1 / 9
1.事のはじまり
男が泣いていた。
「ごめんなさい」
大きな肩を震わせて、これまた大きな手を握って、眦を拭う。文字通りしくしくといった感じだ。
「おかしいと思ってたんです。やっぱりこんなこと、続けちゃいけない」
「いやいやいや!」
フランツィスカはそれを見て面食らってしまった。泣いている場合か。為すべき使命がここにあるというのに。そして、毅然とした声で答える。
「挿れてもらわないと困る。できればそう、可及的速やかに!!」
慣れた仕草でズレた眼鏡を直すが、その顔は赤かった。
彼が泣き止む兆しはない。
流れ落ちた澄んだ涙は、ぽつりと小さくシーツに染みを作った。
「こういうことは、ちゃんと、好きな人同士でするべきです」
*
事の発端は、半年前に遡る。
我がリーネルト伯爵家に縁談がやって来た。しかも、王から直々のである。
フランツィスカ自身はその場にいなかったのでこれは侍女から聞いた話だが、書状を開いた父は青ざめて天を仰ぎ、母は卒倒したという。
相手が相手だったからだ。
姓をアメルハウザー。名はレオンハルト。爵位は侯爵である。
問題は、アメルハウザー家が生粋の武官の家系であることだ。確か、騎士団に所属している。夜会か何かで姿を見かけたことはある。背の高い男だった。
対するリーネルト家は代々文官の家系。得意なのは法務と財務一般。フランツィスカも法典を子守歌に、算盤を玩具にして大きくなった。大学も優秀な成績で卒業した。今は王宮で文官として勤務している。
この国では女でも爵位が継げるため、いつかフランツィスカも婿を迎え家を盛り立てていこう、そう思っていた矢先だった。
三代前の祖父同士が揉めたせいで両家の仲はすこぶる悪い。王がそれをお嘆きになっての婚姻だった。なお、何故揉めていたのかは知らない。
野蛮な武官の家に、刑法よ分数よと愛でて育てた長女が嫁ぐ。
両親はそのことに絶望したのだ。
「仕方がないことです」
嘆き続ける両親を前に、フランツィスカは言った。その時まだ、結婚ということの意味はよく分かってはいなかった。
けれど、跡継ぎとしては二つ年下の弟もいる。正直、頭の出来としてはフランツィスカの方がいいのだけれど。レオンハルトの他に子供のいないアメルハウザー家には、自分が嫁ぐのが順当ということは容易に理解ができた。
いわゆる政略結婚だ。よくあることだ。
そう、言い聞かせていた。
それから一週間もしないうちにレオンハルト本人が婚約のために訪ねてきた。父と母に結婚に結婚を乞い、フランツィスカも彼を迎えた。
やわらかそうな茶色の髪を撫でつけ、儀礼用の盛装を完璧に着こなしている。育ちの良さそうな柔和な顔立ちに、小柄なフランツィスカの首が痛くなるぐらいの長身。
「はじめまして、リーネルトさん」
そう言って、手に持っていた花束を渡してくれた。ちゃんと屈んでくれたので目が合った。にっこりと、音が聞こえるかのような微笑み。獅子というよりはまるで犬のようだった。
榛色の瞳が、きれいだった。
「……フランツィスカと呼んでくれて構わない」
「それでは、フランツィスカさん。どうぞ」
差し出されたのは、アネモネの花だった。赤と白のものを巧く組み合わせてアレンジしてある。彼が持つにはいささか似つかわしくない、可憐で美しいものだった。
「君は、この花の意味を分かっているのかい」
けれど、思わずため息が出てしまった。
「え、花に意味なんか、あるんですか?」
フランツィスカが訊くと、レオンハルトは首を傾げた。
「きれいだと思ったので、持ってきました」
本当にそれだけの理由だったのだろう。会って間もないが、それでも分かってしまうものがあった。
フランツィスカが黙っていると、レオンハルトが心配そうに見下ろしてきた。形のいい眉がハの字に下がる。
「すみません、俺なにかいけないことをしたでしょうか?」
さて、ここで本当のことを言うべきか。適当に「嬉しかったです」と流すべきか。
フランツィスカには、大学時代から現在にかけて拝命したありがたい二つ名がある。
「鉄の女」「経理の鬼」「笑わない魔女」
リーネルト家では普通のことだが、学問に邁進する女はまだ少ない。奇異の目で見られたし、男の学生にも馬鹿にされた。
『女のくせに生意気だな』
そういう奴は大体成績で完膚なきまでにぶちのめしてやった。毎週のように事業計画書を叩きつけらたこともある。勿論、片っ端から添削してお返し申し上げたけれど。騎士団にいた彼はこのことを知らないのだろう。
見た目は悪くないのに、と面と向かって言われたこともある。
背が小さくて母親似の顔立ちは黙っていればそれなりに見えるらしい。まあ大体会話を五分ほどすると崩れ去る砂上の楼閣だが。
きらきらが、ずっとこっちを見ていた。主人を慕う犬はきっとこんな目をしているに違いない。
――鉄の女に花を贈る奴がいるなんてな。
「いいや、なんでもない。ありがたく頂戴しよう。次は貴家の財務三表を持って来て頂けるとなお嬉しい」
「財務三表ってなんです?」
「貸借対照表とキャッシュフロー計算書と損益計算書のことだ。家令に聞けばわかる」
「分かりました! 次は持ってきますね!!」
見えない尻尾をぶんぶんと振って、彼は頷いた。やはり獅子ではなくて犬だと思う。
アネモネには見た目のかわいらしさとは裏腹に毒がある。花言葉は“はかない恋”だ。恋人に贈るものとしては不適と言わざるを得ない。はじまってもいない恋が終わってしまうところである。
けれど、それでもフランツィスカは嬉しかったのだ。そして同時に自分に似合いだとも。
「ごめんなさい」
大きな肩を震わせて、これまた大きな手を握って、眦を拭う。文字通りしくしくといった感じだ。
「おかしいと思ってたんです。やっぱりこんなこと、続けちゃいけない」
「いやいやいや!」
フランツィスカはそれを見て面食らってしまった。泣いている場合か。為すべき使命がここにあるというのに。そして、毅然とした声で答える。
「挿れてもらわないと困る。できればそう、可及的速やかに!!」
慣れた仕草でズレた眼鏡を直すが、その顔は赤かった。
彼が泣き止む兆しはない。
流れ落ちた澄んだ涙は、ぽつりと小さくシーツに染みを作った。
「こういうことは、ちゃんと、好きな人同士でするべきです」
*
事の発端は、半年前に遡る。
我がリーネルト伯爵家に縁談がやって来た。しかも、王から直々のである。
フランツィスカ自身はその場にいなかったのでこれは侍女から聞いた話だが、書状を開いた父は青ざめて天を仰ぎ、母は卒倒したという。
相手が相手だったからだ。
姓をアメルハウザー。名はレオンハルト。爵位は侯爵である。
問題は、アメルハウザー家が生粋の武官の家系であることだ。確か、騎士団に所属している。夜会か何かで姿を見かけたことはある。背の高い男だった。
対するリーネルト家は代々文官の家系。得意なのは法務と財務一般。フランツィスカも法典を子守歌に、算盤を玩具にして大きくなった。大学も優秀な成績で卒業した。今は王宮で文官として勤務している。
この国では女でも爵位が継げるため、いつかフランツィスカも婿を迎え家を盛り立てていこう、そう思っていた矢先だった。
三代前の祖父同士が揉めたせいで両家の仲はすこぶる悪い。王がそれをお嘆きになっての婚姻だった。なお、何故揉めていたのかは知らない。
野蛮な武官の家に、刑法よ分数よと愛でて育てた長女が嫁ぐ。
両親はそのことに絶望したのだ。
「仕方がないことです」
嘆き続ける両親を前に、フランツィスカは言った。その時まだ、結婚ということの意味はよく分かってはいなかった。
けれど、跡継ぎとしては二つ年下の弟もいる。正直、頭の出来としてはフランツィスカの方がいいのだけれど。レオンハルトの他に子供のいないアメルハウザー家には、自分が嫁ぐのが順当ということは容易に理解ができた。
いわゆる政略結婚だ。よくあることだ。
そう、言い聞かせていた。
それから一週間もしないうちにレオンハルト本人が婚約のために訪ねてきた。父と母に結婚に結婚を乞い、フランツィスカも彼を迎えた。
やわらかそうな茶色の髪を撫でつけ、儀礼用の盛装を完璧に着こなしている。育ちの良さそうな柔和な顔立ちに、小柄なフランツィスカの首が痛くなるぐらいの長身。
「はじめまして、リーネルトさん」
そう言って、手に持っていた花束を渡してくれた。ちゃんと屈んでくれたので目が合った。にっこりと、音が聞こえるかのような微笑み。獅子というよりはまるで犬のようだった。
榛色の瞳が、きれいだった。
「……フランツィスカと呼んでくれて構わない」
「それでは、フランツィスカさん。どうぞ」
差し出されたのは、アネモネの花だった。赤と白のものを巧く組み合わせてアレンジしてある。彼が持つにはいささか似つかわしくない、可憐で美しいものだった。
「君は、この花の意味を分かっているのかい」
けれど、思わずため息が出てしまった。
「え、花に意味なんか、あるんですか?」
フランツィスカが訊くと、レオンハルトは首を傾げた。
「きれいだと思ったので、持ってきました」
本当にそれだけの理由だったのだろう。会って間もないが、それでも分かってしまうものがあった。
フランツィスカが黙っていると、レオンハルトが心配そうに見下ろしてきた。形のいい眉がハの字に下がる。
「すみません、俺なにかいけないことをしたでしょうか?」
さて、ここで本当のことを言うべきか。適当に「嬉しかったです」と流すべきか。
フランツィスカには、大学時代から現在にかけて拝命したありがたい二つ名がある。
「鉄の女」「経理の鬼」「笑わない魔女」
リーネルト家では普通のことだが、学問に邁進する女はまだ少ない。奇異の目で見られたし、男の学生にも馬鹿にされた。
『女のくせに生意気だな』
そういう奴は大体成績で完膚なきまでにぶちのめしてやった。毎週のように事業計画書を叩きつけらたこともある。勿論、片っ端から添削してお返し申し上げたけれど。騎士団にいた彼はこのことを知らないのだろう。
見た目は悪くないのに、と面と向かって言われたこともある。
背が小さくて母親似の顔立ちは黙っていればそれなりに見えるらしい。まあ大体会話を五分ほどすると崩れ去る砂上の楼閣だが。
きらきらが、ずっとこっちを見ていた。主人を慕う犬はきっとこんな目をしているに違いない。
――鉄の女に花を贈る奴がいるなんてな。
「いいや、なんでもない。ありがたく頂戴しよう。次は貴家の財務三表を持って来て頂けるとなお嬉しい」
「財務三表ってなんです?」
「貸借対照表とキャッシュフロー計算書と損益計算書のことだ。家令に聞けばわかる」
「分かりました! 次は持ってきますね!!」
見えない尻尾をぶんぶんと振って、彼は頷いた。やはり獅子ではなくて犬だと思う。
アネモネには見た目のかわいらしさとは裏腹に毒がある。花言葉は“はかない恋”だ。恋人に贈るものとしては不適と言わざるを得ない。はじまってもいない恋が終わってしまうところである。
けれど、それでもフランツィスカは嬉しかったのだ。そして同時に自分に似合いだとも。
あなたにおすすめの小説
【完結】帳簿係の地味令嬢、商会の不正を見抜いて王宮に見出されました。
夏灯みかん
恋愛
王都の商工会議所で働く、地味な帳簿係エミリー。
真面目に記録をつけることだけが取り柄の彼女は、同僚から軽く扱われ、雑用を押しつけられる日々を送っていた。
そんなある日――エミリーは、孤児院への配給物資の記録に、わずかな“ズレ”があることに気づく。
数量は合っている。
だが、なぜか中身の重量だけが減っている。
違和感を覚えたエミリーは、自ら倉庫へ足を運び、現物を確認する。
そこで見つけたのは、帳簿では見えない“静かな不正”だった。
しかしその矢先――不正の責任を押しつけられ、職場から追い出されそうになってしまう。
それでもエミリーは諦めない。ただ一つ、自分が積み上げてきた“記録”を信じて。
「では、正式な監査をお願いいたします」
やがてその記録は、王宮の政務監査官リオンの目に留まり――
隠されていた不正はすべて暴かれる。
そして、彼女を軽んじていた者たちは、その代償を支払うことになる。
これは、地味で目立たなかった一人の帳簿係が、
“正しく記録した”ことで不正を暴き、王宮に見出されるまでの物語。
悪役令嬢にされたので婚約破棄を受け入れたら、なぜか全員困っています
かきんとう
恋愛
王城の大広間は、いつも以上に華やいでいた。
磨き上げられた床は燭台の光を反射し、色とりどりのドレスが揺れるたびに、まるで花畑が動いているかのように見える。貴族たちの笑い声、楽団の優雅な旋律、そして、ひそやかな噂話が、空気を満たしていた。
その中心に、私は立っていた。
――今日、この瞬間のために。
「エレノア・フォン・リーベルト嬢」
高らかに呼ばれた私の名に、ざわめきがぴたりと止む。
兄妹じゃないとわかったのでお兄様と結婚したら、全部仕込みでした
こじまき
恋愛
【20260401読みやすいように話を分割しました】
伯爵令嬢ヘイゼルは、兄アリステアに恋をしている。叶わないと知りながら、それでも諦めきれなかった。
しかし子ども時代の「取り違え」が発覚し、子爵令嬢ロレッタとして“正しい場所”で生き直すことに。
そして妹ではなくなった彼女に、アリステアは求婚する。
運命のねじれは正されて、望んだとおりに最愛の人と結ばれた――
けれど――その「正しい運命」は、兄アリステアによって用意されたものだった――
※「小説家になろう」にも投稿しています。
閉じ込められた未亡人は、当主となった義息と契約する。
黒蜜きな粉
恋愛
借金の肩代わりとして後妻に入った私は、
妻と呼ばれながら屋敷の離れで「いないもの」として暮らしていた。
ある雪の日、夫が事故死したと告げられる。
だが、葬儀に出ることすら許されず、私は部屋に閉じ込められた。
新たに当主となった継子は言う。
外へ出れば君は利用され奪われる、と。
それが保護であり、同時に支配なのだと理解したとき、
私はその庇護を条件付きの契約に変えることを選ぶ。
短いお話です。
※第19回恋愛小説大賞にエントリーしております。
【完結】「元カノが忘れられないんでしょう?」と身を引いた瞬間、爽やか彼氏の執着スイッチが入りました
恋せよ恋
恋愛
「元カノが忘れられないなら、私が身を引くわくべきよね」
交際一周年、愛するザックに告げた決別の言葉。
でも、彼は悲しむどころか、見たこともない
暗い瞳で私を追い詰めた。
「僕を捨てる? 逃げられると思っているの、アン」
私の知る爽やかな王子の仮面が剥がれ落ち、
隠されていた狂おしいほどの独占欲が牙を剥く。
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!
【完】麗しの桃は攫われる〜狼獣人の番は甘い溺愛に翻弄される〜
こころ ゆい
恋愛
※完結しました!皆様のおかげです!ありがとうございました!
※既に完結しておりますが、番外編②加筆しました!(2025/10/17)
狼獣人、リードネストの番(つがい)として隣国から攫われてきたモモネリア。
突然知らない場所に連れてこられた彼女は、ある事情で生きる気力も失っていた。
だが、リードネストの献身的な愛が、傷付いたモモネリアを包み込み、徐々に二人は心を通わせていく。
そんなとき、二人で訪れた旅先で小さなドワーフ、ローネルに出会う。
共に行くことになったローネルだが、何か秘密があるようで?
自分に向けられる、獣人の深い愛情に翻弄される番を描いた、とろ甘溺愛ラブストーリー。
王宮医務室にお休みはありません。~休日出勤に疲れていたら、結婚前提のお付き合いを希望していたらしい騎士さまとデートをすることになりました。~
石河 翠
恋愛
王宮の医務室に勤める主人公。彼女は、連続する遅番と休日出勤に疲れはてていた。そんなある日、彼女はひそかに片思いをしていた騎士ウィリアムから夕食に誘われる。
食事に向かう途中、彼女は憧れていたお菓子「マリトッツォ」をウィリアムと美味しく食べるのだった。
そして休日出勤の当日。なぜか、彼女は怒り心頭の男になぐりこまれる。なんと、彼女に仕事を押しつけている先輩は、父親には自分が仕事を押しつけられていると話していたらしい。
しかし、そんな先輩にも実は誰にも相談できない事情があったのだ。ピンチに陥る彼女を救ったのは、やはりウィリアム。ふたりの距離は急速に近づいて……。
何事にも真面目で一生懸命な主人公と、誠実な騎士との恋物語。
扉絵は管澤捻さまに描いていただきました。
小説家になろう及びエブリスタにも投稿しております。