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結婚したのは、あのおとうさまじゃないから
塔の中に入るとすぐ目の前に石の壁があり、床はゆるい勾配のスロープになっていた。
暗くてよく見えないが、振り仰ぐとスロープは塔の内壁をぐるぐると取り巻く形で頂に向かって続いていた。雨が降ると水はスロープを流れ落ちて排水溝に吸い込まれる仕掛けになっているようだ。雨に弱いおとうさまが雨季でも安心して結婚に励むためだろう。
伸びあがって石の壁の向こうを覗き込むと、干し草が床いっぱいにうずたかく敷き詰められていた。
「クフベツさま、この坂を登ればてっぺんまで行けそうです」
急いでクフベツさまを招き入れて扉を元どおり閉めた時、遠くからひゅうっと風を切るような音が聞こえた。
続いて、
ドゴッ!
すぐそばで腹に響く重い音がして、アーユーラは肝をつぶした。
何かが落ちてきたんだ。荒い息遣いと唸り声が聞こえた。
生き物だ!しかもとりわけ狂暴な……干し草の上で、一瞬静かになったそれは、干し草を跳ね飛ばす勢いで激しく暴れ始めた。
アーユーラは観念した。イザリ虫にがぶりと噛みつかれるか、トゲグモにグサリと毒針を突き立てられるのか……けれどその生き物はいつまでたってもガブリともグサリともやってこない。ただ激しく動いているばかりだ。
アーユーラはこわごわ目を開けて、干し草のほうを覗き込んだ。
みごとな翼が目に飛び込んできた。激しく体を揺すっているのはたくましい翼をもつ者だった。はッと息をのんだアーユーラの目の前で、ラ・ズーはやにわに舞い上がった。
思わず目で追うアーユーラ。心臓も凍るような高みから、今しもみるみる降下してくるのは……。
「ハルマヤさま……」
アーユーラの目に見覚えのある布地が映った。さっき変装のためにハルマヤさまに着せてあげた自分の服だった。
骨折した左腕には不器用なワメールが巻いたらしい包帯が見えた。
ハルマヤさまの頬は真っ赤に上気して目はとろんと潤み、口の端からよだれを垂らしている。
アーユーラは翼をもつ者に抱かれてもだえているハルマヤさまをぽかんと口を開けて見つめた。なんとまあ、いつも難しい顔で研究ばかりしていたのと、これが本当に同じ方かしら……。
ハルマヤさまはすさまじい勢いで翼をもつ者もろとも干し草の上に落ちてきた。ほんの目と鼻の先にアーユーラの顔があるのに、ハルマヤさまはまるで目に入らないようにお尻を激しく振りたてている。
「もうだめ、もうだめ」
もみくちゃにされてよがり狂っているハルマヤさまからやっと目を離すと、アーユーラはどぎまぎしながらクフベツさまを振り向いてささやいた。
「今なら気づかれません、早くこちらへ。ヨンジンはもう塔の上に来ているはずです」
クフベツさまもうなずいて、おっかなびっくり歩き出した。
「痛っ」
クフベツさまは小さな声を上げた。何か硬い物を踏んだのだ。
拾い上げてみると、それは古ぼけた小刀だった。クフベツさまはそれに見覚えがあった。
「どうしました?」
アーユーラが緊張してささやく。
「いや、何でもない」
答えたクフベツさまの声は震えていた。
クフベツさまは恐る恐るおとうさまの方に顔を向けた。
ハルマヤさまを抱きしめて今再び激しい勢いで舞い上がったのは、見間違えるはずもない、あの翼をもつ者だった。
子供の頃、『パパ』と呼んで慕ったラ・ズー。
デグーはクフベツさまには目もくれず、ほっそりとした美しいハルマヤさまの体にのしかかって執拗にエマを攻め立てていた。昔クフベツさまにしたように……。
急に青ざめて黙り込んだクフベツさまを促してアーユーラがスロープを登り始めると、すぐ前を歩いている人影が見えた。
それはのろのろと前進していた。
「もしかして、ハルマヤさまの上のイスメヤおねえさまじゃないですか?」
アーユーラがささやくと、クフベツさまも怯えたようにうなずいた。
近づいてみると、確かにそれはイスメヤさまだった。イスメヤさまは疲れた足取りでスロープをゆっくり上っていた。
「イスメヤさま、ここで何をしてるんですか」
「上っている」
「なぜ?」
イスメヤさまは天井を指差した。
「あそこに行って、卵を産みたいんだ」
アーユーラはイスメヤさまの指差す先を振り仰いだが、暗くて何も見えなかった。
「昼間はあそこから日の光が差してくるんだけどね」
とイスメヤさまは言った。
「いつから登ってるんですか」
「さっきさ。ハルマヤがこの塔に入ってきたから、俺はもう要らないっておとうさまに言われた」
「要らないなんて……」
アーユーラは気の毒に思いながらそっとイスメヤさまの顔を横目で窺った。
干し草をまき散らして、すぐそばをおとうさまがまた高く舞い上がった。
(去年結婚したおとうさまが、今日はハルマヤさまと結婚するのを見ながら登っていくんだわ。イスメヤさまはどんな気持ちかしら……)
アーユーラの同情の視線を感じたのか、イスメヤさまは唇を歪ませて笑った。
「ちなみに俺が結婚したのは、あのおとうさまじゃないから」
暗くてよく見えないが、振り仰ぐとスロープは塔の内壁をぐるぐると取り巻く形で頂に向かって続いていた。雨が降ると水はスロープを流れ落ちて排水溝に吸い込まれる仕掛けになっているようだ。雨に弱いおとうさまが雨季でも安心して結婚に励むためだろう。
伸びあがって石の壁の向こうを覗き込むと、干し草が床いっぱいにうずたかく敷き詰められていた。
「クフベツさま、この坂を登ればてっぺんまで行けそうです」
急いでクフベツさまを招き入れて扉を元どおり閉めた時、遠くからひゅうっと風を切るような音が聞こえた。
続いて、
ドゴッ!
すぐそばで腹に響く重い音がして、アーユーラは肝をつぶした。
何かが落ちてきたんだ。荒い息遣いと唸り声が聞こえた。
生き物だ!しかもとりわけ狂暴な……干し草の上で、一瞬静かになったそれは、干し草を跳ね飛ばす勢いで激しく暴れ始めた。
アーユーラは観念した。イザリ虫にがぶりと噛みつかれるか、トゲグモにグサリと毒針を突き立てられるのか……けれどその生き物はいつまでたってもガブリともグサリともやってこない。ただ激しく動いているばかりだ。
アーユーラはこわごわ目を開けて、干し草のほうを覗き込んだ。
みごとな翼が目に飛び込んできた。激しく体を揺すっているのはたくましい翼をもつ者だった。はッと息をのんだアーユーラの目の前で、ラ・ズーはやにわに舞い上がった。
思わず目で追うアーユーラ。心臓も凍るような高みから、今しもみるみる降下してくるのは……。
「ハルマヤさま……」
アーユーラの目に見覚えのある布地が映った。さっき変装のためにハルマヤさまに着せてあげた自分の服だった。
骨折した左腕には不器用なワメールが巻いたらしい包帯が見えた。
ハルマヤさまの頬は真っ赤に上気して目はとろんと潤み、口の端からよだれを垂らしている。
アーユーラは翼をもつ者に抱かれてもだえているハルマヤさまをぽかんと口を開けて見つめた。なんとまあ、いつも難しい顔で研究ばかりしていたのと、これが本当に同じ方かしら……。
ハルマヤさまはすさまじい勢いで翼をもつ者もろとも干し草の上に落ちてきた。ほんの目と鼻の先にアーユーラの顔があるのに、ハルマヤさまはまるで目に入らないようにお尻を激しく振りたてている。
「もうだめ、もうだめ」
もみくちゃにされてよがり狂っているハルマヤさまからやっと目を離すと、アーユーラはどぎまぎしながらクフベツさまを振り向いてささやいた。
「今なら気づかれません、早くこちらへ。ヨンジンはもう塔の上に来ているはずです」
クフベツさまもうなずいて、おっかなびっくり歩き出した。
「痛っ」
クフベツさまは小さな声を上げた。何か硬い物を踏んだのだ。
拾い上げてみると、それは古ぼけた小刀だった。クフベツさまはそれに見覚えがあった。
「どうしました?」
アーユーラが緊張してささやく。
「いや、何でもない」
答えたクフベツさまの声は震えていた。
クフベツさまは恐る恐るおとうさまの方に顔を向けた。
ハルマヤさまを抱きしめて今再び激しい勢いで舞い上がったのは、見間違えるはずもない、あの翼をもつ者だった。
子供の頃、『パパ』と呼んで慕ったラ・ズー。
デグーはクフベツさまには目もくれず、ほっそりとした美しいハルマヤさまの体にのしかかって執拗にエマを攻め立てていた。昔クフベツさまにしたように……。
急に青ざめて黙り込んだクフベツさまを促してアーユーラがスロープを登り始めると、すぐ前を歩いている人影が見えた。
それはのろのろと前進していた。
「もしかして、ハルマヤさまの上のイスメヤおねえさまじゃないですか?」
アーユーラがささやくと、クフベツさまも怯えたようにうなずいた。
近づいてみると、確かにそれはイスメヤさまだった。イスメヤさまは疲れた足取りでスロープをゆっくり上っていた。
「イスメヤさま、ここで何をしてるんですか」
「上っている」
「なぜ?」
イスメヤさまは天井を指差した。
「あそこに行って、卵を産みたいんだ」
アーユーラはイスメヤさまの指差す先を振り仰いだが、暗くて何も見えなかった。
「昼間はあそこから日の光が差してくるんだけどね」
とイスメヤさまは言った。
「いつから登ってるんですか」
「さっきさ。ハルマヤがこの塔に入ってきたから、俺はもう要らないっておとうさまに言われた」
「要らないなんて……」
アーユーラは気の毒に思いながらそっとイスメヤさまの顔を横目で窺った。
干し草をまき散らして、すぐそばをおとうさまがまた高く舞い上がった。
(去年結婚したおとうさまが、今日はハルマヤさまと結婚するのを見ながら登っていくんだわ。イスメヤさまはどんな気持ちかしら……)
アーユーラの同情の視線を感じたのか、イスメヤさまは唇を歪ませて笑った。
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