死ぬことが確約されている悪役令息ですが、推しの闇落ち回避のために頑張ります

蒸しケーキ

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「そりゃあ、災難だったね。坊やが捕まんなくて良かったよ。昔はこの辺りもそういう誘拐騒ぎもあったんだけど、ここ最近は、滅多になかったんだけどね。まーた物騒になっちまったもんだよ。」

 カチャカチャとキッチンで作業しながら俺に話しかけてくれているのは、この酒場の店主のクロラさん。

 あのとき、路地裏にクロラさんが来たのは、たまたま食材の買い出しの途中で、路地裏から妙な気配を感じ取ったからだそうだ。

 なんでも、俺のすすり泣く声が暗闇から聞こえたもんだから、怖くなって確かめたくなったのだという。

 なんとも好奇心に満ちたおば様なんだ、と思ったが、今はとても感謝している。お金も盗まれていないし、クロラさんに会えたことが不幸中の幸いだった。

 クロラさんの家は一階に酒場、二階にリビングやキッチンなどが併設されている店舗兼住宅という造りになっている。クロラさんは俺を招き入れると、すぐに着替えを用意してくれ、お風呂場に案内してくれた。

 お風呂から上がると、冷えないようにと暖炉のすぐ近くに椅子を置き、テーブルの上にはホットミルクも用意してくれた。その優しさに心がじんと温かくなる。

 はぁ。こんな優しいおば様がいるところで、働けたらどんなに幸せなことか。そう思ったのと同時に、無性に与えられるこの優しさが、少し怖いとも感じてしまった。

 けれど、やはり働かなくてはいけないから俺はクロラさんに尋ねてみることにした。

「クロラさんのお店は、アルバイトは募集していないんですか?」

「ん? うちかい? うちはしがない飲み屋だからねぇ。くたびれたじじぃどもがよく飲みに来るだけだから、アルバイトの募集は出してないねぇ。出したところで、働きに来る子もいないだろうしさ。」

 酒場はとても広いというわけではないが、カウンターや立席も含めれば三十人は入れるだろう。とてもじゃないがクロラさん一人だけでお店を回すのは大変なはずだ。

「あの、もしよかったらなんですけど......働かせてもらえませんか? 実は、さっきまで職業紹介所に行こうとしてて」

 俺が働きたい理由を話すと、クロラさんは微笑みながら頷いた。

「そうだったのかい。坊やが働いてくれたらあたしも助かるけど、本当にうちみたいなところでいいのかい? あたしの店は確かに立地は悪くないかもしれないけれど、それ以外は大した取り柄もないよ。」

「いえ、クロラさんに助けていただけたのも何かの縁ですし、ぜひ働かせていただきたいです。」

 力強く俺がそう言えば、クロラさんは優しく微笑んだ。

「そこまで言うなら、明後日からお願いしようかね。狭い店だけど、きっちりお給金は払うから安心しな。それに、若い子が入ってきたって知ったら。じじぃたちの話にも花が咲くってものさ。うふふ、楽しみだね。」

「ありがとうございます!」

 心の中でガッツポーズをする。これで働き口も確保できたし、アルトの姿を近くで見られるチャンスも増える。

 ひとまず目標が達成できたことに安堵したのか、急に眠気が押し寄せてきた。

 暖炉の前でうとうとしていると、それに気づいたクロラさんが、気を遣ってくれたのか家に泊まるように提案してくれた。

「いえっ! 泊まるなんて恐れ多いです。」

「気にしなくていいのよ。今日はもう暗いし、泊まっていきなさい。制服も汚れちまってたから、洗濯して明日の朝には乾くようにするさ。それに、娘や息子はもう嫁ぎに行ったり、独り立ちしてったから部屋もたくさん空いてるんだ。好きなとこを使いなさいね。」

 俺はその好意に甘えることにした。こんな悪役にもいい出会いがあるんだな、と思った。

 ーー原作のゼノもこういう温かい人物と出会っていたら、少しは運命が変わっていたのだろうか。

 ふと、そんなことを考えつつ、好きな部屋を使っていいと言われたので、俺は一番奥の角部屋で寝ることにした。

 扉の前には”マキュリー”と書かれた札が下がったままになっていた。

 たぶんここはクロラさんの娘さんが使ってた部屋だったのだろう。「お借りします......」と心のなかで礼をしてから部屋の中へ入った。

「あ”ぁ~、づがれだ~。」

 ベッドに腰掛けると、自分の家にあるベッドよりもずっといいものを使っていると分かった。低反発のふかふかベッドに体が沈むと、力が抜けていく。

「ふぁ~......ねむい。」

 本当は、今日のことをメモにでも残しておこうと思っていたのだが、今日はもう無理そうだ。

 ......それにしても、何か忘れてるような気がするけど......気のせいだよな?
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