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case4 三好結衣『絶望の前に現れた神の使い』

第18話【アセスメント】絶対に戻れよ?

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 ずっとがまんし続けてきたし、誰にも言えずにいたことをようやく私は話すことができた。

 裸の写真を撮られたことも、まったくのデタラメを流布されたことも、全部つらいことだけど、いつか小学校のときみたいにまた仲良しに戻れるんじゃないかって、どこかで思っていたことがガラガラと足元から崩れ去ったことが一番つらかったのかもしれない。

 どこで間違えたんだろう。

 そんなふうに何度も繰り返し考えたけど、答えなんて出るわけがなかった。

 犬飼君と不釣り合いだということは、自分が一番よく知っている。

 貧乏だから。
 父子家庭だから。
 麻美はそんな偏見を持つような人じゃなかったのに、どうしてこんなことになっているんだろう。

「空気読めねえ正義感はさすがに犬飼のオッサンのせがれだけあるなあ」

 そう言って私に『心の怪我を治してやる』と言ってくれた白い髪の男の人はやれやれと肩をすくめた。
 彼は『しろねこ心療所』で心の治療を専門に行っている人らしい。
 白い名刺に黒文字で『久能孝明』という名が記されていた。

「でも、久能先生。いじめはいじめられる側が悪いって……私がこんないじけ虫で、いつもうじうじしてるから……犬飼君は見るに見かねて助けてくれたんだと思います。いじめられる人間は存在自体がうっとうしいから」
「おまえ、本当に鈍感なんだな。しかも末期の鈍感体質とくれば、多少なりイラッとするのはわからんでもねえけどな。あと俺様は久能先生じゃねえ。白夜様だ。間違えんな」
「え? あ? ごめんなさい! やっぱり私、生きている価値ないですね。間違えてばっかりだし……」

 うつむいて足元を見る。
 これまで意識していなかったから気づかなかったけど、足が透けてコンクリートの床がはっきりと見て取れる。
 この人に説明されたときには自分が死にかけている霊体だなんて思いもしなかったけど、やっぱり現実なんだと思い知らされたような気がした。

「自尊感情が低いすぎるな、おまえ。人間なんて生き物は誰しも間違いらけだっつーの。まあ、こんな高さから飛び降りるくらいつらい目にあったんだから、自分が悪いと思い込みやすいのも無理はねえけど。でもな、結衣。俺様は生きている価値のない人間を助けるほど暇じゃあねえんだよ」
「助けるって私のこと? 本気なんですか?」
「ああ、本気も本気だよ。犬飼のせがれにも泣いて頼まれたしな」
「犬飼君が? 泣いて?」
「俺の好きな子を助けてくれって、そりゃあもう鼻水まき散らす勢いで言われたんだぜ? 植え込みに倒れているのを最初に見つけたのも犬飼のせがれだし。俺様は人の女にはまったく興味ねえってのに」

 組んだ足の上に肘を乗せて不機嫌な顔をする白夜様を見つめる。
 前を向いた彼の青い目が凛と輝いている。

「それでも結衣。おまえはよく耐えてきた。それだけは褒めてやるよ」

 宝石みたいに輝いた両目がしっかりと私を映しこんでいた。

「泣くのは今日まで許してやるから、明日からは笑え。おまえは絶対に笑っているほうがいい」

 これは彼なりのリップサービスなんだろうか。
 私を励ますためにわざと言っているんだろうか。

「俺様がおまえの人生を明るくしてやる。だから、すべてが終わったらちゃんと体に戻れ。おまえを大事に思っているやつらのところへきちんと戻るんだ」
「でも……」

 不安が大きすぎる。
 本当に戻っていいのか。
 戻ったところで過去は変えられないのに――

「仕方ねえ。もうひとつ大事なことを教えてやる」

 彼ははあっ……と盛大にため息をついてから「おまえは守られたんだよ」と言った。

「守られた?」
「こんな高いところから飛び降りて普通助かると思うか? 助かったのにはちゃんと理由がある。おまえの亡くなった母親が必死におまえを守ったからだ」
「お……母さん?」
「飛び降りたおまえを必死に包んで、植え込みに落下させた。犬飼のせがれを呼んだのも、今もおまえの体と魂を必死につなぎとめてるのもほかの誰でもなく、おまえの母親なんだよ。死後なおおまえのそばにいて、見守ってるんだ。これ以上、死んだ人間を悲しませるようなことすんな」

 飛び降りたときの記憶はすごくあいまいだ。
 だけど言われてみれば、たしかに飛び降りた瞬間、誰かに抱きしめられたようなぬくもりを感じたような気がする。
 これで最後だと安心したからだと思ったのに――

「おまえがちゃんと体に戻ったら、ご褒美やるから。いいか、絶対に戻れよ?」
「は……い」
「よし、いい子だ」

 小さくうなずいた私の頭を白夜様は大きな手で優しくなでると『よっとっ!』と背伸びをしながら立ち上がった。

「そろそろ時間だな」

 彼がゆっくりと振り返った。
 つられるように振り返った先に視線を向ける。
 屋上へ続く扉が静かに開いて、ひとりの女子生徒がやってくるのが見えた。
 麻美だ。

「さあ、始めるとするか」
「なにを……!?」
「なにをって」

 疑問を口にした私を見た彼が晴れた空のような青い両目を細める。

「お仕置きに決まってる」

 彼は笑いながら、そうはっきりと言い切ったのだった。
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