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神隠シニ非ズ
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足元に落ちていた枝を踏み、きしんだ音を池のそばで戯れていた子供と精獣に気づかれたルクス。
二つの視線がルクスの視線とぶつかり、今更、取り繕うこともできない。
「……仕方ない」
精獣を興奮させないように、ゆっくりと茂みからでてきたルクスに、子供と精獣は同じように目を丸くさせた。子供にいたっては、口まで丸くさせている。
ルクスが刃物をもって突然現れたからだろう。精獣がいつ襲ってきてもいいようにと備えていたのが裏目に出てしまった。
ルクスはなるべく子供を怖がらせないように、しかし精獣から目を離さないように語りかけた。
「わ、私は教会の神官であるルクスだ。……これで君を傷つけることはしない、ゆっくりその精獣からはなれるんだ」
「……」
子供はルクスの言葉を理解していないのか、いまだに口を丸くさせてこちらを見つめている。大体の街に住まう子供はルクスを英雄として尊敬視しているために、大喜びで彼の言葉に従う。だが、目の前の子供がルクスの言う通りに従う気配はない。
「……いい子だから、こっちにおいで」
「……」
神具を持っていない方の手で、子供に向かって手のひらを向けた。ルクスは怖がらせないように笑顔をつくった。普段ならば大体の国民はこれに従う……だが子供の丸い無垢な瞳には『神官ルクス』という英雄像は映されていなかった。
「ウゥ……」
精獣がその嘴の隙間から、棘のような歯をのぞかせた。獣が見せる、自身の子供を守るかのように、人の子供を自身の背後に置く精獣にルクスは眉をひそめた。
(……なぜ、精獣が?)
目の前の精獣が、いくら穏やかな性格と言われていても、獣は獣。
ルクス達が崇める神、『ユニ』が「討伐の必要なし」と目もくれなかっただけの存在だ。ただいるだけの獣であれば、気にかけることはない。彼らは知性はなく、どおりが通じない。だからこのように神官であっても牙を向ける。精獣が悪魔に転ずることだって、何件も上がっているのだ。だからこそ、精獣が人の子供と共に戯れ、武器を持ったルクスから逃れようと池に潜り込むのではなく、守ろうと身を出すことなど思いもしなかった。
(子供の方に一体何が……)
子供は街にどこにでもいるような、水色の上着がかわいらしい黒髪の子だ。ルクスをみて、怯えたような顔をむける。
(いや……『怯えている』?)
ほんの一瞬、子供の顔に注意が向いた。向いてしまった……。
「ガァぁっ!!」
一瞬、ルクスの意識が子供にそれたことで、精獣は瞬くうちに一瞬で距離をつめる。ルクスの倍の高さの位置から、精獣が甲高い声をあげてルクスの顔を目掛けて突っ込んできた。
一般の神官ならば、向かってきた獣に戸惑い、威嚇に固まって武器を前に出したり、出鱈目に降ることだろう。
「……っ」
だが、ルクスは神官最高ランク「ヨタ」を有する者、実力はその評価と寸分違わないものだ。
身をひるがえし、獣の頭をかわす。それと同時に、手にしていた神具を紐状に変形させて、獣の顎と身体中を絡め取って捕縛した。たちまちのうちに自身が縛られ、指一本も動かせなくなった獣は何をされたのかわかっていない。暴れようにも神具が、自分の形をした型に閉じ込めるようにソレを許さない。
昨日、自分自身が縛り上げられたこともあってか、このように無力化をとっさに思いついた。ルクスがさらに神具の強度をあげて、締め上げたことで精獣が苦しそうにうめく。
「……!」
そばにいた子供は突然、動けなくなった精獣に、反応できずにいたが、ルクスが近づいたことによって、精獣のそばにすがるように身を寄せた。子供の顔は恐怖からか不安そうにこちらを凝視している。ルクスはなんだか自分の方に非があるような気分になった。
確かに彼らは和気藹々と水遊びをしていただけで、突然現れて向かってきたのはルクスの方である。だが精獣はともかく、精獣と遊ぶ子供の方に違和感があった。
親の姿もなく、自分の背丈の十倍はあろうかと巨大な獣と水辺で遊ぶだろうか。こんな意思疎通もできない獣に、子供は今も離れようとしない。
ルクスは、ある言葉を使ってみた。
「⚫︎⚫︎⚫︎」
「……っ!」
びくりと体を揺らした子供に、ルクスはさらに眉を顰めた。ルクスが発した言葉は、以前討伐した悪魔が話していた言語を真似たものだ。一部の悪魔には通じないようだが、ほとんどの悪魔が同じ言葉を返してくるか、反応するので、判別に重宝している。
だから、言葉に反応した子供に対してさらに警戒を強めたのである。
(この子は悪魔、そうでなければ、悪魔憑きの可能性がある)
調べるには教会へ行く必要があるが、どちらにせよこのまま放っておくわけにはいかない。
(拘束して、連れて……)
耳元で鈴のような声が聞こえた。
『殺さないの?』
ルクスの動きが止まった。
『このこも悪魔だよ、それもとってもこわーい、ね』
子供の成熟しきっていない言葉遣いが、ルクスの心の水面をかき乱す。聞き間違えるはずがない、討伐のたびにルクスの耳元で囁いてきたこえだ。ただ、いつもと違うのは、彼女が自分にもわかる言語を話していることだった。
「……」
ハッ、ハッ、と獣のように息が荒くなる。ドッドッと心臓の音が体の外まで響きそうなほどうるさい。これは夢だ、自分が作り出した妄想に過ぎない。彼女は悪魔の言葉を話していたじゃないか。そう何度も言い聞かせるのに、ルクスの体は全くいうことを聞いてくれない。
それどころか、少女の言葉に従わなくてはと思ってしまう自分がいる。
『お兄ちゃん、早く殺さないとこの子も人を襲うよ、きっと獣を操って人を食べちゃうんだ』
ルクスの様子が変わってとまどっている子供の横に、いつの間にかあの時の少女が立っている。少女はルクスに屈託のない笑顔で言った。
いつの間にか、ルクスの手には、少女の頭と同じくらいの大きさの岩が握られている。そのことにルクスの気持ちは掻き乱れ、顔をガリガリと乱暴に引っ掻いた。
目の前の子供の姿が、槍で貫いた少女の姿と重なった。
『この子も怪しいから早く殺なきゃ…………私を殺したみたいに』
「うわああああっ!」
高くあげた岩を子供の丸い頭に向かって振り下ろされる。子供はまん丸な目をいっぱいに開いて大量の唾を飛ばしながら叫んだ。
「シャオパイ!!」
強い衝撃と共に、ルクスの意識は途絶えた。
◼︎
ルクスが槍で殺めた少女は、戦闘の後に教会の合同墓地に埋葬された。少女が悪魔同士、言葉を交わしていたのを他の神官たちが確認していたために、悪魔憑きと判断された。それによりルクスは一切お咎めなかった。
あの場にいた誰もが、少女を殺めたルクスを責めることはなかった。
「誰も、気づいてはいなかった」
「あの状況では仕方がなかった」
「あの子はいずれ悪魔に喰われていた」
「いや、教会で記憶を消去されただろう」
「「いずれにしてもあの子は死ぬ運命だった」」
それらの言葉を聞くたびに、ルクスは食いしばり、首を横に振った。
「……そんなわけがあるか!」
(そうでなかったら……どうして彼女は夢に出てくるのだ……)
『おにいちゃん……』
少女が恨めしそうにみつめてくるのを、ルクスはもうすでに見慣れていた。毎晩、そして意識の外側から彼女は現れるのだ。その彼女の胸には、あのとき貫いた跡がのこっている。ぽっかりとあいたその隙間から、彼女の背後のものが見えていた。
いつだって同じ姿で、出てくる少女。自分に非がなかったとどうして言えるだろうか……。
「……君は」
『おにいちゃん』
少女は初めこそ、ルクスから離れた場所に立っていた。だが、時間が経過するごとに、少女は一歩、また一歩と近づいてくるのだ。そして彼女の表情も無表情からだんだん険しい顔つきになっていった。
そして今、彼女はルクスの側に立っている。
少女は怨みのこもった顔で目の前の男を睨みつけている。仲間の仇、そして自分を殺したルクスを今にも頭から食らいつきそうだ。
対してルクスは指一本すら動かすことができない。いや、そもそも動くつもりもなかった。
「それで、君の気が済むのなら……」
『おにいちゃん』
ルクスがしてしまった罪を咎めるものは誰もいない……ユニ神ですら許してしまうだろう。だが自身が犯してしまった過ちを、他の誰でもない、ルクスが許せなかったのだ。彼女が夢に出てくることで、眠りが浅くなろうとも、体の衰弱を見て見ぬふりをしてきた。
自身が幼い少女をなんの疑いもなく槍で貫いてしまったのが、どうしても許せなかったのだ。
たとえ、これが夢だと分かっていても……いや、たとえ現実だとしても、目の前の彼女から逃げるなんてことはしない。
近づいてくる殺意に、彼は自身の神への黙祷で対応した。
「ユニ様……お許しください」
「この身が、あなたの手から離れることを……」と心の中で唱える。
すぐ側で、冷たい気配を感じとる。だがルクスの心は比較的穏やかであった。
(わずかでも救いがあらんことを)
『おにい』
バクン、と大きな音が目の前から聞こえた。
少女が言い終わる前に言葉が途切れ、代わりに鈍い音と、液体が飛び散るような音がルクスの正面から振りかかった。
何が起こったのかわからず、恐る恐る目を開けた彼は、目の前の光景から思考が停止した。
(やはり、しょせんは夢なのか……)
でなければどうして、目の前の少女が、見知らぬ少年に、肩を抱かれているのだろうか。そして、どうして少女の頭が消えているのだろうか。これはルクスが見せた幻なのか。
少年はだいたい十五歳、顎の長さまで伸ばした綺麗な黒髪、そして一番目を引いたのが、額から突き出た二本の長いツノ。それが装飾のようについていて、とても不自然だ。
少年の口元から赤い汁が滴っていたが、彼は気にすることもなく、大きく口を開いて少女の無くなった首に齧り付く。鋭く尖った歯を肉に突き立て、一才の慈悲もなく彼女の体を食べていく。
ばくり、ばくりと音を立てながら無くなっていく少女の光景を、ルクスはただ呆然と見ているしかできなかった。やがて、右足の指先が彼の口の中におさまってしまったのを見て、ルクスは池で出会った子供のように口を丸くするしかなかった。
「……」
ごくん、と喉を鳴らした目の前の少年は、砂のように溢れていく彼女の残骸を、手についた油を舐めるように、舌でさらいとっていく。そしてルクスの方をみてから腰を曲げて、上から覗き込んできた。
「……」
悪魔のように、縦に伸びた瞳孔が特徴的な赤紫の瞳からは、ルクスの間抜けた姿が映し出されていた。やがて拳を突き出し、「フン」とルクスの額を弾いた。
ピン、とルクスの額を指で弾いてから、鼻で笑った少年は踵を返してゆっくりと離れていった。声をかけることも、引き止めることもできず、ただルクスは弾かれた額に触れていた。
「あっ……」
やがて現実に引き戻される直前、なんの気まぐれか、少年が振り返りルクスの方をみた。紫水晶のような瞳が、赤く光る。
「悪くない味だった……ごちそうさま」
幼い子供を挑発するような、上から目線の少年の、意地悪そうな笑顔……
その光景がルクスの脳裏に呪いのように残ることとなった。
◼︎
陽の光に照らされて眩しさのあまり、ゆっくり瞼を持ち上げると、二つの顔がこちらを覗き込んでいた。一つは子供で、もう一つは鳥のクチバシをもつ精獣である。
「……お、おはようございます」
驚きのあまり、場にそぐわない言葉を発してしまったのは承知しているが、ルクスを覗き込んでいたのは、黒髪の子供と、先ほど縛り上げたはずの精獣だったからだ。精獣を縛りあげていた神具もルクスの気絶と共に解けてしまったらしい。しかし敵対していたときとは反対に、今は穏やかな表情でルクスを見つめていた。
子供は丸い瞳でルクスをじっと見つめて、ペチペチと柔らかな手のひらでルクスの頭を撫でる。普段されることのない感触に、くすぐったくて身を捩ると、後頭部にさらに柔らかい感触。
二つ並べた長い枕の間に頭を挟めているような感覚、それがどこで、もたらされているのかわかると、すぐに上半身を持ち上げた。
「す、すまない!重かっただろう!」
ルクスの頭が置かれていた場所は、子供の柔らかい膝の上、つまりルクスは幼い子供の膝枕で眠っていたのである。長時間眠っていたのだろうか、少年の真っ白だった膝はルクスの頭の重みで赤く鬱血していた。もしかしたらあとになるかもしれないと、回復魔法の詠唱を行おうとした。
「シャオパイ」
すぐに魔法をかけようと手を伸ばそうとした途端、子供がルクスの方をみて首を横に振った。いや、正確にはルクスの後ろだ。気づけばルクスの首元にはナイフがあり、静かな殺意を物語っている。
「危害を加える意思はありますか?」
自身の真後ろから気配もなく、抑揚のない声が語りかけた。声の感じからして女性のようだ。その女性に、ルクスは背後を取られ、いつでも首を掻き切られる状態だ。ルクスは首をナイフに当たらないように小さく横に振った。
「ない……少なくとも今、この場では……」
「シャオパイ……」
子供がルクスの首に回している腕を掴んで、首をふるふると横に振った。子供もナイフが目の前にあるというのに、恐怖にかられておらず、まっすぐと後ろの女性に目を向けていた。
「……わかりました」
ナイフが離れたのを感じ取ると、ルクスはすぐに女性の方をみた。女性は十代後半の見た目であり、背中まで伸ばした黒髪を二つに後ろで結っている。少女は黒いワンピースの上に白いエプロンを腰に巻いており、どこかの貴族に使える使用人に見えた。子供が黒髪でまっすぐな毛質と年齢を見るともしかしたら姉弟なのかもしれない。
ルクスは子供の方を向き直ると、礼をいった。
「ありがとう、おかげで助かった」
「それよりも、謝罪では? 急に襲いかかってきて驚きましたよ」
「それは……」
ルクスが少女に言い淀んでいると「シャオパイ」と子供が顰めっ面をしている。
「まあ、この龍に襲われていると勘違いして、転んで気を失ったとこの子が言っていましたが……頭は大丈夫ですか?」
「そう、だったのか……」
子供がむふー、と指先を二本立てて得意げな顔をしている。「シャオパイ」と呼ばれた少女は、氷のような顔からはあ、とため息をつく。
「それで……あなたはどちら様ですか?」
「わ、私はルクス・ルーメン……ここを通りかかっただけだ」
「……『通りかかっただけ』ですか、シャオフーを襲おうとしたわけではないのですね?」
「……いや、私は」
ルクスが本当は子供が悪魔だと思ったことを話そうと口を開きかけたとき、子供が「フク」と
大きく吠えた。その顔は頬を膨らませて怒りをあらわにしている。
「ふ、『フック』?」
ルクスは子供に指を向けて、復唱する。だが子供は満足がいかないのか、自分で自分の方を指しもう一度大きな声で繰り返す。
「フク!」
「『フク』」
「ウン!」
何が何だかわからないが、子供が『フク』ということはわかった。ルクスは満足そうに笑うフクをみて、久しぶりに子供の笑顔をみた気がした。ここ数週間の間、ルクスが目にしていたものは子供の泣き顔や、恐怖に染まった顔しかなかったので、フクの笑顔のおかげで、これまで張っていた気が緩んだ感覚がした。
二つの視線がルクスの視線とぶつかり、今更、取り繕うこともできない。
「……仕方ない」
精獣を興奮させないように、ゆっくりと茂みからでてきたルクスに、子供と精獣は同じように目を丸くさせた。子供にいたっては、口まで丸くさせている。
ルクスが刃物をもって突然現れたからだろう。精獣がいつ襲ってきてもいいようにと備えていたのが裏目に出てしまった。
ルクスはなるべく子供を怖がらせないように、しかし精獣から目を離さないように語りかけた。
「わ、私は教会の神官であるルクスだ。……これで君を傷つけることはしない、ゆっくりその精獣からはなれるんだ」
「……」
子供はルクスの言葉を理解していないのか、いまだに口を丸くさせてこちらを見つめている。大体の街に住まう子供はルクスを英雄として尊敬視しているために、大喜びで彼の言葉に従う。だが、目の前の子供がルクスの言う通りに従う気配はない。
「……いい子だから、こっちにおいで」
「……」
神具を持っていない方の手で、子供に向かって手のひらを向けた。ルクスは怖がらせないように笑顔をつくった。普段ならば大体の国民はこれに従う……だが子供の丸い無垢な瞳には『神官ルクス』という英雄像は映されていなかった。
「ウゥ……」
精獣がその嘴の隙間から、棘のような歯をのぞかせた。獣が見せる、自身の子供を守るかのように、人の子供を自身の背後に置く精獣にルクスは眉をひそめた。
(……なぜ、精獣が?)
目の前の精獣が、いくら穏やかな性格と言われていても、獣は獣。
ルクス達が崇める神、『ユニ』が「討伐の必要なし」と目もくれなかっただけの存在だ。ただいるだけの獣であれば、気にかけることはない。彼らは知性はなく、どおりが通じない。だからこのように神官であっても牙を向ける。精獣が悪魔に転ずることだって、何件も上がっているのだ。だからこそ、精獣が人の子供と共に戯れ、武器を持ったルクスから逃れようと池に潜り込むのではなく、守ろうと身を出すことなど思いもしなかった。
(子供の方に一体何が……)
子供は街にどこにでもいるような、水色の上着がかわいらしい黒髪の子だ。ルクスをみて、怯えたような顔をむける。
(いや……『怯えている』?)
ほんの一瞬、子供の顔に注意が向いた。向いてしまった……。
「ガァぁっ!!」
一瞬、ルクスの意識が子供にそれたことで、精獣は瞬くうちに一瞬で距離をつめる。ルクスの倍の高さの位置から、精獣が甲高い声をあげてルクスの顔を目掛けて突っ込んできた。
一般の神官ならば、向かってきた獣に戸惑い、威嚇に固まって武器を前に出したり、出鱈目に降ることだろう。
「……っ」
だが、ルクスは神官最高ランク「ヨタ」を有する者、実力はその評価と寸分違わないものだ。
身をひるがえし、獣の頭をかわす。それと同時に、手にしていた神具を紐状に変形させて、獣の顎と身体中を絡め取って捕縛した。たちまちのうちに自身が縛られ、指一本も動かせなくなった獣は何をされたのかわかっていない。暴れようにも神具が、自分の形をした型に閉じ込めるようにソレを許さない。
昨日、自分自身が縛り上げられたこともあってか、このように無力化をとっさに思いついた。ルクスがさらに神具の強度をあげて、締め上げたことで精獣が苦しそうにうめく。
「……!」
そばにいた子供は突然、動けなくなった精獣に、反応できずにいたが、ルクスが近づいたことによって、精獣のそばにすがるように身を寄せた。子供の顔は恐怖からか不安そうにこちらを凝視している。ルクスはなんだか自分の方に非があるような気分になった。
確かに彼らは和気藹々と水遊びをしていただけで、突然現れて向かってきたのはルクスの方である。だが精獣はともかく、精獣と遊ぶ子供の方に違和感があった。
親の姿もなく、自分の背丈の十倍はあろうかと巨大な獣と水辺で遊ぶだろうか。こんな意思疎通もできない獣に、子供は今も離れようとしない。
ルクスは、ある言葉を使ってみた。
「⚫︎⚫︎⚫︎」
「……っ!」
びくりと体を揺らした子供に、ルクスはさらに眉を顰めた。ルクスが発した言葉は、以前討伐した悪魔が話していた言語を真似たものだ。一部の悪魔には通じないようだが、ほとんどの悪魔が同じ言葉を返してくるか、反応するので、判別に重宝している。
だから、言葉に反応した子供に対してさらに警戒を強めたのである。
(この子は悪魔、そうでなければ、悪魔憑きの可能性がある)
調べるには教会へ行く必要があるが、どちらにせよこのまま放っておくわけにはいかない。
(拘束して、連れて……)
耳元で鈴のような声が聞こえた。
『殺さないの?』
ルクスの動きが止まった。
『このこも悪魔だよ、それもとってもこわーい、ね』
子供の成熟しきっていない言葉遣いが、ルクスの心の水面をかき乱す。聞き間違えるはずがない、討伐のたびにルクスの耳元で囁いてきたこえだ。ただ、いつもと違うのは、彼女が自分にもわかる言語を話していることだった。
「……」
ハッ、ハッ、と獣のように息が荒くなる。ドッドッと心臓の音が体の外まで響きそうなほどうるさい。これは夢だ、自分が作り出した妄想に過ぎない。彼女は悪魔の言葉を話していたじゃないか。そう何度も言い聞かせるのに、ルクスの体は全くいうことを聞いてくれない。
それどころか、少女の言葉に従わなくてはと思ってしまう自分がいる。
『お兄ちゃん、早く殺さないとこの子も人を襲うよ、きっと獣を操って人を食べちゃうんだ』
ルクスの様子が変わってとまどっている子供の横に、いつの間にかあの時の少女が立っている。少女はルクスに屈託のない笑顔で言った。
いつの間にか、ルクスの手には、少女の頭と同じくらいの大きさの岩が握られている。そのことにルクスの気持ちは掻き乱れ、顔をガリガリと乱暴に引っ掻いた。
目の前の子供の姿が、槍で貫いた少女の姿と重なった。
『この子も怪しいから早く殺なきゃ…………私を殺したみたいに』
「うわああああっ!」
高くあげた岩を子供の丸い頭に向かって振り下ろされる。子供はまん丸な目をいっぱいに開いて大量の唾を飛ばしながら叫んだ。
「シャオパイ!!」
強い衝撃と共に、ルクスの意識は途絶えた。
◼︎
ルクスが槍で殺めた少女は、戦闘の後に教会の合同墓地に埋葬された。少女が悪魔同士、言葉を交わしていたのを他の神官たちが確認していたために、悪魔憑きと判断された。それによりルクスは一切お咎めなかった。
あの場にいた誰もが、少女を殺めたルクスを責めることはなかった。
「誰も、気づいてはいなかった」
「あの状況では仕方がなかった」
「あの子はいずれ悪魔に喰われていた」
「いや、教会で記憶を消去されただろう」
「「いずれにしてもあの子は死ぬ運命だった」」
それらの言葉を聞くたびに、ルクスは食いしばり、首を横に振った。
「……そんなわけがあるか!」
(そうでなかったら……どうして彼女は夢に出てくるのだ……)
『おにいちゃん……』
少女が恨めしそうにみつめてくるのを、ルクスはもうすでに見慣れていた。毎晩、そして意識の外側から彼女は現れるのだ。その彼女の胸には、あのとき貫いた跡がのこっている。ぽっかりとあいたその隙間から、彼女の背後のものが見えていた。
いつだって同じ姿で、出てくる少女。自分に非がなかったとどうして言えるだろうか……。
「……君は」
『おにいちゃん』
少女は初めこそ、ルクスから離れた場所に立っていた。だが、時間が経過するごとに、少女は一歩、また一歩と近づいてくるのだ。そして彼女の表情も無表情からだんだん険しい顔つきになっていった。
そして今、彼女はルクスの側に立っている。
少女は怨みのこもった顔で目の前の男を睨みつけている。仲間の仇、そして自分を殺したルクスを今にも頭から食らいつきそうだ。
対してルクスは指一本すら動かすことができない。いや、そもそも動くつもりもなかった。
「それで、君の気が済むのなら……」
『おにいちゃん』
ルクスがしてしまった罪を咎めるものは誰もいない……ユニ神ですら許してしまうだろう。だが自身が犯してしまった過ちを、他の誰でもない、ルクスが許せなかったのだ。彼女が夢に出てくることで、眠りが浅くなろうとも、体の衰弱を見て見ぬふりをしてきた。
自身が幼い少女をなんの疑いもなく槍で貫いてしまったのが、どうしても許せなかったのだ。
たとえ、これが夢だと分かっていても……いや、たとえ現実だとしても、目の前の彼女から逃げるなんてことはしない。
近づいてくる殺意に、彼は自身の神への黙祷で対応した。
「ユニ様……お許しください」
「この身が、あなたの手から離れることを……」と心の中で唱える。
すぐ側で、冷たい気配を感じとる。だがルクスの心は比較的穏やかであった。
(わずかでも救いがあらんことを)
『おにい』
バクン、と大きな音が目の前から聞こえた。
少女が言い終わる前に言葉が途切れ、代わりに鈍い音と、液体が飛び散るような音がルクスの正面から振りかかった。
何が起こったのかわからず、恐る恐る目を開けた彼は、目の前の光景から思考が停止した。
(やはり、しょせんは夢なのか……)
でなければどうして、目の前の少女が、見知らぬ少年に、肩を抱かれているのだろうか。そして、どうして少女の頭が消えているのだろうか。これはルクスが見せた幻なのか。
少年はだいたい十五歳、顎の長さまで伸ばした綺麗な黒髪、そして一番目を引いたのが、額から突き出た二本の長いツノ。それが装飾のようについていて、とても不自然だ。
少年の口元から赤い汁が滴っていたが、彼は気にすることもなく、大きく口を開いて少女の無くなった首に齧り付く。鋭く尖った歯を肉に突き立て、一才の慈悲もなく彼女の体を食べていく。
ばくり、ばくりと音を立てながら無くなっていく少女の光景を、ルクスはただ呆然と見ているしかできなかった。やがて、右足の指先が彼の口の中におさまってしまったのを見て、ルクスは池で出会った子供のように口を丸くするしかなかった。
「……」
ごくん、と喉を鳴らした目の前の少年は、砂のように溢れていく彼女の残骸を、手についた油を舐めるように、舌でさらいとっていく。そしてルクスの方をみてから腰を曲げて、上から覗き込んできた。
「……」
悪魔のように、縦に伸びた瞳孔が特徴的な赤紫の瞳からは、ルクスの間抜けた姿が映し出されていた。やがて拳を突き出し、「フン」とルクスの額を弾いた。
ピン、とルクスの額を指で弾いてから、鼻で笑った少年は踵を返してゆっくりと離れていった。声をかけることも、引き止めることもできず、ただルクスは弾かれた額に触れていた。
「あっ……」
やがて現実に引き戻される直前、なんの気まぐれか、少年が振り返りルクスの方をみた。紫水晶のような瞳が、赤く光る。
「悪くない味だった……ごちそうさま」
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その光景がルクスの脳裏に呪いのように残ることとなった。
◼︎
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「……お、おはようございます」
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子供は丸い瞳でルクスをじっと見つめて、ペチペチと柔らかな手のひらでルクスの頭を撫でる。普段されることのない感触に、くすぐったくて身を捩ると、後頭部にさらに柔らかい感触。
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「す、すまない!重かっただろう!」
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「シャオパイ」
すぐに魔法をかけようと手を伸ばそうとした途端、子供がルクスの方をみて首を横に振った。いや、正確にはルクスの後ろだ。気づけばルクスの首元にはナイフがあり、静かな殺意を物語っている。
「危害を加える意思はありますか?」
自身の真後ろから気配もなく、抑揚のない声が語りかけた。声の感じからして女性のようだ。その女性に、ルクスは背後を取られ、いつでも首を掻き切られる状態だ。ルクスは首をナイフに当たらないように小さく横に振った。
「ない……少なくとも今、この場では……」
「シャオパイ……」
子供がルクスの首に回している腕を掴んで、首をふるふると横に振った。子供もナイフが目の前にあるというのに、恐怖にかられておらず、まっすぐと後ろの女性に目を向けていた。
「……わかりました」
ナイフが離れたのを感じ取ると、ルクスはすぐに女性の方をみた。女性は十代後半の見た目であり、背中まで伸ばした黒髪を二つに後ろで結っている。少女は黒いワンピースの上に白いエプロンを腰に巻いており、どこかの貴族に使える使用人に見えた。子供が黒髪でまっすぐな毛質と年齢を見るともしかしたら姉弟なのかもしれない。
ルクスは子供の方を向き直ると、礼をいった。
「ありがとう、おかげで助かった」
「それよりも、謝罪では? 急に襲いかかってきて驚きましたよ」
「それは……」
ルクスが少女に言い淀んでいると「シャオパイ」と子供が顰めっ面をしている。
「まあ、この龍に襲われていると勘違いして、転んで気を失ったとこの子が言っていましたが……頭は大丈夫ですか?」
「そう、だったのか……」
子供がむふー、と指先を二本立てて得意げな顔をしている。「シャオパイ」と呼ばれた少女は、氷のような顔からはあ、とため息をつく。
「それで……あなたはどちら様ですか?」
「わ、私はルクス・ルーメン……ここを通りかかっただけだ」
「……『通りかかっただけ』ですか、シャオフーを襲おうとしたわけではないのですね?」
「……いや、私は」
ルクスが本当は子供が悪魔だと思ったことを話そうと口を開きかけたとき、子供が「フク」と
大きく吠えた。その顔は頬を膨らませて怒りをあらわにしている。
「ふ、『フック』?」
ルクスは子供に指を向けて、復唱する。だが子供は満足がいかないのか、自分で自分の方を指しもう一度大きな声で繰り返す。
「フク!」
「『フク』」
「ウン!」
何が何だかわからないが、子供が『フク』ということはわかった。ルクスは満足そうに笑うフクをみて、久しぶりに子供の笑顔をみた気がした。ここ数週間の間、ルクスが目にしていたものは子供の泣き顔や、恐怖に染まった顔しかなかったので、フクの笑顔のおかげで、これまで張っていた気が緩んだ感覚がした。
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