ベンチのとなりの人

すっぐ@障害年金FIRE

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ベンチのとなりの人

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冬の終わり、まだ風の冷たさが残る公園のベンチに、健太は腰を下ろしていた。
吐く息が白くほどけて空へ消えていくのを、ただぼんやりと目で追う。



会社を辞めてから、もう三か月が経っていた。朝起きても、やるべきことはない。スマホの画面を見ても、通知はほとんど来ない。
人と話さない日が増えるにつれ、言葉を口にするのも億劫になっていった。

その日も、何となく空を見上げて時間を潰していたときだった。



「寒いねえ」
隣にいつの間にか、小柄なおばあさんが座っていた。
手には紙袋。口を結んでいるのに、中から甘い匂いが漂ってくる。

「焼き芋、余っちゃってね。一本、食べる?」差し出された包み紙の温もりに、健太は戸惑った。

見知らぬ人から食べ物をもらうなんて、子どもの頃なら親に叱られる場面だ。
けれど、その温かさに抗う気力はなかった。
「……ありがとうございます」
包みを開くと、湯気と一緒に甘い香りが鼻をくすぐった。



二人並んで、黙って焼き芋を食べた。おばあさんは特に話しかけてくるわけでもなく、ただ時折「おいしいね」と微笑むだけだった。
それが妙に心地よくて、健太は気づけば最後まで食べきっていた。

翌日も、おばあさんは現れた。その日は飴玉を二つ、ポケットから取り出し、「この味、懐かしいのよ」と笑った。

健太は少しだけ自分のことを話した。仕事を辞めたこと、人と会うのが面倒になっていること。
おばあさんは相槌を打ちながら、「そういう時期もあるさね」と軽く言った。



その次の日も、その次の日も、おばあさんはやってきた。みかんの日もあれば、温かい缶コーヒーの日もある。
健太も、少しずつ心をほどいていった。
「営業がうまくいかなくて……最後は、自分が嫌になったんです」
「人はね、自分を嫌うより、自分を休ませる方が大事よ」
そんなやり取りが続くうちに、ベンチで過ごす時間は寒さよりも温かさを感じるものになっていった。



ところが、ある朝。ベンチは空っぽだった。
待てど暮らせど、おばあさんは来ない。
その日を境に、二日、三日と、姿を見せなくなった。

心にぽっかり穴が開いたようで、健太は落ち着かなかった。

公園の管理人に尋ねると、おばあさんは体調を崩し、近くの老人ホームに入ったと聞かされた。

迷いながらも、健太はスーパーで焼き芋を買い、老人ホームを訪ねた。
受付で名前を告げると、職員が案内してくれた部屋の中、おばあさんは毛布を膝にかけ、窓の外を眺めていた。

「……あらまあ。あなた、来てくれたの」おばあさんの顔が、ふっと柔らかくほどけた。
「これ、お土産です」
差し出した焼き芋を受け取ると、おばあさんは笑って言った。
「あなた、笑うとほんとにいい顔ね」



健太は、不意に自分の頬が熱くなるのを感じた。笑うのは、いつぶりだろう。そう思ったら、自然と声がこぼれた。
「また、公園で会えますかね」
「春になったら、行きたいわね」

帰り道、空は冬の色を手放し、やわらかな春の光を溶かし始めていた。健太はポケットの中で、もらった飴玉を握りしめた。

小さな関わりが、自分を少しだけ前に押してくれた気がした。
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