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第二部 異世界建築士と大工の娘

第151話:事故

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 それは、もうすぐ真昼時になるという頃だった。

 今日は、朝から風の強い日だった。いくら四方の壁ができているとは言っても、出来た壁を起こすと、途端に風に煽られて倒れそうになる。
 そのため、ヒヨッコたちの中でも比較的経験を積んでいるバーザルトとハマー、そしてバンブスが、壁の上部を他の壁と接合して固定するための、「頭つなぎ」と呼ばれる横木を打ち付ける作業をしながらの工事だった。

 ハマーとバーザルトが脚立に立ち、バンブスは壁の上に乗っていた。
 バーザルトが、脚立に乗って作業するようにとバンブスに忠告するのだが、バンブスは材を受け取ると、すぐに壁の上に登ってしまう、ということを繰り返していた。

 マレットさんにも注意を受け、しばらくは脚立での作業をしていたバンブスだったが、またすぐに壁の上に登り始めた。

「怪我をしてからでは遅いんだ、棟梁の――マレットさんの言うことを聞け」

 バーザルトの注意に、面倒くさそうにバンブスが答える。

「そんなことしてたら日暮れまでに終わらねえぞ。オレは大丈夫だから、さっさと材を寄越せって」

 そして、バンブスが脚立から壁に上った直後だった。
 彼はほこりか汗でも目に入ったのか、急に目をこすり始め、そして――

「――落ちたぞ!」

 悲鳴が上がり、皆が駆け寄る。
 あおりを食らって脚立から落ちたバーザルトは、足首をひねったようだ。足首を押さえて呻いている。

 問題はバンブスだ。誰かが体を揺すっているのを見て「触るな!」と、我ながら驚くほどの声量で一喝する。

 ……なんでこんな時に、マイセルが揺すってるかな。駆け寄ってみると、バンブスの頭を膝に載せたまま、半泣きの顔で「ごめんなさい」を繰り返していた。

「……心配する気持ちは分かる。ありがとう。ただ、もし頭を打っていたら、揺さぶるのはよくないんだ」

 そう言ってそっとバンブスの頭を持ち上げると、マイセルをどかして、頭をそっと床に置く。

「バンブス、おいバンブス! 聞こえるか?」

 肩を軽くたたきながら呼びかける。
 しかし、反応がない。

 ああ、くそっ!
 意識があればよし、だが意識が戻らなければ?
 日本ならまず救急車の手配をしていただろうに!
 頭を打っていたら、動かしてはならない。それは分かる。脳の血管に損傷があった場合、体を揺すると余計に悪化するからだ。

 マレットさんも駆けつけ、揺さぶろうとし、俺に止められて歯ぎしりをしたあと、大声で呼びかける。

「バンブス! 聞こえるか! バンブス!」

 どうする?
 目を覚まさなかったら――その先はどうするんだ?
 動かしてはならない、それは分かる。

 じゃあその先、何をすればいい?
 くそっ、現代人だからっていっても、こういうとき、全然アドバンテージにならない……!
 ――目を覚ませ……覚ましてくれ!

 一瞬一瞬が、あまりにも長く感じた。
 ――だから、次の言葉が聞こえたとき――

「……もう一度マイセルが膝枕してくれたら、起きれるかも……」

 永遠とも思える一瞬の沈黙ののち、俺はあえて静かに聞いてみる。

「……マイセルが膝枕をするためにも、痛むところの確認をしたい。質問に答えられるか?」
「いっすよ」

 ――軽い。
 マレットさんを目で制しつつ、続ける。

「……頭を打っていたりはしないか?」
「オレはそんなマヌケじゃねっす」
「痛むのは?」
「膝っすね。あと、左腕」
「……本当に頭を打っていないか? 背中は? 腰は?」
「だから、オレはそんなマヌケじゃねえって言ったっしょ?」
「……そうか」
「じゃあ、マイセルの膝枕を――」

 俺は大きく息を吐くと、

「マレットさん、お待たせしました。――やっちゃってください」

 マレットさんがぶん殴り、ついでまわりのヒヨッコどもも加勢するのを、俺は止める気になどなれなかった。



 バーザルトの足については、桶に汲んできた水にしばらく冷やしたあと、マレット家から駆けつけてきたネイジェルさんが持ってきた膏薬を塗った。
 後で、俺がテーピングを応用させて、手ぬぐいか何かで足首を固定しておけばいいだろう。

 それよりも問題はバンブスのほうだった。
 どうも落ちたときに左の腕を下敷きにしてしまったようで、手首とひじの間、その真ん中からさらに肘寄りの箇所が折れているようだった。

 はじめは打撲かと思って、バーザルト同様に冷やさせておいたが、マレットさんが、どうも触れたときの痛がり方や、腕の腫れ具合から、骨折ではないかと判断したのである。

 打撲や捻挫なら、俺でもある程度対処可能だが、流石に骨折となると、俺にはどうしようもない。端材から添え木を作り、ボロ布で固定すると、ほねぎ屋に担ぎ込んだ。

 この世界の医者がどの程度当てになるかは、はっきり言って未知数だ。傷薬がオクラ汁、という時点で、なんとなく当てになりそうにない気がしてしまう。
 いや、民間療法で使うのがオクラというだけで、医者はまだマシかもしれない。

 そう思っていたら、なかなか強烈だった。
 施術担当のおっさんは、バンブスの腕を取り、「折れとるなあ」とひと目で見抜いたあと、骨がずれていると言い出したのだ。

「押さえとれよ?」

 そう言うと、俺とマレットさんに、バンブスの腕を固定させ、その場所――まさに折れたと思われるその場所――を、木槌でぶっ叩いたのである。

 この世のものと思えぬ絶叫を涼しい顔で聞き流し、さらにその腕をグリグリと揉む。バンブスの途切れぬ悲鳴などどこ吹く風、「よし、ズレがなおった」と満足そうに言うと、「あとは縛っとけ」の一言で、施術は終わったのだった。

 マレットさんは動じることなく礼を言って、気絶したバンブスを担いで診察室を出ていったので、慌てて俺も礼を言い、続いて部屋を後にする。

 待合室で、腕を添え木に固定し終えると、マレットさんが深々と頭を下げてきた。

「ムラタさん、すまん。最初の時点でコイツを引きずり下ろして、ヤキを入れておけばよかった」

 それを言うなら、安全対策を怠っていた俺の問題でもある。
 まず第一に、頭の保護だ。今回はたまたま無事だったが、安全のための保護帽ヘルメット、もしくはそれに準ずる何かで頭を守る必要があるだろう。

 それから、せっかく大量に買ったオクラ。
 薬になるっていうなら使おうかな、と考えていたのに、肝心なときに持ってきていない。ちくしょう。

 そして、安全に作業をするための設備だ。
 いくら二階建て程度までなら足場も組まない、という文化だったとしても、これからは屋根を組むのだ。

 平屋建てということで、つい落ちても大丈夫と思いがちだろうが、必要に応じて足場を組んで、このような落下事故を未然に防ぐための体制を作っておくべきだろう。

 だが、マレットさんは最初、取り合わなかった。

「いや、平屋だぞ? たかが八尺(約二・四メートル)だ。危ないと思ったら、むしろ自分から飛び降りればいい。それで大丈夫だ」

 なんと保護帽という概念がそもそも無かった上に、足場についても、平屋ごときで足場を組むのは大工の恥だと言って。

 しかし、ハマーはともかく、マイセルを高所に上げて作業させるのはさすがに怖い。

「どうせならマイセルだって――いや、むしろマイセルをこそ、棟上げに関わらせてやりたいのです。そのためには、やっぱり足場を組んで、万が一に備えるべきです」

 マイセルを出せばと思ったが、マレットさんは首を横に振る。

「いや、甘やかしていたら何もできねえ。ケガも経験のうちだ。足場なんぞいらねえ」
「万が一ケガをして、その間、仕事に参加できなくなったとしたら、その時間がもったいないでしょう。
 ほかのヒヨッコたちもおなじです、せっかくの機会なんですから、ケガの無いようにするべきです」

 しかし、マレットさんは首を縦に振ろうとしない。

「オレの若いころは、そんな足場なんぞ組む大工なんざ、一人前扱いしてもらえなかったぞ」

 ううむ、実に叩き上げらしい考え方だが、やはり安全に配慮して効率をあげるべきだろう。責任者として、危険はできるだけ排除しておきたい。

「彼らは一人前じゃありません。半人前です。しかしこれからの街を創る、街の財産です」
「だったら余計に、体で危険を知るべきだろう」

 ここはやはり、マイセルで押す! 親としての贔屓目を信じて!

「危険を知ることは大切です。ですが、万が一、その知るべき危険によって、彼らのだれかを永遠に失ってしまったとしたら?
 ――マイセルがそうならない、とは言えないのです。どうか、どうか」

 マレットさんは居心地悪そうにしばらく目を泳がせていたが、しばらくしてため息をつくと、頭をばりばり掻きながら、誰にともなく言った。

「……マイセルを預けるムラタさんにそう言われちまうと、それ以上、なにも言えねえなあ……。この際、仕方ねえか……」
「ありがとうございます!」

 渋々、本当に渋々、足場を組むことに同意してくれた。
 明日は、足場組みだろうか。
 いろいろと後手に回ってばかりだが、やっぱり現場に立ってみて改めて気付くことばかりだ。
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