今夜、夢枕を喰らう

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第二話 レストランの地下室

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 家族が寝静まった午前零時。温かいシャワーを浴び、部屋に戻ると私はもう眠くなっていた。そして、うとうとしながらドリーム・オフから用意してもらった今夜の段ボール箱を組み立てていた。
 段ボール箱の中に頭を入れて寝るのは初めは不慣れなものだった。
この箱の機能を発揮するためには枕は使用することが出来ない。頭が段ボール箱の内側に直接触れることが大切だ。
最初の頃は寝付きにくかったが、今では枕がなくともこの箱の中でぐっすりだ。
 私はいつものように布団に入り、電気を消し、目を瞑った。


 私は小舟の上で仰向けになっていた。すぐに夢の中だと気づいたが、いつものようにじっと動かず、お腹の上で優しく手を組み、温かい日差しに包まれ目を閉じていた。小舟の底は黄色い花々の絨毯の上を撫でるように、滑るように進んで行く。時々、小鳥のさえずりが遠くから聞こえてくる。空気中に甘い香りがする。
 すると、なんとなくお腹が空いていることに気づいた。この小舟に乗って街まで行けるかもしれない。夢で何度も行ったことのある、あの街のレストランで食事をしよう。
ポケットにそっと手を触れると、お札と硬貨の感触があり、私は口元が緩んだ。
「今日は多めだな。…温かいシチューに、パン。あ、ミネストローネもいいな。」

 私は昨日の夢の続きを見るとまではいかないが、今夜見る夢をある程度コントロールすることが出来る。どんな場所で、どんな事をしたいのか。大体のことを夢の中で叶える事は簡単だ。
そして私は恐ろしい夢も見ることはない。なぜなら私は常に恐怖のないストーリーを紡ぐことが出来るからだ。夢の中で恐怖の匂いを少しでも感じたら、それをすぐに回避出来る力がある。だから私は安心して毎晩の眠りに長い時間を費やしている。


ーーコツン。

 私を乗せた小舟が街のレストランの近くの壁にぶつかり、止まった。ゆらゆらと宙に浮かぶ船から片足ずつ降りる。低いヒールの靴で鳴らす、古いレンガづくりの道。ちょうどお昼頃の時間だった。
街の中で私は白いワンピースを着ていた。立派な仕立てで、晩に眠りについた時の気の抜けたパジャマとは大違いだった。
 小舟の中から革製の肩掛け鞄を取り出し、ポケットのお金を鞄の内ポケットに詰め込んだ。噴水通りを抜け、葉巻屋さんを曲がったところにいつものレストランがある。

 「こんにちは」
レストランの扉を引くと、カラカラと音が鳴った。
「あら、お嬢さん。まだ開店してないのよ、ごめんなさいね」
このレストランの店主の奥様だった。私に話しかけながらも忙しそうに手を動かしている。
「あ、すみません。もう少ししたら、また来ます」
ドアを閉めようとすると奥様が私を呼び止めた。
「お嬢さん、実は、今日は昼から貸し切りの誕生日パーティーなの。お願いがあるんだけど、少しだけお手伝いしてくれないかしら」
「え?」
「貴女、お腹が空いているんでしょう。先にまかないを出すわ。その後、うちで少しだけウエイトレスとして働いてもらいたいの。きちんとお給料も出すわ。どう?」

 急な申し出ではあったが、私はすぐに頷いた。私は夢の中での私は何でも上手く立ち回れる自信があったからだ。
「じゃあ、よろしくね」と言って栗色の髪の毛を結び直す奥様。私は黒いエプロンを支給された。奥様も濃い緑のドレスに黒いエプロン姿だった。
 周囲を見渡しても、私と奥様以外に他のウエイトレスはいなかった。でも私は気にもとめなかった。
厨房に案内され、小さな椅子に座ると店主は私の目の前に料理の入った皿を差し出した。

「わぁ、美味しそうなシチュー!」
奥様が私の隣に座った。
「ほら、パンもあるわよ」
「ありがとうございます」
 私は熱いシチューと焼きたてのパンを出来るだけ急いで食べた。本来ならもっとゆっくり食すことが出来たはずだが、今日はしょうがない。夢だからか、たくさん食べても全然満腹を感じなかった。
 今日のこのアルバイトでお金が増えたら街の奥の方へも探索に行ってみよう、と私はぼんやり思った。


 私たちは開店準備を済ませ、店内のテーブル席にお客様たちを招き入れた。

「前菜を各テーブルへ運んでちょうだい。まず向こうの誕生日の方の席から」
「はい」
厨房のカウンターからひんやりと冷えた大皿を両手に持ち、慎ましくも堂々とホールを闊歩する。そして私は無駄のない動きで料理を提供し、一人で三人分の仕事をこなした。
 お客様の会話が途切れない、賑やかな会だった。
するとカウンターで奥様が、
「あら、いけない」と呟き、首に下げた老眼鏡でワインのボトルのラベルを覗き込んでいた。
「どうかなさいましたか?」
私がそばに寄ると、
「私ったら、肝心なワインを間違えるところだったわ。そうね…貴女、地下にある1980年産のワインを持って来てくださる?赤ワインよ。お客様の生まれ年と一緒の」
 私は少し考えたが、まだ入ったことのないはずの店の地下室の入り口が自然と脳裏に浮かんだ。
「わかりました、奥様。探してきます」
「入って左手にあるの。私はここで料理を見てるから、よろしくお願いするわ。」

 私はまだ見ぬ地下室に引き寄せられるように厨房裏に向かった。そこには黒いベルベット生地のカーテンがあった。少し埃っぽい。手のひらで撫でるとカーテンが揺らぎ、奥の扉が確認できた。
 冷たいドアノブを押し開けると木製の下り階段が続いている。
「明かりはどこ…?」

 手すりに掴まりながら壁際を右手で探る。足元が暗くて目視しづらい。
ゆっくりと階段を降りようとすると、足元に何かが当たった。目を凝らして見ると、そこには古びたランタンと銀のライターがあった。ランタンを横に振ると、微量なオイルの揺れる音がした。
 私はライターをランタンの隙間から忍び込ませ、炎を灯した。
煌びやかに光を反射させるライターには細かい彫刻が施されてある。
 ランタンの光で周りが丸く照らされると、私はライターの蓋をカシャンと閉じ、ワンピースのポケットに入れ、先を急いだ。夢の中では何もかもスムーズで難しいことは何もない。

 ランタンをぶら下げ、用心深く階段を降りると、多くのワインのボトルが並んだ自分の背丈よりも大きな木の棚があった。まるで夜の図書館のようだった。
 背伸びをすると床から少し軋む音がした。上から下にランタンを照らしながら、ワインボトルのラベルを読んでいくと、奥の棚の方から年代順に並んでいることに気づいた。

「これだ。1980年産。色は赤で合っているのかな…」
私はワインボトルを抱えランタンを近づけ、色を確認していた。

するとほの暗い足元で何かの生き物が大きな音を立て、素早く通り過ぎた。
私は小さく悲鳴を上げ、左右によろめいた。そしてその瞬間、誰かが私の手からランタンを奪った。

「そのワインは赤で合っているよ、君がそう望むならね」
私はワインボトルを両手で抱えその場で立ち尽くした。
ランタンで照らされた横顔は私と同い年か少し上ぐらいの青年だった。
「ネズミが仕事の邪魔をしてすまなかった」
大人びていて静かで落ち着いている彼の声。私は思わず聞き入ってしまいそうになった。
「いえ…あの、ありがとうございます。もしランタンを落として火事にでもなったら……」
すると、青年は口角を上げた。
「もし今、僕が居なくても火事にはならなかったよ……君がそれを望んでいないからね」
 そう言うと、青年はランタンを持ったまま静かに階段を上って行った。私も急いで彼の後ろに続いた。青年は白いシャツの上に黒いジレを着ていて、まるでバーテンダーのような装いだった。細い腰には無数の鍵が束になってぶら下がっていて、歩くたびにそれが音を立てた。
私は青年の背中に向かって話しかけた。

「あの、貴方はここで何をしていたんですか?」
「君と一緒。仕事をしていたんだよ」
「仕事…?このレストランの方ですか?」

私はワインボトルを小脇に抱えながら、踏みつけて転ばないようにスカートの裾をたくし上げ、慎重に進んだ。階段の一番上まで来ると、彼は私の方に向き直った。彼は伸びすぎた前髪の隙間から私をじっと見据えていた。が、すぐに微笑み、

「ふふ、お仕事頑張って。そうだ、後で君ともう少し話がしたい。……次は裏の葉巻屋で会おう。」

 青年はそう言うと、ランタンの蓋を開け炎に息を吹きかけた。すると辺りが真っ暗になり、私は平衡感覚を失った。一人だけ暗闇に取り残され、闇の中へと吸い込まれていった。


「…お嬢さん、すごく助かったわ。ワインも大変喜んで下さったし、メインはもう運んだし、あとは上がっていいわよ」
気がつくと私は奥様から厨房でエプロンを外してもらっていた。どうやら私はいつの間にか仕事を済ませていたようだ。
「はい、お給料ね」
奥様が私に握らせてきたお札の厚さに驚いた。
「こ、こんなに?いただけません!」
「いいの、いいの。早くしまいなさい」
私は急かされ、白いワンピースのポケットに手を入れた。
「あれ?ポケットにもお札が…。お金は全部鞄にしまったはずなのに」
すると奥様は笑った。
「それはお客様からのチップよ。早く一緒に鞄にしまっちゃいなさい」
私は慌ててそれらを鞄の内ポケットにしまった。

「あの、奥様…」
私は地下にいた青年のことを訊ねようとした。が、やめた。
彼は最後に『次は裏の葉巻屋で』と言って姿を消した。私は早くそこに行って本人に直接話を聞こう思った。

 「私、また来ます」と言うと奥様は嬉しそうに目を細めた。そしてそっと出口まで見送ってくれた。


 訪れたことがない葉巻屋に思いを寄せる。私が街を歩くと、レンガづくりの道が陽気に音を立てる。日差しはまだ優しく照っている。
「この格好じゃ変かな」
私は今日の白いワンピースが葉巻屋に行くにはそぐわない気がして、ショーウインドウに映った自分の身なりをチェックして考える。ここに来るまで乗ってきた小舟に戻って着替えたほうがいいのでは、と思いながらもスカートを軽く叩くように膨らますと、ポケットに違和感があった。
「いけない!私、ライターを持ってきてる!」
 私はライターをポケットの中で触りながら、これはきっとレストランの地下で会った青年の物であると思った。私は足早に葉巻屋へと向かった。

 青く塗られた木製のドア。ペンキの色はくすみ、剥がれかけていた。日光に当たりすぎたようだ。白いドアプレートには『CLOSED』の文字。営業していないのだろうか。ガラス窓には黒く厚いカーテンが掛けてあり、中の様子が見えない。
「この店…だよね?」と、ドアにそっと触れようとすると、急に内側からドアが開いた。私は驚いてドアの後ろに身を隠した。
 出てきた大男からは酒と葉巻の香りがムンムンと発せられていた。大男は、昼の太陽を見上げ、眩しい、眩しいと言いながらどこかへ消えた。
 私は閉まりかけたドアにそっと手を掛け、中を覗き込んだ。店内はほの暗く、白煙がくゆるバーカウンターがあり、客は三人ほど。それぞれがカウンターで酒を飲み、葉巻を嗜んでいた。

 「貴女も名前のある人?」
細いデニムに赤いウエスタンブーツを履いた女性がバーカウンターから出て来た。彼女は私の前まで歩み寄り、立ち止まった。そして長い金色の髪を後ろにかき上げた。
「え、名前…と言うと?」
私が戸惑いを見せると、
「そっか、貴女には名前があるのね」
と彼女はそう言い微笑んだ。
「ちなみに私には名前がないの。今、この店で名前があるのはレイと貴女だけよ。…こっちに来て」
彼女は店に招き入れ、バーカウンターの内側に私を案内した。
 すると、一人の刺青の入った大柄な客が「レイのやつ、さっきからずっとくたばってやがるぞ、新人」と呂律の回らない声で隣のカウンターを指差した。私は背伸びをして恐る恐るカウンター越しに覗き込むと私の心臓は飛び上がった。

「…え!これって、寝てるだけですよね?」
彼はカウンターに突っ伏したまま微動だにしない。そのうえ呼吸も止まっているように見える。そして、私が何よりも驚いたのは……彼の体が半分透けて周囲の風景に溶け込んでいることだった。

 振り返ると、彼女が火のついていないランタンを持って後ろに立っていた。
「これからよろしくお願いします、レイのこと」
そう言って、彼女は少し困ったような顔をして笑った。私はランタンを受け取ると、ポケットの中に手を入れ、ライターを取り出した。夢の中では何もかもスムーズで難しいことは何もないはずだ。

 ライターを震える手で二度鳴らすと、火がついた。私は下唇を噛みながらランタンにそれを灯した。周囲を丸く照らす光。すると目の前の彼にはっきりと影が浮かんだ。彼の体はもう透けてはいない。

「…レイ?大丈夫?」
彼は私の小さな呼びかけに頷いた。
「…大丈夫。君がそう望むなら、ね」と。
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