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第一部 異世界建築士と獣人の少女
第67話:リトリィのふところで
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「ふふ、さっきのお返しです」
いたずらっぽく笑って見せるリトリィのほうなど見向きもせずに、俺は地面に全力でへばりつき、その固さと安定感に心底ありがたみを味わう。
リトリィが本気になると、抵抗しても無駄ということがよ~くわかった。いや、分かってはいたけれど、やっぱり無駄だということを再確認することができた、というべきか。
リトリィは、どう見てもバンジージャンプには細すぎるツタを、俺の足にぐるぐる巻き付け、「さあ行きましょう」と、平然と言い放ったのである。
もちろん、俺は嫌だと抵抗したのだが、全く太刀打ちできなかった。リトリィは涼しい顔で抵抗を受け付けず、あっさり足を縛り上げてしまったのだ。
そして俺をお姫様抱っこし、崖の前に立って、笑顔で「さあ、参りましょう」などと言うものだから、彼女に必死にすがりつき、半泣きになって命乞いをしてしまったのである。
当たり前だ! 六〇メートル級バンジーを、細いツタ一本でなんかできるかっ!
「安心してください、落ちても滝つぼだからだいじょうぶです」
大丈夫、なわけないだろ! 誰が安心できるかっ!
そして言われたのが、「さっきのお返しです」だったのだ。完全にやられた。
「もう、本気で怖がるんですもの。おかしくって」
「当たり前だ! リトリィがそんな冗談を言うなんて、思ってもみなかったんだからな!」
リトリィは純真で純粋で、皮肉は言っても嘘とか冗談とかとは無縁の女の子だと思っていたのに。
そう言ってやると、
「だって、ムラタさんはもう、お客さんじゃありませんから」
そう、いたずらっぽく笑ってみせる。
「お客さんじゃなくなった、って、そりゃどういう意味だ?」
「ふふ、さあ、どういう意味だと思いますか?」
「追い出されるってことか?」
「追い出されたいんですか?」
「……その減らず口、叩けないようにしてやろうか?」
「ええ、どうぞ。いくらでも、いつまでも」
そう言って、目を閉じて唇を突き出してくる。ああもう、この子には敵わない。
だが、挑発に乗って実行してやるとひどく驚き、次いで顔を両手で挟んでしばらく飛び跳ねていた。
――本当に可愛い。
「じゃあ、お茶を入れますね」
リトリィがくれたナイフは、本当に便利だ。
今のところはメタルマッチが優れ物で、大変役立っている。慣れてくると、大きな火花を起こすことができるようになって、簡単に着火できるようになった。
このお茶の湯も、柄の中に仕込まれたメタルマッチの火種から作った焚き火によって沸かしたものだ。燃えやすいように、集めた枝の皮に切り込みを入れたりする作業も、実に簡単にできた。
あまりにも簡単に枝を切断してしまうので、うっかり左の指を切り落としかけたくらいだ。
「ここからあと半日ほどで着くって言ったよな?」
先程、リトリィが言ったことを確認する。
半日ほどってことは、六刻と考えて、十刻、つまり昼過ぎ――午後三時から四時あたりか――に着くという解釈でいいのだろうか。
「ええと、六刻ほどで平野には出るんですけど、そこから一刻ほどで街に着くと思いますよ」
そうすると、街に着くのは夕方頃か。今日じゅうに例の軍人のところに行くのはもう、無理だな。俺の足が遅いせいで、予定が狂ってきている。
「大丈夫です。慌てて山道を歩いて、それでけがをしてしまったら、元も子もありませんから」
リトリィの方が大して気にもしていないというのが、また、かえって胸に刺さる。……がんばらなきゃな。
滝から先は、山の尾根伝いに歩くことになった。
先程までの開けた道や森の道と違って、傾斜こそ緩やかだが細く、木の根によってでこぼこした、歩きにくい道になった。
これが登山道というやつだろうか。時々、リュックが枝に引っかかる。
リトリィが頻繁に声をかけてくれるのが、気が紛れてありがたい。黙々と歩くよりも、自然に時間が過ぎていく感じで、なんとか頑張れている、という感じだった。
しかし、途中で足を踏み外して斜面を滑り落ちたときは、本当に死ぬと思った。
一度は止まった俺に、名を叫び、必死に手を伸ばしてきたリトリィ。
徐々にずり落ちていく俺に、泣き叫びながら彼女は手を伸ばし続け、もう少しというところで、ついに滑落した俺。
二度ほど樹木に激突し、しかし体勢を崩しただけで止まることもできず、斜面をどんどん、すごい勢いでずり落ちてゆく、あの恐怖。
気が付いたら、リトリィが胸で窒息させる勢いで、俺を抱きしめて名を呼びながら泣き叫んでいた。なんとか笑顔をつくって大丈夫だと伝えたが、「わたしが、滝の上であんなことを言ったから――!!」と、もっと泣かれた。
どうして助かったのか分からないが、たぶん崖の面に厚く積もっていた落ち葉のおかげだろう。後頭部が血で濡れていたものの、それ以外は大してけがもなく済んだようで、助かった。
気をつけないと、今度こそ死ぬだろう。見上げると、滑落地点から少なくとも二十メートルくらいは崖下だったから、ほんとうに、よく生きていたものだ。それも、骨折ひとつせず!
結局、頭を打っているということもあって、その日は大事をとって、それ以上歩くことはしなかった。たまたま引っかかっていたここは、崖の途中とはいっても登山道からそれほど離れていなかったし、休憩するにもちょうどいい張り出し部分だった。
そのため、半日をそこで過ごし、そのまま野宿することになった。滝のところでたっぷり水を補給しておいて助かった。
リトリィが岩壁にもたれかかり、そのリトリィの懐にすっぽり収まるように、俺がリトリィの腕の中に納まっていた。空が青からオレンジに、そして星空に変わっていくのを、ただ、静かに眺めていた。
体を起こそうとしても、リトリィが後ろから抱きしめて、放そうとしてくれなかった。二度ほど小用を訴えたときも、後ろからしっかりと抱きしめられていて、どうにもやりづらかった。下世話な話だが、逆にリトリィは、一体いつ、用を足していたのだろう。
時々訪れる鳥や、木々を揺らす風をネタにする以外は、ほとんど会話もなく、ただ、そこに座っているだけの、退屈ではあったが、しかし妙に落ち着いた時間。
そういえば、こうして何もなく二人きりで過ごす、という時間を、俺はあの屋敷で、今まで一度も持つことがなかった気がする。二人でベッドに入った時もあるにはあったが、緊張が先にあって、落ち着いて顔を見ることも、あまりできていなかった。
こんなふうに、彼女の懐で、彼女のぬくもりに包まれて、さして何も考えることなく過ごす、そんな時間など、今までなかったように思う。
昨夜だって、彼女を背中越しに抱きしめてはいたが、そりゃあもう、あんなことやこんなことを、してみたくてたまらないが仕掛ける勇気がないという、我ながら情けない悶々とした夜を過ごしていたのだ。
こんなふうに、背中越しに彼女の柔らかな躰を堪能しつつも、互いに顔を見るわけでもなく、邪念と妄想に支配されることもなく、ただ、穏やかに過ぎていく時間を共にする――そんな、不思議な過ごし方。
「ムラタさん」
「……うん」
「……ふふ、あったかいです」
「……うん」
何度、このやり取りを繰り返しただろう。意味など大してないように感じるこのやりとりだが、言葉を交わすその繰り返しが、とてもあたたかい。
ただ、この一見無意味そうなやり取りの中で、彼女は一度、その手をすり抜けてしまった俺の存在を、確かめているように感じた。確かに俺がここにいる、俺はここに生きているということを、実感したがっているようだった。
彼女が俺の腹の上に置いている手を、そっと、掴んで、そして撫でてみる。
くすぐったそうにした彼女だが、振り払おうとはしない。そのまま、無言で、重ね合わせ続ける。
その手は明らかに俺よりも小さいのに、その指の付け根にはタコができているし、指も硬い。毎日握っているハンマーによるものだろう。
お世辞にも、白魚のような繊細な指、などとは言えない。一人前の職人を目指し、日々修行を積んでいる、働くひとの武骨な手だ。
「……あまり、そんなに触らないでください」
恥じらうような、か細い声。
「女の子らしくない手ですから……」
だが、俺はその声を無視して、そっと、力を込めて握る。
リトリィは自分の手を「女の子らしくない」と言ったが、俺はそうは思わない。
その手を俺は、美しいと思う。
自分の目標を掴み取ろうと日々努力し、そのうえで家族のために、俺のために働き続ける、誇り高く、何よりも美しい手だ。
「……そんなこと、ないです」
消え入りそうな、かすかな声に、しかし俺は満足する。
――ちゃんと言えた。
彼女の魅力を。
彼女の背中を懐に感じながら、今は俺が、彼女を抱きかかえるようにしている。
昨夜と同じ体勢のはずなのに、今日は妙に落ち着いていられる。
二度目だからだろうか。昨夜は、あんなに妄想を展開していたのに。それなのにいまは、彼女のうなじの香りだけで満足している自分がいる。
一つの毛布の中で、こうして女性に密着していて、それだけで満足していられるなんて、俺はいつの間に聖人君子になったのだろう。
「――リトリィ」
「……はい?」
そっと首を動かすのが分かる。彼女の髪の中に、自分の顔をうずめる。
くすぐったそうにする彼女だが、しかし何か抵抗する、というそぶりも見せない。
「……心配かけて、ごめん」
滑り落ちて目を覚ましてから、ずっと言おうとして、しかしなかなか言えずにいた言葉を、寝る前になってからやっと口にする。
リトリィは、しばらくの沈黙のあと、かろうじて聞こえるかすかな声で答えた。
「今日は頭をお打ちになられてますから……」
くすりと笑って。
「いずれ、たっぷり可愛がってもらう形で、お礼をいただきますね?」
……何をしろというのだ……。
思わず問いかけようとして、無粋だと気づいた。
考えるまでもないだろう、ナニをしろということだ。
「……いずれ……な?」
「約束、ですよ?」
ふふ、と笑う彼女を抱きしめる腕に、もう少し、力を込めた。
いたずらっぽく笑って見せるリトリィのほうなど見向きもせずに、俺は地面に全力でへばりつき、その固さと安定感に心底ありがたみを味わう。
リトリィが本気になると、抵抗しても無駄ということがよ~くわかった。いや、分かってはいたけれど、やっぱり無駄だということを再確認することができた、というべきか。
リトリィは、どう見てもバンジージャンプには細すぎるツタを、俺の足にぐるぐる巻き付け、「さあ行きましょう」と、平然と言い放ったのである。
もちろん、俺は嫌だと抵抗したのだが、全く太刀打ちできなかった。リトリィは涼しい顔で抵抗を受け付けず、あっさり足を縛り上げてしまったのだ。
そして俺をお姫様抱っこし、崖の前に立って、笑顔で「さあ、参りましょう」などと言うものだから、彼女に必死にすがりつき、半泣きになって命乞いをしてしまったのである。
当たり前だ! 六〇メートル級バンジーを、細いツタ一本でなんかできるかっ!
「安心してください、落ちても滝つぼだからだいじょうぶです」
大丈夫、なわけないだろ! 誰が安心できるかっ!
そして言われたのが、「さっきのお返しです」だったのだ。完全にやられた。
「もう、本気で怖がるんですもの。おかしくって」
「当たり前だ! リトリィがそんな冗談を言うなんて、思ってもみなかったんだからな!」
リトリィは純真で純粋で、皮肉は言っても嘘とか冗談とかとは無縁の女の子だと思っていたのに。
そう言ってやると、
「だって、ムラタさんはもう、お客さんじゃありませんから」
そう、いたずらっぽく笑ってみせる。
「お客さんじゃなくなった、って、そりゃどういう意味だ?」
「ふふ、さあ、どういう意味だと思いますか?」
「追い出されるってことか?」
「追い出されたいんですか?」
「……その減らず口、叩けないようにしてやろうか?」
「ええ、どうぞ。いくらでも、いつまでも」
そう言って、目を閉じて唇を突き出してくる。ああもう、この子には敵わない。
だが、挑発に乗って実行してやるとひどく驚き、次いで顔を両手で挟んでしばらく飛び跳ねていた。
――本当に可愛い。
「じゃあ、お茶を入れますね」
リトリィがくれたナイフは、本当に便利だ。
今のところはメタルマッチが優れ物で、大変役立っている。慣れてくると、大きな火花を起こすことができるようになって、簡単に着火できるようになった。
このお茶の湯も、柄の中に仕込まれたメタルマッチの火種から作った焚き火によって沸かしたものだ。燃えやすいように、集めた枝の皮に切り込みを入れたりする作業も、実に簡単にできた。
あまりにも簡単に枝を切断してしまうので、うっかり左の指を切り落としかけたくらいだ。
「ここからあと半日ほどで着くって言ったよな?」
先程、リトリィが言ったことを確認する。
半日ほどってことは、六刻と考えて、十刻、つまり昼過ぎ――午後三時から四時あたりか――に着くという解釈でいいのだろうか。
「ええと、六刻ほどで平野には出るんですけど、そこから一刻ほどで街に着くと思いますよ」
そうすると、街に着くのは夕方頃か。今日じゅうに例の軍人のところに行くのはもう、無理だな。俺の足が遅いせいで、予定が狂ってきている。
「大丈夫です。慌てて山道を歩いて、それでけがをしてしまったら、元も子もありませんから」
リトリィの方が大して気にもしていないというのが、また、かえって胸に刺さる。……がんばらなきゃな。
滝から先は、山の尾根伝いに歩くことになった。
先程までの開けた道や森の道と違って、傾斜こそ緩やかだが細く、木の根によってでこぼこした、歩きにくい道になった。
これが登山道というやつだろうか。時々、リュックが枝に引っかかる。
リトリィが頻繁に声をかけてくれるのが、気が紛れてありがたい。黙々と歩くよりも、自然に時間が過ぎていく感じで、なんとか頑張れている、という感じだった。
しかし、途中で足を踏み外して斜面を滑り落ちたときは、本当に死ぬと思った。
一度は止まった俺に、名を叫び、必死に手を伸ばしてきたリトリィ。
徐々にずり落ちていく俺に、泣き叫びながら彼女は手を伸ばし続け、もう少しというところで、ついに滑落した俺。
二度ほど樹木に激突し、しかし体勢を崩しただけで止まることもできず、斜面をどんどん、すごい勢いでずり落ちてゆく、あの恐怖。
気が付いたら、リトリィが胸で窒息させる勢いで、俺を抱きしめて名を呼びながら泣き叫んでいた。なんとか笑顔をつくって大丈夫だと伝えたが、「わたしが、滝の上であんなことを言ったから――!!」と、もっと泣かれた。
どうして助かったのか分からないが、たぶん崖の面に厚く積もっていた落ち葉のおかげだろう。後頭部が血で濡れていたものの、それ以外は大してけがもなく済んだようで、助かった。
気をつけないと、今度こそ死ぬだろう。見上げると、滑落地点から少なくとも二十メートルくらいは崖下だったから、ほんとうに、よく生きていたものだ。それも、骨折ひとつせず!
結局、頭を打っているということもあって、その日は大事をとって、それ以上歩くことはしなかった。たまたま引っかかっていたここは、崖の途中とはいっても登山道からそれほど離れていなかったし、休憩するにもちょうどいい張り出し部分だった。
そのため、半日をそこで過ごし、そのまま野宿することになった。滝のところでたっぷり水を補給しておいて助かった。
リトリィが岩壁にもたれかかり、そのリトリィの懐にすっぽり収まるように、俺がリトリィの腕の中に納まっていた。空が青からオレンジに、そして星空に変わっていくのを、ただ、静かに眺めていた。
体を起こそうとしても、リトリィが後ろから抱きしめて、放そうとしてくれなかった。二度ほど小用を訴えたときも、後ろからしっかりと抱きしめられていて、どうにもやりづらかった。下世話な話だが、逆にリトリィは、一体いつ、用を足していたのだろう。
時々訪れる鳥や、木々を揺らす風をネタにする以外は、ほとんど会話もなく、ただ、そこに座っているだけの、退屈ではあったが、しかし妙に落ち着いた時間。
そういえば、こうして何もなく二人きりで過ごす、という時間を、俺はあの屋敷で、今まで一度も持つことがなかった気がする。二人でベッドに入った時もあるにはあったが、緊張が先にあって、落ち着いて顔を見ることも、あまりできていなかった。
こんなふうに、彼女の懐で、彼女のぬくもりに包まれて、さして何も考えることなく過ごす、そんな時間など、今までなかったように思う。
昨夜だって、彼女を背中越しに抱きしめてはいたが、そりゃあもう、あんなことやこんなことを、してみたくてたまらないが仕掛ける勇気がないという、我ながら情けない悶々とした夜を過ごしていたのだ。
こんなふうに、背中越しに彼女の柔らかな躰を堪能しつつも、互いに顔を見るわけでもなく、邪念と妄想に支配されることもなく、ただ、穏やかに過ぎていく時間を共にする――そんな、不思議な過ごし方。
「ムラタさん」
「……うん」
「……ふふ、あったかいです」
「……うん」
何度、このやり取りを繰り返しただろう。意味など大してないように感じるこのやりとりだが、言葉を交わすその繰り返しが、とてもあたたかい。
ただ、この一見無意味そうなやり取りの中で、彼女は一度、その手をすり抜けてしまった俺の存在を、確かめているように感じた。確かに俺がここにいる、俺はここに生きているということを、実感したがっているようだった。
彼女が俺の腹の上に置いている手を、そっと、掴んで、そして撫でてみる。
くすぐったそうにした彼女だが、振り払おうとはしない。そのまま、無言で、重ね合わせ続ける。
その手は明らかに俺よりも小さいのに、その指の付け根にはタコができているし、指も硬い。毎日握っているハンマーによるものだろう。
お世辞にも、白魚のような繊細な指、などとは言えない。一人前の職人を目指し、日々修行を積んでいる、働くひとの武骨な手だ。
「……あまり、そんなに触らないでください」
恥じらうような、か細い声。
「女の子らしくない手ですから……」
だが、俺はその声を無視して、そっと、力を込めて握る。
リトリィは自分の手を「女の子らしくない」と言ったが、俺はそうは思わない。
その手を俺は、美しいと思う。
自分の目標を掴み取ろうと日々努力し、そのうえで家族のために、俺のために働き続ける、誇り高く、何よりも美しい手だ。
「……そんなこと、ないです」
消え入りそうな、かすかな声に、しかし俺は満足する。
――ちゃんと言えた。
彼女の魅力を。
彼女の背中を懐に感じながら、今は俺が、彼女を抱きかかえるようにしている。
昨夜と同じ体勢のはずなのに、今日は妙に落ち着いていられる。
二度目だからだろうか。昨夜は、あんなに妄想を展開していたのに。それなのにいまは、彼女のうなじの香りだけで満足している自分がいる。
一つの毛布の中で、こうして女性に密着していて、それだけで満足していられるなんて、俺はいつの間に聖人君子になったのだろう。
「――リトリィ」
「……はい?」
そっと首を動かすのが分かる。彼女の髪の中に、自分の顔をうずめる。
くすぐったそうにする彼女だが、しかし何か抵抗する、というそぶりも見せない。
「……心配かけて、ごめん」
滑り落ちて目を覚ましてから、ずっと言おうとして、しかしなかなか言えずにいた言葉を、寝る前になってからやっと口にする。
リトリィは、しばらくの沈黙のあと、かろうじて聞こえるかすかな声で答えた。
「今日は頭をお打ちになられてますから……」
くすりと笑って。
「いずれ、たっぷり可愛がってもらう形で、お礼をいただきますね?」
……何をしろというのだ……。
思わず問いかけようとして、無粋だと気づいた。
考えるまでもないだろう、ナニをしろということだ。
「……いずれ……な?」
「約束、ですよ?」
ふふ、と笑う彼女を抱きしめる腕に、もう少し、力を込めた。
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