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鬼胎
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最初に口を開いたのはお姉ちゃんだった。
「和則は、長いことわたしを探していた。だって生きて出てこられたら困るから。この家の財産を乗っ取られないでしょう。あの家族は、戦時中に路頭に迷った遠い親戚の孫一家なんですって。だから、わたしたち一家が全滅してしまえば、あの人たちにとってはしめたものだわ。そっくり全部相続できてしまうから」少しの間があった。「そして、あなたの番」女の子は、誰かを陥れた時に見せるような、眉間と鼻がシワくちゃになるほどの影にまみれた笑みを顔中に浮かべて言った。
「生まれたばかりだったあなたを世話するのは、登紀子の勤めになった。でも登紀子は何もしなかった。あなたがどんなに泣いてもほとんどミルクをあげなかったし、おむつも換えなかった。だから、たまに換えるおむつの下はひどい有様だったわ。可愛かった柔らかくて美味しそうなお尻が、湿疹だらけでかぶれてずるむけて爛れて、本当に汚かった。わたしは、ここでそのさまを見て、声を殺して泣いていたんだから。
三人は、毎晩のように話し合っていた。どうやってあなたを殺すか。まだ赤ちゃんだったからすぐにでも殺せたけれど、でも出来なかった。すれば殺人なのは明らかでしょう。まだハイハイも出来ないんですもの。
でもそれももう終わり。ある時、登紀子が思いついた。近所に住んでいる土佐犬に噛み殺させればいいんだって。
思いついたら早かった。すぐに乳母車にあなたを乗せて、その土佐犬が飼われている家に行ったそうよ。しかも都合よく土佐犬が道に放たれていて・・・。でもそんな都合のいいことってあるわけない。後で聞いた三人の話から考えると、まず和則がはじめに行って門の鍵を上げて開けておいたらしいわ」
「それでどうなったの?」僕は訊いた。
女の子は、深く沈むようにゆっくりとにやけて教えてくれた。
「あなたは運よく助かった。近くを通りかかった巡査さんに助けてもらったの。頭を咥えられていたけれど、大事には至らなかったわ」そう言って僕の頭を撫でまわす。「傷跡も残っていない・・・本当によかったわ」そして黙ってまた僕を抱きしめた。
枕にした女の子の柔らかいももから伝わる体温はとても温かくて、いい香りがした。僕はその温かい香りを胸いっぱいに吸い込んで、そのまま眠りについた。
どれくらいの時間がたったのだろう。僕は目を覚ました。女の子はいない。背中の上にネズミがいた。つけっぱなしで落ちていた懐中電灯を拾ってあたりを照らす。やぱっり女の子はいない。とても心細い。押入れに下りて和室に出ると、温かな気配がした。みんなが遊園地から帰ってきている。僕は寂しさを紛らわせたくて、みんなの声が聞こえる食堂に行った。
お母さんが言った。
「あら慎吾、どこにいたの?」
「押入れ」
「お土産あるよ」おばあちゃんが言った。「玄関に置いてあるよ」
お昼も夕食も食べていない。とてもお腹が空いていた僕は、走って玄関に行った。たくさんの荷物が置いてあったけれど、その中にお土産のお菓子はない。ポストカードやキーホルダーだけ。
僕が食堂に戻っていって「ない」と言うと、おばあちゃんから「そんなことない」という返事が返ってきた。おばあちゃんが座る椅子の足元には、お菓子が包まれているらしき箱の入った紙袋が幾つかある。それを見やって黙っていた僕に、おばあちゃんが言った。
「これはだめ。人様にあげるものなんだから」
お父さんが言った。「二階じゃないのか? お母さんが一度二階に行って荷物を置いてきただろう」
「そうね。二階を見てきたら?」とお母さんが言ったので、僕は走ってお母さんの部屋に行った。でもやっぱりなかった。あったのは開け広げられた包み紙と空の箱。あたりには、お菓子を小分けにした袋が散乱している。チョコだったみたいだけれど、中身はない。
僕は、開けていないお菓子の箱がないか探したけれど、お菓子の箱は空になったこれ一つだけだった。
階段を駆け下りていって、「ないよ」僕はみんなに訴えた。「空の箱しかない。どうして僕の分をとっておいてくれなかったの?」僕は泣きそうになりながら言った。
「食べるわけないだろう」お父さんが言う。
お母さんが続けた。
「そうよ。お母さんたちはお夕食も食べてきたのに、帰ってきてお菓子なんて食べられるはずないでしょう」
僕は叫んだ。
「でもないよ。そうだ、弥紗が食べたんだ」
「わたし食べてない」
「そうだよ」とお父さん「弥紗はお父さんたちとずっと一緒にいたんだから、食べられるわけないだろう」
「そうよ」と弥紗がほくそ笑む。「お兄ちゃんは遊園地に行けなかったもんだから、いじけているのよ。だってとっても楽しかったもんねー」と、笑顔を振りまきながら楽しそうにお母さんに向かって斜めに頭を傾ける。お母さんも「ねー」と一緒になって楽しそうに頭を傾けた。
僕がおばあちゃんの足元にある紙袋に駆け寄ると、おばあちゃんはすかさず紙袋の持ち手を左手で持って持ち上げて、右手で僕の腕をぴしゃりと叩く。そして怒鳴った。
「意地汚い。これは人様にあげるものだと言ったでしょう」
お父さんが僕の襟首を引っ張って引き倒した。
「自分で寝坊して行かなかったくせにわがままするんじゃない。しかもおばあちゃんのお菓子を盗むなんて、何てことするんだ。行く末が知れるぞ。お前は大人になったら泥棒になる気か!?」
弥紗が勝ち誇ったように笑う。
「ああ楽しかった。キャラクターのバイキングをお昼に食べて、たくさん遊んで、晩ご飯はデパートで豪華なご飯を食べたの。お友達へのお土産もたくさん買ってもらったのよ。明日学校で配るんだ。とても美味しいチョコレート」
僕は、また二階に向かって走る。後ろから「あっだめっ」と言う弥紗の声が聞こえた。階段の一番下で僕の服を掴んだ弥紗を押し倒して上りはじめたけれど、お父さんに髪を掴まれて引っ張られて、僕は階段から転げ落ちた。頭や脛を階段の角にぶつけて痛みに耐える僕を無理やりに立たせたお父さんが怒鳴る。
「なんで弥紗のお土産を盗むんだ。しかも弥紗を突き飛ばして。もし階段の上だったりしたら落ちてしまうじゃないか」
「階段の一番下だったもん」
「言い訳するな!」
「お父さんは僕を階段から落した」
そう言った瞬間、ひっぱたかれた。
お父さんは、更に声を荒げて怒鳴った。
「もし倒れた弥紗がドアに頭をぶつけたらどうする! ガラスのドアだぞ。割れて首に刺さったら死んじゃうんだぞ」
僕が弥紗を見ると、弥紗はお父さんの後ろから顔を出して舌を伸ばす。とても憎たらしい表情をしていた。
お父さんはいいんだ。僕が死んでもいいんだ。僕は階段から落された。僕が落ちるのはいいんだ。ガラスのドアに頭をぶつけて死んでもいいんだ。不意に天井裏の女の子の声が頭に響く。「あの人たちは本当の家族じゃない」、と。
そうだ。この人たちは本当の家族じゃないから、僕が死んでもいいんだ。急に二つの目玉がふやけて、中から涙があふれた。大粒の涙をぼたぼたと床に落とした僕は、二の腕を掴む男の手を振り切って和室に走った。
つづく
「和則は、長いことわたしを探していた。だって生きて出てこられたら困るから。この家の財産を乗っ取られないでしょう。あの家族は、戦時中に路頭に迷った遠い親戚の孫一家なんですって。だから、わたしたち一家が全滅してしまえば、あの人たちにとってはしめたものだわ。そっくり全部相続できてしまうから」少しの間があった。「そして、あなたの番」女の子は、誰かを陥れた時に見せるような、眉間と鼻がシワくちゃになるほどの影にまみれた笑みを顔中に浮かべて言った。
「生まれたばかりだったあなたを世話するのは、登紀子の勤めになった。でも登紀子は何もしなかった。あなたがどんなに泣いてもほとんどミルクをあげなかったし、おむつも換えなかった。だから、たまに換えるおむつの下はひどい有様だったわ。可愛かった柔らかくて美味しそうなお尻が、湿疹だらけでかぶれてずるむけて爛れて、本当に汚かった。わたしは、ここでそのさまを見て、声を殺して泣いていたんだから。
三人は、毎晩のように話し合っていた。どうやってあなたを殺すか。まだ赤ちゃんだったからすぐにでも殺せたけれど、でも出来なかった。すれば殺人なのは明らかでしょう。まだハイハイも出来ないんですもの。
でもそれももう終わり。ある時、登紀子が思いついた。近所に住んでいる土佐犬に噛み殺させればいいんだって。
思いついたら早かった。すぐに乳母車にあなたを乗せて、その土佐犬が飼われている家に行ったそうよ。しかも都合よく土佐犬が道に放たれていて・・・。でもそんな都合のいいことってあるわけない。後で聞いた三人の話から考えると、まず和則がはじめに行って門の鍵を上げて開けておいたらしいわ」
「それでどうなったの?」僕は訊いた。
女の子は、深く沈むようにゆっくりとにやけて教えてくれた。
「あなたは運よく助かった。近くを通りかかった巡査さんに助けてもらったの。頭を咥えられていたけれど、大事には至らなかったわ」そう言って僕の頭を撫でまわす。「傷跡も残っていない・・・本当によかったわ」そして黙ってまた僕を抱きしめた。
枕にした女の子の柔らかいももから伝わる体温はとても温かくて、いい香りがした。僕はその温かい香りを胸いっぱいに吸い込んで、そのまま眠りについた。
どれくらいの時間がたったのだろう。僕は目を覚ました。女の子はいない。背中の上にネズミがいた。つけっぱなしで落ちていた懐中電灯を拾ってあたりを照らす。やぱっり女の子はいない。とても心細い。押入れに下りて和室に出ると、温かな気配がした。みんなが遊園地から帰ってきている。僕は寂しさを紛らわせたくて、みんなの声が聞こえる食堂に行った。
お母さんが言った。
「あら慎吾、どこにいたの?」
「押入れ」
「お土産あるよ」おばあちゃんが言った。「玄関に置いてあるよ」
お昼も夕食も食べていない。とてもお腹が空いていた僕は、走って玄関に行った。たくさんの荷物が置いてあったけれど、その中にお土産のお菓子はない。ポストカードやキーホルダーだけ。
僕が食堂に戻っていって「ない」と言うと、おばあちゃんから「そんなことない」という返事が返ってきた。おばあちゃんが座る椅子の足元には、お菓子が包まれているらしき箱の入った紙袋が幾つかある。それを見やって黙っていた僕に、おばあちゃんが言った。
「これはだめ。人様にあげるものなんだから」
お父さんが言った。「二階じゃないのか? お母さんが一度二階に行って荷物を置いてきただろう」
「そうね。二階を見てきたら?」とお母さんが言ったので、僕は走ってお母さんの部屋に行った。でもやっぱりなかった。あったのは開け広げられた包み紙と空の箱。あたりには、お菓子を小分けにした袋が散乱している。チョコだったみたいだけれど、中身はない。
僕は、開けていないお菓子の箱がないか探したけれど、お菓子の箱は空になったこれ一つだけだった。
階段を駆け下りていって、「ないよ」僕はみんなに訴えた。「空の箱しかない。どうして僕の分をとっておいてくれなかったの?」僕は泣きそうになりながら言った。
「食べるわけないだろう」お父さんが言う。
お母さんが続けた。
「そうよ。お母さんたちはお夕食も食べてきたのに、帰ってきてお菓子なんて食べられるはずないでしょう」
僕は叫んだ。
「でもないよ。そうだ、弥紗が食べたんだ」
「わたし食べてない」
「そうだよ」とお父さん「弥紗はお父さんたちとずっと一緒にいたんだから、食べられるわけないだろう」
「そうよ」と弥紗がほくそ笑む。「お兄ちゃんは遊園地に行けなかったもんだから、いじけているのよ。だってとっても楽しかったもんねー」と、笑顔を振りまきながら楽しそうにお母さんに向かって斜めに頭を傾ける。お母さんも「ねー」と一緒になって楽しそうに頭を傾けた。
僕がおばあちゃんの足元にある紙袋に駆け寄ると、おばあちゃんはすかさず紙袋の持ち手を左手で持って持ち上げて、右手で僕の腕をぴしゃりと叩く。そして怒鳴った。
「意地汚い。これは人様にあげるものだと言ったでしょう」
お父さんが僕の襟首を引っ張って引き倒した。
「自分で寝坊して行かなかったくせにわがままするんじゃない。しかもおばあちゃんのお菓子を盗むなんて、何てことするんだ。行く末が知れるぞ。お前は大人になったら泥棒になる気か!?」
弥紗が勝ち誇ったように笑う。
「ああ楽しかった。キャラクターのバイキングをお昼に食べて、たくさん遊んで、晩ご飯はデパートで豪華なご飯を食べたの。お友達へのお土産もたくさん買ってもらったのよ。明日学校で配るんだ。とても美味しいチョコレート」
僕は、また二階に向かって走る。後ろから「あっだめっ」と言う弥紗の声が聞こえた。階段の一番下で僕の服を掴んだ弥紗を押し倒して上りはじめたけれど、お父さんに髪を掴まれて引っ張られて、僕は階段から転げ落ちた。頭や脛を階段の角にぶつけて痛みに耐える僕を無理やりに立たせたお父さんが怒鳴る。
「なんで弥紗のお土産を盗むんだ。しかも弥紗を突き飛ばして。もし階段の上だったりしたら落ちてしまうじゃないか」
「階段の一番下だったもん」
「言い訳するな!」
「お父さんは僕を階段から落した」
そう言った瞬間、ひっぱたかれた。
お父さんは、更に声を荒げて怒鳴った。
「もし倒れた弥紗がドアに頭をぶつけたらどうする! ガラスのドアだぞ。割れて首に刺さったら死んじゃうんだぞ」
僕が弥紗を見ると、弥紗はお父さんの後ろから顔を出して舌を伸ばす。とても憎たらしい表情をしていた。
お父さんはいいんだ。僕が死んでもいいんだ。僕は階段から落された。僕が落ちるのはいいんだ。ガラスのドアに頭をぶつけて死んでもいいんだ。不意に天井裏の女の子の声が頭に響く。「あの人たちは本当の家族じゃない」、と。
そうだ。この人たちは本当の家族じゃないから、僕が死んでもいいんだ。急に二つの目玉がふやけて、中から涙があふれた。大粒の涙をぼたぼたと床に落とした僕は、二の腕を掴む男の手を振り切って和室に走った。
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