上 下
2 / 24

第1話

しおりを挟む



 コボルドの城塞は、俺たちの集落から北に進んだ場所にある。
 奴らは遥か昔に滅んだドワーフの国が使っていた砦を再利用しているらしく、ほとんど岩山と一体になっている。コボルドの連中はドワーフほど手先が器用ではないが、それでも施設を改修して、立派な軍事拠点にしている。

 奴らは縄張り意識は強いが、逆に縄張りを侵さなければ、そこから出てくるようなことはない。だというのに、今回、俺たちの集落を襲ったとなれば、考えられることは2つ。

 1つは俺たちの誰かが、コボルドの縄張りを荒らしたことによる報復。
 可能性がゼロじゃないが、俺たちには俺たちの狩場がある。わざわざコボルドの縄張りに踏み込んでまで手に入れたいものなどない。

 もう1つは、コボルドたちの縄張りが拡大したということ。
 ある程度以上の人数になれば、当然ながら必要な食料なども増える。
 |俺たち(トロール)は基本的には弱者に貢がせるが、それでも足りなければ、ある場所から略奪してくる。その略奪の対象になった可能性が高いかもしれない。

 そういえば長老によれば、人間は「貨幣」と呼ばれるもので食料の取引をするらしい。もしくはピカピカ光る石などでも代用できるということだ。一度実物を見せてもらったが、あんな食べることもできない石ころをわざわざ加工して、日々の生きる糧を交換する連中は、やはり頭がおかしいとしか思えない。

 おっと、考えがそれてしまった。
 とりあえず、襲撃の理由が後者の場合。
 相当数のコボルドを倒さなくてはならないだろう。弱者を一方的に踏み潰すのは趣味ではないが、やられたまま黙っているのは我慢ならない。十分以上に、教訓を与えてやらなくてはならない。

 俺はそんなことを考えながら、コボルドの城塞に潜入する入口を発見した。

 排水路。
 真っ黒な汚水が滝のように流れている穴を通り抜けることができるか、いささか不安だったが、その心配は杞憂であった。トロール1人程度は余裕で通り抜けられるだけの広さがあり、邪魔をしていた鉄の柵は少しばかり力を込めたら、あっさりと外れた。後は異臭を我慢しながら進めば、それで問題ない。


  ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 少し長い時間、不快な思いを我慢して排水路を進んだ。
 真っ黒の汚物と粘っこくて生暖かい空気が肌にまとわりつき、俺は不快感を覚えた。別に綺麗好きというわけではないが、捕らえてきた人間の女が病気にならない程度には衛生管理は気をつけている。
 トロールの中には、抵抗力を高めるために不潔な方が良いという輩もいるが、その意見には反対だ。不衛生な状態は疫病を蔓延させて、俺たちの食料である動植物を殺すだけではなく、俺たち自身にも恐ろしい病をもたらす。俺の兄弟は疫病にかかり傷を癒やす再生能力が狂って、全身がゼリーのようなおぞましい姿になって病死している。
 強者との戦いの中で死ぬのは名誉だが、あの疫病による死には何の名誉もなく、憐れみだけがあった。

 そういうわけで、排水路を抜けると俺は身体に纏わりついた汚物を落とす。
 幸いなことに周囲には生き物の気配はない。
 すでにここは敵地だ。当然のように索敵を行なっている。もっとも、トロール族は盗賊技能を得意としておらず、俺も精通しているとはいえない。それでも苦手だからと、何の警戒もしないほど愚かではない。
 狩りで獲物を狙う時のように、できる限り気配を消す。

 周囲をぐるりと見渡して、あたりの様子を観察する。

 おそらくは排水路の点検を行う時に使う待機所のような場所なのだろう。
 円形の広間であり、壁には所々にコケやシダなど、日の当たらぬ場所に生えている植物がこびりついている。
 だが、思ったほど汚くはなさそうだ。
 おそらく定期的に掃除しているのだろう。見れば棚らしき場所に、ブラシやバケツなどの清掃用具が入っている。どうやらコボルドの奴らも衛生管理という考え方を持っているらしい。

 とりあえず、潜入は成功したようだ。
 後はこのまま城塞内部を荒らし回って、トロールの集落を焼くように命じたコボルドの親玉を後悔させてやることにしよう。

 仮にこちらに非があったとしても、すでに同胞の血が流されているのだ!
 血には血の報復を!
 同胞の無念を必ず晴らす。

 そんな風に意気込むと、何かが爪先(つまさき)に当たる。
 視線を落とすと、そこには古びた小瓶があった。黒曜石のような材質で作られており、悪魔の顔のような凝った意匠が刻まれている。蓋の部分はクリスタルのような材質だ。
 俺は好奇心から瓶の蓋に手を伸ばす。

「む!」

 引っ張っても抜けず、回すこともできない。
 少しばかりプライドが傷つく。
 このまま叩きつけるか、放り捨てようかとも思ったが、なんだか負けた気がするので、今度は全力で引っ張る。別に、こんな所で全力を出さなくてもいいじゃないかと思うかもしれないが、ある種の験担(げんかつ)ぎみたいなものである。

「ぬぉおお!!」

 思わず声が出てしまう。
 これでコボルドの大軍が現れたら目も当てられなかったが、幸いなことに誰も来る気配はない。そして、力を入れただけあって、小瓶の蓋がスっぽ抜けた。
 中に液体でも入っていたら、すべて飛び散っていたかもしれない。
 多少の毒には耐性があるが、これだけ念入りに封じられていたなら猛毒かもしれない。まったく、自分の想像力の欠如に一言言ってやりたくなる。だが、中にはいっていたのは毒ではなく、薬でもなかった。

「いやぁ~、ようやく封印を解いてくれる人が出てきましたねぇ。ありがとうございます。 わたしの名前はイリス。万能なる暗黒の神ハルヴァー様に仕える上級淫魔(ハイ・サキュバス)の1人ですよぉ。さてさて、封印を解いてくれた人の願いを叶えてあげましょう。さあ、なんでも好きな願いを言うといいです。なんでもって、なんでもですよぉ~」

 そう言って俺の目の前に現れたのは、人形ほどの小さな女の悪魔だった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 魔物の住処。
 我々の世界には、人間種以外にも様々な種族が住んでいる。
 エルフやドワーフ、ピクシーなどの友好的な種族もいれば、ゴブリンやオーク、ダークエルフなどの敵対的な種族もいる。
 我々冒険者ギルドは敵対的な種族が集まる場所を「魔物の住処」と指定して、討伐依頼を頼むことがある。当然ながら難易度は高いが、この手の住処にはロード系のまとめ役が必ずいる。強力な力を持って恐怖で支配しているのか、あるいはカリスマ性によるものか、いずれにせよ支配者(ロード)を倒せば、その住処は崩壊したも同然である。
 統率者を失えば、魔物たちの多くは住処を放棄するだろう。
 もしも貴方たちの冒険者パーティーが魔物の住処に挑むのならば、そのことだけは忘れないでほしい。魔物の住処にいる正確な総数などは誰にもわからないのだ。疲労と無縁の身体ならともかく、圧倒的な数で押されて消耗したところを倒された冒険者パーティーの話は少なくないのだ。

                   ―― 冒険者ギルドの掲示板 ――


しおりを挟む

処理中です...