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真白に沈む
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降り頻る真白い雪を、ただ、眺めていた。
特急列車のボックス席に、私は座っている。午後三時という中途半端な時間では、ほかに誰も乗客はいない。列車は淡々と雪の中を突き進み、規則正しくガタンゴトンと音を立てている。
――今日、私は見知らぬ誰かの元へ嫁に行く。
それは時代錯誤な政略結婚、というには些かお粗末で、要は実家の借金のかたに身売りに出されたようなものだった。相手の顔も知らないのはそういうことだ。行った先で何をさせられるのかも知らない。嫁というのは都合の良い方便で、体を売らされるのかも。だが、それすら私にとってはどうでも良いことだった。
この地を離れるのであれば。彼の元を離れるのであれば。その全てが、私にとっては等しく同じ絶望であるのだ。
ふ、と。別れ際の彼の顔を思い出す。優しい、どこまでも優しかった恋人。家族を見捨て、私を攫って逃げることなどできなかった哀しい人。
その眼差しが好きだった。その手が好きだった。その唇が、柔らかな髪が、意外にがっしりとした体が、逞しい腕が。彼を形作る全てが、どうしようもなく愛おしかった。脆くて優しい、その心でさえも。
私は細く、長く息を吐くと、静かに座席から立ち上がる。荷物は席に置いたままに、一番後ろの車両まで静かに歩き始めた。
――ひたすらに穏やかな、春の陽だまりのような恋だった。
出会いは喫茶店。本に挟んでいた栞を拾ってもらった、なんて少女漫画のような始まり方をした恋は、やはり少女漫画のように一つ一つが丁寧で。キスはおろか、手を繋ぐことすらも許可を求めてくる彼に、思わず笑ってしまったのはいつのことだったか。
そうして、ゆっくりゆっくりと時を重ねて。数年の時を経てようやく結婚まで踏み出せそうだったところに、私の嫁入りが決まったのだ。
揺れる車内を転ばないように歩きながら、私は左手の薬指をそっと撫でる。そこには小さなダイヤモンドの付いた細い指輪がはめられている。彼から貰ったエンゲージリング。大して立派なものじゃないけど、と。照れくさそうに言いながら渡してくれた彼の、ぎこちない笑顔を昨日のことのように覚えている。
――できるなら。あの笑顔を、ずっと側で見ていたかった。
でも、それはもう叶わない願いだ。彼に私を攫う勇気はなく、私も彼に攫ってほしいと願う度胸がなかった。お互い踏み出せなかったのだから、後はもう流されるままに流されるだけ。
列車の最後尾まで辿り着く。私は展望デッキに出ると、吹き付ける雪に顔を顰めながらフェンスのギリギリまで歩いていく。雪が積もったフェンスを握りしめると、手のひらが瞬く間に悴んで感覚がなくなっていった。
私は体をフェンスに押し付けるようにしてバランスを取りながら、左手の薬指からゆっくりと指輪を外す。指輪のダイヤモンドが雪の中でキラリと輝いて、その輝きに私は遠い春を思う。
「……さようなら、私の貴方。私の恋。私の心」
呟いて、私は指輪を持った手を振りかぶると、思い切り雪原へと放り投げる。勢い余って落下しそうになった体を慌てて引き起こすと、そのままペタンとデッキに座り込んだ。
しんしんと降り積もる雪は、きっと春になるまで溶けることはない。それでいい。それがいい。
溶けない雪の中、私の心を、私の真実を隠して、永遠に眠ってしまえ。
雪が降る。列車は進む。静かに閉じた瞼の裏、遠く過ぎゆく故郷の情景と、愛しい人の笑顔が弾けて、消えた。
特急列車のボックス席に、私は座っている。午後三時という中途半端な時間では、ほかに誰も乗客はいない。列車は淡々と雪の中を突き進み、規則正しくガタンゴトンと音を立てている。
――今日、私は見知らぬ誰かの元へ嫁に行く。
それは時代錯誤な政略結婚、というには些かお粗末で、要は実家の借金のかたに身売りに出されたようなものだった。相手の顔も知らないのはそういうことだ。行った先で何をさせられるのかも知らない。嫁というのは都合の良い方便で、体を売らされるのかも。だが、それすら私にとってはどうでも良いことだった。
この地を離れるのであれば。彼の元を離れるのであれば。その全てが、私にとっては等しく同じ絶望であるのだ。
ふ、と。別れ際の彼の顔を思い出す。優しい、どこまでも優しかった恋人。家族を見捨て、私を攫って逃げることなどできなかった哀しい人。
その眼差しが好きだった。その手が好きだった。その唇が、柔らかな髪が、意外にがっしりとした体が、逞しい腕が。彼を形作る全てが、どうしようもなく愛おしかった。脆くて優しい、その心でさえも。
私は細く、長く息を吐くと、静かに座席から立ち上がる。荷物は席に置いたままに、一番後ろの車両まで静かに歩き始めた。
――ひたすらに穏やかな、春の陽だまりのような恋だった。
出会いは喫茶店。本に挟んでいた栞を拾ってもらった、なんて少女漫画のような始まり方をした恋は、やはり少女漫画のように一つ一つが丁寧で。キスはおろか、手を繋ぐことすらも許可を求めてくる彼に、思わず笑ってしまったのはいつのことだったか。
そうして、ゆっくりゆっくりと時を重ねて。数年の時を経てようやく結婚まで踏み出せそうだったところに、私の嫁入りが決まったのだ。
揺れる車内を転ばないように歩きながら、私は左手の薬指をそっと撫でる。そこには小さなダイヤモンドの付いた細い指輪がはめられている。彼から貰ったエンゲージリング。大して立派なものじゃないけど、と。照れくさそうに言いながら渡してくれた彼の、ぎこちない笑顔を昨日のことのように覚えている。
――できるなら。あの笑顔を、ずっと側で見ていたかった。
でも、それはもう叶わない願いだ。彼に私を攫う勇気はなく、私も彼に攫ってほしいと願う度胸がなかった。お互い踏み出せなかったのだから、後はもう流されるままに流されるだけ。
列車の最後尾まで辿り着く。私は展望デッキに出ると、吹き付ける雪に顔を顰めながらフェンスのギリギリまで歩いていく。雪が積もったフェンスを握りしめると、手のひらが瞬く間に悴んで感覚がなくなっていった。
私は体をフェンスに押し付けるようにしてバランスを取りながら、左手の薬指からゆっくりと指輪を外す。指輪のダイヤモンドが雪の中でキラリと輝いて、その輝きに私は遠い春を思う。
「……さようなら、私の貴方。私の恋。私の心」
呟いて、私は指輪を持った手を振りかぶると、思い切り雪原へと放り投げる。勢い余って落下しそうになった体を慌てて引き起こすと、そのままペタンとデッキに座り込んだ。
しんしんと降り積もる雪は、きっと春になるまで溶けることはない。それでいい。それがいい。
溶けない雪の中、私の心を、私の真実を隠して、永遠に眠ってしまえ。
雪が降る。列車は進む。静かに閉じた瞼の裏、遠く過ぎゆく故郷の情景と、愛しい人の笑顔が弾けて、消えた。
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