猫のモモタ

緒方宗谷

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モモタとママと虹の架け橋

第百六話 覆い隠した真実の愛

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 毎日毎日人魚が届けてくれるごはんのおかげで、オオウツボは徐々に体力を回復させていきました。

 オオウツボは、「今度一緒にサンゴを見に行こうよ」と言いたいと、ごはんを食べながらいつも考えていました。ですが、断られてしまったら・・・と思うと恐ろしくなって言えずにいました。傷つくくらいなら、今のままのほうがいい、と思ったのです。

 それを察したのか、人魚は言いました。

 「ねえオオウツボさん、今度わたしと一緒にサンゴを眺めて過ごしましょうよ」

 ですが、オオウツボは断りました。自分のように醜いウツボが、綺麗なサンゴを鑑賞するなど、周りに笑われてしまう、と思ったのです。オオウツボは、前よりも卑屈になっていました。

 人魚は、そんなオオウツボを無理には誘いませんでした。洞穴の奥深くから出てこないオオウツボを待つかのように、毎日毎日お家の入り口の内側に座って、サンゴに思いを馳せながら過ごしていました。

 その後ろ姿を見ていたオオウツボは、申し訳なくなってきました。ですが、こちらから誘う勇気がありません。断られることはないはずなのに、それを信じられなかったのです。それでも勇気を出して、ゆっくりと入り口のほうに泳いで臥床するようになりました。

 オオウツボの横たわる場所からサンゴは見えませんでしたが、それでも満足です。少しだけ入り口のほうに出てきた自分の姿を見て、人魚が優しく微笑んでくれたからです。

 平穏な日々が続いたある日の出来事です。突然、大きな地鳴りが海底に鳴り響きました。近くの海底が火を噴いたのです。

 とてつもない縦揺れがオオウツボのお家を襲ったかと思うと、熱く煮えたぎった海水が流れ込んできました。

 このままでは茹って死んでしまう、と思ったオオウツボは、咄嗟にとぐろを巻いて熱湯を遮断する蓋となりました。

 ですが、マグマによって煮えたぎったお湯には敵いません。瞬く間に皮が爛れていきます。あまりの熱さに絶叫するオオウツボの姿を見て慌てた人魚は、オオウツボを抱きしめて、即座に外へと逃げ出しました。

 必死に泳ぎ続けた人魚は、熱湯の中を泳ぎ切って砂浜へと続く砂地の海底で力尽き、ゆっくりと沈んでいきました。

 二匹とも命は取り留めましたが、その姿は、大変無残で見るに堪えません。火傷の痕は全身に及んでいます。宝石をちりばめたかのように光り輝いていた人魚のウロコは色あせて、くすんだ灰褐色に変貌していました。

 新しい我が家とした洞穴の周りに住む魚たちは、見るも無残なその姿を見て、二匹が引っ越してきたことを快く思いません。あからさまに聞こえるように悪口を言い始めました。

 オオウツボは言いました。

 「こんな生活は耐えられない。もともと醜かった僕なのに、もっと醜くなってしまった。どこか遠くに行って消えてしまいたい」

 「死んでしまいたいとおっしゃるの?」

 「苦しまずに死ねるのなら、死にたいくらいだ」

 ですが、苦しまずに死ぬ方法なんて思い浮かびません。空腹には絶えられませんし、陸地に上がるのも耐えられないでしょう。結局、死ぬことにも不快を感じて実行できません。

 絶望の色を見せない人魚を不思議に思ったオオウツボは、訊きました。

 「君は、あの美しかった顔も、胸も焼け爛れて、魔法をかけたかのように輝いていたウロコからも光が失われてしまった。それではもはや天空を飛ぶことは叶わないだろう。だって、光り輝けるからこそ、星と呼ばれているのだから」

 人魚は言いました。

 「あら、輝かなくとも星は星ですよ」

 「だが、暗黒の天空にあって輝かないとなれば、誰の目に見えると言うんだい? 誰にも見えないのであれば、いないのと一緒だろう。ならば天空を飛べないのと一緒じゃないか。なればこそ飛べないというものだよ」

 人魚は、オオウツボに真剣な眼差しを向けました。オオウツボは耐えられずに目を背けます。

 そんなオオウツボを見つめ続けながら、人魚は言いました。

 「あなたには見えませんか?」

 「・・・ああ、見えないだろうね」

 しばらくの間沈黙が続きました。その間を破って、人魚が言います。

 「そのような言葉が、真心を曇らせるのです」

 とても物悲しそうな声でした。

 オオウツボが答えます。

 「君は、そのような姿になって悲しくはないのか? どんな魚よりも美しかったのに。今はハゼにすら醜いと言われている」

 「あなたが本心からそのようなことをおっしゃっておいでなら、悲しくも思うのでしょうけれど・・・。でもなぜですか? 汚れで真心を磨いて言葉を紡いでも、生まれる息吹はなんの色も持ちませんのよ」

 オオウツボは黙っていました。

 人魚は続けます。

 「あなたにはわたしが見えているでしょう? わたしにはそれで十分なのですよ。たとえわたしが暗黒星であったとしても、あなたにはわたしの居場所が分かります。たとえ空気の塊だったとしても、あなたは吸い込んで瞬時にわたしと分かってくださるでしょう?」

 オオウツボは「もちろんだ」と言いたかったのですが、喉の奥に言葉が詰まって出てきません。

 そんな自分を見て、人魚は悲しんでいるだろう、とオオウツボは思いました。ですが、見ないをふりして視界の端に入れた人魚の顔からは、笑みは絶えていません。

 人魚は言いました。

 「わたしにはあなたが見えていますよ。あなたの姿は、今まで出会ったどのような姿の魚よりも素敵です。あなたは必死にとぐろを巻いてわたしを守ってくれたではありませんか」

 「でも守りきれなかった。逆に君に助けられてしまったから、とても格好悪いよね」

 「そんなことありませんよ。あの時あなたには一匹で逃げるという選択肢もあったはず。ですが、わたしを一人残しませんでした。サメでもマグロでもあなたより大きな魚だって茹って死んでしまいかねない熱湯でしたから、逃げ出したとしても仕方ありません。逃げても誰もあなたを非難しなかったでしょう。
  そんなことろに、あなたの愛を感じます」

 オオウツボは、今までの魚生の中で初めて『愛』という言葉を聞きました。

 言葉を失って固まるオオウツボに、人魚が言います。

 「ここに逃げてくる時に、前のお家を見ましたか?」

 「いいや、見ていないけれども」

 「そうですか。とてもきれいなサンゴで入り口がおおわれていたのですよ。赤や青の。とても小さいものでしたが、少しずつ増えていたのです」

 それを聞いたオオウツボは、後悔しました。なぜ一言「一緒にサンゴを見よう」といえなかったのか。人魚のほうから言ってくれた時、なぜ一言「うん」と言えなかったのか。

 ですか、それでもウツボは言えませんでした。「僕の真心を見に行こう」と。

 海底火山から溢れ出たマグマに覆われているかもしれません。海面を漂う軽石に光を遮られて、白い石と化しているかもしれません。この期に及んでもなお、オオウツボは自身の内に秘める真心の存在に確信を持つことができないでいたのです。

 実際、大やけどを負ってしまうほど、海水温は上昇していました。ですから、お家を彩っていたサンゴは死滅しています。それは見なくとも察しがつきました。オオウツボは、自分の真心によってまたサンゴが生まれる、などとは思いもよりません。ですから、この新しいお家がサンゴに彩られる、なんて希望もいだけないでいました。

 それは現実となりました。何年経っても、新しいお家にはサンゴは生まれなかったのです。


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