Rotting March

木下望太郎

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第13話  酒店・零地址(ホテル・リンディズゥ)への来客

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 ジニアのいない部屋で、ユンシュはマーチの頬に顔を寄せた。すん、と鼻をうごめかす。
「傷んできたな」

 血色だとか艶というもののない、灰色味の増した皮膚。指で押してみても、ぐなり、と固くたるみ、皮と肉が十分に押し返してこない。その一方で、生身には遠く及ばないが、肉がほんのわずか温度を持っている。活動する雑菌が生む、腐敗の温度だ。剝き出した歯茎は血の色を失い妙に青く、体中の傷口からのぞく肉は黒味を帯びていた。

 除菌用のエタノールを取り出し、霧吹きでマーチの体中に吹きかける。服を脱いだその体はどこもくすんだ色をしていた。胸から腹へ引き裂くように走る大きな縫い目――遺体防腐保全エンバーミングを施した跡――の辺りは特に。

「ま、この方がある意味安全だがな。腐敗が進めば体内の病原菌は死滅する。腐った死体で活動しているのはただの雑菌ばかりだ、腐敗の原因となる、な。……お前、変な病気はもらっとらんだろうな? 昔遊郭通いがひどかったろ」
 吹きかけ終わった後、マーチがじっと目を見てくる。

「いつまで保つか、か? 分からん、拳法で大暴れしようなんて死体はわしも初めてだ。ただ……覚悟はしておけ」
 マーチはうなずき、握った拳に目を落とした。

「そこで陰干ししていろ。ああ、煙草はしばらくやめておけ、引火されてもかなわん。もう揮発して、大丈夫だとは思うが」

 マーチを部屋に残し、廊下へ出る。煙草に火をつけ、親指と人差指でつまんで吸う。ため息のように煙を吐いた。

 いつまでああしていられるか分からないマーチ。零地址リンディズゥへの代金で長くは持ちそうにない蓄え。三尖会トライデントの襲撃もいつ終わるのか分からない。別料金で様子を探らせてはいるが、これといった情報はなかった。

「やれやれ、仕事はしているんだろうな奴等」
「ああ、ご期待に添えるかはともかくよ」

 答えを返したのは近くにいた男だった。頭の両側を刈り込んだ、リーダー格の男。部屋の警護をしていたのか柳葉刀を手に、エレベーターに近い隣室のドアにもたれていた。

 ユンシュは煙草をくわえたまま向き直る。
「……なら安心だな。で、どうだ。その後の情報は」
「外に行かせた野郎がもうすぐ帰ってくる。そいつ次第さ」
「まったく、頼もしいな。わしだって金持ちじゃあないんだ。無いだろうな黒社会ヘイシャーホェイに……返金なんて言葉は」

 男は身を起こし、眉をしかめた。
「そうは言うがな旦那。ここがどこより安全なのは請け負うぜ。ここで何が危険っつっても、しいて言やソレぐれぇさ」
 ユンシュのくわえた煙草を指差し、続ける。
「外からどうこうできるような建物ハコじゃねぇ、場所さえ他にゃ知られてねぇ。火事さえなけりゃそれだけで安全さ。実際、火だって燃え移るような建物でもねぇんだが」

「その割に禁煙でもないのだな」
 男は歯を剝いて顔をしかめた。
「禁煙さ!」
「なぜそう言わん」
 男は目をそらす。
「あー……あの野郎が、勝手に吸ってやがったんだ。今さらその、な」

 煙を吐いてユンシュは苦笑する。それからエレベーターの方へと目をやると、ジニアが廊下に座っていた。
「どうした、そんなところで」

 ジニアは頬杖をついて、にへへ、と笑う。
「おつかいに行ってもらった人がさ、早く帰ってこないかって。頼んどいたんだ、お菓子とか色々」
 ユンシュはかぶりを振る。
「まったく。お前に説明しておくべきだったな、うちの経済事情を」

 そういううち、エレベーターのランプが灯る。上階からこちらへと表示は進み、ほどなくドアが開く。

 開いていくドアの隙間から年かさの男が姿を現す。零地址への案内役となった、芝生のような白髪をした男。

「おじさん、お帰――」
 言いかけたジニアの口がそこで止まる。

 男の白髪はまだらに、赤黒い色に染まっていた。目を閉じた顔も、古ぼけた作業着も。肩にも足にも力はなく、まるで首根っこをつかまれた子猫のように、後ろから支えられているらしかった。
 どさり、と音を立て、白髪の男が倒れ伏す。その後ろには。抱えていた手を離し、おどけたように腕を広げた男がいた。品のないストライプのスーツを着た、オールバックの男。そしてさらにドアが開いた後ろには、銃を構えた黒服の男たち。

 頭の両側を刈り込んだ男が口を開けた。
「な……」

ユンシュは駆け出しながらジニアに叫ぶ。
「離れろ、そこから離れろ!」

 オールバックの男が煙草をくわえたまま声を放つ。
おはようグンモーニ、客だぜ、フロントはいねェのかい。いねェのかッつッてンだよグンモオオォォーニッ!」
 男は懐から銃を抜き、無造作に二度引き金を引く。
 乾いた音が廊下に反響し、鼓膜をひどく打つ。ユンシュは足を止め、身を縮めていた。幸い、体に当たった様子はない。

 オールバックの男はくわえた煙草の先を上げ、靴音を立てて中へ歩いた。
「気の利かねェ酒店ホテルだと思ったが、なかなかどうして。可愛いフロントがいるじゃねェか。え?」

 廊下に座ったまま震えるジニアの、首根っこを男はつかむ。煙草の灰が鼻先に降りかかるほど顔を近づけて言った。
「お前、そうお前だ、何つったか……あ~、臓物ハラワタちゃん、でいいな? ちいっとエレベーターガールやってもらうぜ? 上へ参りまァす、ってな」

 エレベーターの中からは黒服の男たちが銃を向けていた。そのお陰で身動きできなかった、ユンシュも髪を刈り込んだ男も、騒ぎを聞いて出てきた他の零地址らも。

 ただ一人、床を踏み締めるように歩くマーチを除いて。

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