かもす仏議の四天王  ~崇春坊・怪仏退治~

木下望太郎

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四ノ巻  胸中語るは大暗黒天

四ノ巻7話  至寂、強襲

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 駆けていた、駆けていた。かすみたちは真っ直ぐに。辺りの田畑と住宅街には、寝ぼけたような光が薄く白く注がれていた。未だ地平に近い角度にある、白い太陽から。

 隣を走る百見が手にした携帯は、未だ通話をつないだままにしてあるが。そこからはっきりとした音声は届かず、代わりに物音が漏れ聞こえていた。何かが重くぶつかり合い、炎が燃え盛るような音。

 あれから至寂は、即座に紫苑へ攻撃をしかけた。紫苑は当然それを受け、自らも怪仏の力を現したらしく――携帯から伝わる物音だけでは詳しい状況は分からないが――、戦闘になっている。無論、渦生も黙ってはいないだろう。
 それでかすみたちは、そちらへ向かって駆けていた。

 走りながら百見が言う。
「なぜ、来たのだろうね」
「え?」
 かすみが言うと、百見は応えた。ずり落ちかけた眼鏡を押し上げながら。
「黒幕からわざわざ渦生さんたちの所へ来た意味だよ。何のためにそんなことを?」

 速度を緩め、息を整えながらかすみは考える。
「それは……向こうも、昨日の状況から自分が黒幕とバレてるって、分かってるでしょうし。私たちが集合する前に叩こうとしたのかも」

「各個撃破、それはあるかもしれない。だが、彼はこうも言っていた。説明したいこともある、と。そもそも奇襲もせず、向こうから話しかけてきたという印象だが」

「つまり……話し合いの余地があるかも、ってことですか?」

 百見はうなずく。
「かもしれない、というだけだがね。何らかの交渉材料があるのか、あるいはただの言い訳か。何か策略の内なのか。それは分からないが――」

 何か考えるようにうつむいて続ける。
「至寂さんが先にしかけたのが、吉と出るか凶と出るか……それも、分からない」

 話し合いの余地が――賀来や斉藤にあんなことをした人たち、その黒幕との間に――あるのかはともかく。至寂の行動は性急過ぎるとは思えた。




 ――思えば、昨日の打ち合わせのときからしてそうだった。
 全員で話し合った今日の行動予定はこうだ。
 朝まで渦生と至寂が動向を見張っておく。紫苑が学校へ来るようなら、集合しておいた崇春らで直接当たり、話をする。学校以外の場所へ出るようならそれを追い、家から出ないようなら張り込みを続ける。

 話をする、そのことはほぼ全員の一致した意見だ。
「そのもんがどういうつもりで毘沙門天を狙うか、その目的はいったい何か。なぜ怪仏の力なぞ持っちょるのか。それを聞かぬことには始まらん」
そう崇春は言った。

「本来なら東条紫苑自身に関する情報、そして確固たる証拠を得てから当たりたいところですが。この場合、疑われていると向こうも気づいているはず……行動を遅らせるわけにはいかない。だが完全な確証がない以上、いきなりしかけるわけにもいかない。まずは、話してみるべきでしょう」
 百見はそう言い、渦生も同意していた。

 かすみも三人と同意見だ。これ以上何かされる前に動かなければならないとは思っているが、黒幕はなぜあんなことをしたのか――賀来やかすみ、他の生徒に無理やり怪仏をけ、いったい何をしようとしているのか――、それを無視していいとは思えなかった。はっきりさせておきたかった。

「拙僧は反対です」
 ただ一人、至寂だけが反対した。困ったように下がっていた眉が、そのときだけはわずかに吊り上がっていた。
「本日は早々に痛み分けとして引き下がりましたが、それは倒れた方々に危険が及ばぬようにです。それと同じ意味で、これ以上の被害を出さぬよう、多少無理にでも強襲すべきです。話はその後でよいでしょう」

 渦生がやんわりと言う。
「気持ちは分かるがな。だが、百パーの確証じゃねえってのも事実だ。万が一違ったときは――」

 至寂は鼻息を荒く吹く。
「そのようなもの。相手が黒幕であればすぐに分かります、ここまでのことをする相手です。怪仏の力を出して反撃するに違いありま――」

 百見が静かに口を挟む。
「ですが。万々が一違ったときは――抵抗もできない無関係な者が、一方的に我々の攻撃を受ける」

 言われて、口を開けたまま。至寂の動きが止まった。
 それから、ほ、と息をつき、百見の方を見る。困ったように眉を下げて。
「確かに。真実、そのとおりです。さすが百見殿、冷静でいらっしゃる……いえ。拙僧の方が、熱くなっていたようです。恐縮です」

 崇春が肩を揺らして笑う。
「いや、さすがは至寂さん。南贍部宗なんせんぶしゅうきっての調伏師ちょうぶくしよ、やる気は満々といったところじゃの! 頼もしいわい!」

 至寂も穏やかに笑う。顔を冷ますように手であおぐと、かぶっていた頭巾を取った。剃髪ていはつした頭をつるり、となでる。
「いえ、失敬いたしました。拙僧としたことが、気持ちが先走っておりました。恐縮です――が」
 かすみへと向き直る。
「谷﨑殿。貴方の怪仏、いや守護仏、毘沙門天……拙僧に、封じさせてはいただけませんか」

「え?」

 かすみがつぶやくと、至寂は言った。
「百見殿のお力でも封じられなかった、とはうかがいましたが。拙僧の『大日大聖不動明王だいにちだいしょうふどうみょうおう』、その【不動倶利迦羅九徹剣ふどうくりからきゅうてつけん】ならば。ごうを斬り払う力を以て、怪仏を切り離すことが可能……その後に百見殿のお力で封じれば――」

「反対です」
 そう言ったのは百見だった。
「怪仏を斬り裂く、その打撃はいくらかとはいえ、本地ほんじたる谷﨑さんにも向かう。彼女は今日戦いで傷を負った身……今やるべきこととは思えません」

 至寂は表情を崩さない。
「ですが、そこはそれ。崇春殿の『増長天ぞうちょうてん』、人界の守護者たる守護仏の力があれば――」

「反対です」
 わずか、にらむような目で百見が言った。
「その力、彼自身への負担が大きい。そうそう使わせたいものではありません……だいたい、すでに一度は使った。谷﨑さんらの傷を癒すために」

 かすみは目を瞬かせた――かすみの傷が消えていたのはそのためか、と分かったが。そもそも、そんな力が崇春にあるとは聞いていなかった――。
 崇春の表情は変わらなかった。
 渦生の眉が、わずか動いた。
 至寂は変わらぬ表情で言った。
「なるほど、確かに。これも拙僧の先走り、ご容赦下さい。さて……行きましょうか、沙羅さら

 言われた渦生が眉根を寄せる。
「その戒名で呼ぶなよ……還俗げんぞくしてんだぜ。しかし何だ、悪いな。再会を祝して一杯やりたいとこだが、こんな状況でよ」

 至寂は眉をひそめる。
伝教大師でんきょうだいし最澄さいちょう様はおっしゃいました、『酒を呑む者は寺院やまを下りよ』と。沙羅よ、貴方のげんは決して誉められぬものです、が――」
 ふ、と笑って言う。
弘法大師こうぼうだいし空海様はおっしゃいました、『酒は風邪を治すには良薬、病にある者には塩をつまみに一杯の酒を許す』と。貴方の寂しさという病を癒すためならば。一杯だけ、おつき合い致しましょう――今回の件が終わった後に」

 渦生は不精髭の伸びる頬を緩めた。
「ああ、そんときはつき合ってもらうぜ。バケツ一杯、いや、風呂桶一杯分の酒をよ」
 そして手を掲げ。至寂もまた手を掲げ。
 音を立て、ハイタッチのように打ち合わせた。

 真剣な顔で渦生は全員を見渡す。
「さてと。皆……頼むぜ」
 そうして、全員が立ち上がる。――




 そして今。
 百見の携帯から至寂の声が強く響いた。
『おのれ……おのれ、怪仏事件を引き起こしておきながら、何をいけしゃあしゃあと!  今すぐ捨てなさい、大暗黒天の力! さもなくば――』

 燃え盛るような音が過ぎた後――不動明王の攻撃から身をかわしたのか――、嘲笑あざわらうように紫苑の声が響く。
『さもなくば何です? 力ずくで奪うおつもりか、結構なおこころざしだ。僕は話し合いに来たつもりだが、そちらに話し合う気がないのではね。正に、話にならないというやつだ』

 至寂の怒鳴る声が響く。昨日の穏やかな表情からは考えられない声だった。
『話も何もない! 捨てなさいと言っているのです!』

 それから間が空いて、低い声で続ける。
『……貴方は、その怪仏を意のままにしているつもりでしょうが。いずれ取り返しのつかないことになる……だからです。捨てなくてはならないのです』

 変わらぬ響きで紫苑が言う。
『何を言っているのか分かりかねますね。そちらの考えはともかく、僕としてはこの力でやりたいことがある。やらなくてはいけないことも――』

 紫苑の言葉をさえぎるように至寂が言った。
『それが貴方の選択なれば。それを無理にも止める、それが拙僧の選択……かつてと、同じく』
 そして、再び明王の炎が燃え上がる音。

 あくまで冷静に――そして変わらず、冷笑的に――紫苑が言う。
『何の話かは分からないが。周りが見えていない……早朝とはいえ、こんな住宅地の近くで力を振るうとはね。来ているかい、つむぎ――頼むよ』

 同時、音が途切れた。通話自体はつながっている、なのに声が、一切の音が、携帯の向こうから入ってこない。

「これ、もしかして。あの人の――鈴下さんの、弁才天べんざいてんの力……!」
 弁才天が発生させた霧、【つかみどころ無き言葉の壁】の中から外へは、電子的なものを含む一切の音と言葉が遮断される。そんな風に鈴下は言っていた。

 百見は表情を歪める。
「向こうも仲間を待機させていたか……!」
 そして前を行く平坂、その先の崇春に声をかけた。
「頼みます、先に行ってください! 崇春、平坂さんについていけ! はぐれるな!」

「応よおおおお!」
 言って、崇春は速度を上げる。かすみと百見をあっという間に置き去りにし、途中で平坂まで引き離したことに気づいて、足踏みをしながら止まった。

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