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80.天井から②(怖さレベル:★★★)
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「はっ……な……っ!?」
そんなタチの悪いイタズラをする同僚もいなければ、
当然、天井に人が入れるような穴もありません。
天井からニョキリと頭部を生やしているその物体。
頭蓋骨をそのまま連想させるかのようなこけた肌は青黒さをまとい、
垂れる髪はこちらの手に絡みつくかのような生々しさ。
「ヒッ……!!」
目に映るものがとても現実のものと思えず硬直した私を、
まるであざ笑うかのように。
そのおぞましい化け物は、
天井にめり込んでいた胴体をゆっくりと現し始めました。
ズルッ……ズルッ……
「わ、わわわ……っ」
あまりの事態にみっともない声を上げ、
抜けかけた腰を、イスごとずりずりと後退させます。
その間も、天井からぶら下がる性別不明の人間の頭部は、
まるでそこから生まれ落ちるかのごとく、
ヌルリ、ヌルリと肩の部分まで滑りだしてきました。
「あ……あ……」
ヤバい。とてつもなく、ヤバい。
只、本能に刺さる、その恐怖。
ズル……ズルンッ
それはついに、腰部までを表に現してきました。
長く湿った髪の合間から覗く、
ギョロリとまるい眼球が、ただひたすらに私のことを凝視しています。
「う……うぅ」
漏れ出るか細い悲鳴がまるで自分の声ではないかのようで、
小刻みな全身の震えが、カタカタと耳障りな音を立てました。
(ヤバい……逃げない、と)
脳内の警告灯がチカチカと真っ赤に明滅しています。
畏怖でままならぬ足を叱咤して、
机の下のカバンを無理やりつかみ取り、
全速力で玄関へとダッシュして――。
「あ」
一歩、踏み出した右足。
そのルームシューズの足裏ごしに触れる、
ぐんにゃりとした感触。
柔らかくて、ヌルついていて、
ドクン、と脈動した――例えるなら、カエルの、ような。
「ひッ!?」
奮い立つ鳥肌に思わずたたらを踏んだその時。
ズルンッ
背後、から。
生ぬるい暖かさをもった、なにかが。
すう、と撫でるように。
つるん、と遊ぶように。
生殺与奪を握った強者の、
ただの戯れであるかのように。
「……う、っ……!?」
細い、細い糸のような物質が、
ゆるゆると頸部を囲み、顎にそうっと触れて。
「……ぅ、あ」
私は極限までの恐怖に晒されて、
そのまま――あっさりと、昏倒してしまったのです。
「……オイ。オイ、大丈夫か」
「ん……?」
かけられた声にハッと意識が覚醒しました。
開かれた目に映ったのは、あの化け物――
ではなく、よく見慣れた同僚です。
「え……お前、どうして」
「いや、どうしてもなにも……朝だぞ、もう」
どこか呆れ顔の彼の目線をたどった先。
事務所の中央、壁かけ時計の針は、早朝の八時を示しています。
「えっ……あ、ハァッ!?」
ようやく己の失態に気づき、慌てて身体を起こしました。
どうやら、あのまま床の上で気を失っていたようです。
芋づる式に湧き上がった記憶に、バッと天井を見上げるも、
当然、そこにあの不気味な化け物の姿など、影一つ残っていません。
あの、異様な感触を覚えた靴の裏にもなにも付着しておらず、
ただただ、朝の陽ざしが降りそそぐのみ。
昨晩の恐怖の残滓など、跡形もありませんでした。
「お前……事務所で寝落ちしたのか」
「は……ハハ。うん、まぁ、そうみたいだ……」
記憶の混濁が脳内でまだ渦巻いていたものの、
「あ……! プログラム……!」
仕事を途中で放り出してしまっていたと、
慌ててデスクに向かえば、
「ウソ……だろ……」
南極の氷河の下よりなお低い、極寒の声が漏れました。
昨夜、あれだけ必死に間に合わせようと取り組んでいた、その成果。
そのすべての修正が――ものの見事に、初期化されてしまっていたのです。
それを認識した瞬間は、全身の血液という血液から
色が消え去ったのを覚えています。
そんな……思い出すも辛いできごともあり、
私はその後、すぐに会社を退職しました。
仕事の責任をとって、
などと言えば聞こえはいいですが……私は怖かったんです。
あの、天井からしたたる黒髪。
あれが私の頸部に巻き付いた時、確かに「死」を感じました。
でも、私は殺されることはなかった。
しかしそれは、ただ、運が良かった。それだけで。
アレはおそらく、何でもないかのように人を害せるでしょう。
私は、次にあの化け物に目をつけられたら、
今度こそ無事ではいられなかったと思います。
……ハードな残業続きの男が見た、ただの幻覚。
そう……思います?
もし、そう思うなら……ぜひ、かつてのわが社を訪れてみて下さい。
……まぁ、もう今は、誰一人として住む人のいない、
ただの更地となっていますけれど。
そんなタチの悪いイタズラをする同僚もいなければ、
当然、天井に人が入れるような穴もありません。
天井からニョキリと頭部を生やしているその物体。
頭蓋骨をそのまま連想させるかのようなこけた肌は青黒さをまとい、
垂れる髪はこちらの手に絡みつくかのような生々しさ。
「ヒッ……!!」
目に映るものがとても現実のものと思えず硬直した私を、
まるであざ笑うかのように。
そのおぞましい化け物は、
天井にめり込んでいた胴体をゆっくりと現し始めました。
ズルッ……ズルッ……
「わ、わわわ……っ」
あまりの事態にみっともない声を上げ、
抜けかけた腰を、イスごとずりずりと後退させます。
その間も、天井からぶら下がる性別不明の人間の頭部は、
まるでそこから生まれ落ちるかのごとく、
ヌルリ、ヌルリと肩の部分まで滑りだしてきました。
「あ……あ……」
ヤバい。とてつもなく、ヤバい。
只、本能に刺さる、その恐怖。
ズル……ズルンッ
それはついに、腰部までを表に現してきました。
長く湿った髪の合間から覗く、
ギョロリとまるい眼球が、ただひたすらに私のことを凝視しています。
「う……うぅ」
漏れ出るか細い悲鳴がまるで自分の声ではないかのようで、
小刻みな全身の震えが、カタカタと耳障りな音を立てました。
(ヤバい……逃げない、と)
脳内の警告灯がチカチカと真っ赤に明滅しています。
畏怖でままならぬ足を叱咤して、
机の下のカバンを無理やりつかみ取り、
全速力で玄関へとダッシュして――。
「あ」
一歩、踏み出した右足。
そのルームシューズの足裏ごしに触れる、
ぐんにゃりとした感触。
柔らかくて、ヌルついていて、
ドクン、と脈動した――例えるなら、カエルの、ような。
「ひッ!?」
奮い立つ鳥肌に思わずたたらを踏んだその時。
ズルンッ
背後、から。
生ぬるい暖かさをもった、なにかが。
すう、と撫でるように。
つるん、と遊ぶように。
生殺与奪を握った強者の、
ただの戯れであるかのように。
「……う、っ……!?」
細い、細い糸のような物質が、
ゆるゆると頸部を囲み、顎にそうっと触れて。
「……ぅ、あ」
私は極限までの恐怖に晒されて、
そのまま――あっさりと、昏倒してしまったのです。
「……オイ。オイ、大丈夫か」
「ん……?」
かけられた声にハッと意識が覚醒しました。
開かれた目に映ったのは、あの化け物――
ではなく、よく見慣れた同僚です。
「え……お前、どうして」
「いや、どうしてもなにも……朝だぞ、もう」
どこか呆れ顔の彼の目線をたどった先。
事務所の中央、壁かけ時計の針は、早朝の八時を示しています。
「えっ……あ、ハァッ!?」
ようやく己の失態に気づき、慌てて身体を起こしました。
どうやら、あのまま床の上で気を失っていたようです。
芋づる式に湧き上がった記憶に、バッと天井を見上げるも、
当然、そこにあの不気味な化け物の姿など、影一つ残っていません。
あの、異様な感触を覚えた靴の裏にもなにも付着しておらず、
ただただ、朝の陽ざしが降りそそぐのみ。
昨晩の恐怖の残滓など、跡形もありませんでした。
「お前……事務所で寝落ちしたのか」
「は……ハハ。うん、まぁ、そうみたいだ……」
記憶の混濁が脳内でまだ渦巻いていたものの、
「あ……! プログラム……!」
仕事を途中で放り出してしまっていたと、
慌ててデスクに向かえば、
「ウソ……だろ……」
南極の氷河の下よりなお低い、極寒の声が漏れました。
昨夜、あれだけ必死に間に合わせようと取り組んでいた、その成果。
そのすべての修正が――ものの見事に、初期化されてしまっていたのです。
それを認識した瞬間は、全身の血液という血液から
色が消え去ったのを覚えています。
そんな……思い出すも辛いできごともあり、
私はその後、すぐに会社を退職しました。
仕事の責任をとって、
などと言えば聞こえはいいですが……私は怖かったんです。
あの、天井からしたたる黒髪。
あれが私の頸部に巻き付いた時、確かに「死」を感じました。
でも、私は殺されることはなかった。
しかしそれは、ただ、運が良かった。それだけで。
アレはおそらく、何でもないかのように人を害せるでしょう。
私は、次にあの化け物に目をつけられたら、
今度こそ無事ではいられなかったと思います。
……ハードな残業続きの男が見た、ただの幻覚。
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