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しおりを挟む何かいつもとは違う、あまり嗅ぐことのない匂いと足音がした。驚いて柔らかで透明なゼリーのような体をぷるぷる震わせる。
同時に周囲の雰囲気も変わった。
風のささやきが急に強くなり木々の葉や草花がざわめき始めた。 穏やかに過ごしていた動物達もその異変に気付き不安そうな表情を浮かべ身を低くし、耳を澄ませて周囲を警戒した。
小鳥たちはみな飛び立ち、木の枝を忙しなく駆け巡る。
古代から続くこの森は、魔力と神秘の息吹が満ちている。そして時折、この神聖な森の奥深くに人間が足を踏み入れるのだ。
スライムのアルシカは好奇心で心を弾ませた。もしかすると主に怒られるかもしれないのに気になって仕方ない。だからその存在の近くに行ってみようと思った。大丈夫だろう、主は自分に甘い。
住み慣れた森の中、匂いと音を辿って辿り着いたのは生命力と美しい水が湧き出るリュミナスの泉だった。そしてその泉のほとりで人間の男が倒れている。アルシカはおもいきりぷるるんと揺れながらその男に近付いた。
「うぅっ…」
男は立派な鎧に身を包み、重い剣を手にし傷だらけで力尽きようとしている。だが泉の水が彼の身体を優しく包み込み、癒しの光が彼を包み込んでいる。アルシカはぷるんと笑った。もちろん顔はないが笑ったのは確かだ。
とても強そうで面白い、一目見てこの大きな男に興味を持った。それにリュミナスの泉もこの男を生かそうとしている。
じっと見つめていると男の目が少しだけ開き、アルシカの存在に気付いた途端カッと目が見開いた。
「!お…お前はっ…スラ…イム?」
まあそうだけど?と言うようにアルシカは大きな身体にぴょこんと飛び乗った。
「なっ、なにを…!やめろっ」
アルシカはダンスをするように天真爛漫に鎧の上を滑りながら体を揺らして見せた。それを見て男の目から涙がつーっと流れた。
「…は、ははっ…このオレがこんなスライムなんかにやられるなんて…!」
それもこれもあの時、自分が油断してしまったのが悪いのだ。王都で仕えるヴァルモント公爵家の領地、アルトリウスまでの長旅に疲れてしまったからか、それともこの森のあまりに神秘的な雰囲気にあてられたからなのか。まあ、どれも言い訳だ。
あの時、背後に忍び寄る魔物にまるで気付かなかった。それも運が悪く猛毒を持つ魔物の牙に肩を噛まれた。なんとかその場でそいつを仕留め、この泉まで来たがもう無理だろう。
「っ…!そこをどけっ!お前なんて簡単に始末できるんだぞっ!?」
スライムが自分の覗き込むようにしてぷるぷるしている。強がりと苦痛に歪む顔を見て、まるでこちらを嘲笑っているかのようだ。
「くそ…最悪だ…オレには愛する妻も子もいるのに…」
…誰か夢だと言ってくれと思った。自分は誇り高きヴァルモント家の騎士団団長だ。この国随一の剣士と謳われた存在だ。そんな自分の最後がこれに?嘘だろ?こんなちっぽけでへんちくりんな生き物に、このオレがとどめを刺されるだなんて…。
「誰…か、夢、だ…と」
一方、アルシカは凄いなぁと感心していた。男の肩には深い噛み傷があり、真っ黒な血が滴り落ちていた。こんなにきつい猛毒が体中を巡っているのに、この人間はまだぶつくさと喋っている。たいした体力と精神力だ。
「くっ…、はっ…!!!貴様っ!!」
アルシカは男の肩までぷるーんと体を伸ばし、べったりと密着させた。
「うぐぁあっっ!?」
傷口に触れられ、信じられないほどの痛みと衝撃が走る。あまりのショックでパタリと気を失う男。その様子をちらりと見て、あぁ、ようやく黙ったかとアルシカは思った。喋ると毒の回りが早いのだから。
「…んっ」
渇いた口の中にちょぼちょぼと、とんでもなく旨い水が流れてくる。あぁ、甘くて旨い。なんて旨いんだ。生き返るようだ。
「.....!!?ンぐっ…かはっ!気管っ!!死ぬっ…!」
勢いよく身体を起こしゲホゲホと咳き込む大男。
「ぜぇっぜえっ…は......なん…あ…れ?身体が…オレ、生きて…?」
信じられない程身体が軽くて楽だ。指一本まともに動かせない状態で死も覚悟したのに。まるで全ての毒が抜けたかのようだ…。視界にはすぐそばでぴょんぴょんと跳ねるスライム。
気を失う前、このスライムが自分にしたこと...。
「お前、その色…オレの毒のせいか?」
透明だったはずの体が真っ黒に染まっている。
「まさか…ピュリフ?」
スライムにも毒などを浄化したり傷を癒すものがいる。ほどんど目にする機会がない希少な魔物だ。だが今はそんなことどうでもいい。目の前のスライムは命の恩人だ。
違う意味でまた男の頬につーっと涙が流れた。
「そうか…お前ピュリフだったのか。オレを助けてくれたんだな。…ありが」
『違うよ』
「そうか…違うのかってえっ??!!」
今までぷるぷるしてただけのスライムが突然喋った。喋った?!!驚いてズササッとスライムから距離をとる。
「いっ、今…しゃべっ」
『違う。アルシカ、ピュリフじゃないよ』
「あ…あわっ…あわ」
驚きすぎて言葉にならない。言葉を話す魔物なんて聞いたことも見たこともない。いや、世界は無限のように広い。そんなこともあるかもしれない。落ち着けオレ。
「じゃっ、じゃぁお前、一体…」
『アルシカ?アルシカはどっちかっていうとネクロスリーだよ』
「ネクロスリー...」
ネクロスリー。死神が作ったとも噂される希少どころか、伝説と畏怖のスライム。浄化や癒しのか弱いピュリフとは真反対の生き物でとにかく恐ろしい生き物だと聞く。そう頭が完全に理解した時、
「!!!ひっ、ひっ、ひぇーーーーーーーっ!!!!!」
暖かな昼下がり。神聖で特別なヴィタリスの森に、巷では屈強と恐れられる大男の叫び声がこだました。
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