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第六部 異世界建築士とよろこびのうた
閑話25:おばあちゃんのいたずら心
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「というわけでお風呂を作りませんか、夫人」
開口一番、「というわけで」という話し方を、ナリクァンは聞いたことがない。少々、甘やかしすぎたかしらね──あきれつつも、あえてそのような切り出し方をした眼の前の男の意図を、彼女は推し量ることにした。
このふざけた切り出し方をした男は、「ニホン」という国からやってきたという大工。ムラタという、一風変わった名前のこの男は、これまでにもたった一年ほどで、あきれるような伝説を数々打ち立ててきた男だ。
大切な友人の忘れ形見であり、孫娘のように見守ってきた犬属人の少女が惚れた男だからと、大目に見てきたのだが。
ナリクァンは、金色の毛並みの犬属人の女性──リトリィが屋敷に昨日やって来て、夫が美容と健康のためにとても役に立つものを考案したから、ぜひ話だけでも聞いてやってほしい、と訴えてきたのを思い出す。
本当に健気な子だこと──ナリクァンはしみじみと胸の内でつぶやいた。亡くなった古い友人から、この獣人族の娘がいかに過酷な環境で生き抜いてきたかは聞いている。
実は密かに、夫となる男性についても、ある程度目星をつけていた。少し年上の、誠実で勤勉な狐属人の男性。
友人は、あの子が本当に好きになった相手が見つかったらでいい、と言っていたが、あっという間に十八を過ぎてしまった。それなのに、あの娘の関心事といったら鉄のことばかりで、一向に異性に目を向けようとしない。
このままでは幸せになどなれない、鍛冶をやめさせてでも、と考えていた。
ところが、そこへ突然現れたのが、この頼りないムラタという男だった。
リトリィの「鍛冶としての誇り」も。
獣人の中でも特に珍しい、原初の犬属人とされる毛足の長いふわふわの体に加えて犬のような顔という外見も。
種族の違いから子供に恵まれないかもしれないという懸案も。
ヒトの男性でありながら、この男は、リトリィの全てをまるごと受け入れてしまったのだ。
彼女が幸せをつかむのは難しいだろう──自分が密かに抱いてきた心配を、あっさりと踏み越えて。
だから、慕う相手を自ら見つけ、夫とし、よく支え、仲睦まじく暮らすための努力を重ねる、リトリィの健気な姿に、ナリクァンはつい自分の若い頃を重ねてしまう。
男爵家の息女として生まれ、貴族として生きてきた彼女を妻に迎えたのは、当時、勢いはあったが成り上がりとしてよい評判を聞かないナリクァン商会の若き経営者、フィルイップケーディック・ナリクァン。
カネで貴族の娘を買った、カネで売られた貴族の娘、という陰口は、嫁いだ当初から影に日向に聞こえてきたものだ。
実際、数年続いた悪天候のため、領地経営が厳しくなっていたエィーガー家では、年頃を迎えた娘を送り出す持参金どころか、ドレスを新調することもできないほどの状況だった。そこに莫大な支援金を示し、「リトリィスコルト嬢をぜひ妻に迎えたい」とやって来たのが、フィルイップケーディック青年。
家の状況、自分の立ち場、その他諸々を理解していた彼女は、それも自分の運命かと諦め、その話を受け入れた。
身売り同然だと使用人たちは嘆き、長年世話になった子守女中など「お嬢様おひとりで行かせるものですか、ばあやもついてまいります!」と訴えたくらいだった。
それらすべてを退け、どうせ身売り同然ならばと単身で乗り込んだ、美しい花で飾り立てられた四頭仕立ての馬車に乗り込んだ彼女を待っていたのは、熱烈な口説き文句。
「君に一目ぼれだった。覚えているかい、あの夜会の日のことを」
彼女自身はすっかり忘れていた些細な出来事。
取り巻きの女性たちに見せつけるように、マナーの些細な問題をあげつらう大諸侯の青年と、引きつった微笑みを浮かべながらうなずく、どこか場違いに感じる、少年にも見える青年。
飛び散ったワイン、「手が滑ってしまいましたわ」と悪びれることなく堂々と言い放つ、落ち着いた雰囲気のドレスを身にまとった貴族の女性。
憤慨する貴族青年と、一歩も引かずに「高貴なるものの義務」を示す姿とはなにかを皮肉を込めて聞いてみせた貴族令嬢。
その後、会場のすみでかわした、わずかな会話。
それが二人の馴れ初めにして、唯一の接点だった。
大諸侯の息子という立場を笠に着て、ようやく夜会に顔を出せる立場になったばかりの商人の青年をいたぶるようになじる滑稽な姿に、義憤と、そしていくばくかのいたずら心でもってワインをぶっかけた女性。
その姿を、青年は事細かに覚えていたのだ。
「ぼくは、君にとって満足のいく最高の伴侶にはなれないかもしれない。けれど、最良の伴侶であろうと努力はする。君も、不満があったら何でも言って欲しい」
正直に言えば不満だらけだった。
エィーガー男爵領では見られない風習の数々。
面倒くさい、たらいまわしな役所の手続きをようやく終えたと思ったら、結婚前夜の屋敷の前で、大量の皿を割るだの卑猥なパンを配るだの、わけの分からない行事に付き合わされて。
その上、カネで売られた、買われた貴族娘という扱いをされていては、神経が磨り減るばかり。もうこんな家にはいられない、とばかりに感情を爆発させた夜は、同時に最高に熱い愛の夜になった。
以来、彼をこそ人生の共同経営者と考え、遠慮なくなんでも言い合える関係になった。あの夜が、夫婦としての本当の出発点だった。
そんな夫が常々言っていたことが、『新しい需要の開拓』と、『商売を通して街の人々を幸せにする』だった。
「だって、そうだろう? ぼくらの奮闘がみんなを幸せにすれば、みんなはぼくらを認めて、そしてまた品物も買ってくれるはずだ。みんなを幸せにする仕事をすれば、ぼくらも幸せになれるんだよ」
今もムラタは、熱心に、簡単に、しかも無料で湯を手に入れられる方法について説明をしている。それを普及させれば、美容と健康のためになり、重労働からも解放される生活が得られると訴えて。
正直、夢物語ではないかと思う。この男は、貧しい庶民の暮らしというものを理解しているのだろうか。
井戸を掘るどころか、共用の井戸の水を買うことすらできず、もちろん薪を得ることもできず、川の水を沸かさずそのまま飲むしかない貧しい人々が多くいるという現実を。
……だのに、惹かれてしまうのだ。
この頼りない青年の熱弁に。
相変わらず、彼の言葉には一点の嘘もないのだろう。相手の不実に反応して黒ずんでいく術布は、相も変わらず真っ白のままなのが、それを物語っている。
「水を汲まず、薪も使わず、それでいて湯水が使いたい放題ですって?」
あえて微笑むナリクァンの言葉に、ムラタがあからさまにホッとしてみせる。
──ああ、準備しておいてよかった。夫のように、夢物語のようなことを言い、そして実現させてきたこの若者を、少しばかり懲らしめてやりましょう。
きっと面白い反応を示すはずだとナリクァンは胸の奥でほくそ笑みながら、手を叩いた。
途端に背後の「壁」が開き、そこに立って控えていた護衛の黒服男たちが現れる。
「この詐欺師を今すぐ叩き出してちょうだい」
「ちょ……黒服さん!」
夫人が目論んだ通り、ひどく狼狽してみせるムラタ。
「俺が夫人相手に詐欺ができるほど肝っ玉が太くないヘタレ野郎だってことぐらい、知ってるでしょう!」
自身のことを、こうも情けない人間だとアピールする男など、見たことがない。
彼の夫人たるリトリィは、お茶を飲みながら涼しい顔で、夫が黒服たちに両脇を抱えられてずるずると引きずられてゆくありさまを見送る。
カップを持つ手が、肩が震えているのは、驚いているからでも、恐れているからでもない。必死で笑いをかみ殺しているからだ。ここで笑ってしまっては、ナリクァンのせっかくの余興が台無しになってしまうと分かっているからだろう。
……この子についても、もうすこし驚いてみせてもよかったのに──そう思いながら、真剣に悲鳴を上げるムラタに応えて、ナリクァンはにっこり笑った。
「……というわけであなたの提案です、ただお風呂の話をしたかったわけではないのでしょう? その企みについて、改めて聞こうかしら」
主人の言葉に応じて、ムラタのことを文字通り床に放り出した黒服たちは、一斉にナリクァンの背後の壁に並んだ四角い箱のような穴に戻っていく。五つの壁の穴は、黒服男たちが元いた穴に戻って仁王立ちになると同時に閉じられた。まるで忍者屋敷のからくりのような仕組みに、ムラタは開いた口が塞がらない。
まるで答えを知っていたかのような、落ち着き払ったリトリィの様子にムラタが文句を言うと、彼女は平然と答えた。
「だって、だんなさまのことを大のひいきにしていらっしゃる夫人が、本気でだんなさまをほうりだそうとするはずがありませんもの」
リトリィにしてみれば、ナリクァン夫人はあくまでも「少し厳しいけれど、いつも自分たちを見守ってくれている優しいおばあちゃん」なのだ。ムラタを本気で見限ったりすることなど無いと確信している。
夫も、開口一番「というわけで」などという冗談をぶつけたのだ。珍しくおばあちゃんのいたずら心が刺激されたのだ──そう解釈していた。
なにせ、自分たちの結婚前夜、新婚夫婦の家の前で縁起を担いで皿を割るという「騒夜祭」に、ノリノリで大量の皿を持ち込んで道行く人に配って割らせたうえに、夫人自身も二人の新居のドアに皿を投げつけた張本人である。
一年以上経過したというのに、その時の皿の一部がいまだにドアに突き刺さっていて、自宅が近所の子供たちから「皿の家」なんてあだ名される原因を作ったひとだ。これくらいのことは「冗談で」やりかねない人だと、リトリィは理解している。
その後も、再びナリクァンの「みなさん、詐欺師を叩き出してちょうだい」を合図に、壁を吹き飛ばすような勢いで現れた黒服たちにまたしても悲鳴を上げるムラタと、今度こそ小さく吹き出してしまったリトリィの姿に満足しながら、ナリクァンはムラタの夢物語を「買う」ことに決めた。
街の人々を、商売で幸せにする──今は亡き夫が、ずっと大切にしてきた信条。
このムラタという男は、夢見がちで足元がおぼつかないところもあるけれど、確かに、夫と同じような願いを持っている男だ。
そして、あきれるようなドタバタ劇を演じながら、それを曲がりなりにも実現させてきている。
夫とは似もつかぬ存在だが、その思いと行動力だけは、人を巻き込み共に幸せになろうと奮闘する姿だけは、愛する夫を思い起こさせるのだ。
「いいでしょう。あなたのその提案、買いましょう」
夫の言葉を思い浮かべながら、ナリクァンはうなずいだ。
『ぼくらの奮闘がみんなを幸せにすれば、みんなはぼくらを認めて、そしてまた品物も買ってくれるはずだ。みんなを幸せにする仕事をすれば、ぼくらも幸せになれるんだよ』
最初は夢物語だと思っていた夫の願いを、同じように語るムラタ。
これからも、この男はリトリィがそばにいる限り、彼女を幸せにするためにあがき続けることだろう。その奇抜な発想は、きっと商会に大きな利益を、ゆくゆくは街に住む人々に幸せをもたらすはずだ。
頼りない男の夢物語が、どんな未来を見せてくれるのか。まだ見ぬ「曾孫」の顔を思い浮かべつつ、ナリクァンはもう一度、いたずらっぽく微笑んで黒服男たちを呼ぶのだった。
「この詐欺師を叩き出してちょうだい」
「ちょ、ちょっともうハンター召喚は勘弁してくださいよ!」
「ふふ、だんなさま。夫人に愛されていますね」
「リトリィも笑ってないで助けてくれよっ!」
開口一番、「というわけで」という話し方を、ナリクァンは聞いたことがない。少々、甘やかしすぎたかしらね──あきれつつも、あえてそのような切り出し方をした眼の前の男の意図を、彼女は推し量ることにした。
このふざけた切り出し方をした男は、「ニホン」という国からやってきたという大工。ムラタという、一風変わった名前のこの男は、これまでにもたった一年ほどで、あきれるような伝説を数々打ち立ててきた男だ。
大切な友人の忘れ形見であり、孫娘のように見守ってきた犬属人の少女が惚れた男だからと、大目に見てきたのだが。
ナリクァンは、金色の毛並みの犬属人の女性──リトリィが屋敷に昨日やって来て、夫が美容と健康のためにとても役に立つものを考案したから、ぜひ話だけでも聞いてやってほしい、と訴えてきたのを思い出す。
本当に健気な子だこと──ナリクァンはしみじみと胸の内でつぶやいた。亡くなった古い友人から、この獣人族の娘がいかに過酷な環境で生き抜いてきたかは聞いている。
実は密かに、夫となる男性についても、ある程度目星をつけていた。少し年上の、誠実で勤勉な狐属人の男性。
友人は、あの子が本当に好きになった相手が見つかったらでいい、と言っていたが、あっという間に十八を過ぎてしまった。それなのに、あの娘の関心事といったら鉄のことばかりで、一向に異性に目を向けようとしない。
このままでは幸せになどなれない、鍛冶をやめさせてでも、と考えていた。
ところが、そこへ突然現れたのが、この頼りないムラタという男だった。
リトリィの「鍛冶としての誇り」も。
獣人の中でも特に珍しい、原初の犬属人とされる毛足の長いふわふわの体に加えて犬のような顔という外見も。
種族の違いから子供に恵まれないかもしれないという懸案も。
ヒトの男性でありながら、この男は、リトリィの全てをまるごと受け入れてしまったのだ。
彼女が幸せをつかむのは難しいだろう──自分が密かに抱いてきた心配を、あっさりと踏み越えて。
だから、慕う相手を自ら見つけ、夫とし、よく支え、仲睦まじく暮らすための努力を重ねる、リトリィの健気な姿に、ナリクァンはつい自分の若い頃を重ねてしまう。
男爵家の息女として生まれ、貴族として生きてきた彼女を妻に迎えたのは、当時、勢いはあったが成り上がりとしてよい評判を聞かないナリクァン商会の若き経営者、フィルイップケーディック・ナリクァン。
カネで貴族の娘を買った、カネで売られた貴族の娘、という陰口は、嫁いだ当初から影に日向に聞こえてきたものだ。
実際、数年続いた悪天候のため、領地経営が厳しくなっていたエィーガー家では、年頃を迎えた娘を送り出す持参金どころか、ドレスを新調することもできないほどの状況だった。そこに莫大な支援金を示し、「リトリィスコルト嬢をぜひ妻に迎えたい」とやって来たのが、フィルイップケーディック青年。
家の状況、自分の立ち場、その他諸々を理解していた彼女は、それも自分の運命かと諦め、その話を受け入れた。
身売り同然だと使用人たちは嘆き、長年世話になった子守女中など「お嬢様おひとりで行かせるものですか、ばあやもついてまいります!」と訴えたくらいだった。
それらすべてを退け、どうせ身売り同然ならばと単身で乗り込んだ、美しい花で飾り立てられた四頭仕立ての馬車に乗り込んだ彼女を待っていたのは、熱烈な口説き文句。
「君に一目ぼれだった。覚えているかい、あの夜会の日のことを」
彼女自身はすっかり忘れていた些細な出来事。
取り巻きの女性たちに見せつけるように、マナーの些細な問題をあげつらう大諸侯の青年と、引きつった微笑みを浮かべながらうなずく、どこか場違いに感じる、少年にも見える青年。
飛び散ったワイン、「手が滑ってしまいましたわ」と悪びれることなく堂々と言い放つ、落ち着いた雰囲気のドレスを身にまとった貴族の女性。
憤慨する貴族青年と、一歩も引かずに「高貴なるものの義務」を示す姿とはなにかを皮肉を込めて聞いてみせた貴族令嬢。
その後、会場のすみでかわした、わずかな会話。
それが二人の馴れ初めにして、唯一の接点だった。
大諸侯の息子という立場を笠に着て、ようやく夜会に顔を出せる立場になったばかりの商人の青年をいたぶるようになじる滑稽な姿に、義憤と、そしていくばくかのいたずら心でもってワインをぶっかけた女性。
その姿を、青年は事細かに覚えていたのだ。
「ぼくは、君にとって満足のいく最高の伴侶にはなれないかもしれない。けれど、最良の伴侶であろうと努力はする。君も、不満があったら何でも言って欲しい」
正直に言えば不満だらけだった。
エィーガー男爵領では見られない風習の数々。
面倒くさい、たらいまわしな役所の手続きをようやく終えたと思ったら、結婚前夜の屋敷の前で、大量の皿を割るだの卑猥なパンを配るだの、わけの分からない行事に付き合わされて。
その上、カネで売られた、買われた貴族娘という扱いをされていては、神経が磨り減るばかり。もうこんな家にはいられない、とばかりに感情を爆発させた夜は、同時に最高に熱い愛の夜になった。
以来、彼をこそ人生の共同経営者と考え、遠慮なくなんでも言い合える関係になった。あの夜が、夫婦としての本当の出発点だった。
そんな夫が常々言っていたことが、『新しい需要の開拓』と、『商売を通して街の人々を幸せにする』だった。
「だって、そうだろう? ぼくらの奮闘がみんなを幸せにすれば、みんなはぼくらを認めて、そしてまた品物も買ってくれるはずだ。みんなを幸せにする仕事をすれば、ぼくらも幸せになれるんだよ」
今もムラタは、熱心に、簡単に、しかも無料で湯を手に入れられる方法について説明をしている。それを普及させれば、美容と健康のためになり、重労働からも解放される生活が得られると訴えて。
正直、夢物語ではないかと思う。この男は、貧しい庶民の暮らしというものを理解しているのだろうか。
井戸を掘るどころか、共用の井戸の水を買うことすらできず、もちろん薪を得ることもできず、川の水を沸かさずそのまま飲むしかない貧しい人々が多くいるという現実を。
……だのに、惹かれてしまうのだ。
この頼りない青年の熱弁に。
相変わらず、彼の言葉には一点の嘘もないのだろう。相手の不実に反応して黒ずんでいく術布は、相も変わらず真っ白のままなのが、それを物語っている。
「水を汲まず、薪も使わず、それでいて湯水が使いたい放題ですって?」
あえて微笑むナリクァンの言葉に、ムラタがあからさまにホッとしてみせる。
──ああ、準備しておいてよかった。夫のように、夢物語のようなことを言い、そして実現させてきたこの若者を、少しばかり懲らしめてやりましょう。
きっと面白い反応を示すはずだとナリクァンは胸の奥でほくそ笑みながら、手を叩いた。
途端に背後の「壁」が開き、そこに立って控えていた護衛の黒服男たちが現れる。
「この詐欺師を今すぐ叩き出してちょうだい」
「ちょ……黒服さん!」
夫人が目論んだ通り、ひどく狼狽してみせるムラタ。
「俺が夫人相手に詐欺ができるほど肝っ玉が太くないヘタレ野郎だってことぐらい、知ってるでしょう!」
自身のことを、こうも情けない人間だとアピールする男など、見たことがない。
彼の夫人たるリトリィは、お茶を飲みながら涼しい顔で、夫が黒服たちに両脇を抱えられてずるずると引きずられてゆくありさまを見送る。
カップを持つ手が、肩が震えているのは、驚いているからでも、恐れているからでもない。必死で笑いをかみ殺しているからだ。ここで笑ってしまっては、ナリクァンのせっかくの余興が台無しになってしまうと分かっているからだろう。
……この子についても、もうすこし驚いてみせてもよかったのに──そう思いながら、真剣に悲鳴を上げるムラタに応えて、ナリクァンはにっこり笑った。
「……というわけであなたの提案です、ただお風呂の話をしたかったわけではないのでしょう? その企みについて、改めて聞こうかしら」
主人の言葉に応じて、ムラタのことを文字通り床に放り出した黒服たちは、一斉にナリクァンの背後の壁に並んだ四角い箱のような穴に戻っていく。五つの壁の穴は、黒服男たちが元いた穴に戻って仁王立ちになると同時に閉じられた。まるで忍者屋敷のからくりのような仕組みに、ムラタは開いた口が塞がらない。
まるで答えを知っていたかのような、落ち着き払ったリトリィの様子にムラタが文句を言うと、彼女は平然と答えた。
「だって、だんなさまのことを大のひいきにしていらっしゃる夫人が、本気でだんなさまをほうりだそうとするはずがありませんもの」
リトリィにしてみれば、ナリクァン夫人はあくまでも「少し厳しいけれど、いつも自分たちを見守ってくれている優しいおばあちゃん」なのだ。ムラタを本気で見限ったりすることなど無いと確信している。
夫も、開口一番「というわけで」などという冗談をぶつけたのだ。珍しくおばあちゃんのいたずら心が刺激されたのだ──そう解釈していた。
なにせ、自分たちの結婚前夜、新婚夫婦の家の前で縁起を担いで皿を割るという「騒夜祭」に、ノリノリで大量の皿を持ち込んで道行く人に配って割らせたうえに、夫人自身も二人の新居のドアに皿を投げつけた張本人である。
一年以上経過したというのに、その時の皿の一部がいまだにドアに突き刺さっていて、自宅が近所の子供たちから「皿の家」なんてあだ名される原因を作ったひとだ。これくらいのことは「冗談で」やりかねない人だと、リトリィは理解している。
その後も、再びナリクァンの「みなさん、詐欺師を叩き出してちょうだい」を合図に、壁を吹き飛ばすような勢いで現れた黒服たちにまたしても悲鳴を上げるムラタと、今度こそ小さく吹き出してしまったリトリィの姿に満足しながら、ナリクァンはムラタの夢物語を「買う」ことに決めた。
街の人々を、商売で幸せにする──今は亡き夫が、ずっと大切にしてきた信条。
このムラタという男は、夢見がちで足元がおぼつかないところもあるけれど、確かに、夫と同じような願いを持っている男だ。
そして、あきれるようなドタバタ劇を演じながら、それを曲がりなりにも実現させてきている。
夫とは似もつかぬ存在だが、その思いと行動力だけは、人を巻き込み共に幸せになろうと奮闘する姿だけは、愛する夫を思い起こさせるのだ。
「いいでしょう。あなたのその提案、買いましょう」
夫の言葉を思い浮かべながら、ナリクァンはうなずいだ。
『ぼくらの奮闘がみんなを幸せにすれば、みんなはぼくらを認めて、そしてまた品物も買ってくれるはずだ。みんなを幸せにする仕事をすれば、ぼくらも幸せになれるんだよ』
最初は夢物語だと思っていた夫の願いを、同じように語るムラタ。
これからも、この男はリトリィがそばにいる限り、彼女を幸せにするためにあがき続けることだろう。その奇抜な発想は、きっと商会に大きな利益を、ゆくゆくは街に住む人々に幸せをもたらすはずだ。
頼りない男の夢物語が、どんな未来を見せてくれるのか。まだ見ぬ「曾孫」の顔を思い浮かべつつ、ナリクァンはもう一度、いたずらっぽく微笑んで黒服男たちを呼ぶのだった。
「この詐欺師を叩き出してちょうだい」
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