かもす仏議の四天王  ~崇春坊・怪仏退治~

木下望太郎

文字の大きさ
48 / 134
二ノ巻  闇に響くは修羅天剣

二ノ巻10話(後編)  夜と炎と

しおりを挟む
 帝釈天たいしゃくてんは短双剣を突き出す。
「――今一度問おう、我が金剛杵ヴァジュラを取らぬか。さすればよし、さもなくば――」
 握り締める手が震え、刀身から上がる電光が耳障りな音を立てる。
「――神々の帝シャクロー・デーヴァナムたる我ばかりか……我が業を貴様に与えしあの御方に楯突たてつくということ……! 左様な所業、決して許せるものでは――」

 その言葉の途中に。帝釈天たいしゃくてんの肩に、ぽん、と手が載せられる。
「よお」

 土にまみれ、いくつも穴の開いたジャージは焦げ。額から血を流した渦生が背後にいた。
「喋ってるとこ悪ぃんだけどよ。――燃え尽きろや。オン・クロダナウ・ウン・ジャク。燃えろ、燃えろ……燃えろ! 【炎浄・爆焔破】!」

 烏枢沙摩うすさま明王みょうおうの赤い手が、炎を宿して帝釈天たいしゃくてんの肩をつかむ。その手がさらに炎を上げたかと思うと、爆ぜ飛ぶように炎が噴き上がる。二体の怪物をもろともに飲み込む、赤黒い爆焔が。

 明王に体をつかまれたまま、炎の中で帝釈天たいしゃくてんがもがく。
「――が……があああっ!」

 煤にまみれた渦生がつぶやく。
「悪いな、逃がす気はねえよ。このまま焼き尽くして――」

 言う間に、帝釈天たいしゃくてんは何かを放った。渦生へではなく、頭上へ。その手にしていたものを。

 回転しながら飛んだ短双剣――金剛杵ヴァジュラ――は、見る間にその回転を早め。やがて空気を、大気をかき混ぜ、その場一面に厚い雲を生んだ。時折走る稲光と、その内に支え切れずぽつぽつとこぼれ落ちる、雨をたたえた黒雲を。

「――脅雨おどしあめ旱魃龍殺しヴリトラ・ハン……」
 したたる雨足はたちまち強まり、つぶやく帝釈天たいしゃくてんの声をかき消す。桶を返したような水が、今や辺り一面に浴びせかけられていた。
 その雨勢の中に、燃え上がっていた炎はぶずぶずと音を立て、白い煙を上げてくすぶり消え始める。さらには、熱を帯びたような明王の赤い肌も、雨粒を受けるたびに湯気を上げて黒くくすぶり出し。苦しげに顔を歪めて、地に片膝をついた。地に突いた矛を杖に、その身をどうにか支える。

 にこりともせず帝釈天たいしゃくてんが言う。
「――雷神すなわち雨神。我を相手に炎で挑もうなどと、バターギイが火に挑もうとするが如き愚行」

 にこりともせず――明王と同じく、表情を歪めながらも――渦生がつぶやく。
「燃えろ」

 変わらず降りつける雨の中、その一言に再び炎が躍る。
「燃えろ。燃えろ。燃えろ燃えろ……燃えろ! 【炎浄・爆焔破】」

 くすぶる音を立てながら、滝のような雨に押されて揺らぎながら。それでも炎が勢いを増し、明王の肌が赤く熱を放ち。揺らめく火炎が再び帝釈天たいしゃくてんの体を飲み込む。

「――な……!? お、おのれ!」
 帝釈天たいしゃくてんが手をかざすと、金剛杵ヴァジュラはその回転を速めた。雨足は音を上げて強まり、さらには黒雲から弾けた稲妻が、細く幾本か地に落ち。地面に溜まる水の上を青く走ったそれが、くるぶしまで水に埋まった渦生の脚を駆け上がる。さらに幾筋かの電光が閃き、渦生の体を直接打った。

「ぎ……!」

 電撃に身を震わせた渦生は体勢を崩す。炎は低い音を立ててくすぶり、赤い明王の姿も火勢と共にかき消えた。
 大きくよろめく渦生はそばにあったものにかろうじて抱きつき、足を踏みとどまらせた。そばに立つ、帝釈天たいしゃくてんの体にもたれかかって。

 帝釈天たいしゃくてんが唇を歪めて笑う。
「――ふん。窮鳥きゅうちょう懐に入らば猟師もこれを殺さず、とは言うが。戦神いくさがみたる我に左様な慈悲を期待するならば……愚か!」

 その太い両腕で渦生の体を抱え、折り取るように力を込めた。

 が。渦生もまた、帝釈天たいしゃくてんの体を抱いていた。抱き締めるように、両手を相手の腰に回して。
 その背の向こうで組み合わせた指が、烏枢沙摩うすさま明王みょうおうの印を結ぶ。
「オン・クロダナウ・ウン・ジャク……燃えろ。燃えろ。燃えろ……【炎浄・爆焔破】!」

 渦生の手の上に重なるように、再び現れた明王みょうおうのヴィジョン。そこから轟音と共に焔が上がる。渦生と帝釈天たいしゃくてんとをもろともに覆って、赤く、黒く、燃え上がる。

「が……ああああああ!?」
 帝釈天たいしゃくてんは声を上げ、それでも渦生を抱える腕に力を込め。金剛杵ヴァジュラの巻き起こす脅雨おどしあめは強まり。

 それでも、渦生は声を上げた。そのたびごとに炎が強まる。
「【炎浄・爆焔破】、【炎浄・爆焔破】、【炎浄・爆焔破】! 燃えちまえ……【大・轟・炎・浄、爆焔覇】!」

 鼓膜も地も、降りしきる雨をも震わす爆音を上げて。帝釈天たいしゃくてんも渦生も明王も、白く爆焔に飲み込まれた。

「――な……あああがあああぁっっ!?」
 帝釈天たいしゃくてんの体を焔が覆い、黒く焦がし。やがてその身にひびが走る。そこから白く焔が吹き出し、噴き上げ。

 そして、ぴたりと雨はやんだ。
辺りに溜まる、小池のような水の中に。飛沫しぶきを上げて、帝釈天たいしゃくてんの体が倒れ伏す。そばに、金剛杵ヴァジュラも音を立てて落ちた。

 水の溜まる辺りから身を引き、立っていた円次は言葉が出ず。目を瞬かせて渦生の方を見た。

 もう炎は散っていた。明王の姿も消えていた。血とすすにまみれた、渦生だけがそこにいた。

 渦生は口の端だけ上げて笑う。
「無事か」

 何も考えられず、円次はただうなずいた。

 渦生もただうなずいた。
「なら……いい」
そうして水の中へ、膝から崩れ落ちた。

「ちょ、おい!」
 駆け寄る円次がその体を抱え、肩を貸す形で水の外へ引きずる。地面の上に渦生を横たわらせた。

 そうしていた二人の背後に。
 影が揺らめいた。六本の腕を持った影が。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

OLサラリーマン

廣瀬純七
ファンタジー
女性社員と体が入れ替わるサラリーマンの話

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

勇者辞めます

緑川
ファンタジー
俺勇者だけど、今日で辞めるわ。幼馴染から手紙も来たし、せっかくなんで懐かしの故郷に必ず帰省します。探さないでください。 追伸、路銀の仕送りは忘れずに。

戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件

さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。 数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、 今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、 わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。 彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。 それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。 今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。   「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」 「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」 「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」 「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」   命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!? 順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場―― ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。   これは―― 【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と 【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、 “甘くて逃げ場のない生活”の物語。   ――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。 ※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

処理中です...