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俺たちの故郷だよ、ヨンジン
昨日までの雨で、土がところどころぬかるんでいた。
泥に足を取られ、クフベツさまはそばにあった大きな岩に手を突いてなんとか踏みとどまった。
息を整え、ぐったりとしたヨンジンの体を肩に担ぎ直して、クフベツさまは歩き続けた。
倒木を乗り越え、また息を整えて、慎重に足を運ぶ。
またずり下がってきたヨンジンの体を何度目かに担ぎ直した時、ようやくぽっかりと大地の裂け目が姿を現した。
ひとまずヨンジンの体を傍らに横たえ、クフベツさまは肩で息をしながらひざまずいた。
「俺たちの故郷だよ、ヨンジン」
ヨンジンはまだ子供のような真剣さで眠っていた。クフベツさまは、細かな造作の一つ一つまで覚え込もうとするかのように、息を止めてヨンジンの美しい顔に見入った。うつぶせに横たえてやる必要も、今はなかった。残った右の翼も、さっき切り落としてしまったから。
やがてクフベツさまは、ヨンジンの体をぐいと裂け目に向かって押しやった。
ヨンジンの体はふわりと雲に乗ったように、ゆっくりゆっくり落ちていった。
これでもう、ヨンジンが追いかけてくることはない……。
(これでいいんだ)
とクフベツさまは自分に言い聞かせた。
(お前は美しくて純真なのに、俺は汚れてて、頭もおかしくて、愛される資格なんかないんだ)
愛が冷めていくのを見届ける勇気なんかなかった。傷つくぐらいなら、一人のほうがマシだった。
(俺が本当に怖かったのは、お前が追ってくることじゃない。追ってきてくれないことだったんだ。
翼のあるお前がもし追ってきてくれないとしたら、その時こそ俺は捨てられたってことなんだ)
ヨンジンの砂色の髪がかすかに風にそよいだ。
(パパに捨てられたのだってショックだったのに、もしもお前に捨てられたらその痛みはどんなだろう。俺はその心の痛みが怖いんだ。
だけどお前を恨むことはできない。それは俺が、恋のために命を捨てられなかったせいなんだから。その時俺はどんなに後悔するだろう……。
お前が追ってこないのは飛べないからだと信じ続けるためには、こうするしかなかったんだ)
ヨンジンの体はどんどん遠ざかり、もう卵くらいの大きさにしか見えなかった。
(あんなに愛してくれたのに、ごめん。そのかわり、お前のことは忘れないからね)
クフベツさまはようやく安心したように微笑んだ。
その時、クフベツさまの頭をふと突飛な考えがよぎった。
ヨンジンがクデカの都からずっと、翼の下にしっかりとくくりつけて持ってきたあの卵。
あの卵からエマをもつむすめが孵ったら?
そんな可能性はほとんどないのに、クフベツさまは取り返しのつかない過ちを犯したような気がした。
ヨンジンは、その子を育てて、いつか結婚する。
クフベツさまが本当に愛していたのはパパなのだと思いこんだまま、幼い日の恋を胸の奥に埋めて……。
そんなのイヤだ、と、クフベツさまは思った。
お前は永遠に俺だけのものだ。
(卵なんか、捨ててしまえばよかった。
翼も右だけでなく、エマをもつむすめを抱いてほんのちょっとでも飛びあがれないように、両方とも根元から切ってしまえばよかった)
思わずヨンジンを追って大地の裂け目に飛び込もうとして、クフベツさまはやっと思いとどまった。
(いや、同じことだ。お前と結婚したって俺は卵を産んで死ぬんだし、そうしたらお前は俺の産んだむすめと結婚するんだろ。
お前を永遠につなぎとめることなんて、最初からできなかったんだ)
クフベツさまは唇を噛んだ。ヨンジンだけは自分のものだと思っていたのに、それすらかなわない。
大地の裂け目のはるか向こうに、何千という子供たちに囲まれ、幸せそうに笑っているヨンジンの姿が見えたような気がした。
(なんでだよ。俺はこんなに一人ぼっちなのに。結婚しても、しなくても、俺は結局孤独なのに……)
お前とパパが作ってくれたおかあさんのお墓。
俺はとうとう一度も行かなかった。
死体が怖くて、『死』が怖かった。
どうして俺はこうなんだろう。臆病で、いつも自分のことばっかり考えて……。
エマさえなければと思うけど、このエマは俺の体の奥深く巣食ってて、翼のように切り取ってしまうことすらできないんだよ……。
クフベツさまは消えていったヨンジンの姿を奈落の底に虚しく探しながら声を放って泣いた。
最後まで拒みとおしたのは自分なのに、勝手なものだね。
泥に足を取られ、クフベツさまはそばにあった大きな岩に手を突いてなんとか踏みとどまった。
息を整え、ぐったりとしたヨンジンの体を肩に担ぎ直して、クフベツさまは歩き続けた。
倒木を乗り越え、また息を整えて、慎重に足を運ぶ。
またずり下がってきたヨンジンの体を何度目かに担ぎ直した時、ようやくぽっかりと大地の裂け目が姿を現した。
ひとまずヨンジンの体を傍らに横たえ、クフベツさまは肩で息をしながらひざまずいた。
「俺たちの故郷だよ、ヨンジン」
ヨンジンはまだ子供のような真剣さで眠っていた。クフベツさまは、細かな造作の一つ一つまで覚え込もうとするかのように、息を止めてヨンジンの美しい顔に見入った。うつぶせに横たえてやる必要も、今はなかった。残った右の翼も、さっき切り落としてしまったから。
やがてクフベツさまは、ヨンジンの体をぐいと裂け目に向かって押しやった。
ヨンジンの体はふわりと雲に乗ったように、ゆっくりゆっくり落ちていった。
これでもう、ヨンジンが追いかけてくることはない……。
(これでいいんだ)
とクフベツさまは自分に言い聞かせた。
(お前は美しくて純真なのに、俺は汚れてて、頭もおかしくて、愛される資格なんかないんだ)
愛が冷めていくのを見届ける勇気なんかなかった。傷つくぐらいなら、一人のほうがマシだった。
(俺が本当に怖かったのは、お前が追ってくることじゃない。追ってきてくれないことだったんだ。
翼のあるお前がもし追ってきてくれないとしたら、その時こそ俺は捨てられたってことなんだ)
ヨンジンの砂色の髪がかすかに風にそよいだ。
(パパに捨てられたのだってショックだったのに、もしもお前に捨てられたらその痛みはどんなだろう。俺はその心の痛みが怖いんだ。
だけどお前を恨むことはできない。それは俺が、恋のために命を捨てられなかったせいなんだから。その時俺はどんなに後悔するだろう……。
お前が追ってこないのは飛べないからだと信じ続けるためには、こうするしかなかったんだ)
ヨンジンの体はどんどん遠ざかり、もう卵くらいの大きさにしか見えなかった。
(あんなに愛してくれたのに、ごめん。そのかわり、お前のことは忘れないからね)
クフベツさまはようやく安心したように微笑んだ。
その時、クフベツさまの頭をふと突飛な考えがよぎった。
ヨンジンがクデカの都からずっと、翼の下にしっかりとくくりつけて持ってきたあの卵。
あの卵からエマをもつむすめが孵ったら?
そんな可能性はほとんどないのに、クフベツさまは取り返しのつかない過ちを犯したような気がした。
ヨンジンは、その子を育てて、いつか結婚する。
クフベツさまが本当に愛していたのはパパなのだと思いこんだまま、幼い日の恋を胸の奥に埋めて……。
そんなのイヤだ、と、クフベツさまは思った。
お前は永遠に俺だけのものだ。
(卵なんか、捨ててしまえばよかった。
翼も右だけでなく、エマをもつむすめを抱いてほんのちょっとでも飛びあがれないように、両方とも根元から切ってしまえばよかった)
思わずヨンジンを追って大地の裂け目に飛び込もうとして、クフベツさまはやっと思いとどまった。
(いや、同じことだ。お前と結婚したって俺は卵を産んで死ぬんだし、そうしたらお前は俺の産んだむすめと結婚するんだろ。
お前を永遠につなぎとめることなんて、最初からできなかったんだ)
クフベツさまは唇を噛んだ。ヨンジンだけは自分のものだと思っていたのに、それすらかなわない。
大地の裂け目のはるか向こうに、何千という子供たちに囲まれ、幸せそうに笑っているヨンジンの姿が見えたような気がした。
(なんでだよ。俺はこんなに一人ぼっちなのに。結婚しても、しなくても、俺は結局孤独なのに……)
お前とパパが作ってくれたおかあさんのお墓。
俺はとうとう一度も行かなかった。
死体が怖くて、『死』が怖かった。
どうして俺はこうなんだろう。臆病で、いつも自分のことばっかり考えて……。
エマさえなければと思うけど、このエマは俺の体の奥深く巣食ってて、翼のように切り取ってしまうことすらできないんだよ……。
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