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一ノ巻 誘う惑い路、地獄地蔵
第3話 怪仏(かいぶつ)
しおりを挟むそんなこんなで。昼休み、かすみは崇春と百見――あだ名だろうか、そう呼んでくれていいと言っていた――と、学食のテーブルを囲んでいた。
辺りは多くの生徒で賑わっている。だが当然というか、崇春たちの周りには人のいない空白地帯が常に存在していた。そのくせ遠巻きに見てくる視線が気になり、かすみは何度も辺りを見回しながらパンをかじった。
百見がジュースを口にした後息をついた。
「転校初日。とりあえずは何事もなくて何よりだ」
「本当に、何事もなかったんですかね……」
授業中に崇春が椅子の上で結跏趺坐――座禅の際の正式な座り方らしい、両足をそれぞれ反対側の太ももに載せた姿勢――を組み、そのまま足が外れなくなったとかで大騒ぎして。百見が本で崇春の後頭部を一撃し、その後無理やり足を外していたが。あれは何事でもなかったのだろうか。
「ああ、結跏趺坐のことなら存外無理のある姿勢だからね。本来は不用意にやるものではない。お釈迦様が悟りを開こうとする不退転の決意を示した姿勢という説もあるほどだ。そもそも体格によっては難しいこともあるので、無理に行なうものではない……やる場合は専用の座布団か、畳んだ座布団の上に腰かけるべきだ」
「がっはっは、ぬかったわい!」
おにぎりを手に笑う崇春の声を聞き流しながら考える。このメンバーで昼食を摂るというのは、別に望んだことではない――もっとも、他に一緒に食べるような友人がいるわけでもない――が、必要なことではある。先生に言われたからと言うのではなく、昨日のことをはっきりと聞くために。しかし百見がいる以上、その話はしない方がいいのだろうか。
視線に気づいたように、百見がかすみの方を見た。サンドイッチを食べていた口元を拭って言う。
「おや、何だい。何か聞きたいことでも」
「あ、いえ――」
「いいんだ、遠慮せずに言ってくれたまえ。そうだな、違っていたらすまないが……君の聞きたいことはおそらく、『仏』のこと――」
かすみは息を飲み、百見の顔を見た。
百見は笑ってうなずいた。
「そう、仏――つまり、『仏教』に興味がお有りのようだね」
「え」
身を乗り出す百見、その口調が段々と速くなる。
「そう、崇春の座禅を見て少し興味を引かれたのかな? だとすれば彼の行動も無駄ではなかったということか、たまには彼も役に立つものだね。そうまずどこから話したものか仏教の特異な点というのは出発点がまず宗教ではなく哲学、哲学と言う点だねああ哲学と言っても分かりにくかったかなそうつまり神様仏様を崇めようというのではなく気持ちの持ちよう心の置き所そういったこと、仏陀先生の生き方講座といったところかなああ大丈夫怪しいセミナーとかそういうんじゃないから大丈夫怪しくない本当に怪しくないから大丈夫貴方は仏様を信じますか怪しくない大丈夫本当に怪しくないからハァハァ」
「や、ちょっ、怪しいですからーー!」
のけぞるように身を引きながら、思わず声を上げていた。
百見は驚いたように眉を上げ、それから吹き出すように息をこぼした。
「いい反応だ。さて、冗談はこれくらいにして……崇春から大体のことは聞いているよ。『地蔵』を、見たそうだね」
言われて昨日の光景を思い出し、肩が震えた。
百見がテーブルの上に手を乗せ、指を組む。
「聞いていると言っても彼からの話だ。君が見たものを、君が見たままに教えてくれないか。力になってあげられるかもしれない……何しろ、僕らは今まで何度か出会った経験がある。あの手のものにはね」
かすみは口を開きかけたが、何も言えず二人の顔を見る。
崇春は真っすぐにかすみの目を見、大きくうなずいた。
百見もまた真っすぐに目を見返し、それから微笑む。
「大丈夫。怪しくないよ」
かすみは思わず息をこぼし、それから話し出した。
この学校で何人も、意識を取り戻さない生徒が出ていること。昨日、霧の中を遅く帰っていると地蔵が現れ、地獄のような場所へ導かれたこと。そこにはこの学校の制服を着た人が何人もいたこと。そして、崇春に助けてもらったこと。
百見は手にしたハードカバーの本――日記帳のような白紙のものらしい――に、万年筆を走らせてメモを取りながら聞いていた。
話し終えてかすみは言う。
「何なんですか、あれは。目を覚まさない人たちは、あそこに連れて行かれてるんですか。どうしてあんな地獄みたいな所に……いったいあの、お地蔵さんは」
「ふむ……」
百見は何か考えるように、ふたをした万年筆をくるくると指で回していたが、やがて口を開いた。
「どこから話したものか……まず、君の見たものはいわゆる仏様じゃあない。少なくとも僕らが拝むようなものではね。と言って、現代の常識で測れるようなものでもない」
崇春が重く口を開く。
「そうよ、ありゃあ仏に非ず。ありゃあ魔のもの、怪しのもの。ただし仏の姿と、それに似た力まで得てしもうた……あれら自身に取っても、あるいは不幸なことにのう」
百見はうなずく。
「そう。僕らはそれを、『怪仏』と呼ぶ」
「怪、仏……」
かすみがつぶやくいた後を受けるように、百見が言う。
「そう、君たちが出くわしたというそれは、『怪仏・地蔵菩薩』といったところか。神仏の力を手にした魔のものという、厄介な存在……だが、逆に言えば。それが地蔵菩薩の姿を取っている以上、その力も、あるいは何らかの由来も、地蔵菩薩に通ずるものとなる。そこで、だ――」
かすみの目を見て続ける。
「この町の地蔵像を一緒に調べてもらえないかな? 僕らは越してきたばかりだ、土地勘は全くないのでね。もちろん、君さえよければだが」
そのとき、なぜか崇春が眉根を寄せた。
「むう? しかし百見、そう言うても――」
百見は手で崇春を制し、言葉を継いだ。
「言いたいことは分かっている、谷﨑さんまで危険なことに巻き込むのではないかというんだろう? もちろん、その可能性はゼロとは言えない。が」
真剣な――少なくともそのように見える――目で、真っすぐに崇春を見る。
「そのために君がいるんじゃあないか。か弱い女子を命に代えても守る男の中の漢……これは否が応にも目立ってしまうな」
ぴくり、と崇春の肩が動く。
「む……おうよ、わしに任せんかい! 漢崇春、地蔵が出ようが鬼が出ようが、阿修羅、羅刹に第六天の、天魔王が現れようが……命に代えても護っちゃるわい! 降魔調伏、仏敵退散!」
懐から出した数珠を左手に握り締め、椅子を引く音も高く立ち上がる。歌舞伎役者が見得を切るみたいに手を突き出し、叩きつけるように足を踏み締めた。
その音に、さすがに周囲が一瞬ざわめく。そしてすぐに静まりかえる。
その長い沈黙――あるいは数秒のことだったのかもしれないが――の重さに耐え切れず、かすみが目をつむろうとしたが。気にした風もなく、百見が微笑みかけてくる。
「どうだろう、お願いできるかな?」
「あ……、はい」
かすみは、うなずいてしまっていた。
そして崇春もうなずいていた。何かを噛みしめるように目をつむって、深く。
「ふ……また一つ、目立ってしもうたのう」
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