと返せばよいのだろう。蔵人としてのお務めなら、相手が誰であろうと言葉に窮することなど皆無の私だが、聞かされる情報量が多すぎて処理が追いつかない。


 無愛想で、途轍もなく目つきと口が悪い、融通の利かない蔵人――――これが、自他ともに認める藤原光成なのだが。どうやら、私の想い人は違う見方をしてくれているらしい。


 とても面映ゆいことだが、数段、美化して見てくれていることがわかった。


「建殿。鷹狩の纏め書が出来上がったのでしたら、早く帰りましょう」


 とても面映ゆく、嬉しい。


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