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Ⅴ
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ある日、博士が言った。最近博士は自律運転車でどこかへ出かけることが多い。きっと研究の一環なんだろう。
「ねえ、オトハ。けほっ、デートしよっか」
「デート、ですか」
「そう、デート。日時や場所を決めて会うこと。どうかな?」
「はあ」
わざわざ会う約束をしなくても、私はこの家に常駐しているのだけれど。
私はそれより博士の咳が気になった。
「風邪ですか?」
「うーん、かもしれないねぇ」
ならば早急に治療をしなければならない。機関に連絡して医薬品を取り寄せ、然るべき措置をと思ったところで、ひらひらとお気楽に博士は手を振った。
「へーきへーき。ちょっと忙しかっただけだよ。それよりさ、お花見がしたいんだよね。付き合ってよ、お願い」
いつものように、両手を合わせて博士が私をちらりと見る。お願いなんてしなくても命令されれば私はそれに従うのだけれど、博士は律儀にこうする。
そして、私はこれにめっぽう弱い。理由は定かではない。
「分かりました。脳内映像でご覧になるのですよね?」
「それだとオトハは見れないでしょ? 立体映像にしよう」
脳内映像は人間向けに開発された技術だから、アンドロイドの私が使用することはできない。一方、立体映像なら私も目にすることができる。臨場感では比べるまでもないけれど。
博士は、どこからか借りてきた三角形の映写機を部屋の隅に置いてスイッチを入れた。ふわりと薄桃色の花が浮かび上がるようにして、咲いた。
「桜、ですか」
「そう。趣があるでしょう?」
得意げに博士が笑う。タイミングよく、後ろではらはらと花びらが舞った。思わず伸ばしてしまった私の手を、その花びらはすり抜けていった。
「ねえ、オトハ。ちらし寿司とか作れない?」
インプットしてあるデータの中で見たことはある。スメシという米を炊飯して酢やその他の調味料と和えたものの上に食材をのせていく料理だ。とてもとても日頃配給される食材で作れるものではない。
それに、
「博士はお召し上がりになったことがあるのですか?」
「いや。ないけど?」
そうだろうと思った。
「ちらし寿司の味を、電気味覚で体験するのはどうですか?」
配給される食材に飽きた人はそうしているらしい。
「それは……味気ないんじゃないかなあ」
「味はするかと思いますが」
「そういうんじゃないの」
仕方なく、私達は並んで座って、配給されるカレー味の固形食糧を食べた。アンドロイドの私は食事をする必要はなくて充電すればいいだけなのだけれど、時々こうやって食事の真似事することもある。どうも人間というものは一人で食事をすることが苦手らしい。私が“食べた”ものは急速乾燥及び粉砕されてごみになるだけだ。
「すごいよね、花は。誰にも教えられなくてもさ、時が来たらちゃんと咲くんだから」
「それは気温によるプログラムです。桜の花は起点日からの平均気温の合計が四百度に達すれば開花します」
「なるほど、四百度の法則だね。僕は六百度の法則派だけど」
こちらは、同じく起点日からの最高気温の合計が六百度に達した時に開花するというものだ。どちらも大きな差はない。
「でもさ、それって愛だと思わない?」
博士は得意げににやりと、片方だけ口角を上げる。
「あい、とは」
花は植物の生殖器だ。別に花は人を喜ばせる為に咲くわけではない。種子を残す為に咲く。
この世界にはもう、本物の桜の花は咲かない。ドームの中には限られた空間しかなくて、食用にならない植物を育てる余力はない。
ドームの外に咲いていた花は、もう全て枯れてしまった。人間も、ドームを出たら生きてはいけない。
多くの人達が保存した種子だけが、保存箱の中でいつか来るべき日を待っている。
「毎年変わらず会いに来てくれるってさ、多分愛だと、僕は思うんだよ」
私は博士の言っていることがどういうことなのか分からなかった。
「ねえ、オトハ。けほっ、デートしよっか」
「デート、ですか」
「そう、デート。日時や場所を決めて会うこと。どうかな?」
「はあ」
わざわざ会う約束をしなくても、私はこの家に常駐しているのだけれど。
私はそれより博士の咳が気になった。
「風邪ですか?」
「うーん、かもしれないねぇ」
ならば早急に治療をしなければならない。機関に連絡して医薬品を取り寄せ、然るべき措置をと思ったところで、ひらひらとお気楽に博士は手を振った。
「へーきへーき。ちょっと忙しかっただけだよ。それよりさ、お花見がしたいんだよね。付き合ってよ、お願い」
いつものように、両手を合わせて博士が私をちらりと見る。お願いなんてしなくても命令されれば私はそれに従うのだけれど、博士は律儀にこうする。
そして、私はこれにめっぽう弱い。理由は定かではない。
「分かりました。脳内映像でご覧になるのですよね?」
「それだとオトハは見れないでしょ? 立体映像にしよう」
脳内映像は人間向けに開発された技術だから、アンドロイドの私が使用することはできない。一方、立体映像なら私も目にすることができる。臨場感では比べるまでもないけれど。
博士は、どこからか借りてきた三角形の映写機を部屋の隅に置いてスイッチを入れた。ふわりと薄桃色の花が浮かび上がるようにして、咲いた。
「桜、ですか」
「そう。趣があるでしょう?」
得意げに博士が笑う。タイミングよく、後ろではらはらと花びらが舞った。思わず伸ばしてしまった私の手を、その花びらはすり抜けていった。
「ねえ、オトハ。ちらし寿司とか作れない?」
インプットしてあるデータの中で見たことはある。スメシという米を炊飯して酢やその他の調味料と和えたものの上に食材をのせていく料理だ。とてもとても日頃配給される食材で作れるものではない。
それに、
「博士はお召し上がりになったことがあるのですか?」
「いや。ないけど?」
そうだろうと思った。
「ちらし寿司の味を、電気味覚で体験するのはどうですか?」
配給される食材に飽きた人はそうしているらしい。
「それは……味気ないんじゃないかなあ」
「味はするかと思いますが」
「そういうんじゃないの」
仕方なく、私達は並んで座って、配給されるカレー味の固形食糧を食べた。アンドロイドの私は食事をする必要はなくて充電すればいいだけなのだけれど、時々こうやって食事の真似事することもある。どうも人間というものは一人で食事をすることが苦手らしい。私が“食べた”ものは急速乾燥及び粉砕されてごみになるだけだ。
「すごいよね、花は。誰にも教えられなくてもさ、時が来たらちゃんと咲くんだから」
「それは気温によるプログラムです。桜の花は起点日からの平均気温の合計が四百度に達すれば開花します」
「なるほど、四百度の法則だね。僕は六百度の法則派だけど」
こちらは、同じく起点日からの最高気温の合計が六百度に達した時に開花するというものだ。どちらも大きな差はない。
「でもさ、それって愛だと思わない?」
博士は得意げににやりと、片方だけ口角を上げる。
「あい、とは」
花は植物の生殖器だ。別に花は人を喜ばせる為に咲くわけではない。種子を残す為に咲く。
この世界にはもう、本物の桜の花は咲かない。ドームの中には限られた空間しかなくて、食用にならない植物を育てる余力はない。
ドームの外に咲いていた花は、もう全て枯れてしまった。人間も、ドームを出たら生きてはいけない。
多くの人達が保存した種子だけが、保存箱の中でいつか来るべき日を待っている。
「毎年変わらず会いに来てくれるってさ、多分愛だと、僕は思うんだよ」
私は博士の言っていることがどういうことなのか分からなかった。
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