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【中編】第六章 夏の思い出
遺されたモノ。
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「母さん?」
夜も二時を回り、喉が渇いて起きた。もう一度眠りに落ちる前に水分補給しようと一階に降りれば、リビングの窓ガラスが虹色に光っている。
「あぁ、水樹。上まで聞こえてた?」
母の和やかな笑いに「ううん。水飲みたかっただけ」
夜はライター業に専念している母だ。根詰めないようして欲しいが、今日は様子が少し違う。
「深夜アニメ?」
「ううん。昔、放送されていたものをね」
水滴が残るグラスにミネラルウォーターをとくとく注ぎ、ソファに座る母の隣に腰を下ろした。「水いる?」「ありがとう」と水樹のコップを受け取り、二杯用意した甲斐があった。
昔の作品なら加入済みの動画配信チャンネルだろう。水樹の母は主に漫画やアニメ作品に関する記事を執筆している。そのため、大量の漫画棚もこういったサービスも仕事の一環で必要なものだった。
「魔法使い?」
「魔法少女ルルアのシーズン二よ」
あらすじを聞き、相槌を打ちながら水樹はミネラルウォーターを一口飲む。カラカラな喉を潤す一杯に至福のため息が零れた。
「……父さんが出演した作品でもあるの」
母が当然のように解説したものだから、傾けたグラスの中身をひっくり返しそうになった。急いで中身を口につける。
「とと、父さんって」
祖父のことを「お父ちゃん」と呼ぶ母だ。思い当たる人物は水樹の中で一人しかいない。母はそんな息子を大変穏やかな目で笑い、テレビに映る魔法少女を愛おしそうに見つめた。
「遊佐 優樹。声優名は優しいを勇気の勇に変換して、遊佐 勇樹。あなたのお父さんよ」
水樹がこの世に産まれる前に去った、父。存在認識はアルバムが頼りだ。首元から緩く流した青髪と金色の瞳が印象的で、母には「血が濃すぎて驚くわ」と言われる存在。
アルバムといっても写真はたった五枚しかなく、どの写真も澄まし顔だ。父方の祖父母も母も多くは語らず、子供ながら勝手にイメージを膨らませた。もしかしたら概念だったのでは、と思春期を過ぎた頃によく悩んだものだ。
「隠すつもりはなかったのよ。全然気がつかないものだから様子を窺っていたの。そろそろ潮時かな、と思っただけ」
息子の困惑した反応を申し訳なさそうにしつつも笑う母は思い出の包みを開けた。人前が苦手だった父──優樹が自分を変えたくて声優を目指したことや、人気になるにつれ人前に出るのを拒んだこと、キャラに憑依しないと歌もままならないこと……。脳内のモヤモヤした父親像に新たな要素が追加される。
「とにかくヘタレだったわ。数ある職業で声優を選んだのも『ボクはなにかに変身しないと自分を出せないから』だって。まあ……本当になれちゃうんだからこっちは唖然としたわね」
コップの縁を左右に動かし、中の水が揺れる。お酒は全く入っていないのだが、愉快に優樹の話を暴露する葉子であった。
人前に出る際は出演者の後ろに隠れていたが、背が高いあまりすぐに気づかれるだとか、水樹が産まれる前には『ボクはまだ戦隊モノやヒーローモノに出たことないよ!』とぐずったらしい。写真の中にいた美丈夫からはとても想像できない。
「血が濃いなら俺もそうなのか……」
「なーに言ってんの。父さんよりはヘタレじゃないわ」
遠からずヘタレだと指摘された。血は争えないようだ。水樹の内心傷ついた様子に気づいたのかどうなのか続ける。
「ただ、いざって時は本領発揮する。だから『変芸自在の王子様』って異名が付けられた」
とても格好良い二つ名だ。変芸自在なのは演じたキャラからもきているのだろう。
「聞こえはいいけど悪役をもぎ取った時はね、『キラキラ王子様になっちゃうので抑えてください』と監督に怒られたらしいわよ」
「ああ、そういう……」
(ますますイメージが湧かない)
喋り尽くす母に比べ、水樹の方が水を飲むペースが早い。飲み終わる頃にはアニメも終盤ぽいシーンに移り、魔法少女達が世界滅亡を阻止するために命を削って戦うシーンが描かれていた。
「今話した中で、別に父さんを軽蔑するわけじゃないの。人として立派に生き、声優として誇りを持ち、父親としてあなたを愛していた姿を間近で見たんだもの。そうね……息子だからって長い前置きだったかしら」
「前置き?」
母さんは空いたグラスを掲げ、眺めた。水滴と紅跡が残る軽くて落としたら割れるそれを。
「……優樹さんは実はベータじゃない。水樹と同じオメガよ」
告げられる真実に、水樹は目を見開かずにはいられなかった。
血縁関係者にオメガがいるのならば、オメガが産まれる可能性はグッと高まる。けれどグラスの中身をまだちびちび飲む母は、そういうことを言いたいわけではなさそうだ。
「あなたのお父さんはヒートに加え、体の具合もあまり良くなかったの。体が資本である声優を目指すには過酷な道だった。いくら変芸自在と呼ばれる武器があってもね」
同じバース性を持つ親子だからといい、水樹は積まれた荷物の重さは計り知れない。
(それに父さんがオメガってことは。ベータの母さんとは……)
嫌でも察しがつく。母は鼻で笑い飛ばした。
「王子様タイプの父さんはそりゃモテたわよ~? チョコレートの食べ過ぎで鼻血出すっ……ふふ……」
「……鼻血」
思わぬ回答に豆鉄砲を食らう水樹と、思い出し笑いをしツボる母。落ち着く頃にはアニメは最終回に進んでいた。
「ふうー……奥さんのわたしからすれば、誰が誰なんていちいち気にしたら身が持たないもの。多少のリスクは我慢よ、我慢。これはどのパートナーにも言えることよ」
すぐに浮かんだのは彼方だった。今日も愛を刻んでくれた彼方だが、間違いなくこの先もモテる人物だ。なにかの拍子に大モテ期が到来するだろう。その状況に出会した時、絶対揺らぐ。信用以前に嫉妬や寂しさで心臓が張り裂けるかもしれない。良いアドバイスをもらえた。
ようやく水を飲み干した母はアニメではなく、水樹を眺め、手を伸ばす。ぽんっ、とツムジに触れた手は左右に動いた。
「あなた達の関係についてあれこれ口を出すつもりはないけれど、身を呈するだけが全てじゃないことはわかって」
手が離れる。少しごちゃついた。
「人には誰しも可能性がある。未来も夢も自分だけのがね。父さんだけが描いた人生みたいに、水樹だけの人生があるわ。いくら親しい人や寄り添える相手がいても、まるっきり同じではないものがこの先にはたくさん」
『……ミンナノタメにタタカウの、モウイヤダ』
静かなリビングに悲壮感漂う主人公の台詞が放たれる。妙に耳を打つ台詞に彼方は観るのを我慢した。
「さて問題です。父さんはそのことをなんて表現したと思う?」
「も、問題? ……山登り、とか」
「そっちの方が断然わかりやすいわね。人生は道だもの。でも残念。答えは『樹』よ」
「木?」
「あなたの名前にある『樹』ね。優樹さんは言ったの。『ボクは樹にならなければいけない。怠ればキミや水樹、諸共倒れる』と。生者である限り、誰かと寄り添うだけじゃ生きられない。わたしはそう解釈したわ。だからね、水樹。あなたはあなただけの樹になりなさい。向かい風に吹かれようが、雷が落ちようが……立つ樹に。根っこも幹も全部奪われない、あなたのものなの。自分だけで立つために励みなさい」
またぐちゃぐちゃになる髪の毛。母はそのままテレビを消さず、書斎に潜った。
(人生。寄り添えない。俺だけの……樹)
水樹はソファに寝っ転がり、クッションを抱きながらアニメを観る。最終回で一番熱いであろうシーンが目の前で流れた。
『わたし……達はっ、解散しても。心は一つだよっ!』
世界滅亡を阻止し、魔法が解けた少女達は普通の生活に戻っていく。魔法少女だった時の記憶や友人達に関する情報は全て消去される、という結構胸を締めつけられる展開だった。
書斎に潜る前、水樹は母に聞いた。「母さんは望んで今の仕事を選んだの?」と。腹を割って話した分、滑るように出てきた。
「ライター業は絶対そうね。子供の頃からの夢だったし。パートもそうよ。細々した作業が息抜きにもなるわ」
清々しい笑顔で「きちんと体を休めるのよ」と伝えられ、欠伸を挟みながらリビングを出て行った。
「難題が多くて、どれから手をつけていいのかさっぱりだ」
解き方も答えも。解る日がくるのだろうか。
彼方と一緒に生きられたらそれだけで良かった。彼方と生きることが自分の人生だと疑わず、愛を確かめ合い、深めたはずだ。
(寄り添われなくても自分だけで立てるように……か)
ソファから飛び出した足をバタバタさせる。ここはプールじゃないので進まない。
『溜まった水が溢れ出すのに 底は尽きない』
悩む間に音楽が聞こえてくる。さっきの回にはなかった清らかな男性の歌声。水樹は目を転じ、画面に注目するとエンディングらしき映像があった。
『まるでなにかに押されるようだ こんなんじゃまた弱くなる』
(魔法少女ものに男性のエンディングテーマ曲か。珍しいな)
しっとりしたかと思えば、さらに息が詰まるくらい掠れる。水樹はその男性の歌も名前も、顔も知らないのに喉を押さえ、命を振り絞って歌う姿がありありと想像できる。
「……え」
スタッフロールの中にあるエンディングテーマ曲。タイトルに作詞作曲、そしてアーティスト名。
「『水』……。作詞とアーティストが……遊佐 勇樹?」
しかも歌手のところにキャラクターボイス表記がついていない。
「キャラに憑依しないと歌もままならないんじゃなかったのか?」
この地球を探せばオメガにも才能溢れる者がいるんだろう。アルファを凌駕せずとも、ベータと対等に並べる、もしくはアルファと戦えるくらいには。ほんのひと握りの存在が。
「……わかんないや」
テーマ楽曲『水』は完結の文字と共に終わりを告げる。配信サイトのホーム画面に切り替わった。それでも今もなお、優樹の歌声が耳の中で渦巻く。途切れることを知らない水のように。
水樹はリビングにあるパソコンを起動させた。キーボードを叩き、入力する。不穏なサジェストも一覧には含まれていたが、無視した。母も父も望んで遺したものじゃないから。
(遺したものの答えはまだ全くわからないけど)
──遊佐 優樹。
一番下にスクロールすればもう一人の名前。
──ハコ。
ハは「葉」、コは「子」。母のライター名だ。
水樹の視覚はパソコンに、聴覚はもう一度始まる魔法少女達の活躍に熱心に傾けていた。
夜も二時を回り、喉が渇いて起きた。もう一度眠りに落ちる前に水分補給しようと一階に降りれば、リビングの窓ガラスが虹色に光っている。
「あぁ、水樹。上まで聞こえてた?」
母の和やかな笑いに「ううん。水飲みたかっただけ」
夜はライター業に専念している母だ。根詰めないようして欲しいが、今日は様子が少し違う。
「深夜アニメ?」
「ううん。昔、放送されていたものをね」
水滴が残るグラスにミネラルウォーターをとくとく注ぎ、ソファに座る母の隣に腰を下ろした。「水いる?」「ありがとう」と水樹のコップを受け取り、二杯用意した甲斐があった。
昔の作品なら加入済みの動画配信チャンネルだろう。水樹の母は主に漫画やアニメ作品に関する記事を執筆している。そのため、大量の漫画棚もこういったサービスも仕事の一環で必要なものだった。
「魔法使い?」
「魔法少女ルルアのシーズン二よ」
あらすじを聞き、相槌を打ちながら水樹はミネラルウォーターを一口飲む。カラカラな喉を潤す一杯に至福のため息が零れた。
「……父さんが出演した作品でもあるの」
母が当然のように解説したものだから、傾けたグラスの中身をひっくり返しそうになった。急いで中身を口につける。
「とと、父さんって」
祖父のことを「お父ちゃん」と呼ぶ母だ。思い当たる人物は水樹の中で一人しかいない。母はそんな息子を大変穏やかな目で笑い、テレビに映る魔法少女を愛おしそうに見つめた。
「遊佐 優樹。声優名は優しいを勇気の勇に変換して、遊佐 勇樹。あなたのお父さんよ」
水樹がこの世に産まれる前に去った、父。存在認識はアルバムが頼りだ。首元から緩く流した青髪と金色の瞳が印象的で、母には「血が濃すぎて驚くわ」と言われる存在。
アルバムといっても写真はたった五枚しかなく、どの写真も澄まし顔だ。父方の祖父母も母も多くは語らず、子供ながら勝手にイメージを膨らませた。もしかしたら概念だったのでは、と思春期を過ぎた頃によく悩んだものだ。
「隠すつもりはなかったのよ。全然気がつかないものだから様子を窺っていたの。そろそろ潮時かな、と思っただけ」
息子の困惑した反応を申し訳なさそうにしつつも笑う母は思い出の包みを開けた。人前が苦手だった父──優樹が自分を変えたくて声優を目指したことや、人気になるにつれ人前に出るのを拒んだこと、キャラに憑依しないと歌もままならないこと……。脳内のモヤモヤした父親像に新たな要素が追加される。
「とにかくヘタレだったわ。数ある職業で声優を選んだのも『ボクはなにかに変身しないと自分を出せないから』だって。まあ……本当になれちゃうんだからこっちは唖然としたわね」
コップの縁を左右に動かし、中の水が揺れる。お酒は全く入っていないのだが、愉快に優樹の話を暴露する葉子であった。
人前に出る際は出演者の後ろに隠れていたが、背が高いあまりすぐに気づかれるだとか、水樹が産まれる前には『ボクはまだ戦隊モノやヒーローモノに出たことないよ!』とぐずったらしい。写真の中にいた美丈夫からはとても想像できない。
「血が濃いなら俺もそうなのか……」
「なーに言ってんの。父さんよりはヘタレじゃないわ」
遠からずヘタレだと指摘された。血は争えないようだ。水樹の内心傷ついた様子に気づいたのかどうなのか続ける。
「ただ、いざって時は本領発揮する。だから『変芸自在の王子様』って異名が付けられた」
とても格好良い二つ名だ。変芸自在なのは演じたキャラからもきているのだろう。
「聞こえはいいけど悪役をもぎ取った時はね、『キラキラ王子様になっちゃうので抑えてください』と監督に怒られたらしいわよ」
「ああ、そういう……」
(ますますイメージが湧かない)
喋り尽くす母に比べ、水樹の方が水を飲むペースが早い。飲み終わる頃にはアニメも終盤ぽいシーンに移り、魔法少女達が世界滅亡を阻止するために命を削って戦うシーンが描かれていた。
「今話した中で、別に父さんを軽蔑するわけじゃないの。人として立派に生き、声優として誇りを持ち、父親としてあなたを愛していた姿を間近で見たんだもの。そうね……息子だからって長い前置きだったかしら」
「前置き?」
母さんは空いたグラスを掲げ、眺めた。水滴と紅跡が残る軽くて落としたら割れるそれを。
「……優樹さんは実はベータじゃない。水樹と同じオメガよ」
告げられる真実に、水樹は目を見開かずにはいられなかった。
血縁関係者にオメガがいるのならば、オメガが産まれる可能性はグッと高まる。けれどグラスの中身をまだちびちび飲む母は、そういうことを言いたいわけではなさそうだ。
「あなたのお父さんはヒートに加え、体の具合もあまり良くなかったの。体が資本である声優を目指すには過酷な道だった。いくら変芸自在と呼ばれる武器があってもね」
同じバース性を持つ親子だからといい、水樹は積まれた荷物の重さは計り知れない。
(それに父さんがオメガってことは。ベータの母さんとは……)
嫌でも察しがつく。母は鼻で笑い飛ばした。
「王子様タイプの父さんはそりゃモテたわよ~? チョコレートの食べ過ぎで鼻血出すっ……ふふ……」
「……鼻血」
思わぬ回答に豆鉄砲を食らう水樹と、思い出し笑いをしツボる母。落ち着く頃にはアニメは最終回に進んでいた。
「ふうー……奥さんのわたしからすれば、誰が誰なんていちいち気にしたら身が持たないもの。多少のリスクは我慢よ、我慢。これはどのパートナーにも言えることよ」
すぐに浮かんだのは彼方だった。今日も愛を刻んでくれた彼方だが、間違いなくこの先もモテる人物だ。なにかの拍子に大モテ期が到来するだろう。その状況に出会した時、絶対揺らぐ。信用以前に嫉妬や寂しさで心臓が張り裂けるかもしれない。良いアドバイスをもらえた。
ようやく水を飲み干した母はアニメではなく、水樹を眺め、手を伸ばす。ぽんっ、とツムジに触れた手は左右に動いた。
「あなた達の関係についてあれこれ口を出すつもりはないけれど、身を呈するだけが全てじゃないことはわかって」
手が離れる。少しごちゃついた。
「人には誰しも可能性がある。未来も夢も自分だけのがね。父さんだけが描いた人生みたいに、水樹だけの人生があるわ。いくら親しい人や寄り添える相手がいても、まるっきり同じではないものがこの先にはたくさん」
『……ミンナノタメにタタカウの、モウイヤダ』
静かなリビングに悲壮感漂う主人公の台詞が放たれる。妙に耳を打つ台詞に彼方は観るのを我慢した。
「さて問題です。父さんはそのことをなんて表現したと思う?」
「も、問題? ……山登り、とか」
「そっちの方が断然わかりやすいわね。人生は道だもの。でも残念。答えは『樹』よ」
「木?」
「あなたの名前にある『樹』ね。優樹さんは言ったの。『ボクは樹にならなければいけない。怠ればキミや水樹、諸共倒れる』と。生者である限り、誰かと寄り添うだけじゃ生きられない。わたしはそう解釈したわ。だからね、水樹。あなたはあなただけの樹になりなさい。向かい風に吹かれようが、雷が落ちようが……立つ樹に。根っこも幹も全部奪われない、あなたのものなの。自分だけで立つために励みなさい」
またぐちゃぐちゃになる髪の毛。母はそのままテレビを消さず、書斎に潜った。
(人生。寄り添えない。俺だけの……樹)
水樹はソファに寝っ転がり、クッションを抱きながらアニメを観る。最終回で一番熱いであろうシーンが目の前で流れた。
『わたし……達はっ、解散しても。心は一つだよっ!』
世界滅亡を阻止し、魔法が解けた少女達は普通の生活に戻っていく。魔法少女だった時の記憶や友人達に関する情報は全て消去される、という結構胸を締めつけられる展開だった。
書斎に潜る前、水樹は母に聞いた。「母さんは望んで今の仕事を選んだの?」と。腹を割って話した分、滑るように出てきた。
「ライター業は絶対そうね。子供の頃からの夢だったし。パートもそうよ。細々した作業が息抜きにもなるわ」
清々しい笑顔で「きちんと体を休めるのよ」と伝えられ、欠伸を挟みながらリビングを出て行った。
「難題が多くて、どれから手をつけていいのかさっぱりだ」
解き方も答えも。解る日がくるのだろうか。
彼方と一緒に生きられたらそれだけで良かった。彼方と生きることが自分の人生だと疑わず、愛を確かめ合い、深めたはずだ。
(寄り添われなくても自分だけで立てるように……か)
ソファから飛び出した足をバタバタさせる。ここはプールじゃないので進まない。
『溜まった水が溢れ出すのに 底は尽きない』
悩む間に音楽が聞こえてくる。さっきの回にはなかった清らかな男性の歌声。水樹は目を転じ、画面に注目するとエンディングらしき映像があった。
『まるでなにかに押されるようだ こんなんじゃまた弱くなる』
(魔法少女ものに男性のエンディングテーマ曲か。珍しいな)
しっとりしたかと思えば、さらに息が詰まるくらい掠れる。水樹はその男性の歌も名前も、顔も知らないのに喉を押さえ、命を振り絞って歌う姿がありありと想像できる。
「……え」
スタッフロールの中にあるエンディングテーマ曲。タイトルに作詞作曲、そしてアーティスト名。
「『水』……。作詞とアーティストが……遊佐 勇樹?」
しかも歌手のところにキャラクターボイス表記がついていない。
「キャラに憑依しないと歌もままならないんじゃなかったのか?」
この地球を探せばオメガにも才能溢れる者がいるんだろう。アルファを凌駕せずとも、ベータと対等に並べる、もしくはアルファと戦えるくらいには。ほんのひと握りの存在が。
「……わかんないや」
テーマ楽曲『水』は完結の文字と共に終わりを告げる。配信サイトのホーム画面に切り替わった。それでも今もなお、優樹の歌声が耳の中で渦巻く。途切れることを知らない水のように。
水樹はリビングにあるパソコンを起動させた。キーボードを叩き、入力する。不穏なサジェストも一覧には含まれていたが、無視した。母も父も望んで遺したものじゃないから。
(遺したものの答えはまだ全くわからないけど)
──遊佐 優樹。
一番下にスクロールすればもう一人の名前。
──ハコ。
ハは「葉」、コは「子」。母のライター名だ。
水樹の視覚はパソコンに、聴覚はもう一度始まる魔法少女達の活躍に熱心に傾けていた。
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