生んでくれてありがとう

緒方宗谷

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高遠千里

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 「どこにでもお局様はいるのね」
 佳代の愚痴を聞き終わった千里が、サラッと言った。
 「そう、なんかこう、何やっても文句つけてくるというか、文句のために文句言ってくるっていうか、わかってくれる?千里!」
 「いるいる、そういうやつって、相手を操りたいのよ、自分の思い通りにしたいだけ、聞き流しとけばいいのよ」
 「なんか、言い返しちゃうのよね」
 千里と2人で新しくできたイタリアンに来る約束をしていた佳代は、オープン当初の行列があった時期を避け、3カ月くらい間を開けてようやく入ることにした。
 レストランというよりバーに近く、ランチは簡単なセットものが数種類あるだけだったが、小皿メニューは豊富でワインの種類も多い。
 「ランチメニューはなんか食べたくないなぁ」
 「ワインを楽しむ店のようね。
  千里、ワイン好きでしょ、昼間から飲めるわよ」
 2人してぶつぶつ文句をつけながら小皿を数品見繕って、とりあえずおすすめワインを一本注文した。
 まだグラス一杯飲んだ程度なのに、のっけから猛獣の愚痴を繰り返す佳代の話を軽く聞き流しながら、気に入った小皿をおかわりして、3杯目のワインを飲む千里。いつもは千里の話を聞いている方が多い佳代だったが、前日鳥島に一日中怒鳴られて、相当ストレスがたまっていたようだ。
 11月後半に入って、クリスマスの準備が始まっている施設では、クリスマスツリーや壁を飾るため、100円ショップで買ってきた折り紙や綿をスタッフが切ったり丸めたりしている。
 佳代は数人のお婆ちゃんと一緒に、サンタやソリの絵を台紙に張る作業をしていた。そんな中、1人のおばあちゃんが言った。
 「私分からないわ」 
 「のりをつけて、好きなところに貼ればいいんですよ」
 佳代は入所者自身にやらせた方がいい脳トレになると思い、手取り足取とり手伝ったりはしなかった。そのためほんの少し使えば十分糊付けできるにも関わらす、お婆ちゃんたちはすぐに1本を使い切ってしまった。
 それが鳥島の逆鱗に触れたのか、少しは頭を使えだの馬鹿じゃないのだの散々な言いようだ。確かに佳代も多いとは思っていたが、お婆ちゃんたちが指を使ってのりを伸ばしている様を見ていると、止めたくなかった。
 昔見たニュースでコメンテーターとして出演していた医者か何かの女性が言っていたのを、佳代は実践していたのだ。手で硬い物や柔らかいものなど普段触れない物に触れると、脳がこれはなんだと一生懸命理解しようとフル回転するそうだ。結果大変良い脳トレになる。
 費用を考えると確かにもったいないかもしれない。だが1本100円程度だ。脳に与える影響を考えると安いものではないかと思って、佳代は放っておいた。
 根拠はないものの、1日中室内にいる入居者ため、楽しくて脳トレになることはないかといつも考えていた佳代にとって、クリスマスの準備は思いがけない良い脳トレだと思えた。
 だか鳥島は認めなかった。
 「ならない!!あんたがお金出すの!?施設のお金よ!!」
 頭から否定する鳥島。自分で好きにできない施設の消耗品である以上、引き下がるしかない。 
 「ごめんなさい、あたしのせいで」
 1人のお婆ちゃんに謝られたが、お婆ちゃんたちを巻き込んでしまって、申し訳ない気持ちの佳代だった。
 OLの千里から見れば、上司から消耗品の費用については、いつも口を酸っぱくして言われていること。施設での仕事経験も家での介護経験もないから、佳代の言う分よりも、鳥島の言い分の方が理解しやすい。それでも心情的には佳代の方が人にやさしいのは分かる。
 施設に入っている人は、別に弱っていくために入っているわけではないし、無理に入れられているわけでもない。高齢になって一人で生活するのが難しくなってきたから、サポートを受けるため施設に入ったのだ。それは、健康的に余生を過ごすためであって、生き殺しにされるわけではない。
 佳代の勤める施設は入所者の扱いに問題は無い。感極まった佳代が思わず生き殺しという表現をしただけであったが、少しぎょっとする千里であった。
 佳代としては、入所者に楽しく遊んでもらって、それが脳トレになり、ボケ防止なればと思っていた。ご飯もたくさん食べてもらい、昼間のレクリエーションで体を動かしてもらって、車イスが無くても移動できるようになってもらいたいと思っていた。
 実際、背中や足が曲がっていて、筋肉をつけても真っ直ぐ立てない方も多いのだが、理想としては、そうなってほしい。
 初出勤の時の第一印象は、トランプやお絵かきをしている方は頭がはっきりしていて、何もしていない方はボケていた。
 トランプやお絵かきの他に、パズルや積み木など子供向けのおもちゃは結構あったが、本人たちがやろうとしない。佳代は何とか遊んでもらおうと声をかけても、興味を持ってくれない人は、全く持ってくれない。
 「すいませーん、もう1本ください」
 千里が2本目のワインを注文したとき、長々としゃべってきた鳥島への愚痴を、千里が聞いていないことに佳代は気づいた。
 入所者の方たちを元気にして施設を出てもらうとか、施設で働けるくらいにしたいと思っていると言いたかったが、口にはしなかった。実際口から出ていたのは、鳥島への愚痴ばかりだったので、もう施設についてしゃべるのをやめた。グラスのワインを飲み干し、もう一杯なみなみついで、それも飲み干した。だいぶ気分も晴れていた。
 「佳代は、思うままにしてればいいんじゃない?」
 千里は佳代の気持ちの変化を察したのか、笑顔で一言言って次の食事会の相談を始める。また新しいイタリアンのお店ができたらしく、スマホの画面を見せてきた。
 地図を見ると代々木公園の近くで、乗り換えが必要などと聞くと、ちょっと行くのが面倒になるが、そこからさらに数駅移動すれば、お気に入りのセレクトショップがあったはずだということを思いだし、OKサインを出した。ただ、今は結構並ぶようなので、いつ行くかまでは決めなかった。
 ワイン4本のうち3本は千里が飲んだので、佳代は顔が赤らむ程度だった。千鳥足の千里を自宅のある目黒まで送ると、荒れに荒れた室内の大惨事が目に飛び込んでくる。
 前来た時もそうだったが、普段掃除をしない千里の部屋は、足の踏み場もないくらいに洋服が散乱し、キッチンは洗っていない食器で埋まり、IHヒーターの上にはお弁当の空箱が山積になっている。
 「ちょっとはかたさないと」
 「いいの」
 「彼氏が来たらどうするの?」
 「大丈夫だもん、何も言われないから」
 心の広い彼氏だと感心しながら、同時に千里の 胆の大きさにも感心する。
 前に来たときは、千里がぐでんぐでんに酔っていて、内側から一人で鍵をしめられなかったので、佳代は帰ることができずに泊まった。
 散乱している服のおかげで、硬い床の上にじかに寝ずに済んだが、随分と居心地が悪かった。次の朝は2人でカップラーメンを食べた!
 千里がシャワーを浴びている間にテレビをつけて、ワイドショーを見ながら部屋の掃除を始めた。
 佳代が嫌がる千里と一緒にお昼までやっても綺麗にならなかった。それでも何とか玄関からベッドまでの動線は確保したのに、4カ月近くたった今は、道の痕跡すら全くない。千里の話では、3日で元に戻ったとのことだ。
 かたずけたい、かたしてあげたいと思いつつ、それを察した千里に拒否されて、佳代は帰ることにした。
 (彼氏のいない私を心配してくれるのはありがたいんだけど、 わたしゃあなたの人生が心配だよ)
 ドアの前に佇む佳代であった。

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