猫被り姫

野原 冬子

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5、大団円

幻のワインと碧羅の空

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ヘンリが一歩前に出て、騎士の礼をとるクリスティアナを思いのままに抱きしめて。
緋色の魔女が、二人の傍に立って、ヘンリの腕の中のクリスティアナの月色の頭をくるりと撫でた。

その時———


微かに、オーウェンの肖像画が渋い銀色の気配を放った。
その気配に、広間に集まった、クリスティアナ以外の全員が息を呑む。

肖像画から放たれた銀の気配が、クリスティアナの頭の上に集まってくるくると渦を巻き始めた。

そして。
ぽん、と軽い音を立てて。
小さな人の形に結実した。

現れたのは、眉間に深い皺を刻んだ、厳しい老年の美丈夫。
全身が渋い銀色をした小さなオーウェンが、クリスティアナの頭の上にちょこんと座っていた。



『・・・ふむ。この魔力が像を結んだのであれば、無事に終わったのだろうね、ティナ』

小さな前侯爵の残像が発した言葉は、音ではなかった。
ロングギャラリーに集まった人々の、頭の中に直接届けられた情報のようなもの。


「・・・オーウェン」
腐れ縁の友人、先王と魔女の呟きが重なる。

抱きしめるクリスティアナの月色の頭の上。現れた小さなオーウェンは、しかし、驚愕にあんぐりと口を開けたヘンリも、その傍で目をまん丸にして凝視してくるスカーレットも見ていなかった。


「会話はできません。生前に祖父が、状況を想像し残した言葉を連ねるだけです」

祖父と仕掛けた悪戯のカラクリが、目論み通りに動き出した。
クリスティアナはヘンリの腕の中から抜け出して一歩下がると、頭の上の祖父にそっと手を差し伸べた。

ふわんと、銀色の祖父が手の中に収まる。
これも、祖父と孫の二人で考えた設計通りの動きだった。

「ヘンリ様、皆のお近づきをお許しいただけますか?」
クリスティアナがニコニコ子供のように笑って、祖父の魔力のホログラムを差し出す。

「・・・もちろんだ。気にせず集まるといい」

クリスティアナの左、スカーレットの傍までヘンリが身を引く。そのヘンリの隣にエリオット、次にアルフレッド、その隣にレオナルド、さらにモーリス、カーラとつづき、クリスティアナの右にジュードが立つと、クリスティアナが差し出した手の上のオーウェンを取り巻く半円形ができた。

『ヘンリとスカーレットも、当然いるな? これは君たちの魔力に反応して結実するから、いて当然なのだがね。どうだ、私の孫娘は可愛いだろう?』


「うっ お、お祖父様・・・・」
クリスティアナが、恥ずかしさに呻いて、耳を赤くした。
祖父が残した言葉の内容までは知らされていなかった。


赤面して顔を伏せるクリスティアナは、とっても可愛い。
思わず、ジュードは信じられなものを見る目で、この4年苦楽を共にしてきた主を見てしまった。
途端に、冷たい牽制が向こうから飛んできて、さっと目を逸らしたけれど。


『モーリスはいるな? ラウルは領地だろうか。カーラは息災か? ・・・そこに、もしレオナルドがいるのなら、嬉しいのだがね。決断の早いティナのことだ。戸籍を確認したら、きっと名前だけで義父としていそうだが。そこにいるなら、帰参したのだろう。どうか、グリンガルドをよろしく頼む』

「・・・父さん」
レオナルドが片手で顔を覆って俯いた。


「・・・名前だけでだなんて、ひどい。流石に見分くらいはしましたよーだっ」
小声でクリスティアナが祖父の小さな背中に抗議をした。

まぁ、見分の機会がなければ、名前だけでさくっとやっていた可能性はゼロではないけれど。だって、あの祖父がわざわざ戸籍を残しているのだ。それだけで十分判断材料になるではないか。


『きっと他にも、ティナを支えてくれる誰かがいるのだろう。はっ みな気をつけたまえ。私のティナは極上の人ったらしだからな! はははっ!』

「くそじじい、黙れっ 残滓のくせにうるさいんですよっ」
「ティナ様、お控えください」
首まで真っ赤になって、うっかり祖父と喧嘩したときの素で詰ってしまったクリスティアナを、モーリスがびしっと諌めた。

「まぁ、当家の姫はおいたが過ぎますこと。皆様ごめんあそばせ? おほほほほ」
と朗らかに笑ったのはカーラである。



ホログラムにキレる。
そんなクリスティアナが、信じられないほど可愛い。
アルフレッドも顔に手を当てて項垂れた。

自分が本当に信じられない。



『ふ。ティナ、お前、今怒っているだろう? はっ まだまだひよっこだなっ』
ホログラムのオーウェンは怯まない。
生前でも怯むなんてことは、しなかっただろうけれど。

「モーリス、擦り潰しても?」
「おやめください。後悔なさいますよ?」
「・・・・うううううぅ」
「オーウェン様はこんなに小さくおなりになっても、しっかりオーウェン様ですのねぇ」
そう言ってカーラが目頭を押さえたから。

クリスティアナは、恥ずかしさと怒りに震えながら、手の中の祖父を握り潰さないように堪えた。

・・・カーラのあれは演技かもしれないけれど。


『さて、ヘンリ、スカーレット。君たちにお礼をしなければいけないな。私の最後の願いを叶えてくれて、ありがとう。・・・ほら、ティナ、怒ってないで私を肖像画の下へ連れて行け』

くつくつと、クリスティアナの手のひらの上で、渋い銀色のホログラムが笑う。

ちっと小さく舌打ちをして、ほんのりと桜色に染まったままの顔を上げて祖父が指定した場所へ向かった。

その背中に、ヘンリとスカーレットが続く。


ここからは、腐れ縁の友人たちの時間だと察して、他のメンバーは最初の位置に戻ったようだ。

クリスティアナが、オーウェンの肖像画の下に跪く。

きっとこれが最後だろう。
小さな祖父の頭に口付けを落としてから。
床に銀色の祖父の魔力のホログラムを置いた。


とことこと。

小さなオーウェンが壁に向かって歩き出す。
辿り着いて、両手で壁を押すと、きいっと乾いた音を立てて小さな隠し戸棚の扉が開いた。

閉ざされた空間を満たしていた冷気が解放される。

中に収められていたのは、グリンガルド産の最高級ワインだ。
それも幻と言われる、所領の北の森の奥地に自生する希少な山葡萄を集めて醸造されたもの。

小さな祖父のホログラムが、戸棚の奥からワインのボトルを抱えて外へ持ち出した。




クリスティアナは、記憶にある深緑色のボトルに、目を見張る。


決して自分を愛さない父を求め、自分で自分を傷つけて心を閉ざそうとしていた。
小さな小さなクリスティアナを、厳つい顔でニコリとも笑わない祖父が冒険に連れ出してくれた。

あの時。

一緒に集めた幻の山葡萄で、グリンガルド一番のワイン職人に作ってもらった。
絞り出しから瓶詰めまで、全ての工程を祖父と共に手伝った。


———あのワインだった。


とことこと。
小さな渋い銀色のホログラムが、ワインボトルを腕いっぱいに抱えて歩く。

その滑稽さが愛おしい。

いつの間にかクリスティアナの後ろに並んで屈み込んでいたヘンリとスカーレットの前まで。

とことこと。

グリンガルドのボトルを運び。
とんとおく。

腰に手を当てて、どうだと笑むと。

燻銀の魔力は解けて消えた—————







「クリスティアナ?」

胸に蘇った記憶と、祖父の魔力の残滓が消えた気配に、呆然としていると。

不意に両肩が暖かくなった。
そっと引き寄せられて、見上げる。



祖父に背負われて登った。
グリンガルドの岩山の山頂に広がっていた。

碧羅の空と同じ色の瞳が、クリスティアナを見下ろしていた。






おしまい。



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