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第1章

第1話 いつか世界を救う出会い

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季節はファシリの中頃、適度に木々が倒れ、木漏れ日がさす涼やかな森の中。
黄が混ざる紺青の髪を風になびかせ、濃い紫のしまった服を着た少年がすやすやと昼寝をしていた。
少年の顔には泥が跳ねており、どうやら一仕事を終えて休んでいるところらしい。
その右腰には短剣と左腰には長剣が各一本ずつ据えてある。

「もしもし?イグニスってあなたですよね!?降りて来てください!」

大きな木の枝で休んでいた少年が唐突なことに気を悪くして下を見ると、眼下で銀髪の少女が険悪な顔をし、枝上を睨み付けていた。

「それで?イグニスは俺だけど…、何か用?回復効率落ちるんだけど。」

イグニスと呼ばれた少年は応えながら枝上から飛び降り、露骨に嫌な顔をして少女を睨み返していた。
どうやら心地の良い一休みを邪魔されたことが癇に障ったらしい。
しかし、イグニスの目の前に立つ少女もまた相当に頭にきているようだった。

「回復効率ですって?ただ寝ていただけじゃないですか!!」

少女は怒った顔も美しく整っており、白く透き通るような肢体もっていた。
そしてその全身をぷりぷりと真っ赤に震わせながら一方的に怒声を浴びせた。
イグニスからすると初対面の少女が急に怒鳴り散らすものだから、なにが起きているのかわからず、苛立ちながらも困惑していた。
少女はふくよかな胸を前に突き出しながらなおも続ける。

「…ってそんなことはどうでもいいのです!!あなた!そうあなたよ!あなたがふざけたことをなさっているから、私がこうやって説教をしに来たのですよ!」

街を歩いていたらほとんどの男が二度見するだろう少女の外見にたじろぎもせず、イグニスは言い返す。

「おい、いい加減にしてくれよ。俺が何をしたっていうんだ…?そもそもあんたと俺は初対面じゃないか。」

「そう、初対面ですね。でも私はあなたを知っています!『万年S3のイグニス』!!」

「万年S3?いったい何の話だか…ははっ。」

イグニスは煽るようにわざととぼけて見せた。

「S3は冒険者ランクの格付け!Silverランクの☆3のことですよ!Bronze、Silver、Gold、Platinumの4段階、Goldまでは☆1から☆3までの階級があって…!!!あなたはずーっとSilverランクの☆3だといっているのですよ!!」

怒った少女は口早にランクについて伝える。
その内容があまりにも説明的で可笑しく、イグニスは嫌な気分も吹き飛び大笑いした。

「あっははははははッ!わかってるわかってる!くくく…。すまない…あまりにも必死に説明するものだから…はぁ…つい笑ってしまった…ははは。」

つい今まで怒っていた少女も、イグニスの無邪気な笑顔に面食らい、顔を赤くしながら少し落ち着こうと考え始めた。

「な、なんですか…。私が忙しい中あなたに会いに来たというのに馬鹿にして…。」

「ごめん、ごめん…ついさっきまでマンスリーアングリーグリズリーを討伐していてね…。回復のための休憩を邪魔されたから気が立っちゃってさ。」

名付けた人物の顔が見てみたいほど噛みそうな獣の名前がイグニスから出たところで少女が驚く。

「マンスリーアングリーグリズリーですって!?あなたそれ、G2ランクの獣じゃないですか!腕力だけならそこらの魔物も蹂躙するくらい危険な獣ですよ!」

「ああ、まあね。…それは置いといて、あんたは?なんで俺に会いに?」

S3から2階級も上のランクであるG2級の獣を倒すという、それとなくすごいことをやってのけているイグニスはさらっと話をすり替えた。

「ああ、私としたことが礼儀を忘れるなど迂闊でした…。私の名前はアクア・フラッシュ。父、ピーター・フラッシュが家長を務める、フラッシュ家の長女ですわ。」

イグニスはフラッシュ家、と聞いてアクアの態度に納得がいった。

『フラッシュ家は信心深いことで有名だ。そこはいいんだけど厄介なのは…』

「それでイグニス、あなたはなぜGoldランクに上がることを拒んでいるのですか?Goldに上がればスピリタス教の後押しが得られるうえに、報酬も上がるのに…。まるであなたはスピリタス教を邪険にしているように感じられるわ?」

『これだ…。フラッシュ家は信心深いがその信仰心が強すぎて過剰な勧誘もやってくる…。』

「悪いけど、価値観の違いによるもの…としかいえない。話は終わり。それじゃ。」

「ちょ、ちょっとイグニス…!」

イグニスが無理やり話を終えて立ち去ろうとした、その時!


ブフォォォオオアアアアア…!!


大きな咆哮とともに風属性のブレスが二人を襲った。

「キャアッー-」

傷を負うまでではなかったものの、アクアは不意を突かれて吹き飛ばされた。

『威力はそこまでではなかったけど、属性が付与されていた…。マズイな。』

吹き飛ばされたアクアをうまく受け止め、抱きかかえつつイグニスは思考していた。

…本来、≪獣≫と称される生物は「魔力」を持たない。
今の咆哮は明らかに≪獣≫のマンスリーアングリーグリズリーだった。
しかし、風の属性が付与されているという状態は本来あり得ず、ここから予測されるのは…。

「アクア…。ミュータントだ。」

「…!!」

その言葉に呼応するように薄緑が透ける魔気(ヘイズ)をまとった巨躯がのっそりと立ち上がった。
通常個体の2倍はあろうかというマンスリーアングリーグリズリーが、よだれをだらだらと垂らし、全身の赤い毛を逆立ててこちらを凝視していた。
低く唸り、息はとても荒い。

つい瞬きをする前はイグニスに抱きかかえられたせいでほんのり体温が上がっていたアクアだが、≪ミュータント≫と聞いた途端に背筋は凍り付き、体温は失われてしまっていた。
≪ミュータント≫は特に≪獣≫の変異種で、本来「魔力」を持たなかったはずの生物が、何らかの原因で「魔力持ち」になってしまうことを指す。
低ランクの獣でも≪ミュータント≫になると狂暴性、強さ、強靭さが増し、手を付けられない厄介な存在になる。

「…少し待ってください!マンスリーアングリーグリズリーは≪獣≫の分類ですでにG2に分類されるのですよ!それが魔力を持つなんてこと…。」

グォォォオオオオオオッ!!!!

アクアが驚き戸惑っているのもよそ目に狂乱した獣はイグニスに突っ込んできた。

「き、いやぁぁぁぁあっ!?」

イグニスはアクアを空へ放り投げ、ミュータントと化した獣と向き合う。
イグニスは構え、喝ッと目を見開き、気合を入れた。

「スピリットブースト!!」

途端、イグニスの全身は大きな青白い闘気<オーラ>で包まれた。
マンスリーアングリーグリズリーもイグニスから十数メートルのところで転ぶようにしてブレーキをかけ立ち止まった。
狂乱していたミュータントですら恐れおののくほどの闘気<オーラ>が放たれているのだ。
アクアは目の前の光景が信じられず、端正な顔立ちが崩れるほど口をあんぐり開けて驚いていた。

「な…!?その色は何なの、おかしいわっ!!」

木の枝に引っ掛かっているアクアの叫びを無視する1~2秒の間に、イグニスの闘気<オーラ>はみるみる小さく圧縮されていた。
危機を感じ取ったマンスリーアングリーグリズリーの魔気<ヘイズ>が活性化し、真空の烈波が複数、イグニスに向かって放たれる。


グオオォアアッ!!(『ゼアク・パレーノ』)


「収斂…!」

イグニスの闘気<オーラ>がとてつもない密度になってその体の周囲数センチほどに留まった。
と同時に彼の体は消失し、青い一筋の光が一瞬でアングリーマンスリーグリズリーの放った魔法をかき消すとともにその巨体を貫いた。

「っ……!」

目の前の信じられない光景にアクアは言葉を失っていた。
ランクG2かつミュータントと化した≪獣≫を瞬殺したのだ。
推定ランクはG3以上。それをランクS3の自分と同じ年齢の男子が瞬殺した。
にわかには信じられない光景だった。
かくいうイグニスの闘気<オーラ>はすでに消えており、

「ふぅ…疲れたね、ははは。」

などと余裕の笑みを見せていた。
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