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第三話
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ガリオンはこの国の王位継承権第一位のゼルギウスの専属騎士だ。着痩せして見えるが実際は屈強な体格をしていて、背丈ほどある大きくてずっしりした剣も振り回すことができるし、参謀として的確なアドバイスを施すこともある。
側近としてだけでなく容姿も優秀だ。マリーほど抜きん出た美貌は持ち合わせていないが、高い身長に切れ長の大きな瞳を持ち、男性にしては長めの髪がよく似合う美丈夫だ。
フランシスカも、城のメイドたちが格好いいとひそひそ話しているのを目撃したことがあるし、彼女自身も男らしく魅力的だと思っている。剣を振っているときは盛り上がった上腕や胸筋につい目がいってしまうし、魔術使用時は涼しい顔して迫力のある大爆音の号砲を轟かせたりするから、思わず見惚れてしまう。
ガリオンに関してはそのような認識をしていたはずなのに昨日までとわずかに違うように感じ、フランシスカは腕を組んだ。
「ガリオン……昨日の夜、どこかへ行ったの?」
部屋のベッドに横になるガリオンに、フランシスカは心配そうに問いかけた。
フランシスカは毎朝ガリオンとキスするのが日課だ。ガリオンは皇子の部屋へ彼を起こしに行く途中に庭園へ寄り、フランシスカに軽く挨拶をしていくのだが、今日はいつもの時間にガリオンが訪ねて来なかったため、フランシスカが自ら彼の部屋へ赴いたのだった。
ドアをノックし、彼に入室の許可をもらった彼女が見たのは、顔の右半分がただれて赤くなり、右腕と上半身も包帯でぐるぐる巻きにされたガリオンの姿だった。昨日は特に出兵すると言っていなかったし、城の人たちの様子を見るに敵に攻め込まれた訳でもなさそうだ。使用人たちはホウキを持ったりリネンを交換したり、厨房からはパンの焼ける香ばしい匂いが漂っている。いつもと変わらない朝の光景が広がっている。
「ちょっとね。昨晩君とさよならしてからここへ戻るまでに焦っちゃってさ。階段で派手に転んじゃったんだ」
ガリオンは自虐的に笑った。
「本当に……?」
フランシスカは彼の身体をじろじろ見た。包帯が巻かれているところ以外にも、よく見れば擦り傷や痣だらけで、指先は両手とも鋭利な刃で切られたような傷が散見していて痛々しい。ガリオンは皇子付きの護衛騎士の名にふさわしく、疲れていても滅多にミスを犯さない。昨夜戦争などはなかったのだから、個人的に揉め事に巻き込まれてしまったのだろうか。
「大丈夫……?」
ガリオンほどの強さの騎士に多くの傷を与えるなんて、敵対した者はよほど腕の立つ人物だ。血が滲む包帯を暗い顔をして見つめると、ガリオンは気づいて思い口を開ける。
「……実はね。聖女とケンカしたんだ」
「ケンカ?」
フランシスカが食いついてきたのを確かめると、コクリと頷く。
「聖女にさ、ついに君を譲ってくれないかって言われたんだ。でも俺、手放すのが惜しくなって激しく言い争っちゃったんだよね。ついカッとなって魔術使ってボロボロになっちゃった。ほら、聖女も強いから。あははは!」
ガリオンは流暢に語って聞かせた。
しかし、いつもなら何でも信じてくれるのに、今回は疑いの目を向けたままだった。
「マリーは強いけど、治癒魔法しか使えない。攻撃の面に関してはあなたの足元にも及ばないわ」
「……そうだったかな」
「もし本当にケンカしてたらあなたが圧倒的大差で勝つわ。そんなに酷い傷負ったりするはずがないわ」
「……」
フランシスカはいつになく真剣だった。ふざけてばかりいるお調子者ではないにしろ、甘えたり泣き言を言うのが常である彼女にとって、とても稀なことであった。
「参ったな」
ややあって、ガリオンは諦めたように目を伏せた。
「秘密の話をしよう」
ガリオンは傷が少ない左手でフランシスカを手招きした。静かに立ち上がって枕元にしゃがみこむと、顔の熱傷がありありと見てとれて、フランシスカは思わず目を反らした。傷口から包帯へと赤黒い血が染み出ていて酷い有り様だった。
フランシスカの様子にガリオンはちょっとだけショックを受けたが、平気なふりをして続けた。
「フラン、落ち着いて聞いてね」
「なぁに? まさか治らない症状なんて言わないでね?」
「ふっ……」
フランシスカが自分の体調を一番に心配してくれたことが嬉しく、ガリオンは思わず口元が緩んだ。一呼吸置き、まっすぐ彼女を見つめた。
「俺は、三ヶ月後の未来から過去に戻って来たんだ」
「……は?」
フランシスカは信じられないようなものを見付きで彼を見たが、ガリオンは動じることはない。
「結論から言う。死ぬのは俺じゃない」
「死ぬ……?」
「──聖女だ」
瞬間、フランシスカは目を見張った。
「聖女……マリー? マリーが死ぬ……?」
ガリオンはバツの悪そうな顔をして頷く。
「救おうとしたが間に合わなかった」
「それでその傷を……?」
「それだけではないが」
ガリオンは扉の方を指差した。
「ここをずっと歩いていった先に書庫があるだろう。その奥、地下に、普段は目にすることのない最重要魔術書も保管されているんだけど」
「そうなの……?」
魔術は簡単なものであれば親が子に口承したり、難しいものなら魔術書を読んで覚えるのが一般的だ。魔術を使いこなすガリオンにとっては常識だが、フランシスカにとって魔術は、簡単なものであっても未知の世界だ。努力したところでできるようになるものでもないので興味もないのだ。
「俺はその本を使ったんだ。本来、文献の文字は親から子、つまり王から皇子にしか口頭で語り継がれないから、例え誰かに本を盗まれたって魔術を行使できないようになっているんだけどね。通称【時戻し魔術】」
「時戻し魔術……」
「魔術の使用者の望んだ過去に戻ることができるんだ。ただ、これはとても危険な魔法で代償も大きいから、リスクを犯してまで使用する馬鹿はそうそういないと思うけどね」
ガリオンは損傷の激しい自らの頬に触れ「以前はもっとイケメンだったんだけど」と自嘲して笑った。時の流れに逆らう際に、かなりの重力波が身体にのしかかったらしい。
「俺の傷は時戻しの対価として一生治ることはないんだけど、言い換えれば戻した時が数ヶ月だからこの程度で済んだとも言えるんだよ。もし一年とか二年、年単位で過去を巻き戻していれば、俺の命はなかっただろうね。ずっと皇子の側近をしているから、王家だけに伝わる言葉を覚えてしまったんだよ。皇子、ブツブツと練習していたしね」
「そう……なの……?」
いきなり、未来から来て未来ではマリーが死ぬと聞かされてもフランシスカは理解が追い付かない。ガリオンの言っていることは本当なのか。不気味な生物と戦って怪我をして、言葉にするのもはばかられるからそれらしい言い訳をでっち上げたとか、言い訳は何とでも言える。時空を越えてきたなんて、簡単に信じられるものではない。
「どうしてそこまで……」
「聖女が死んだから。さっきも言ったとおり、マリーは数ヵ月後に死ぬんだ。国のためにも聖女・マリーは死んではならない。未来を変えるため、リスクを犯してでも戻ってくる必要があった」
フランシスカは心臓が縮み上がった。確かにマリーが死んでしまう最悪の状況だけは絶対に避けたい。マリーのいない人生など耐えられないし、想像したくない。如何なる手段でも防ぐ手立てがあるのなら、起きるかも知れない不測の事態に備えておくことは悪いことではないのかも知れない。
フランシスカは熟考したのち、ガリオンを信用することに決めた。
「マリーが殺されてしまう原因を作らなければいいのね」
「あぁ。ほとんど関わりのない俺では聖女を動かすことができない。フラン、聖女と一緒にいたいなら聖女を守ってくれ」
ガリオンはフランシスカの手に自分の手を重ね合わせ、力強く握った。
「聖女を守れるのは君しかいないんだ、フラン」
外套で覆った窓の隙間から朝日が漏れて彼の瞳へと注がれる。くすんだ緑色の瞳はわずかに揺らめいて、少しだけ潤んでいるように見えた。
「もちろんよ。守り抜くと誓うわ。私まだ全然マリーとイチャイチャしてないんだから! マリーと相思相愛になるまで死ねないし、死なせない。私が必ずマリーを助ける!!」
フランシスカはガリオンの傷だらけでがさついた手を握り返し、意気込んだ。ガリオンはどこか物悲しそうに微笑んで、フランシスカの頬を撫でた。
「頼もしいな」
そうして、聖女マリーにフランシスカが絡み続ける日々が始まった。
「マリー! こんにちは! どこ行くのマリー! 私も一緒にいっていい?」
言うまでもないが、好きではない人からの一方的な好意の押し付けは煩わしいだけである。聖女という立場柄、皆に優しく振る舞うことをモットーにしている彼女も例外ではない。
「ねぇ、フランシスカ、うるさいんだけど……」
側近としてだけでなく容姿も優秀だ。マリーほど抜きん出た美貌は持ち合わせていないが、高い身長に切れ長の大きな瞳を持ち、男性にしては長めの髪がよく似合う美丈夫だ。
フランシスカも、城のメイドたちが格好いいとひそひそ話しているのを目撃したことがあるし、彼女自身も男らしく魅力的だと思っている。剣を振っているときは盛り上がった上腕や胸筋につい目がいってしまうし、魔術使用時は涼しい顔して迫力のある大爆音の号砲を轟かせたりするから、思わず見惚れてしまう。
ガリオンに関してはそのような認識をしていたはずなのに昨日までとわずかに違うように感じ、フランシスカは腕を組んだ。
「ガリオン……昨日の夜、どこかへ行ったの?」
部屋のベッドに横になるガリオンに、フランシスカは心配そうに問いかけた。
フランシスカは毎朝ガリオンとキスするのが日課だ。ガリオンは皇子の部屋へ彼を起こしに行く途中に庭園へ寄り、フランシスカに軽く挨拶をしていくのだが、今日はいつもの時間にガリオンが訪ねて来なかったため、フランシスカが自ら彼の部屋へ赴いたのだった。
ドアをノックし、彼に入室の許可をもらった彼女が見たのは、顔の右半分がただれて赤くなり、右腕と上半身も包帯でぐるぐる巻きにされたガリオンの姿だった。昨日は特に出兵すると言っていなかったし、城の人たちの様子を見るに敵に攻め込まれた訳でもなさそうだ。使用人たちはホウキを持ったりリネンを交換したり、厨房からはパンの焼ける香ばしい匂いが漂っている。いつもと変わらない朝の光景が広がっている。
「ちょっとね。昨晩君とさよならしてからここへ戻るまでに焦っちゃってさ。階段で派手に転んじゃったんだ」
ガリオンは自虐的に笑った。
「本当に……?」
フランシスカは彼の身体をじろじろ見た。包帯が巻かれているところ以外にも、よく見れば擦り傷や痣だらけで、指先は両手とも鋭利な刃で切られたような傷が散見していて痛々しい。ガリオンは皇子付きの護衛騎士の名にふさわしく、疲れていても滅多にミスを犯さない。昨夜戦争などはなかったのだから、個人的に揉め事に巻き込まれてしまったのだろうか。
「大丈夫……?」
ガリオンほどの強さの騎士に多くの傷を与えるなんて、敵対した者はよほど腕の立つ人物だ。血が滲む包帯を暗い顔をして見つめると、ガリオンは気づいて思い口を開ける。
「……実はね。聖女とケンカしたんだ」
「ケンカ?」
フランシスカが食いついてきたのを確かめると、コクリと頷く。
「聖女にさ、ついに君を譲ってくれないかって言われたんだ。でも俺、手放すのが惜しくなって激しく言い争っちゃったんだよね。ついカッとなって魔術使ってボロボロになっちゃった。ほら、聖女も強いから。あははは!」
ガリオンは流暢に語って聞かせた。
しかし、いつもなら何でも信じてくれるのに、今回は疑いの目を向けたままだった。
「マリーは強いけど、治癒魔法しか使えない。攻撃の面に関してはあなたの足元にも及ばないわ」
「……そうだったかな」
「もし本当にケンカしてたらあなたが圧倒的大差で勝つわ。そんなに酷い傷負ったりするはずがないわ」
「……」
フランシスカはいつになく真剣だった。ふざけてばかりいるお調子者ではないにしろ、甘えたり泣き言を言うのが常である彼女にとって、とても稀なことであった。
「参ったな」
ややあって、ガリオンは諦めたように目を伏せた。
「秘密の話をしよう」
ガリオンは傷が少ない左手でフランシスカを手招きした。静かに立ち上がって枕元にしゃがみこむと、顔の熱傷がありありと見てとれて、フランシスカは思わず目を反らした。傷口から包帯へと赤黒い血が染み出ていて酷い有り様だった。
フランシスカの様子にガリオンはちょっとだけショックを受けたが、平気なふりをして続けた。
「フラン、落ち着いて聞いてね」
「なぁに? まさか治らない症状なんて言わないでね?」
「ふっ……」
フランシスカが自分の体調を一番に心配してくれたことが嬉しく、ガリオンは思わず口元が緩んだ。一呼吸置き、まっすぐ彼女を見つめた。
「俺は、三ヶ月後の未来から過去に戻って来たんだ」
「……は?」
フランシスカは信じられないようなものを見付きで彼を見たが、ガリオンは動じることはない。
「結論から言う。死ぬのは俺じゃない」
「死ぬ……?」
「──聖女だ」
瞬間、フランシスカは目を見張った。
「聖女……マリー? マリーが死ぬ……?」
ガリオンはバツの悪そうな顔をして頷く。
「救おうとしたが間に合わなかった」
「それでその傷を……?」
「それだけではないが」
ガリオンは扉の方を指差した。
「ここをずっと歩いていった先に書庫があるだろう。その奥、地下に、普段は目にすることのない最重要魔術書も保管されているんだけど」
「そうなの……?」
魔術は簡単なものであれば親が子に口承したり、難しいものなら魔術書を読んで覚えるのが一般的だ。魔術を使いこなすガリオンにとっては常識だが、フランシスカにとって魔術は、簡単なものであっても未知の世界だ。努力したところでできるようになるものでもないので興味もないのだ。
「俺はその本を使ったんだ。本来、文献の文字は親から子、つまり王から皇子にしか口頭で語り継がれないから、例え誰かに本を盗まれたって魔術を行使できないようになっているんだけどね。通称【時戻し魔術】」
「時戻し魔術……」
「魔術の使用者の望んだ過去に戻ることができるんだ。ただ、これはとても危険な魔法で代償も大きいから、リスクを犯してまで使用する馬鹿はそうそういないと思うけどね」
ガリオンは損傷の激しい自らの頬に触れ「以前はもっとイケメンだったんだけど」と自嘲して笑った。時の流れに逆らう際に、かなりの重力波が身体にのしかかったらしい。
「俺の傷は時戻しの対価として一生治ることはないんだけど、言い換えれば戻した時が数ヶ月だからこの程度で済んだとも言えるんだよ。もし一年とか二年、年単位で過去を巻き戻していれば、俺の命はなかっただろうね。ずっと皇子の側近をしているから、王家だけに伝わる言葉を覚えてしまったんだよ。皇子、ブツブツと練習していたしね」
「そう……なの……?」
いきなり、未来から来て未来ではマリーが死ぬと聞かされてもフランシスカは理解が追い付かない。ガリオンの言っていることは本当なのか。不気味な生物と戦って怪我をして、言葉にするのもはばかられるからそれらしい言い訳をでっち上げたとか、言い訳は何とでも言える。時空を越えてきたなんて、簡単に信じられるものではない。
「どうしてそこまで……」
「聖女が死んだから。さっきも言ったとおり、マリーは数ヵ月後に死ぬんだ。国のためにも聖女・マリーは死んではならない。未来を変えるため、リスクを犯してでも戻ってくる必要があった」
フランシスカは心臓が縮み上がった。確かにマリーが死んでしまう最悪の状況だけは絶対に避けたい。マリーのいない人生など耐えられないし、想像したくない。如何なる手段でも防ぐ手立てがあるのなら、起きるかも知れない不測の事態に備えておくことは悪いことではないのかも知れない。
フランシスカは熟考したのち、ガリオンを信用することに決めた。
「マリーが殺されてしまう原因を作らなければいいのね」
「あぁ。ほとんど関わりのない俺では聖女を動かすことができない。フラン、聖女と一緒にいたいなら聖女を守ってくれ」
ガリオンはフランシスカの手に自分の手を重ね合わせ、力強く握った。
「聖女を守れるのは君しかいないんだ、フラン」
外套で覆った窓の隙間から朝日が漏れて彼の瞳へと注がれる。くすんだ緑色の瞳はわずかに揺らめいて、少しだけ潤んでいるように見えた。
「もちろんよ。守り抜くと誓うわ。私まだ全然マリーとイチャイチャしてないんだから! マリーと相思相愛になるまで死ねないし、死なせない。私が必ずマリーを助ける!!」
フランシスカはガリオンの傷だらけでがさついた手を握り返し、意気込んだ。ガリオンはどこか物悲しそうに微笑んで、フランシスカの頬を撫でた。
「頼もしいな」
そうして、聖女マリーにフランシスカが絡み続ける日々が始まった。
「マリー! こんにちは! どこ行くのマリー! 私も一緒にいっていい?」
言うまでもないが、好きではない人からの一方的な好意の押し付けは煩わしいだけである。聖女という立場柄、皆に優しく振る舞うことをモットーにしている彼女も例外ではない。
「ねぇ、フランシスカ、うるさいんだけど……」
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