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泉崎 ~時代を刻む時計台は色褪せないメロディーを奏でる~
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何処かにあると言われる“なんでも作れる”絆の地、自然しかない山の中でマルシェイベントが行われている、とある“BA”所に遊びに行った。
幾つかのブースを見て回った後に立ちよった中島村のブースで、日本が誇る音楽プロデューサーの方が、祖父の故郷の村に時計台を寄贈したという話を聞いて、思い立ったが吉日とばかりに早速行ってみることにした――のだが、「うん、何もない」。第一印象はそれだった。
中島村ブースの方が、「駅もない、インターもない、なんにもないのが中島村です。良かったらぜひ来てください」と言っていたが、面白い自虐ネタだ。本当に何にもない。
でも僕は気にせず、焼き畑薫る一本道を行く。もともと町歩きが好きだったし、のどかな風景を眺めるのも好きだったから、却ってこの方が面白い。
泉崎のブースで買ったはとむぎ茶と矢祭町のブースで買ったフロランタンを手に、一時間近い道のりを散歩がてらに、景色を楽しみながら歩く。無駄なようで、とても楽しいひととき。こういう時に『猫のモモタ』が頭の中で遊び出す。
時計台が設置されたあの時代、五千人しかいない中島村に二万人が訪れたというから驚きだが、それももう夢の後。
未来に贈り伝えたい音楽を数多く奏でた天才が残した時計台を眺めながら、耳に残るメロディーに想いを馳せ、時の流れに哀愁を感じる。
休憩して飲んだずんだの甘酒はメロン味?(笑)。思わず瓶をまじまじと見るが、やっぱりずんだ。
僕は、ふと目の前に現れたモモタを追いかけて公園を出た。新しい物語の始まりだ。でもそれは、『猫のモモタ』でえがくことにする。
モモタの後を追ってしばらく――というか結構長いこと散策する。面白いことに、人っ子一人誰もいない。ようやく見つけた犬と散歩のおばちゃんに訊くと、近くにカフェがあるらしい。
新街道から旧街道に移って郵便局を過ぎると、とても落ち着いた感じの一件のカフェを見つけた。
ファサードがガラス張りで、どことなく現代アートのギャラリーの様。
店内は、四角い部屋を斜めに使っていて、とても斬新。中央に並んだテーブルをみると、日本各地のちょっと良い品がきれいにディスプレイされている。
それらを鑑賞している間に運ばれてきたのは、優しい枯れ葉色とクリーミーな繭色のコーヒーカップ。本日はグァテマラ産のコーヒー豆。
雲海の様なテーブルに置かれたコーヒーカップは、まるで天を漂う浮島の如く悠然としている。
大抵は、席で届けられるコーヒーを見るのが普通だが、無人の席でうっすらと湯気を湛えるのを見るのも良い情景だ。
ゆっくりと席について、カップを手に取ると、微かに焦げた香りが鼻を撫でる。まず始めに健やかな酸味が舌を走り、ゆっくりと苦味が口に広がる。
それほど強い苦味ではないけれども後に尾を引いて、仄かな酸味を舌の端に残して去っていく。さらりとしていてまろやかさはなく、コクがある。
だんだんと量が減っていってカップに繭色が広がるにつれ、同じ色のテーブルとの調和に気がついた。
敢えて背筋を伸ばして、コーヒーカップをテーブルの中央より手前右寄りに据える。そして眺める。
四つ角がカットされて足がはめられたテーブルの上にあるのは、コーヒーカップのみ。それなのに、ずっと眺めていたくなる何かを感じた。
カップが良いとか、テーブルが良いとか、何かがあるわけではなかったけれども、妙に芸術性を感じる。特に、お皿に落ちたカップの二重の影を包み込む枯れ葉色に。
僕は、飲み終わってなお、しばらく眺めていた。
川のせせらぎが聞こえる朝もやに包まれた森の中で、食物連鎖の始まりが築いたその大地に想いを馳せる。店内に自然を感じさせるものは何もなかったが、土のふくよかさを大いに感じた。
人々が時間に追われる日々を過ごす昨今において、その時々の気持ちに素直になって、微かに沸き起こった何かに促されて歩んでみるのは、行き当たりばったりに見えて敬遠されがちたが、とても贅沢で良いと思う。
一日のほとんどを中島村ですごしてしまい、挙げ句の果てに真っ暗闇の中、迷子になって小雨に降られて幾度かの雷光を浴びて、危うく帰れなくなるところだった。
そんな帰り道、暗闇の中で妙に嗅覚が冴えて、湿気ったコンクリートに混じった土と堆肥の豊かな自然と営みのにおいが、苦味の余韻を引き立てる。
スマホを使って偉大な音楽家の音楽を聴いた。夜のとばりの中で響くその音は、ピアノソロだったから、とても物悲しかった。
今なおNFT音楽も手掛けているというので、いつか生演奏をお聴きしてみたい、と思うようになった一日だった。
幾つかのブースを見て回った後に立ちよった中島村のブースで、日本が誇る音楽プロデューサーの方が、祖父の故郷の村に時計台を寄贈したという話を聞いて、思い立ったが吉日とばかりに早速行ってみることにした――のだが、「うん、何もない」。第一印象はそれだった。
中島村ブースの方が、「駅もない、インターもない、なんにもないのが中島村です。良かったらぜひ来てください」と言っていたが、面白い自虐ネタだ。本当に何にもない。
でも僕は気にせず、焼き畑薫る一本道を行く。もともと町歩きが好きだったし、のどかな風景を眺めるのも好きだったから、却ってこの方が面白い。
泉崎のブースで買ったはとむぎ茶と矢祭町のブースで買ったフロランタンを手に、一時間近い道のりを散歩がてらに、景色を楽しみながら歩く。無駄なようで、とても楽しいひととき。こういう時に『猫のモモタ』が頭の中で遊び出す。
時計台が設置されたあの時代、五千人しかいない中島村に二万人が訪れたというから驚きだが、それももう夢の後。
未来に贈り伝えたい音楽を数多く奏でた天才が残した時計台を眺めながら、耳に残るメロディーに想いを馳せ、時の流れに哀愁を感じる。
休憩して飲んだずんだの甘酒はメロン味?(笑)。思わず瓶をまじまじと見るが、やっぱりずんだ。
僕は、ふと目の前に現れたモモタを追いかけて公園を出た。新しい物語の始まりだ。でもそれは、『猫のモモタ』でえがくことにする。
モモタの後を追ってしばらく――というか結構長いこと散策する。面白いことに、人っ子一人誰もいない。ようやく見つけた犬と散歩のおばちゃんに訊くと、近くにカフェがあるらしい。
新街道から旧街道に移って郵便局を過ぎると、とても落ち着いた感じの一件のカフェを見つけた。
ファサードがガラス張りで、どことなく現代アートのギャラリーの様。
店内は、四角い部屋を斜めに使っていて、とても斬新。中央に並んだテーブルをみると、日本各地のちょっと良い品がきれいにディスプレイされている。
それらを鑑賞している間に運ばれてきたのは、優しい枯れ葉色とクリーミーな繭色のコーヒーカップ。本日はグァテマラ産のコーヒー豆。
雲海の様なテーブルに置かれたコーヒーカップは、まるで天を漂う浮島の如く悠然としている。
大抵は、席で届けられるコーヒーを見るのが普通だが、無人の席でうっすらと湯気を湛えるのを見るのも良い情景だ。
ゆっくりと席について、カップを手に取ると、微かに焦げた香りが鼻を撫でる。まず始めに健やかな酸味が舌を走り、ゆっくりと苦味が口に広がる。
それほど強い苦味ではないけれども後に尾を引いて、仄かな酸味を舌の端に残して去っていく。さらりとしていてまろやかさはなく、コクがある。
だんだんと量が減っていってカップに繭色が広がるにつれ、同じ色のテーブルとの調和に気がついた。
敢えて背筋を伸ばして、コーヒーカップをテーブルの中央より手前右寄りに据える。そして眺める。
四つ角がカットされて足がはめられたテーブルの上にあるのは、コーヒーカップのみ。それなのに、ずっと眺めていたくなる何かを感じた。
カップが良いとか、テーブルが良いとか、何かがあるわけではなかったけれども、妙に芸術性を感じる。特に、お皿に落ちたカップの二重の影を包み込む枯れ葉色に。
僕は、飲み終わってなお、しばらく眺めていた。
川のせせらぎが聞こえる朝もやに包まれた森の中で、食物連鎖の始まりが築いたその大地に想いを馳せる。店内に自然を感じさせるものは何もなかったが、土のふくよかさを大いに感じた。
人々が時間に追われる日々を過ごす昨今において、その時々の気持ちに素直になって、微かに沸き起こった何かに促されて歩んでみるのは、行き当たりばったりに見えて敬遠されがちたが、とても贅沢で良いと思う。
一日のほとんどを中島村ですごしてしまい、挙げ句の果てに真っ暗闇の中、迷子になって小雨に降られて幾度かの雷光を浴びて、危うく帰れなくなるところだった。
そんな帰り道、暗闇の中で妙に嗅覚が冴えて、湿気ったコンクリートに混じった土と堆肥の豊かな自然と営みのにおいが、苦味の余韻を引き立てる。
スマホを使って偉大な音楽家の音楽を聴いた。夜のとばりの中で響くその音は、ピアノソロだったから、とても物悲しかった。
今なおNFT音楽も手掛けているというので、いつか生演奏をお聴きしてみたい、と思うようになった一日だった。
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