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三ノ巻 たどる双路の怪仏探し
三ノ巻6話 花も実もない
しおりを挟む――一方、その少し後。
線香が焚きしめられた中、テーブルの蓮の花を前に円次は真言を唱えていた。顔をしかめ、吐き捨てるように早口に。
「ナウマク・サマンダボダナン・インダラヤ・ソワカ! 汝が勇名雷の如く轟き、その雄姿稲妻の如く赫々たり! 毒竜の討ち手にして慈雨の運び手、敵城の破壊者にして神々の帝! 我が前に来たれ、護法善神……帝釈天!!」
左手の印――薬指と小指を曲げ、他の指は伸ばす。ただし人差指のみをわずかに折り曲げ、中指の背に沿わせた形――を、叩きつけるように蓮の前へ突き出した。
全員の視線が蓮に注がれ。円次はその姿勢を維持し。
そして、何も起こらなかった。
印を崩した手でテーブルを叩き、円次が声を上げる。
「だあああっ! 何回やらせンだよオイ、全ッ然来ねェじゃねェかあのクソは! 大体お前、合ってンだろうなこのやり方で!」
百見は眉根を寄せ、考えるようにあごに手を当てる。
「ええ、これで間違ってはいないはず……元々帝釈天の本体となるはずだった、平坂さんが印と真言で喚ぶ。さらにはその前段階として、あれを用意していました」
テーブルの上の蓮を示す。
「仏教ではなくヒンドゥー教、またその源流たるバラモン教の神話ですが。古典『マハーバーラタ』には書かれている、主神であった帝釈天ことインドラが蓮の茎の中に引きこもったことがあると」
「何でそんなとこに……」
円次のつぶやきにうなずき、百見は続けた。
「宿敵ヴリトラ――旱魃を引き起こす、強大な阿修羅の一柱――を、和平を結んでおきながらだまし討ちで殺したことを恥じて失踪。さらには自分がいなくなった後に王者となった者を恐れて、隠れていたとか」
「普通にダメだなオイ……」
「神道における天照大御神の、天の岩戸隠れ然り。ギリシャ神話におけるゼウスが台風の怪物、テュポーンから逃げ隠れた説話然り。主神が隠れてしまう説話は意外にあるもの。責任も何もかも放り出して引きこもってしまいたいという、人生の悲哀を感じさせますね……」
崇春が腕組みをして言う。
「むう……それで、隠れておる帝釈天を、蓮を媒介に喚び出すっちゅう算段じゃったが。上手くいかんもんじゃのう」
百見はうなずく。
「さらに前段階として、肉パーティを催して向こうの気を引くよう騒いでみたのだが……それこそ天の岩戸神話のようにね」
斉藤が口を開く。
「ウス……そういう、意味があったんスね……この集まり」
円次がつぶやく。
「いや、絶対意味ねェだろこれ……」
百見は肩をすくめた。
「一助にはなるかと思いましたが。知っていては固くなる人もいると思って、全員には言ってませんでしたけどね。それにしても、岩戸作戦失敗となると――」
テーブルから下ろして辺りに積まれた、片付け途中の食器や食材。辺りに残る紙皿や紙コップ。水をかけた炭の、煤臭いにおい。
「――どうしたものかな、これから」
空を見上げた百見のつぶやきは、寝転がった渦生のいびきにかき消された。
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