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第3章
2話 ティグリス王子と聖女のサプライズ
しおりを挟む今、私の目の前にいるティグリス王子は、傍目にもそうとはっきり分かるほど緊張している様子だった。多分、私に断られる……いや、最悪、嫌な顔をされる事も覚悟の上で、私に声をかけたのだろう。
だろうね。今のティグリス王子がどういう立場なのかって事を、多少なりとも理解している人間なら、「2人だけで街に出ませんか」なんて言われて、「いいですよ」なんて気安く言えないわな。
もはやティグリス王子は単なる第2王子ではない。
今後、遅くとも来月には立太子の儀を済ませ、エクシア王国の正式な王位継承者として、その名と立場を内外へ公表する事になる身だ。
その大事な大事な王子様が、幾ら聖女だとはいえ、爵位すら持たない平民の女とお忍びで市井を見て回る、というのは、なかなかに無茶な話だと言える。
正直言うなら、個人的には嫌じゃない。
折角親しくなれた友達も同然の相手だし、一緒に出掛けるってのはやぶさかじゃないんだよ。うん。ないんだけど……。
まあ、ここはひとまず、訊くべき事をキッチリ訊いておくか。
「大変失礼ですが、ティグリス王子殿下。それは、国王陛下からお許しを頂いたお話なのですか?」
「はい。父上は、聖女様がよいと言って下さるならば、影をつけて出ればいい、と」
「そうですか……」
おいコラ王様。なに無責任な事言ってくれてんだ。そこは止めろよ。
立太子が決まってんだぞ、あんたの息子。その辺ちゃんと分かってんの?
もし仮に、止められそうにないと思ってそう言ったんなら、せめて2、3人、それ相応の護衛をつけてから行くように、くらいの事も併せて言えや。
それを、影を付けて街に出ればいい、だと?
幾ら変装すんのが前提だからって、どこに不穏分子が潜んでるか分からん場所に、次期王太子を身一つに近い状態で送り出そうとすんなバカたれ!
影の護衛がいたとしても、ティグリス王子のすぐ隣にいられない以上、やれる仕事にゃ限界があるんだよ!
それともなにか、今でもあの元王太子の方が大事で可愛くて、やっぱティグリス王子には目が向かねえから、適当に好きにさせといてもまあいや、とでも思ってんのか!?
ティグリス王子への応対が雑過ぎて、なんかイラッとくるんですけど!
私が真顔で押し黙ってしまったせいだろう。
ティグリス王子は、すっかりしょげ返った顔をしている。
あああ、しまった! ごめんよティグリス王子!
別にあなたの事が嫌いで一緒にいたくないとか、そういう事じゃないから!
「……申し訳ございません。私にこのような事を言われては、ご迷惑ですよね……」
「い、いいえ! こちらこそ、誤解させてしまったようで大変失礼しました!
色々とその、考える事がありましたので! 殿下の御身の安全とか、そういう、その……!」
慌ててしどろもどろな弁解をする私を見て、ティグリス王子が苦笑する。
「……はい。ありがとうございます。身を案じて頂けて、とても嬉しく思います。ですがやはり、あなたと2人だけで市井へ出るというのは、あなたを含めた多方面へ、多大な労をかけるという事に他なりませんよね。
自身の立場と身分も弁えず、軽率な事を口にしてしまいました。どうかお許し下さい」
苦笑から一転、またもやしょげ返ったお顔で謝罪してくるティグリス王子。
うーーん。なんか気の毒になるな……。
要するにあれだ。
ティグリス王子はこれから王太子になる。
詰まる所それは、今まで以上に気軽にあちこち歩き回れなくなるって事だ。だからそうなる前に、親しくなった他所の国の友達的な存在と、ちょっとだけでいいから思い出作りがしたかったんじゃなかろうか。
そのささやかな願いを、正論と常識だけ前面に出して突っぱねるってのも、なんかちょっと冷た過ぎるような気がするしなぁ……。
となると……やっぱここは杓子定規に拒否するだけじゃなくて、多少の折衷案を出してみるべきだろう。
「謝罪を受け入れます。どうかこれ以上、お気に病まれませんように。所で……確か殿下は今日も含めて、2日ほどお休みを頂いた、というお話でしたよね?」
「え? は、はい。そうですが……」
「では、明日の今頃、私の部屋までお出で頂けますか? 上手くいくか分かりませんが、ちょっと、思い付いた事があるので」
「は、はあ……。分かりました。では明日の昼過ぎ、そちらへ伺わせて頂きます」
私が何を考えているのか、予想が付かないのだろう。ティグリス王子は困惑顔で首を傾げている。
それでいいんですよ。
さっきも言ったが、まだ上手くいくか分からない事だからね。
◆◆◆
そんなこんなで翌日。
私はお付きをしてくれている侍女さんに事情を説明し、下働きの使用人さん達の力を借りて、サプライズの準備を整えて貴賓室でティグリス王子が来るのを待っていた。
ちなみに、エドガーにも参加しないか声をかけたんだけど、奴は慣れない環境で1人勉強している、妹のマグノリア様の方が心配なようで、「ティグリス王子には悪いけど、よろしく言っておいてくれ」とかいう言葉と、自分で買って来たらしいブツだけ寄越し、マグノリア様に会いに行っている。
まあ、ここは自国じゃないし、実の妹が心配になるのも当然だろうから、ここは私も気持ちよく送り出しましたとも。
ティグリス王子だって分かってくれるはずだ。
ちょっとサイズの大きな借り物のバスケットに、使用人さん達にお願いして買って来てもらった物を詰め、最後の確認も終えて準備万端バッチコイ! となった所で、ドアをノックする音が聞こえてくる。
タイミングバッチリ……というか、むしろ私がちょっとモタついてたくらいだけど、時間に間に合ったから良しとしよう。
ドアの外へ向けて「どうぞ」と告げると、「失礼します」という言葉の後、ティグリス王子が顔を出した。その後ろには、ティグリス王子の元婚約者、エリーゼ嬢の姿もある。
一瞬、あれ? と思ったけど、すぐに理由は理解できた。
ティグリス王子はまだ未婚だし、私も未婚だからだ。
密室に腰を落ち着けるつもりはハナからないが、それでもやはり2人きりで話をするってのは、ティグリス王子の外聞を鑑みればよろしくない事。
多分、ティグリス王子から話を聞いたエリーゼ嬢が、その辺を慮って一緒に来てくれたのだろう。
いやでもね、勿論その辺りの事は私もちゃんと考えてましたよ? 侍女さんに一緒に来てもらうつもりでいましたから。ホントだぞ?
とにかく、エリーゼ嬢が一緒に来ていようと何も問題はない。
私は改めて、ティグリス王子とエリーゼ嬢に挨拶しながら歩み寄る。
「ティグリス王子、エリーゼ嬢。ようこそお出で下さいました」
「このたびは聖女様御自らのお招きに与り、大変光栄です。ただ……ついて来ずともよい者が、ついて来てしまっているのですが……」
「あら王子殿下。なんですの、その棘のある仰りようは。私は聖女様の御身を慮っているだけですのに」
少しばかり渋い顔で言うティグリス王子に、エリーゼ嬢が半眼で文句を言う。
ホント兄妹みたいだな。この2人。
「どうかお気になさらず。人数が増えて、賑やかになってとてもいいと思います。……という訳で、早速参りましょうか」
「え? どこかへ移動されるのですか?」
「はい。きっとお気に召して頂けると思いますよ」
きょとんとするエリーゼ嬢に、私はちょっと悪戯っぽい顔で笑いかけた。
私は戸惑うティグリス王子とエリーゼ嬢を連れて王城を出ると、城の外壁近くに自然発生したと思われる、小さな野原にやって来た。
短い雑草で辺り一面覆われているその場所には、めぼしい花など咲いていないが、とても見晴らしがいい。
そう。私は城下町にお忍びで行けない代わりに、景色のいい場所でピクニックしたらいいんじゃないか、と思ったのだ。
勿論、食べ物もみんな街で買って来た物で統一してある。
城の料理人さんが作った物を、テーブルの上でお上品に食すのではなく、街で買って来た物を、野っ原に座って適当に摘んで食べるスタイルの方が、ティグリス王子には特別感が強いだろうと思って、敢えてこうしてみたんだけど、どうだろう。
「まあ……! 素敵……!」
「ああ、本当に……。長らくこの地に住んでおりますが、まさかこんなすぐ側に、このような光景を見られる場所があったなんて」
眼下に広がる街並みを目の当たりにした、エリーゼ嬢とティグリス王子が揃って感嘆の声を上げる。
お気に召して頂けたようで何より。
でも確かに、白に寄せた色味で統一されている建造物と青い空、そしてその合間合間に植えられている、緑の木々のコントラストがなんとも言えず美しい。
こうして見ると、本当に綺麗な街だな。ラトレイアって。
実の所、エクシア王国の王城も、ノイヤール王国の王城と同じく、盛り土をして作った小高い丘の上に建っている。
となれば、ちょっとばかり城の外へ出て外周を巡れば、城下が一望できる絶景ポイントなんかも、割とすぐに見付かるんじゃなかろうかと思い、侍女さんの口利きで使用人さんに会いに行き、話を聞いてみた所、予想通りの場所がすぐに見付かった。
都合のいいポイントを発見したなら、後はもう時間との勝負。
私はまず、侍女さんを通して、城の外周側でピクニックさせて欲しい、と宰相さんにお願いし、離れた場所に護衛の騎士さんを数名付けるという条件で許可を取った。
そこから更に使用人さん達に会いに行って、城下町で売っている、素朴なお菓子や軽食を幾つか買って来てもらったという訳だ。
当然、これらの品は私が事前に、毒見という大義名分の元、全てつまみ食いしているので、普通に食べてもらって大丈夫。
ちなみにエドガーが寄越したブツは、城下町のどっかであいつが適当に買って来たとおぼしき、ミニサイズのまん丸ドーナツ詰め合わせです。
エドガー曰く、チョコとかジャムとか糖蜜とか、色んな物が中に入ってるらしい。私がつまみ食いしたドーナツには、ラズベリージャムが入ってました。めっちゃ美味しかったです。
「さあ、この辺に座りましょう」
私はバスケットの中に入れておいた、大きめのレジャーシートを取り出して、野っ原に敷く。
流石に、雑草の上に直座りさせる訳にはいかん。綺麗なお召し物が汚れてしまう。今日のお2人の服装は比較的カジュアルな物みたいだけど、上質な布地で作られている事に変わりはない。
聞けば、ティグリス王子だけでなくエリーゼ嬢も、こんな風にレジャーシートの上に座って何かを食べるのは初めてだとの事。
レジャーシートの上にぎこちない動きで座りつつも、目に見えてワクワクした表情をしているティグリス王子とエリーゼ嬢の様子を見て、私はこのサプライズを選んだのは正解だった、と確信した。
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