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第3章

3話 彼の異変と6年越しの覚醒 後編

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 ご当主様に案内されて入ったエドガーの部屋は、やはりとても広々としている上、内装も豪華だった。
 ベッドも安定の天蓋付きだし、広さだけで言うなら、私達が使わせてもらってる部屋と、おおよそどっこいって感じだな、うん。
 もっとも、ご当主様が言うには、通常王侯貴族が使っている部屋と比べれば、これでもまだ狭い方なのだとか。
 マジかよ、特権階級……。

 まあ、その辺の話は今はどうでもいい。私は部屋の内見に来たんじゃなくて、エドガーの見舞いに来たんだから。
 そして、いつの間にやら室内に入って来ていたメイドさん2人が、エドガーの寝ているベッドの天蓋をスルスル上げたかと思うと、黙って部屋の隅に移動、その場で待機し始める。
 ……もしかしたら、元からここにいらしたんですかね? あの方々……。
 もしそうなら、多分経過観察とか、病状報告とかの為にここにいるんだろうけど、部屋の隅っこで、ただただひたすら、ずーーっと立ちっぱなしで待機してるとか……。
 想像するだけでもキツい仕事だ。
 体力勝負もいい所ですよ。メイドさんのお仕事、パねえ。

 ともかく、キングサイズというには少々小さい、どっちかと言うとクイーンサイズに近いようなベッド(それでも1人で寝るにはデカ過ぎだろうよ)に横たわり、目を閉じたまま微動だにしないエドガーの顔は、案の定やや赤いように見えた。
 つか、こいつの顔、以前と比べて明らかにやつれてるな……。
「殿下。お加減はいかがですか? 聖女様方が、殿下の御身を案じて見舞いに来て下さいましたぞ」
 ご当主様が声をかけると、エドガーが閉じていた目をノロノロと開け、こちらを見てくる。
「……あぁ。わざわざ、来たのかよ……。なんか、気ィ遣わせちまった、みてーだな……」
 5日間ずっと寝込んでた訳だし、それを思えば当たり前の話だが、発せられた声には力がなかった。
 だが、こうして声を聞くに、どうやら喉も鼻もやられてはいないようだ。
 幾らかかすれてるけど、しゃがれてもいなければ、鼻声にもなってない。
 咳も全然出てないみたいだし、現状症状としてあるのは発熱だけなのだろう。私が知ってる風邪の症状と比べると、今のエドガーの症状はかなり極端だと言える。
 だからつい、チラッと思ってしまった。

 こいつ本当に風邪なんだろうか。もしかしたら風邪じゃなくて、もっと別の、何か厄介な病気にでも罹ってるんじゃないのか、と。

 私は頭の中から、その考えを大急ぎで追い出した。
 いや、ない。そんなのない。絶対にない。
 熱が出て寝込むだけの病気なんて、この世界には存在しない。
 この世界の病気ってのは、どれも必ず複数の症状がくっついて出てくるものなのだ。発熱オンリーで済む病気なんて、聞いた事も見た事もない。

 こいつだって本当は今、ぱっと見では分からない、別の症状が出てるに違いない。
 ホラよく言うじゃん、腹の方にクる風邪に罹って下っちゃったとかさ!
 きっとこいつもそうだよ。
 下ってるなんてみっともなくて、見舞客に言えないだけだって。
 だからこいつは風邪だ。絶対、絶対、ただの風邪だ。
 それ以外の病気なんて、認めんからな。

「別に気にする事ないわよ。こっちが気になって、勝手に顔見に来ただけなんだから。
 ねえ、ちゃんとご飯は食べられてる? トイレを億劫がって、飲む水の量減らしてないでしょうね? 何か欲しい物ない? ……あ、関節痛むとか、そういうのは? あと、ちゃんとあったかくして寝てる?」
「っふ……。くくっ。うわあ、うるせー……。お前は、俺の母上かよ……。さっきからおばさん臭ぇし、その言い方」
「悪かったわね。つか、おばさん言うな。大人の女って言え。……いい? お姉さんはねえ、今のあんたみたいな、身体の弱ったお子ちゃま見てると、心配になって仕方ないの。分かる?」
「大人の女? ははっ、自分で言うか、普通。てかお前、お姉さん、お姉さんて……! くふっ、ふははっ、ははははっ……!」
「ちょっと、何笑ってんのよ! だって私は実際あんたより年上なんだから、立派にお姉さんでしょうが!」

 ベッドの上でちょっとだけ身体を捩り、おかしそうに笑っているエドガーの頭に、苦情を述べつつ軽いチョップを喰らわせるが、それが余計に、エドガーの笑いのツボを刺激したようだ。
 何がそんなに面白いのか分からんが、私の目の前の失礼極まりない病人様は、ついに腹を抱えて笑い始める。
 こ~の~や~ろ~!
 …って言うか、病人がいつまでも腹抱えて笑いながら、ベッドの上でジタバタしてんじゃねえ!
 大人しく休んでろこのバカチンが!
 お前の奇行のせいで、シアのこっち見る目もなんか生温くなってんじゃん!

 あと、ご当主様も微笑ましそうに笑って見てねえで、いい加減止めに入ってくれませんかね!
 私が言うのも何だけど、私達の今のやり取り、身分や立場的な事考えると完全にNGなんじゃありません!?
 やだもう、離れた場所にいるメイドさんまでいい笑顔!

 ――あの、もしかしてこれ、私が止めないと誰も止める奴がいない感じですか?
 ……あー、そうかいそうかい。
 そういう事なら、実力行使で止めてやんよ!
 つっても、病人相手にあんま乱暴な真似もできないし、ここはひとつ、頬を引っ張って抓るくらいで勘弁してやるとしよう。
 うむ、流石は私。自他共に認める大人の女。どんな時でも理性的です。
「ったくもう……! あ・ん・た・は、いい加減、身体休めろって、言ってんのよ!」
「いででで! バッカやめろ、暴力反対!」
 私が手加減しつつも頬を指先で摘んで抓ると、エドガーが私の手を掴んで引き剥がしにかかる。
 とはいえ、病床で弱ったガキンチョの力と、バリバリ元気で身体強化魔法が使える私とじゃ、全く勝負にならなかった。

 くくく、それで力を入れてるつもりか、エドガーよ。
 どんどん意地の悪い顔になりつつある、私(ええ、自覚はありますよ?)の魔の手からどうにか逃れようと、エドガーがなりふり構わず両手で私の手を掴みにかかった、その瞬間。
 何の前触れもなく私の手がぽわっと光り、次いでその光がエドガーの全身を包み込んだ。

 は!? なにこれ!?
 淡く柔らかかったその光は、あっという間にその光量を増していき――やがて、カメラのフラッシュを焚いた時のような強い閃光に変わったのち、跡形もなく消えた。
 本当にあっという間の出来事で、ものの数秒もなかったように思う。
 ご当主様達も、思い切り困惑していらっしゃるようだ。
 そりゃまあ、当然でしょうよ。

 つーか……め、目が、結構、チカチカするんですが……!
「せ、聖女様、い……今のは、一体……」
「すみません、私にも、全く……ってか、え、エドガー、大丈夫? 何ともない?」
 私は目をシバシバさせつつエドガーに声をかけたが、エドガーは身体を起こした格好のまま、目を見開いて硬直しているばかりで、こちらの言葉に何の反応も返して来ない。
 おいおいおい! まさか今ので、身体に悪い影響でも出たんじゃないだろうな!?
「エドガー! しっかりしてよ、エドガー!」
 血相変えて身を乗り出し、両肩掴んで揺さぶりながら、何度も呼びかける。するとようやく、硬直していた身体……というか、顔が首ごと僅かに動いて、私と目があった。
 よかった無事か。……驚かせるんじゃねーよ、もう!

 でもなんだか、油切れしたブリキのロボットよろしく、ぎぎぎ、という擬音が聞こえてきそうなほど、ぎこちなくて緩慢な動き方だ。
 どっかのギャグマンガに出てくるキャラクターみたいだぞ、今のお前。
 ともあれ、エドガーの無事が確認できた事で、多少なりとも肩の力が抜けた私だったが、じっとこっちを見つめてくるエドガーの口から飛び出した言葉を聞いて、今度は心臓が止まりそうになった。

「……なあおい、雲雀……。ここどこだ? つーか、なんだその恰好? 今度は何のゲームのコスプレだよ。相変わらず年甲斐もねえっつーか……」
「え゙」

 なんでお前がその名前知ってんだよ!?
 てか、ゲーム!? コスプレ!?
 ――はッ! ま、まさかこいつ……っ!
 あああ、やべぇ、声が震える。
 つか、なんで今になってこいつが!?
 かっ、確認っ、確認せねばっ!

「……え、えーーと……。まさか……あんた……。大介、なの……?」
「……? まさかもなにも、そうに決まってんだろ。東大介、36歳。東京都台東区在住の、エリート商社マンだぜ?」
「……でもってバツ2の甲斐性なし」
「うるせぇ! まだバツ2じゃねえっつってんだろうが!」
 超久々に体感する、打てば響くようなこのやり取り。
 ああっ! 女神様っ! ぶっちゃけ意味が分かりません!
「ああやっぱり大介だ! 嘘でしょ!? 一体全体どこ行った、エドガーーーーッ!!」
「うぐぅっ!? ちょ、おいバカ! やめっ、うぶっ! 揺さ、ぶるんじゃ、ねえぇっ!」
 私は、茫然と立ちすくむ周囲の人達を置き去りに、絶叫しながらエドガー(仮)の胸倉を掴んで、前後にガクガク揺さぶりまくる。
 勿論――そんな事をした所で、何の解決にもなりはしなかった。

◆◆◆

 あの出来事に関しては、どう言い表せばいいのか、正直私も分からない。
 とりま、ちょっとしたウケを狙うならば、大山鳴動して鼠一匹、ではなく、大山崩壊してゴリラ大群、とでも表するべきか。
 うん。微塵も面白くねえわ。
 とにもかくにも、驚きの超展開発生から一夜明け、そこから更に数日が経過した日の、昼下がり。現在私はエドガーと一緒に、王城の一室へ呼び出されていた。

 あいつ、結構長い間寝込んでたはずなんだけど、あの一件以降、熱出してた事実なんてなかったかのように、今ではすっかり復調してるし。
 室内中央に、ドンと置かれたデカくて豪華な長机の奥。
 多分座り順で言う所の、上座に相当する場所に座っている女王様は、今日も今日とて疲れたお顔をされていた。
 うん、多分女王様が座ってるの、上座だと思う。多分。
 この世界では、上座下座の話って聞いた事ないから、よく分からんけど。

 つーか、ぶっちゃけ、前世の職場でもよくよく言われてた、上座と下座がどうのこうのって話、ドチャクソ苦手です。
 昔、お年を召した職場のパイセン方から何度か教わったけど、微塵も覚えておりません。
 ややこしいし、ウザくて好かんのよ。あの考え方。
 なんで偉い人やその取り巻きってのは、立場が上の人の居場所までカッチリ決めて、特別感を演出したがるんでしょうね。
 あーあ、マジついていけねぇし。
 何が「人類皆兄弟」、「人は平等」だ。ウソぶっこいてんじゃねえよ、この階級社会が。
 くたばれ社内行事。忘年会と新年会死ね。
 ……なんて。現実逃避のあまり、つい話を逸らしちゃったけど……何の意味もない発言でした。すいません。
 つかあの……やっぱエドガーのあの一件……私のせい、ですよねぇ……。

「それで、エドガー。お前にも聖女様と同じような、前世の記憶が芽生えたというのは、本当なのですか?」
「はい。その通りです」
 1人身体を縮こまらせてる私をよそに、女王様とエドガーの間で、質疑応答が粛々と開始される。
「何分唐突な事だったので、先日は前世の記憶の方が先に立ってしまい、周囲の者には理解しがたい話を口に出し、イヴェール達に心配をかけてしまいましたが、今は落ち着いております。ご安心下さい。
 それと……陛下。大変無礼な振る舞いとは存じますが、今この場において、王子と聖女としてではなく、平民の友人同士として、聖女様と言葉を交わすお許しを頂けませんでしょうか?」
「……。分かりました。許します。ここは非公式の場ですからね。お前も聖女様に、いち友人として掛けたい言葉もあるでしょう」
「ありがとうございます。陛下のご厚情、心より感謝致します。――てな訳で、いつまでもヘコんでんじゃねえよ、アル。別になんもお前は悪くねえし。責任感じてずっと縮こまってるなんざ、らしくねえんだよ」
「そっ……! そんな事言ったって、責任感じない方がおかしいでしょ? あれは明らかに、私との接触が引き金になって起こった混乱だったんだから」

 女王様のお言葉に甘え、途端にいつも通り雑な口調で話し始めるエドガーに、私もどうにか言い返すが、いまいち声に力が入らない。
「俺が気にしなくていいって言ってんだ、とにかくもう気にすんな。……それに、正直に白状するならな。6年前、階段から足踏み外して転げ落ちるっつー、ダサい事になったあの日から、俺の頭ン中には、もう既に前世の記憶の断片が宿ってたんだ。
 今回の事は、半端に開いてた記憶の扉が完全に開き切る為の、最後の切っ掛けにしか過ぎなかった。俺は、そういう風に思ってるよ」
「……!」
「は……えええっ!?」
 エドガーの口から発せられた想定外のカミングアウトを受け、女王様が座っていた椅子から腰を浮かせ、私もつい、裏返った声を上げた。
 ああ、でも……そうか。そういう事なら色々と辻褄が合う。
「……そうだったんだ……。道理で時々、大介ばりの無神経な発言がチョイチョイ飛び出てくるなと思ったら……。大介の記憶と人格の一部が、実際頭の中にあったって訳ね……」
「悪かったな。つか、放っとけ」
 口元を押さえながら呟く私に、エドガー(With大介、って事でいいんだよね?)が半眼を向けてくる。

 というか――エドガーのカミングアウトに、私以上に衝撃を受けている人が、ここにもう1人いらっしゃるのだ。
 そう。実の母親の、女王様が。
 女王様は、半端に腰を浮かせていた椅子にゆっくり座り直すと、エドガーに視線を向ける。
 その目は、分かりやすい不安の色に揺れていた。

「……エドガー。お前は……お前は今、エドガーなのですね? わたくしの、息子なのですよね……?」
「はい。ご安心下さい、母上。かつて異なる世界で生きていた、東大介という人物の記憶の全てを引き継いではいますが、私は紛れもなく母上の子。エドガー・レイナ・リーベリー・ノイヤーエンデでございます。
 決して第三者の魂に、身体を乗っ取られている訳ではありません」
 エドガーはきっぱりと言い切った。
 それから、私に向き直る。

「――アル。こういう言い方をするのは、アルには……雲雀には悪いけど、東大介の人生はもう終わった。今母上に言った通り、大介の記憶を引き継いじゃいるが、言うなればそれだけだ。ここにいるのは、エドガーなんだよ。
 つーか、お前を助けようとして失敗して、自分までくたばっちまった挙句、我が儘坊ちゃんに転生とか、訳分かんねえし、ダセェにもほどがあるしさ……まあなんだ、その件に関しては、なる早で忘れてくれ。
 つか、いっその事もう大介なんて奴、最初からいなかった事にしてくれた方が、ぶっちゃけ気分的にラクだわ。よろしく頼むぜ」
 右の人差し指で頬を掻き掻き、何とも照れ臭そうな顔で言うエドガーに、私はがっくりと肩を落とした。

 ああもう。大介の事を思うとちょっと落ち込むけど、エドガーがエドガーのまんまで安心したっつーか、なんつーか。
 つーか、最初からいなかった事にしてくれ、ですと?
 できる訳ねえだろそんな事。
 そういう無神経な所、マジ変わってねえな。お前。

「忘れろとか言われても困るわよ。大介って人間は実在したんだから。でもまあ……口に出して言わないようにはするわ。とりま、その辺りで妥協して」
 わざとらしく胸を張り、笑いながら、「これからも、昔と変わらず幼馴染の腐れ縁って事で、適当によろしくしてあげるから感謝しなさいよね」と、恩着せがましく言ってやると、エドガーもわざとらしく肩を竦め、「こっちこそ、よろしくしてやるからありがたく思えよな」と、恩着せがましい事を言いながら、満面の笑みを浮かべた。
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