エマをもつむすめ

ぴょん

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あの時、何が何だかわからなくなっちゃって

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ホントなら、とっくに気がついてもよかったことさ。おひめさまを手に入れたラ・ズーが、することと言ったら一つじゃないか。なのに、ヨンジンは、クフベツさまが他の誰かのものになるなんて思いもしなかった。ヨンジンの時間は、クフベツさまと別れたあの時から、また巡り合うまでずっと止まってたんだ。

ヨンジンは力が抜けたように、その場にへたり込んでしまった。
クフベツさまは、言いたいだけ言って気が治まったのか、ハッと我に返ったように口をつぐんだ。ヨンジンを傷つけてしまったことに、今更気付いたんだ。けど、今のはでまかせなんて、言えるわけがない。それに、一番重要なことは、もう取り返しがつかなかった。クフベツさまが他のラ・ズーに恋をするという可能性に、ヨンジンが気づいてしまったことは。
クフベツさまはその瞬間、自分がとんでもない過ちを犯したことに気づいた。
けれど遅かったね。一度疑うことを知ってしまった心には、どんな言葉も効き目はないんだから。

その夜半、顔の周りをうるさく飛び回る虫の音にクフベツさまがふと目を覚ますと、そばにヨンジンがぽつねんと座っていた。
いつもだったら昼間中飛び続けた疲れでとっくに眠りこけている時刻さ。クフベツさまは木の股のなるべく広々したところに横になって、ヨンジンは手近な枝にとまって眠ることにしていた。
月明りに浮かんだヨンジンの陰鬱な表情を見て、クフベツさまは一瞬ドキッとした。
「な、なんだよ?」
身を起こしかけたクフベツさまの顔を、ヨンジンはちらりと見上げて、
「寝てていいよ……俺が見張ってるから」
地の底から響いてくるような、暗い声で言うんだ。デグーが追ってくるとでも思ったのかね。手には例の小刀を油断なく握ってた。クフベツさまはなんだか気味が悪くて、
「お前がそこにいたんじゃ眠れないよ」
と不機嫌に言った。
「そう。それじゃ、もうそろそろ出発する?」
と、ヨンジン。
「頭、おかしいんじゃないのか? そんなに飛び続けたら身が持たないだろ」
クフベツさまは、相手にしていられないというように寝返りを打った。
「大丈夫、もうすぐエマニの原だから。……あ、でもクフベツはエマニの原には戻りたくないんだっけ。どこに行きたい? 俺はどこでもいいよ、クフベツと一緒なら……」
抑揚のない口調でぼそぼそ呟く。痛々しくて、とても見ていられなかった。
そんなに傷つけるつもりじゃなかった。そんなに傷つくなんて思わなかったんだ。自分はヨンジンととても親しいのだから、何を言っても大丈夫だというおごりがあった。本当は、好きな相手の言葉ほど胸にグサッと突き刺さるのにね。
クフベツさまが本当に好きなのはヨンジンだった。それをもう一度信じさせてやるには、ヨンジンと結婚して死ぬ以外に方法がなかった。でもクフベツさまは死にたくなかった。クフベツさまはぎこちなく手を伸ばして、ヨンジンの砂色の髪をなでた。
「俺が好きなのは、……」
また照れくさくて声が小さくなったが、静かな森の中なのでなんとかヨンジンにも聞こえた。
「……お前だけなんだからさ。それは信じていいから」
「本当に?」
ヨンジンは今にも泣きだしそうな顔で言った。よほど傷付いていたんだね。
「うん」
クフベツさまの胸はギュッと痛んだ。ヨンジンはまだ信じ切れないというように美しい眉をかすかにしかめて、
「俺のこと、あ、愛してる?」
と蚊の鳴くような声で聞いた。
「当然だろ。お前が俺の、その、は、初めての翼をもつ者ラ・ズーなんだから」
クフベツさまはつっかえつっかえ、恥ずかしいのをこらえてやっと言った。

「え、俺が?」
ヨンジンはきょとんとした。
「えっ、あの時のこと? あれって夢じゃなかったんだ……」
ヨンジンはクフベツさまの顔から目をそらした。みるみる頬が紅潮して、しまいに耳まで真っ赤になった。
「夢かと思ってて……」
ヨンジンはうるんだ目でくすぐったそうにクフベツさまを見た。
「俺、エマニの実を食べた時のこと、よく思い出せないんだ」
まっすぐ視線を向けるのが恥ずかしいというように、チラチラとクフベツさまを盗み見ながら、
「気がついたら翼を切られて倒れてて、クフベツもパパもいなくて。パパがよく話してた、悪い虫にでも食べられちゃったのかと最初は思ってたよ」
うれしそうに笑って、両腕で自分の肩を抱きしめるような仕草をした。
「お、覚えてないって。そんな大事なこと……」
「ごめん。あの時、何が何だか分からなくなっちゃって。それに俺、死にかけたんだし……」
ヨンジンはきまりが悪そうに言い、眩しそうに目を細めてクフベツさまを見つめた。

(信じられない。なんて奴だ)
自分だってしばらくショックで記憶を失っていたくせに、自分のことは棚に上げてクフベツさまはヨンジンに腹が立ってしょうがなかった。初めてエマを貫かれた時の快感を思い出すたび発情していたのに、自分ばっかりそういう目でヨンジンを見ていたのだと思うと、恥ずかしいやら拍子抜けするやらでどんな顔をしたらいいか分からなかった。
「俺、怖かったんだ。クフベツが昔と変わっちゃったみたいで……」
ヨンジンは甘えるようにすり寄ってきて、
「お前のエマってどうなってんの」
と聞いた。
「なんだよ、やらしいな」
クフベツさまは恥ずかしさも手伝ってつっけんどんに言った。
「いや、そうじゃなくて。単に好奇心っていうか……俺のエマと同じかなって……」
「同じなわけないだろ」
「え、そうなの?」
「同じだったら結婚できないだろうが」
「え、そうなんだ。俺、知らなくて……」
「何言ってんだ」
クフベツさまはあきれた。あの時ヤッただろうが、途中まで、……と言いかけた言葉を飲み込んで、
「子供の時見ただろ」
とだけ言った。
「だよね、見たはずなのに覚えてないんだ」
ヨンジンは首をかしげ、
「結婚って、どうやるの?」
と聞いた。本当に記憶がないらしい。
(俺に聞くな!)
と怒鳴りたいのをやっとのことでこらえて、クフベツさまはできる限り平静を装って言った。
「見た覚えがないのは当然かもな。俺のエマ、体の中にあるから」
「ええ? どういうふうになってんの?」
「どうって……」
クフベツさまは困った。ヨンジンが、ますます見たい、という顔をして目をキラキラさせていたからだ。
「じゃ、ちょっとだけだぞ」
着物の裾をはだけて脚を開くと、ヨンジンが遠慮なく顔を突っ込んできた。
「きれい……」
(こいつ、子供の頃から、好奇心だけは強いんだよな)
クフベツさまは恥ずかしいのをこらえてなすがままにさせている。
「いいにおい」
ヨンジンはうっとりしてそう言うと、クフベツさまのエマにチュッとキスをした。

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