A side street

青木 航

文字の大きさ
上 下
13 / 18

第十三話 影

しおりを挟む
 だが、あの日、そんな雰囲気はなかったと思った。ただ、河原崎が僕の携帯番号を入手したいきさつについては、僕の心配した最悪の事態にだけはなっていなかった事が分かったので、少し、気持ちが落ち着いてきた。
「ところで、宗教の話はその後どうなったんですか?」
と、僕の河原崎に対する問い掛けが、何故か敬語になっていた。
「『悪いけど、宗教には興味ないから』って断ったよ」
 河原崎が話始めた。
「そしたら、『宗教ってよりも、生き方についてみんなで話すサークルって感じなんですよ』って言うんで、『このパンフレットは前にも見せられたことがある。言っちゃ悪いが、Netなんかでも、色々悪い噂のある団体だよね』って言ったんだ。彼女は、『Netの書き込みって、自分の名前出さないで無責任な噂を流し、何の責任も取らないものでしょう。そんなものに振り回されてる人、多過ぎると思いません? 無責任な中傷です』って言う。一回、話を全部聞いてやった上で、矛盾しているところを説明してあげて、その上で、そんな宗教に入るのはやめた方がいいと言ってやるしかないかなって思ったんだ」
 先が気になった。
「それで……?」
と、僕は河原崎を急かせた。
「『お客さんとしてでなく、河原崎さん個人に知って欲しいことなので、お店に来て下さる日以外の日に、どこかでお話出来ませんか? その代り、お店や同伴の時には、今後この話は一切しません。あくまで、プライベートでお話したいんです。だから、河原崎さんもそのつもりでいて頂けますか?』って言うんだな。つまり、俺にも、店ではこの事を喋るなってことだ」
『“プライベートで”とか言われて、やに下がったってことか』と思った。でも、玲奈がカルト教団に関わってたなんて、にわかには信じられなかった。
「で……?」
と僕は、河原崎をせっついた。
「それで、店に行かない日に喫茶店で待ち合わせた。ところが、二人で話そうと思ってたのに、女がもう二人居たんだ。ひとりは、綾香と同じくらいだったが、もうひとりは二十五、六」
「その若い方のひとりが、由佳かすみれ』って子だったって分けか?」
と、僕は口を挟んだ。
「違う。あの教団は、色んな職場や団体に信者を送り込んで勧誘やらせてるけど、複数居ても、お互い知らないのが普通なんだ。つまり、勧誘失敗してトラブルになり一人がクビになっても、芋蔓式いもづるしきに全員がそこから追い出されると言うことが無いようにしている。一緒に来たのは、綾香を勧誘して入会させた先輩と末端の責任者だったんだと思う。組織はすべて縦の繋がりだけで、横の繋がりはないんだ。つまり綾香は、営業に例えれば単なるアポ取りで、営業で言うなら、実際に契約を締結するクローザーとクローザー見習いが一緒に来てたって分けだ」
「で、どうしたんですか」
「俺も営業マンだよ。負けてはいない。クローザーのクロージングを、切り替えし切り替えしって言うより、揚げ足取ってたって感じかな。矛盾を突いて、側で聞いている綾香に分からせてやろうとしたんだ。クローザーは、しまいに怒り出した。『あなたのような人は地獄に落ちるでしょう!』って捨て台詞吐いて、席を立って出て行っちまった。コーヒー代も払わずにね。見習いの方も慌てて後を追った。綾香は残ったんだが、すぐ若い方が戻って来て、入口から手招きして綾香を呼んだんだ。それで、綾香が伝票持って立ち上がったんで、『それはいいよ』って俺は伝票を取り戻した。綾香は黙ってお辞儀して出て行った。緊張した顔していた。翌日店に行ったが、風邪をひいて休んでるってことだった。三日目、五日目、一週間目に行ったが、やっぱり、休んでいると言われた。前にも言ったが、結局、辞めたと店が認めたのが、ひと月近く経ってからだった。休んでるって聞いて、『じゃ、帰る』ってのも、いかにもって感じで嫌だったんで、二回に一回は入った。店とすれば、その間に、他の子が気に入ってくれれば、当面客を逃さずに済むってことだからな。それはある程度分かっていたが、俺とすれば、他の子から、綾香のことが何か聞ければと言うことだったんだ。もちろん、宗教の勧誘の件は何も言わなかった。だけど話していて、由佳とすみれもひょっとしたら信者なんじゃないかと言う気がしたんだ。裏付けはないんだけど、なんとなくって感じだ。なんとなく、そう言う匂いがするんだ。だけど不思議なことに、綾香にはそう言う匂いがまったくなかった。そうだろう。な!」
 そんな同意を求められても、相槌あいづちを打つ気にもならなかった。河原崎の話そのものが、どこまで信用出来る話なのか。僕は、それすら判断出来なくなっていた。
「あんたの言う綾香と玲奈が同一人物かどうか、正直まだ百パーセント、そうは思えない部分も有る。状況から見たらそうなんだろうけど。……興信所に頼んだのはその後なのか?」
 腹立たしい事ではあったが、手順として確認して置く必要が有ると思った。
「ああ、もう他に手は無かった」
 河原崎は頷いて、コーヒーを口にした。
「へえ、興信所ってそういうの調べてくれるんだ。場合によっては、ストーカーの共犯ってことになったりしないのかね?」
 河原崎に対する皮肉である。
「ストーカー、ストーカーって言うなよ。違うんだから。……興信所だけど、一応、不法な目的や迷惑行為が目的でないことは、確認することになってるらしい。でも、俺が頼んだのは、企業が採用時の身元確認で使うくらいの一番簡単なコースだったし、『知り合いがカルト教団に関わっているんじゃないかと心配だ』と言ったら、それ以上は理由を追及しなかった。向こうも商売だからね」
「で、何が分かったんですか」
 知りたい情報を引き出せるのではないかと思って、僕は聞いた。
「出身は、福島県会津若松市。父親は地方スーパーを経営している。景気はそんなに良くはないらしいけど、ま、今の時代そんなとこってことで、倒産の危機があるとか、そう言うレベルの話じゃなさそうだ。そこそこってとこかな。彼女は、赤川学院へ行っていて一人暮らしをしているが、そのかねを送るくらいは問題なさそうだと言うこと。ただ、君の言う、東京に住んでる兄というのは居ない」
「えっ!」
と思わず声が出た。そこまでの情報は、大方僕の知っている玲奈の情報と矛盾していなかったのだが、『兄が東京に住んでいて、当初、そこに同居していた』と言うのが嘘とすれば、それこそが、玲奈の行動の謎を解明する鍵になるかも知れないと思った。
「兄弟は、実家で父親の仕事を手伝っている兄がひとり居るだけだ。あと、兄嫁と兄夫婦の子、小学生の男の子と中学生の女の子だ。それと、お婆ちゃんが居る」 
「玲奈が俺に嘘をついたっていうのか。一年の時は、兄貴の家に居候してたって聞いている」 
「どうして君にそう言ったのかは分からないけど、一年の時は、相模原でひとり暮らしをしていた。二年の夏休みに故郷くにに帰った時中学の同窓会が有って、その時再会した同級生の男が、やはり東京で大学に行っていた。そいつは八王子に住んでいて、玲奈の住まいと近かったせいも有って、東京に戻ってから会うようになったようだ。当然、そのうち半同棲みたいになってたらしい。高校は女子高だったんで、多分、初めて大人の付き合いをした相手だったんだろう。ところが、結果は最悪。そいつが、とんでもない遊び人だったってことに、しばらく気付かなかったって分けだ」
『カルト教団に、遊び人でひものような彼氏? 何だそれ。キャバクラでバイトしたかねどっちか、或いは両方に貢いでたってのか? ひど過ぎるだろう』
 ショックを受けた僕は、口を挟んだ。
「ちょっと待ってくれ、企業の採用調査レベルのコースで、そんなことまで調べるか?」
と突っ込んでみる。
「ああ、追加料金払うはめになった」
と河原崎が答える。そして、
「言い方は巧妙だ。住所、家族構成、出身高校、在学中の大学、おおまかな経済状況あたりを説明した後、『実は、男性についての情報も若干じゃっかんつかめたんですが、どうも評判の悪い男のようで、実費頂ければ、それも報告書に記載出来ますよ。どうされますか?』って言って来やがった。こっちが、知りたい情報だって分かっていやがるんだ。その時点じゃまだ、教団についてどの程度分かったか聞いて無かったんで、追加断って手抜きされちゃ困ると言う気持ちも有った」
『こいつ、インチキ調査会社に踊らされたんじゃないのか?』と思った。
「もう、そのことは、そのぐらいでいいよ」
と、河原崎の言葉を遮って、僕は言った。もう、それ以上聞きたくは無くなった。
「いや、分かってることは、大体そんな程度さ。あとは、その男に、他の女が何人か居て、結局綾香は、その男とは別れたってことと。その後。三年になって今の住所に引越し、キャバクラ“バージン・ロード”に勤め始めたってこと。男と別れたのが一月の末頃。それから二か月くらいの間に何があったのか、実は良く分からないらしい。カルトの方は、同級生の誰かに勧誘されたんじゃないかって程度だ。『もっと詳しく調べてみましょうか』って言われたが、どうせ別料金。それも、今度は大分取られそうだから、やめた」
『キャバクラに勤め始めたのが男と別れた後なら、そいつに貢いでいたって訳では無いだろう。河原崎の言う事は支離滅裂ではないかと思うと、真面目に聞いていたのが馬鹿馬鹿しくなった。
「結局、教団のことは何も分からないってことじゃないか。その興信所に、いい加減な情報でぼられたんじゃないのか?」
と、河原崎に言った。
「教団の本部のある場所は分かっている。一度あたってみたいんだ。一緒に行かないか」
と、河原崎は意外な誘いを掛けて来た。
「なるほど、そう言う訳ですか、俺に用があるというのは。情報を確かめたいが、ひとりで行くのが不安だった。だから、俺を巻き込もうと思った。そういうことか」
 河原崎を嘲笑あざわらうような調子で僕は言った。
「君は探したくないのか?」
と、河原崎は切り替えして来た。
「探したいさ。特に今のような話聞いたあとじゃね。でも、怪しげな話ばっかりじゃないか。しかもあんたが、ボランティアみたいな気持ちで、あんたの言う綾香を教団から救出しようとしているなんて、素直に信じられると思いますか?」
「どう思おうといいが、目的は一緒だろう。協力してくれないか? その彼氏って奴はとんでもない奴らしいが、俺は君には悪感情は持ってない。君はいい奴だと、俺は思ってる」
 どういうつもりなのか、河原崎は僕を取り込みに掛かって来た。
「よく言うよ、こいつ!」
と僕は思った。
しおりを挟む

処理中です...