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色仕掛け
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西條聖子は美人だった。真一の会社に勤める彼女は、容姿端麗で背が高く、モデルでもしていた方が良いのではないかという出で立ちで、いつも出社していた。
同僚からは良く食事や飲み会に誘われていたが、操が硬いのか彼氏がいるのか、いつもお母さんが食事を作っているからと断っていた。
真一も、ある飲み会の罰ゲームで、彼女を新しくできた沖縄料理店に誘ったことがある。真一も以前から他の男性社員同様、彼女が僕の方を振り向いてくれたらと思っていたから、罰ゲームとはいえ、内心期待してもいた。
髪が長くて色白の彼女は、二重ながら切れ長で少し目じりの上がった瞳をしている。日本人であるが、どことなく中国美人か韓国美人と言った風の目力の持ち主だ。体のラインがあまり浮かないような服装であったが、スタイルが良いとはっきりと分かる。
物を考える時や困った時は、常に第2関節を曲げた右手で唇を覆い、第1関節を唇に当てて微笑む。上目づかいで見つめられてドキドキしない男性はいないであろう。
服装は落ち着いた色合いが多かったが、有名か無名かは別にして明らかに安くはなさそうなデザインが多い。数年前まで東京の大学に通っていただけあって、田んぼに囲まれた地元で会う女性達とは違い、だいぶ洗練されたセンスの様だ。
真一が上京したのは、ちょうど2000年だ。ダンスミュージックも下火になり、取って代わって大人数のアイドルグループとロックが人気を博していた。
長らく死に絶えていたかと思われていたアイドルだが、圧倒的な人気を誇って1強時代を謳歌している。ロックは3強時代だ。真一は、少し時代遅れながら一時ミリオンセラーを連発したプロデューサーの楽曲を引きずっていた。
高校時代は、ダンスミュージック全盛期で、アムラー、顔グロ、ヤマンバまでが青春のど真ん中だったし、20歳前後に付き合っていた彼女は、みんな日焼けしていて、今の女性と比べて露出が高い。
その調子で東京に出てきたが、大学在学中に色白が流行り出して、気持ちが東京についていけない瞬間があった。当時は時代の変化を恨めしく思ったが、今思うと結果オーライだ。
同僚は西條の色香に有頂天だったが、流行りの転換期について行けずに動揺を受けるという経験したおかげで、久しぶりに見た質の高い服装に、みんなほど惑う事は無く過ごせた。
ただ、時折ついて行けない事もあった。月に1度位の頻度で、白黒の乳牛カラーの服を着てくることがある。袖なしで、下に長袖を着ていて、膝くらいのスカートも乳牛カラーだ。
とても可愛らしかったが、随分と違和感を感じる。振り返ると、離婚する前に年に何度か、町で乳牛カラーの服を見ることがあったが、それから何年も経た今は、彼女以外が着ているところを見る事は無い。
「井上さん、お茶どーぞ」
「ん?ありがとう」
ここ最近、真一に対する西條の態度に変化があった。
この会社には、女性社員に雑用をさせる風習は無い。お茶が飲みたければ、自分で給湯室にってボタンを押せば、お茶、ほうじ茶、コーヒー、お湯、水、飲みたい放題だ。当然、真一も彼女にお茶を頼むことは無い。
稀に、西條は真一にお茶を淹れるばかりか、小さなチョコレートの包み紙を紙コップの横に添えていく。席に着いた西條を見やると、彼女はニコッと満面の笑みを浮かべて、仕事に戻る。
大抵の男性なら、ほぼ一撃で勘違いするだろう。真一もそれに漏れず、もしかしたらという考えが頭をもたげ、心音が上がって息苦しくなった。
考えると、きっかけがある。以前、西條が仕事でミスをした際、庇ってあげた事があった。上司は誰のミスか分かっていなかったし、誰も名乗り出る事は無かったから、担当したチームリーダーの真一が叱責された。
その際、そのミスが西條の責任である事は、携わった者が見れば一目瞭然であったにも関わらず、真一は自分のミスであるかのように上司から怒鳴られ続けた。
チームメンバーに、今後このようなミスが無いようにと伝えた真一は、エレベーターで西條と2人になる機会を利用し、ミスの箇所を伝えた。その時以来、彼女から急に距離を縮めてきたのだ。
「井上さん、書類のここ、こんな感じで良いでしょうか?私上手くできていない感じがして、井上さんに見てもらいたいんです」
西條は、はにかみながらピョコピョコとそばに寄ってきて、真一に書類を手渡した。座っている彼の横に立つ彼女の胸は、ちょうど頭の位置にある。距離にして30cm程度しかない。
普通、人にはそれぞれのテリトリーがあって、それを侵害しないように、侵害されないように、ある程度距離を保つはずだ。そのボーダーラインが突然あやふやになってしまった。
正確には、真一のボーダーラインは明確のままだ。だからこそ、自分のテリトリーが侵された気がして、動揺している。微かにだが呼吸も苦しい。
シャンパン風のとても甘い香りを纏う彼女は、両手を後ろに組んで少し背を引き、胸を強調しているように思える。左右の肩を交代交代前後に揺らしていた。春物の薄いカシミアの服に浮かぶ陰影に、男は簡単に落ちてしまうことを知っているかのようだ。
真一が、改善点を指摘すると、上半身をかがめた西條は、右手の指で長い髪を耳にかけて書類を見る。彼女の髪がワイシャツに触れた。説明しながら顔を見やると、頬も唇も10cm程度先にあって、体温が伝わってくる。
「私目が悪いんですよ」
そう言いながら、更に書類に顔を近づける彼女に気を使って、真一は書類を渡す。しかし西條は、書類を顔に近づけようとはせず、顔を書類に近づける事を止めない。
彼女の胸元のカシミアの生地がワイシャツに触れた。近すぎる頬から距離を置こうと身を反らした真一を追うように、西條は更に身を寄せる。逃れる彼の距離よりも多くの距離を迫った彼女の胸が、肩に触れた。
ほんの一瞬、ほんの一瞬だけ細やかに触れただけであったが、水に落ちた葉が波紋を広げるように、その柔らかさは全身へと伝わっていく。その瞬間、西條は恥ずかしそうに微笑み、少し距離を保つ。
「ありがとうございました。
直してみるので、また見てくれますか?」
極端に近い距離で目を合わせる彼女は、真一から書類を受け取ろうと、紙に両手を添えた。書類を渡そうとする真一の右手の指に、彼女の左手の指さきが重なる。初めて触れた彼女の素肌だった。
同僚からは良く食事や飲み会に誘われていたが、操が硬いのか彼氏がいるのか、いつもお母さんが食事を作っているからと断っていた。
真一も、ある飲み会の罰ゲームで、彼女を新しくできた沖縄料理店に誘ったことがある。真一も以前から他の男性社員同様、彼女が僕の方を振り向いてくれたらと思っていたから、罰ゲームとはいえ、内心期待してもいた。
髪が長くて色白の彼女は、二重ながら切れ長で少し目じりの上がった瞳をしている。日本人であるが、どことなく中国美人か韓国美人と言った風の目力の持ち主だ。体のラインがあまり浮かないような服装であったが、スタイルが良いとはっきりと分かる。
物を考える時や困った時は、常に第2関節を曲げた右手で唇を覆い、第1関節を唇に当てて微笑む。上目づかいで見つめられてドキドキしない男性はいないであろう。
服装は落ち着いた色合いが多かったが、有名か無名かは別にして明らかに安くはなさそうなデザインが多い。数年前まで東京の大学に通っていただけあって、田んぼに囲まれた地元で会う女性達とは違い、だいぶ洗練されたセンスの様だ。
真一が上京したのは、ちょうど2000年だ。ダンスミュージックも下火になり、取って代わって大人数のアイドルグループとロックが人気を博していた。
長らく死に絶えていたかと思われていたアイドルだが、圧倒的な人気を誇って1強時代を謳歌している。ロックは3強時代だ。真一は、少し時代遅れながら一時ミリオンセラーを連発したプロデューサーの楽曲を引きずっていた。
高校時代は、ダンスミュージック全盛期で、アムラー、顔グロ、ヤマンバまでが青春のど真ん中だったし、20歳前後に付き合っていた彼女は、みんな日焼けしていて、今の女性と比べて露出が高い。
その調子で東京に出てきたが、大学在学中に色白が流行り出して、気持ちが東京についていけない瞬間があった。当時は時代の変化を恨めしく思ったが、今思うと結果オーライだ。
同僚は西條の色香に有頂天だったが、流行りの転換期について行けずに動揺を受けるという経験したおかげで、久しぶりに見た質の高い服装に、みんなほど惑う事は無く過ごせた。
ただ、時折ついて行けない事もあった。月に1度位の頻度で、白黒の乳牛カラーの服を着てくることがある。袖なしで、下に長袖を着ていて、膝くらいのスカートも乳牛カラーだ。
とても可愛らしかったが、随分と違和感を感じる。振り返ると、離婚する前に年に何度か、町で乳牛カラーの服を見ることがあったが、それから何年も経た今は、彼女以外が着ているところを見る事は無い。
「井上さん、お茶どーぞ」
「ん?ありがとう」
ここ最近、真一に対する西條の態度に変化があった。
この会社には、女性社員に雑用をさせる風習は無い。お茶が飲みたければ、自分で給湯室にってボタンを押せば、お茶、ほうじ茶、コーヒー、お湯、水、飲みたい放題だ。当然、真一も彼女にお茶を頼むことは無い。
稀に、西條は真一にお茶を淹れるばかりか、小さなチョコレートの包み紙を紙コップの横に添えていく。席に着いた西條を見やると、彼女はニコッと満面の笑みを浮かべて、仕事に戻る。
大抵の男性なら、ほぼ一撃で勘違いするだろう。真一もそれに漏れず、もしかしたらという考えが頭をもたげ、心音が上がって息苦しくなった。
考えると、きっかけがある。以前、西條が仕事でミスをした際、庇ってあげた事があった。上司は誰のミスか分かっていなかったし、誰も名乗り出る事は無かったから、担当したチームリーダーの真一が叱責された。
その際、そのミスが西條の責任である事は、携わった者が見れば一目瞭然であったにも関わらず、真一は自分のミスであるかのように上司から怒鳴られ続けた。
チームメンバーに、今後このようなミスが無いようにと伝えた真一は、エレベーターで西條と2人になる機会を利用し、ミスの箇所を伝えた。その時以来、彼女から急に距離を縮めてきたのだ。
「井上さん、書類のここ、こんな感じで良いでしょうか?私上手くできていない感じがして、井上さんに見てもらいたいんです」
西條は、はにかみながらピョコピョコとそばに寄ってきて、真一に書類を手渡した。座っている彼の横に立つ彼女の胸は、ちょうど頭の位置にある。距離にして30cm程度しかない。
普通、人にはそれぞれのテリトリーがあって、それを侵害しないように、侵害されないように、ある程度距離を保つはずだ。そのボーダーラインが突然あやふやになってしまった。
正確には、真一のボーダーラインは明確のままだ。だからこそ、自分のテリトリーが侵された気がして、動揺している。微かにだが呼吸も苦しい。
シャンパン風のとても甘い香りを纏う彼女は、両手を後ろに組んで少し背を引き、胸を強調しているように思える。左右の肩を交代交代前後に揺らしていた。春物の薄いカシミアの服に浮かぶ陰影に、男は簡単に落ちてしまうことを知っているかのようだ。
真一が、改善点を指摘すると、上半身をかがめた西條は、右手の指で長い髪を耳にかけて書類を見る。彼女の髪がワイシャツに触れた。説明しながら顔を見やると、頬も唇も10cm程度先にあって、体温が伝わってくる。
「私目が悪いんですよ」
そう言いながら、更に書類に顔を近づける彼女に気を使って、真一は書類を渡す。しかし西條は、書類を顔に近づけようとはせず、顔を書類に近づける事を止めない。
彼女の胸元のカシミアの生地がワイシャツに触れた。近すぎる頬から距離を置こうと身を反らした真一を追うように、西條は更に身を寄せる。逃れる彼の距離よりも多くの距離を迫った彼女の胸が、肩に触れた。
ほんの一瞬、ほんの一瞬だけ細やかに触れただけであったが、水に落ちた葉が波紋を広げるように、その柔らかさは全身へと伝わっていく。その瞬間、西條は恥ずかしそうに微笑み、少し距離を保つ。
「ありがとうございました。
直してみるので、また見てくれますか?」
極端に近い距離で目を合わせる彼女は、真一から書類を受け取ろうと、紙に両手を添えた。書類を渡そうとする真一の右手の指に、彼女の左手の指さきが重なる。初めて触れた彼女の素肌だった。
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