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一ノ巻 誘う惑い路、地獄地蔵
第20話 地獄烈闘
しおりを挟む閻摩の顔の内側から、くぐもったような響きで斉藤の声が聞こえた。
「ウ……ス。守、る、オレ……あの人、を」
引き継ぐようなタイミングで声が響く。
「――守らねばのう、大事な者を。そのためには裁かねばのう、その者の敵を。さあ、何も遠慮はいらぬ。この閻摩と裁こうぞ――」
崇春は言う。
「なるほどのう。怪仏よ、お主が斉藤の意思に干渉しとったっちゅうことか。じゃが、それもここまでよ」
錫杖を小脇に抱え、合掌する。
「もう解くがええ、皆の呪いを。そうして詫びよ、皆と、お主が利用した斉藤と。それにお主が姿を真似た、地蔵菩薩と閻摩天にの」
閻摩は石を擦り合わせるような、くぐもった笑い声を上げた。
「――何を思い違うておる、裁かれるのは貴様の方ぞ。さあて斉藤、奴への罰は如何にすべきか」
「ウス……他の、人と、同じに……」
「――眠らせると申すか。ぬるいわ」
閻摩はその手にしたもの――地蔵の錫杖でも絵図の閻魔大王が持つ笏でもなく、岩から粗く削り出したような石の剣らしきもの――を掲げると、崇春に向けた。
「――判決! 永劫! 地獄行き! 受けよ、【地獄道大針林】!」
高々と振り上げた石の剣を逆手に持ち替え、床へと突き立てる。その先から霧が吹き上げ、ほとばしるように次々と突き出た針の山が崇春へと走った。
「むう!」
崇春は横っ跳びに針をかわし、着地したが。気づけば、針山が走った箇所だけではなく、辺り一面にも大小の針が――小指ほどの棘から柱のように巨大な針まで、廊下、柱、壁に天井、窓ガラスにさえ。まるで天地を互いに刺し貫こうとするように――生み出されていた。その間には濃く霧が漂い、廊下の先も窓の外も、白く幕が下りたように見通せない。
「――【地獄道大結界】。貴様はすでに、我が地獄の内に囚われておる。逃げ出すことも叶わぬ、貴様の姿も声も外には届かぬ」
とたん、崇春は表情をこわばらせた。
「むう!? 姿も声も届かんっちゅうことは、つまり……目立てんっちゅうことか! おのれ閻摩、なんちゅうことを!」
閻摩はしばらくそのままの姿勢で黙った後、声を響かせた。
「――……いや、つまり、助けを求めることもできんということよ。さあ、我が裁きに身を委ねよ!」
石の剣を床へ向ける。そこからまたも針の山が、波のように崇春へと走る。
「何の! ……ぐ!?」
横へ跳んでかわしたが。着地した場所に生えていた針が足の裏を突き刺し、脛を傷つける。どうやら、これまで地蔵が見せたような幻ではないようだった。そしてその針は、崇春と閻摩との間にも大小びっしりと生えていた。
「――ここは我が地獄道、いわば【等活地獄・刀輪処】。この針の山、決して越えられ……」
嘲笑うように閻摩が言う、その間にも。崇春は錫杖を置くとかがみ込み、構えていた。短距離走の、クラウチングスタートのような姿勢で。
「ゆくぞ……【スシュンダッシュ】じゃあああ!」
駆けた。針山の上に足を踏み出して。飛ぶような勢いで。
「――……は、すまい……な!?」
閻摩が声を上げる間にも、崇春はその目の前に迫っていた。
「受けよ、【スシュンパンチ】じゃあああ!」
走り込んだ勢いのまま、真っ直ぐ突き出した右拳が。閻摩の鼻柱を打ち抜いた。
「――が……あああ!?」
声を上げながら吹き飛んだその巨体が、背後の針山を砕きながら倒れ込む。やがて身を震わせながら起き上がったその顔には、大きくひびが走っていた。
「――ば、かな……いったい、針の上をどうやって……そうか」
石の剣を構え直し、崇春へ向ける。
「――確か貴様も言っていたな、四天王がどうだとか。百見とかいう男と同じにな。その力を用いたか」
「いいや?」
首をかしげて崇春は続ける。
「『増長天』の力、ここで使うまでもないわい。今のは単に針のない所を縫い、あるいは針の先を足指でつかみ、針の横腹を蹴って、足場代わりにしただけよ。それで駆け抜けたっちゅうわけじゃい、だいたい無傷での」
胸を張る崇春の足元は。破れた僧衣の裾からのぞく脛からも裸足の足からも、だんだらに彩ったように血が流れ落ちていた。
「――ん? 無、傷……?」
つぶやく閻摩に構わず崇春は叫ぶ。
「さあもう一本、【スシュンダッシュ】じゃああ!」
「――く、おのれ!」
崇春が走りこむそこへ、閻摩は石の剣を振るう。
崇春は両腕を掲げてどうにか防ぐが、自分から剣にぶつかった格好。その衝撃が腕に走り、顔を歪める。
「ぐぬぅ……!」
「――ここまでよ、死ねい!」
閻摩は再び剣を振りかぶり、空を切る音を立てて振り下ろした。
「なんの……【スシュン白刃取り】じゃああ!」
崇春は身をかわしはせず、剣から目をそらすこともなく。閻摩の目を見据えたまま、挟み込むように両手を剣の方へと振るった。正にそれは、真剣白刃取りの形。
が。
ぱん、と間抜けな音を立てて、両手は剣が通り過ぎた後の空間で、ただ打ち合わさっただけだった。同時、石の剣は鈍い音と共に、崇春の額へ叩きつけられていた。
「ご……お、おお……ま、まだまだ!」
血を流し、目を剥いてふらついたが。崇春はそこから剣にしがみつき、閻摩の手からもぎ取ろうとする。
が。閻摩は抵抗する様子もなく、剣から両手を離した。
「――そんなに欲しくばくれてやろう……これと一緒にのう! オン・エンマヤ・ソワカ」
閻摩の両手が、先ほど斉藤が結んだものと同じ印に組み合わされる。
合掌に似たその両手から、湧き上がるように炎が舞い。それをも吹き飛ばすような勢いの風が上がった。
「――受けよ、焦熱地獄の裁き! 【地獄道闇火風】!」
黒煙を上げながら風に舞う炎の群れが、猛風と共に襲いかかる。
「ぬおおおぉっ!?」
崇春は全身を炎に巻かれ、風に打ち倒され。辺りの針山を砕きながら吹き飛ばされていった。
その姿が霧の向こうに霞み、見えなくなったとき。閻摩は肩を震わせて笑った。
「――ふ、ふふふ……ははははは! 何だ、焦らせおって! 我が力にかかればこんなものよ! 判決、下れり!」
「ウ……ス」
そのとき。閻摩の声の下から、その石の顔の奥から。斉藤の声が低く響いた。
「ウ、ス……やりすぎ、では」
「――ふん……黙るがいい。奴は我の、我とお主の裁きを邪魔する者ぞ。最大級の罰を与えてしかるべき……」
そのとき、霧の遥か向こうから声がした。急速に閻摩へと近づきながら、叫ぶ声が。
「ぅぉぉ、ぉおおお! 【スシュンダッシュ】、からの、【スシュンキック】じゃあああっ!」
炎を身にまとわりつかせたままの、崇春が閻摩へと駆けていた。その速度に、腕を振り脚を蹴り出す勢いに、くすぶる音を立てて炎が振り払われる。
「――な……!?」
そして宣言どおりに。目を見開いた閻摩の顔面へ、跳び上がりざまに蹴りを繰り出す。両足を揃えた、いわゆるドロップキックの形。
砕くような音と共にぶち当たったそれは、石の破片と血の飛沫を同時に散らした。前者は閻摩の顔から、後者は崇春の足から。
「――がぁっ……!」
「ぐう……!」
同時に呻き声を上げた二人の、閻摩は吹き飛び、針山を砕きながら倒れ。
崇春は針山へ倒れ込みそうになったところを、立木のように太い針の横腹にしがみついた。そこから再び駆け出そうと、足を踏み出したが。
「ぬ……!」
足、脛、腿と血塗れの脚が力を失い、体がその場に崩れ落ちる。その手も腕も、四方から生える針に傷ついて血を流していた。身につけた衣はちぎれかけ、炎に黒く焦げていた。
それでも。崇春は膝に両手をついた。地面へ押し込むかのように力を込め、体を支え。震えながらも立ち上がった。煤にまみれた、口の両端を上げて笑う。
「さあて……そろそろ体も温まったわい。ここからがわしの、目立ちの時間よ」
「――な……」
身を起こした閻摩の顔、そこに走ったひびから、小さな破片がこぼれ落ちた。
「――馬鹿な……何故そんな真似ができる、何故立ち上がれる。貴様は痛みを感じないとでもいうのか、恐ろしくはないのか……!」
震えたのか、その顔はさらにひび割れ、破片同士がずれていた。まるで、苦痛に顔を歪ませるように。
「……」
崇春は答えなかった。口元は笑みをみせていたが、その頬は痛みをこらえてか歪んでいた。焦げ、ちぎれかけた僧衣の下では、傷口から今も血が滴っていた。
「……今は昔、諸仏の間に『菩薩』と呼ばれる者たち在り――」
唱えるようにそう言いながら、崇春は背筋を伸ばしていた。手を懐にやり、取り出した数珠を左手にかける。合掌した。
「菩薩らの誓願数あれど、その一つに『我らこそ此の世で最後に救われる者とならん』とする大願あり。即ち、自らの悟りや救いは後に回し。此の世の全ての他の命、それらを先に悟りに導き、救わんとする大願なり――」
血に濡れた手で、音を立てて数珠を握り締める。
「つまり、じゃ。『ここは俺に任せて、お前は早く先へ行け!』……そういう一番格好ええところを、持っていける者が菩薩。菩薩に倣い、それを実践できる者こそ真の仏法者……そして、真に目立つ者じゃい!」
振り回すように数珠を掲げ、叫ぶ。
「わしこそが真の目立ち者! 目立って目立って、目立ちまくったるんじゃい!」
閻摩の口元から破片がこぼれ、口を開けたように見えた。まるで呆れたように。
「――お……お前はいったい何を言っている……目立つも何も、こんな誰もいない所で……?」
ふ、と崇春は笑みをこぼす。
「何を言うちょんじゃ。いちいち場所を選んじょって、真に目立ち者と言えるか。いつでもどこでも、わしゃあ目立ってみせるんじゃい!」
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